削除された内容 追加された内容
TohaomgBot (会話 | 投稿記録)
m BOT: Replaced raster image with an image of format SVG.
編集の要約なし
 
(11人の利用者による、間の17版が非表示)
32行目:
| show-medals = yes
| medaltemplates =
{{MedalCompetition|[[オリンピック自転車競技|オリンピック]]}}
{{MedalGold |[[2004年アテネオリンピック (2004年) における自転車競技|2004 アテネ]]|1KmTT}}
{{MedalGold |[[2008年北京オリンピック|2008 北京]]|[[2008年北京オリンピックにおける自転車競技・男子スプリント|スプリント]]}}
{{MedalGold |[[北京オリンピック|2008 北京]]|[[2008年北京オリンピックにおける自転車競技・男子チームスプリント|TSP]]}}
{{MedalGold |[[北京オリンピック|2008 北京]]|[[2008年北京オリンピックにおける自転車競技・男子ケイリン|ケイリン]]}}
{{MedalGold|[[2012年ロンドンオリンピック (2012年) |2012 ロンドン]]|[[2012年ロンドンオリンピック (2012年) における自転車競技・男子チームスプリント|TSP]]}}
{{MedalGold|[[ロンドンオリンピック (2012年) |2012 ロンドン]]|[[2012年ロンドンオリンピック (2012年) における自転車競技・男子ケイリン|ケイリン]]}}
{{MedalSilver |[[2000年シドニーオリンピック|2000 シドニー]]|[[2000年シドニーオリンピックにおける自転車競技|TSP]]}}
{{MedalCompetition|[[世界選手権自転車競技大会]]}}
{{MedalGold|2002 [[コペンハーゲン]]|[[世界自転車選手権男子その他トラック種目歴代優勝者#1Kmタイムトライアル|1KmTT]]}}
72行目:
}}
 
'''サー・クリス・ホイ'''(Sir Chris Hoy MBE。[[1976年]][[3月23日]]- )は、[[イギリス]]の[[スコットランド]]・[[エディンバラ]]生まれの[[自転車競技]]([[トラックレース]])選手、レーシングドライバー。本名は'''クリストファー・アンドリュー・ホイ'''(Christopher Andrew Hoy)。
 
==経歴==
[[2005年]]初頭に[[大英帝国勲章]]・MBEを受章。同年7月に[[エディンバラ大学]]の[[博士号]]が授与された。また、[[2008年]]12月にナイトの称号が与えられた。2005年には[[国際競輪]]にも参加し、通算14戦4勝の成績を収めた。そして地元開催の[[2012年ロンドンオリンピックの開会式]]では[[2012年ロンドンオリンピック (2012年) イギリス選手団|イギリス選手団]]の旗手を務めた。ホイのスポーツキャリアのスタートは[[BMX]]及び[[ボート]]。そしてトラックレース選手としての最初のキャリアは、チームスプリントのイギリスチームの一員としてであった。
 
=== [[1999年]] ===
83行目:
 
=== [[2000年]] ===
*[[ファイル:Silver medal icon.svg|20px]] [[2000年シドニーオリンピックにおける自転車競技|シドニーオリンピック]]では、[[クレイグ・マクリーン]]、[[ジェイソン・クアリー]]とともにイギリスチームの銀メダル獲得に貢献した。
*[[世界選手権自転車競技大会トラックレース2000|世界選手権]]のチームスプリントでもシドニーオリンピックと同じメンバーで2位となった。
 
111行目:
**[[ファイル:Arc en ciel.svg|25px]] 1kmTTで2度目の優勝。
**チームスプリント 3位
*[[ファイル:Gold medal icon.svg|20px]] [[2004年アテネオリンピック (2004年) における自転車競技|アテネオリンピック]]の1㎞TTでも、1分00秒711の大会新記録をマークして金メダルを獲得。
*[[UCIトラックワールドカップ2004]]
**シドニー - 1㎞TT & チームスプリント優勝
125行目:
**マンチェスター - 1㎞TT、チームスプリント 優勝
 
ところが、[[2008年]]の[[北京オリンピック]]では、BMXが種目として加わる代わりに、1kmTTが種目から除外されることになったため、ホイのレースキャリアに転機が訪れることになる。
 
