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'''サー・クリス・ホイ'''(Sir Chris Hoy MBE。[[1976年]][[3月23日]]- )は、[[イギリス]]の[[スコットランド]]・[[エディンバラ]]生まれの[[自転車競技]]([[トラックレース]])選手、レーシングドライバー。本名は'''クリストファー・アンドリュー・ホイ'''(Christopher Andrew Hoy)。
 
==経歴==
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**[[ファイル:Arc en ciel.svg|25px]] ケイリンにおいて、前年覇者の[[テオ・ボス]]を準決勝、決勝といずれも撃破して優勝した。
**[[ファイル:Arc en ciel.svg|25px]] そして最後の出場と決意した1kmTTでは4回目の優勝を果たした。
*[[5月12日]]、[[ボリビア]]・[[ラパス]]において、500mフライングタイムトライアルにおいて、24秒758の、同種目[[世界記録]]を樹立。さらにアルノー・トゥルナンが1kmTTの世界記録を樹立した場所もある同地において、トゥルナンが記録を保持している58秒875の更新を目指した。500mのラップではトゥルナンのタイムを上回っていたが、最後はわずか0.005秒及ばず58秒880のタイムでフィニッシュし、惜しくも世界記録更新はならなかった。
*[[UCIトラックワールドカップ2007-2008]]
**シドニー - ケイリン 優勝
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====北京オリンピックトリプルクラウン達成====
 
*[[ファイル:Gold medal icon.svg|20px]] 上述の2008年の世界選手権における強さは、[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]でも発揮された。まず、[[8月15日]]に行われたチームスプリントに出場。[[ジェミー・スタッフ]](第1走)、[[ジェイソン・ケニー]](第2走)、ホイ(第3走)で挑んだ[[イギリス]]チームは、スタッフが最初の250mを17秒198という、これまでいまだ誰もマークしていなかったタイムをたたき出したことが要因となり、42秒950のタイムで予選1位通過。世界選手権同種目3連覇中で、予選2位の[[フランス]]に0.591秒という「大差」をつけた。その後、順位決定予備戦で[[アメリカ合衆国|アメリカ]]を破ったが、ここでも勝ち上がった4チーム中、トップタイム(43秒034)をマークし、同2位のタイムをマークしたフランスと決勝で対戦。その決勝戦において、スタッフが17秒136で最初の250mを走破し、フランス第1走の[[グレゴリー・ボジェ]]に0.241秒の差をつけた。このリードをケニー、ホイがさらに広げ、43秒128のタイムでゴール。フランスに0.523秒の差をつけ、ホイはまず「一冠」を手中にした。
 
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===[[2010年]]===
 
*2009年 - [[2010年]]シーズンの[[UCIトラックワールドカップ2009-2010|トラックワールドカップ]]では、マンチェスターで行われた第1戦のみ出場したが、ケイリン、スプリント、チームスプリントの「三冠」を達成。
*[[世界選手権自転車競技大会トラックレース2010|世界選手権]]
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===[[2011年]]===
 
[[世界選手権自転車競技大会トラックレース2011|世界選手権]]
*スプリントは当初3位、チームスプリントも当初3位だったが、フランス自転車競技連盟(FFC)が2011年11月8日、[[グレゴリー・ボジェ]]に対し、18ヶ月間の期間中、2回、競技外ドーピングを行わなかったとして2012年1月6日、[[2010年]]12月23日〜2011年12月22日まで1年間の出場停止処分とする内示を提示していたが、これを受け[[国際自転車競技連合]](UCI)は、[[2011年]]の[[世界選手権自転車競技大会トラックレース2011|トラックレース世界選手権]]におけるスプリント及びチームスプリント、さらに同年のフランス選手権のスプリントにおける優勝記録を抹消することを公表した<ref>[http://www.cyclingnews.com/news/bauge-and-france-lose-world-track-titles Baugé and France lose World track titles] - cyclingnews.com 1月6日付記事{{en icon}}</ref>ため、スプリント2位、チームスプリントでも2位と、それぞれ順位が繰り上がることになった。
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== 『サー・クリス・ホイ』 ==
 
2008年度の、[[BBC・スポーツ・パーソナリティ・オブ・ザ・イヤー賞]](イギリスの最優秀スポーツ選手賞)を受賞したホイに、[[ナイト]]の称号が与えられることになった<ref>[http://www.cyclingnews.com/news.php?id=news/2008/dec08/dec22news2 Hoy to be knighted(サイクリングニュース 2008年12月22日付記事。英語)]</ref>。したがって、名前の一番前には、『サー』がつくことになる。グラスゴーにある[[エミレーツ・アリーナ#サー・クリス・ホイ・ベロドローム|サー・クリス・ホイ・ベロドローム]]は功績をたたえてつけられた。
 