=== [[2006年]] ===
145行目:
**[[ファイル:Arc en ciel.svg|25px]] ケイリンにおいて、前年覇者の[[テオ・ボス]]を準決勝、決勝といずれも撃破して優勝した。
**[[ファイル:Arc en ciel.svg|25px]] そして最後の出場と決意した1kmTTでは4回目の優勝を果たした。
*[[5月12日]]、[[ボリビア]]・[[ラパス]]において、500mフライングタイムトライアルにおいて、24秒758の、同種目[[世界記録]]を樹立。さらにアルノー・トゥルナンが1kmTTの世界記録を樹立した場所もある同地において、トゥルナンが記録を保持している58秒875の更新を目指した。500mのラップではトゥルナンのタイムを上回っていたが、最後はわずか0.005秒及ばず58秒880のタイムでフィニッシュし、惜しくも世界記録更新はならなかった。
*[[UCIトラックワールドカップ2007-2008]]
**シドニー - ケイリン 優勝
160行目:
 
====北京オリンピックトリプルクラウン達成====
*[[ファイル:Gold medal icon.svg|20px]] 上述の2008年の世界選手権における強さは、[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]でも発揮された。まず、[[8月15日]]に行われたチームスプリントに出場。[[ジェミー・スタッフ]](第1走)、[[ジェイソン・ケニー]](第2走)、ホイ(第3走)で挑んだ[[イギリス]]チームは、スタッフが最初の250mを17秒198という、これまでいまだ誰もマークしていなかったタイムをたたき出したことが要因となり、42秒950のタイムで予選1位通過。世界選手権同種目3連覇中で、予選2位の[[フランス]]に0.591秒という「大差」をつけた。その後、順位決定予備戦で[[アメリカ合衆国|アメリカ]]を破ったが、ここでも勝ち上がった4チーム中、トップタイム(43秒034)をマークし、同2位のタイムをマークしたフランスと決勝で対戦。その決勝戦において、スタッフが17秒136で最初の250mを走破し、フランス第1走の[[グレゴリー・ボジェ]]に0.241秒の差をつけた。このリードをケニー、ホイがさらに広げ、43秒128のタイムでゴール。フランスに0.523秒の差をつけ、ホイはまず「一冠」を手中にした。
 
*[[ファイル:Gold medal icon.svg|20px]] 上述の2008年の世界選手権における強さは、[[北京オリンピック]]でも発揮された。まず、[[8月15日]]に行われたチームスプリントに出場。[[ジェミー・スタッフ]](第1走)、[[ジェイソン・ケニー]](第2走)、ホイ(第3走)で挑んだ[[イギリス]]チームは、スタッフが最初の250mを17秒198という、これまでいまだ誰もマークしていなかったタイムをたたき出したことが要因となり、42秒950のタイムで予選1位通過。世界選手権同種目3連覇中で、予選2位の[[フランス]]に0.591秒という「大差」をつけた。その後、順位決定予備戦で[[アメリカ合衆国|アメリカ]]を破ったが、ここでも勝ち上がった4チーム中、トップタイム(43秒034)をマークし、同2位のタイムをマークしたフランスと決勝で対戦。その決勝戦において、スタッフが17秒136で最初の250mを走破し、フランス第1走の[[グレゴリー・ボジェ]]に0.241秒の差をつけた。このリードをケニー、ホイがさらに広げ、43秒128のタイムでゴール。フランスに0.523秒の差をつけ、ホイはまず「一冠」を手中にした。
 
*[[ファイル:Gold medal icon.svg|20px]] 最も[[金メダル]]が困難と見られたチームスプリントを制したホイは、翌8月16日のケイリンに出場。ホイにとってみれば、最も金メダルの可能性が高い種目であったが、予選、準決勝といずれも圧勝。加えて最大のライバルとみられた[[オランダ]]の[[テオ・ボス]]が準決勝で落車し、その後の再レースを棄権したことで、決勝の戦前から、金メダル確実と見られていた。決勝では、道中最後方に位置していた[[永井清史]]が残りあと3周付近より上昇。その後一気に先頭に押し上げ、ホイの番手に入り込むという飛びつき策に出た。ホイは残りあと1周半地点よりスパートをかけ、これに永井がすかさず反応して2番手をキープしたが、その後ホイの加速についていけなくなり、逆に千切られてしまった。これでホイは完全に独走状態となり、最後は2着に入った同胞の[[ロス・エドガー]]に3~4車身程の差をつけ、二冠を達成した。
176 ⟶ 175行目:
 
===[[2010年]]===
 
*2009年 - [[2010年]]シーズンの[[UCIトラックワールドカップ2009-2010|トラックワールドカップ]]では、マンチェスターで行われた第1戦のみ出場したが、ケイリン、スプリント、チームスプリントの「三冠」を達成。
*[[世界選手権自転車競技大会トラックレース2010|世界選手権]]
184 ⟶ 182行目:
 
===[[2011年]]===
 
[[世界選手権自転車競技大会トラックレース2011|世界選手権]]
*スプリントは当初3位、チームスプリントも当初3位だったが、フランス自転車競技連盟(FFC)が2011年11月8日、[[グレゴリー・ボジェ]]に対し、18ヶ月間の期間中、2回、競技外ドーピングを行わなかったとして2012年1月6日、[[2010年]]12月23日〜2011年12月22日まで1年間の出場停止処分とする内示を提示していたが、これを受け[[国際自転車競技連合]](UCI)は、[[2011年]]の[[世界選手権自転車競技大会トラックレース2011|トラックレース世界選手権]]におけるスプリント及びチームスプリント、さらに同年のフランス選手権のスプリントにおける優勝記録を抹消することを公表した<ref>[http://www.cyclingnews.com/news/bauge-and-france-lose-world-track-titles Baugé and France lose World track titles] - cyclingnews.com 1月6日付記事{{en icon}}</ref>ため、スプリント2位、チームスプリントでも2位と、それぞれ順位が繰り上がることになった。
198 ⟶ 195行目:
*[[ファイル:Arc en ciel.svg|25px]] [[世界選手権自転車競技大会トラックレース2012#男子ケイリン|ケイリン]]で2年ぶりに優勝。
*スプリント 3位
[[2012年ロンドンオリンピック (2012年) における自転車競技|ロンドンオリンピック ]]
*[[ファイル:Gold medal icon.svg|20px]] [[2012年ロンドンオリンピック (2012年) における自転車競技・男子チームスプリント|チームスプリント]]では、[[フィリップ・ヒンデス]]、[[ジェイソン・ケニー]]とともに出場。(再発走前)予選で、ヒンデスがスタート直後にバランスを崩して落車するアクシデントに見舞われたが、再発走となった予選では第3走<ref>[http://keirin-japan.jp/news/post.html?p=1208 ◆男子チームスプリント 日本チーム8位、優勝はイギリス] - KEIRIN JAPAN 応援ポータルサイト 2012年8月3日付</ref>として、43秒065の五輪新記録、続く1回戦の日本戦では42秒747、そして決勝のフランス戦では42秒600のそれぞれ[[世界新記録]]樹立に貢献し、[[金メダル]]を獲得した。
*[[ファイル:Gold medal icon.svg|20px]] [[2012年ロンドンオリンピック (2012年) における自転車競技・男子ケイリン|ケイリン]]では、予選、準決勝、決勝と全て1着となり、五輪ケイリン史上初の連覇を達成。とりわけ、決勝戦では、最終2センターで[[マキシミリアン・レヴィ]]に捲られかけながらも、4角で伸び返して逃げ切った。また、[[オリンピック自転車競技]]における通算獲得メダル数は、[[ブラッドリー・ウィギンス]]と並ぶ7、また、同じく金メダル獲得数6は史上最多となった。
 
== 『サー・クリス・ホイ』 ==
 
2008年度の、[[BBC・スポーツ・パーソナリティ・オブ・ザ・イヤー賞]](イギリスの最優秀スポーツ選手賞)を受賞したホイに、[[ナイト]]の称号が与えられることになった<ref>[http://www.cyclingnews.com/news.php?id=news/2008/dec08/dec22news2 Hoy to be knighted(サイクリングニュース 2008年12月22日付記事。英語)]</ref>。したがって、名前の一番前には、『サー』がつくことになる。グラスゴーにある[[エミレーツ・アリーナ#サー・クリス・ホイ・ベロドローム|サー・クリス・ホイ・ベロドローム]]は功績をたたえてつけられた。
 