== 自動車競技への転身 ==
[[file:Chris Hoy at 2014 Goodwood Festival of Speed (14339203647).jpg|200px|thumb|right|2014年グッドウッドにて]]
ラディカル・スポーツカーズ社の開催するSR1カップにて、2012年に四輪レースデビュー<ref>[https://www.msvracing.com/cars/news/2012/october/sir-chris-hoy-to-make-motorsport-debut-in-radical-sr1-cup/ OLYMPIC LEGEND SIR CHRIS HOY TO MAKE RACING DEBUT IN RADICAL SR1 CUP - WED 24 OCTOBER 2012]</ref>。以降ラディカルのワンメイクレースをいくつか経験したあと、2014年に[[ル・マン24時間レース]]への出場を視野に入れつつ、英国GT選手権に[[日産・GT-R|日産・GT-R GT3]]で参戦。
[[file:Algarve Pro Racing's Ligier JS P2 Nissan Driven by Michael Munemann, Sir Chris Hoy and Andrea Pizzitola (30436644570).jpg|200px|thumb|right|[[2016年のル・マン24時間レース]]]]
[[file:Sir Chris Hoy competing in rallycross at Lydden Hill Race Circuit.jpg|right|thumb|200px|2020年BRXリッデンヒル戦]]
ラディカル・スポーツカーズ社の開催するSR1カップにて、2012年に四輪レースデビュー<ref>[https://www.msvracing.com/cars/news/2012/october/sir-chris-hoy-to-make-motorsport-debut-in-radical-sr1-cup/ OLYMPIC LEGEND SIR CHRIS HOY TO MAKE RACING DEBUT IN RADICAL SR1 CUP - WED 24 OCTOBER 2012]</ref>。以降ラディカルのワンメイクレースをいくつか経験したあと、2014年に[[ル・マン24時間レース]]への出場を視野に入れつつ、英国GT選手権に[[日産・GT-R|日産・GT-R GT3]]で参戦した。なお同年[[グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード]]にも市販車仕様のGT-Rで登場したが、観客席の手前のコーナーで曲がりきれず、藁束のバリアに突っ込む大クラッシュを喫した<ref>[https://www.motorsport.com/vintage/video/sir-chris-hoy-big-crash-2014-goodwood/143606/ Sir Chris Hoy Big Crash 2014 Goodwood]</ref>
 
2015年にはELMS([[ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ]])のLMP3クラスに日産エンジンの[[ジネッタ・G61-LT-P3]]でチームLNTから参戦し、3勝を挙げてクラスチャンピオンを獲得。[[FIA]]主催の国際格レースで成果を残した。これにより、2016年にはアルガルヴェ・プロ・レーシングから日産エンジンの[[リジェ・JS P2]]をドライブし、念願のル・マン出場を果たした。
 
なお、2015年にはRoC([[レース・オブ・チャンピオンズ]])にも参戦。これは足の怪我に苦しみつつ3度目の[[MotoGP]]王者となった[[ホルヘ・ロレンソ]]の代役としてであった。[[ロマン・グロージャン]]とのコンビでネイションズカップに挑んだが、[[パスカル・ウェーレイン]]と[[ジョリオン・パーマー]]の若きコンビに敗れて一回戦敗退となった。
 
その後期間が空いたが、2019年に英国GT選手権のGT4クラスと、World RX([[世界ラリークロス選手権]]のバーレーン戦にも[[フォード]]車でそれぞれスポット参戦した。
2015年にはELMS([[ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ]])のLMP3クラスに日産エンジンの[[ジネッタ]]で参戦し、3勝を挙げてクラスチャンピオンを獲得。2016年に念願のル・マン出場を果たした。
 
2020年はBRX(英国ラリークロス選手権)に[[シトロエン・C4]]のRXスーパーカーでスポット参戦した<ref>[https://www.rallycrossbrx.com/news/sir-chris-hoy-and-john-mcguinness-set-for-british-rallycross-championship-one-off-drives SIR CHRIS HOY AND JOHN MCGUINNESS SET FOR BRITISH RALLYCROSS CHAMPIONSHIP ONE-OFF DRIVES]</ref>。
その後期間が空いたが、2019年に英国GT選手権のGT4クラスと、[[世界ラリークロス選手権]]のバーレーン戦にも[[フォード]]車でそれぞれスポット参戦した。
 
=== ル・マン24時間レース ===
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[[Category:スコットランドのコモンウェルスゲームズ銅メダリスト]]
[[Category:スコットランドのドライバー]]
[[Category:ヨーロピアン・ル・マン・シリーズのドライバー]]
[[Category:ル・マン24時間レースのドライバー]]
[[Category:大英帝国勲章受章者]]
[[Category:競輪短期登録選手]]
[[Category:エディンバラ出身の人物]]
[[Category:エディンバラ大学出身の人物]]
[[Category:1976年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:複数の代表チームに出場した選手]]
[[Category:エディンバラ大学出身の人物]]