== 自動車競技への転身 ==
[[file:Chris Hoy at 2014 Goodwood Festival of Speed (14339203647).jpg|200px|thumb|right|2014年グッドウッドにて]]
[[file:Algarve Pro Racing's Ligier JS P2 Nissan Driven by Michael Munemann, Sir Chris Hoy and Andrea Pizzitola (30436644570).jpg|200px|thumb|right|[[2016年のル・マン24時間レース]]]]
[[file:Sir Chris Hoy competing in rallycross at Lydden Hill Race Circuit.jpg|right|thumb|200px|2020年BRXリッデンヒル戦]]
ラディカル・スポーツカーズ社の開催するSR1カップにて、2012年に四輪レースデビュー<ref>[https://www.msvracing.com/cars/news/2012/october/sir-chris-hoy-to-make-motorsport-debut-in-radical-sr1-cup/ OLYMPIC LEGEND SIR CHRIS HOY TO MAKE RACING DEBUT IN RADICAL SR1 CUP - WED 24 OCTOBER 2012]</ref>。以降ラディカルのワンメイクレースをいくつか経験したあと、2014年に[[ル・マン24時間レース]]への出場を視野に入れつつ、英国GT選手権に[[日産・GT-R|日産・GT-R GT3]]で参戦した。なお同年[[グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード]]にも市販車仕様のGT-Rで登場したが、観客席の手前のコーナーで曲がりきれず、藁束のバリアに突っ込む大クラッシュを喫した<ref>[https://www.motorsport.com/vintage/video/sir-chris-hoy-big-crash-2014-goodwood/143606/ Sir Chris Hoy Big Crash 2014 Goodwood]</ref>。
 
2015年にはELMS([[ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ]])のLMP3クラスに日産エンジンの[[ジネッタ・G61-LT-P3]]でチームLNTから参戦し、3勝を挙げてクラスチャンピオンを獲得。[[FIA]]主催の国際格レースで成果を残した。これにより、2016年にはアルガルヴェ・プロ・レーシングから日産エンジンの[[リジェ・JS P2]]をドライブし、念願のル・マン出場を果たした。
 
なお、2015年にはRoC([[レース・オブ・チャンピオンズ]])にも参戦。これは足の怪我に苦しみつつ3度目の[[MotoGP]]王者となった[[ホルヘ・ロレンソ]]の代役としてであった。[[ロマン・グロージャン]]とのコンビでネイションズカップに挑んだが、[[パスカル・ウェーレイン]]と[[ジョリオン・パーマー]]の若きコンビに敗れて一回戦敗退となった。
 
その後期間が空いたが、2019年に英国GT選手権のGT4クラスと、World RX([[世界ラリークロス選手権]])のバーレーン戦にも[[フォード]]車でそれぞれスポット参戦した。
 
2020年はBRX(英国ラリークロス選手権)に[[シトロエン・C4]]のRXスーパーカーでスポット参戦した<ref>[https://www.rallycrossbrx.com/news/sir-chris-hoy-and-john-mcguinness-set-for-british-rallycross-championship-one-off-drives SIR CHRIS HOY AND JOHN MCGUINNESS SET FOR BRITISH RALLYCROSS CHAMPIONSHIP ONE-OFF DRIVES]</ref>。
 
=== ル・マン24時間レース ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%"
! 年
! チーム
! コ・ドライバー
! 使用車両
! クラス
! 周回
! 総合順位
! クラス順位
|-
! [[2016年のル・マン24時間レース|2016年]]
|align="left"| {{flagicon|PRT}} [[アルガルヴェ プロ レーシング]]
|align="left"| {{flagicon|GBR}} [[マイケル・ミューネマン]]<br />{{flagicon|FRA}} [[アンドレア・ピッツィトーラ]]
|align="left"| [[リジェ・JS P2]]-[[日産自動車|日産]]
| LMP2
| 341
| 17位
| 12位
|}
 
== 注記 ==
213 ⟶ 244行目:
*[http://www.chrishoy.com Chris Hoy.com クリス・ホイ公式ホームページ]
*{{cycling archives|12714|クリス・ホイ}}
* {{Olympedia}}
* {{SportsReference|ho/chris-hoy-1}}
* {{IOC profile}}
{{世界選手権自転車競技大会男子個人スプリント優勝者}}
221 ⟶ 252行目:
{{夏季オリンピック自転車競技男子チームスプリント優勝者}}
 
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ほい くりす}}
[[Category:1976年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:スコットランドの自転車選手]]
[[Category:オリンピック自転車競技イギリス代表選手]]
230 ⟶ 260行目:
[[Category:オリンピック自転車競技の金メダリスト]]
[[Category:世界選手権自転車競技大会トラックレース優勝者]]
[[Category:スコットランドのコモンウェルスゲームズ金メダリスト]]
[[Category:大英帝国勲章]]
[[Category:スコットランドのコモンウェルスゲームズ銅メダリスト]]
[[Category:スコットランドのドライバー]]
[[Category:ヨーロピアン・ル・マン・シリーズのドライバー]]
[[Category:ル・マン24時間レースのドライバー]]
[[Category:大英帝国勲章受章者]]
[[Category:競輪短期登録選手]]
[[Category:エディンバラ出身の人物]]
[[Category:エディンバラ大学出身の人物]]
[[Category:1976年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:複数の代表チームに出場した選手]]