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== 略歴==
父は病院の事務長<ref name="heibon721228"/>。[[広島県立三原等学]]時代は演劇部に所属し、地元の劇団にも参加していた<ref name="heibon721228"/>。上京して[[早稲田大学]]の受験に失敗したのち、[[劇団青俳]]の研究生となる<ref name="毎日"> 『毎日新聞』1972年12月9日付24面。ラジオ・テレビ欄。</ref>。
 
1972年、オーディションでテレビ番組『[[快傑ライオン丸]]』のライオン丸のライバル「タイガージョー」こと虎錠之介役に起用されて注目される。主役であるライオン丸を上回る人気を集めた。
 
同年12月11日夜、同番組のロケの宿泊先である[[滋賀県]][[彦根市]]の[[国民宿舎]]湖城荘でスタッフと酒席を交わしたのち、風呂場(女湯)に迷い込んだところ誤って転倒、ガラス戸に突っ込んで脇腹を切り、湯船に落ちて出血多量で死亡した。{{main|快傑ライオン丸#戸野広浩司の事故死}}
 
制作者である[[ピー・プロダクション]]社長の[[うしおそうじ]]が事故の報を受け、旅館へ急行したところ、そこには許婚も駆けつけていたという{{Sfn|vsライオン丸|1999|pp=202}}。許婚の女性とは、青俳で出会った後3年越しの交際の末、翌[[1973年]][[1月3日]]に結婚し挙式するはずだった<ref name="heibon721228">[[週刊平凡]] 1972年12月28日号 p.204 - 206 戸野広浩司の本件の記事。</ref><ref name="tondemo178">桜井顔一 + 満月照子『日本特撮トンデモ事件簿』(鉄人社、2022年10月27日)p.178 - 180</ref>。また、主演の[[潮哲也]]は事故の直前まで酒を呑み交わしており{{Sfn|ヒーロー列伝 2|2000|p=111 - 112}}<ref>{{Cite book |和書 |author=秋田英夫 |date =2011-11-14|publisher =[[洋泉社]] |title=別冊[[映画秘宝]] 『[[電人ザボーガー (映画)|電人ザボーガー]]』&[[ピー・プロダクション|ピー・プロ]]特撮大図鑑 |series=洋泉社MOOK |pages=pp.138-140 |chapter=[[潮哲也]] 獅子丸・弾獅子丸役 |isbn=978-4-86248-805-3 }}</ref>、事故の報をスタッフから聞いて駆け付けた際にはすでに死亡した後であり、そのため潮が落胆しているのを知ったスタッフは翌日の撮影を中止している。潮と戸野広は撮影が忙しかったため仕事以外の接点がほとんどなく、二人で会話する機会は彦根ロケが初めてであった{{Sfn|ヒーロー列伝 2|2000|p=111 - 112}}。
 
うしおはその後[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の[[別所孝治]]プロデューサーと2人で実家を訪ねたところ父親から「本人が自分で求め選んだ道だから、あの子も本望だったでしょう」と言われたことを、忘れ得ない言葉として語っている{{Sfn|vsライオン丸|1999|pp=202}}。
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『ライオン丸』に出演していた[[梅地徳彦]]は「カッコいいという印象だが、シリーズ途中からレギュラー入りしたので、気を遣っている感じだった」と語っており、事故の際はロケに同行していたこともありショックを受けたと述べている{{Sfn|ヒーロー列伝 2|2000|p=61}}。
 
戸野広の代役としてタイガージョーを演じることになった[[福島資剛]]は、劇団青俳で戸野広と共に役者修をした仲間であり大変親しく、戸野広をあまりにも不憫に思い、代役のオファーを何度も固辞していたが、青俳同期生の説得によって漸く承諾に至ったという{{Sfn|ヒーロー列伝 2|2000|p=142}}。
 
事故の2日前に掲載された新聞のインタビュー記事では、「変身時代劇の悪役と聞いて驚いた。でも悪役には興味がある」と答えており、「将来は地方に根をおろした芝居活動をして行きたい」という夢も語っている<ref name="毎日" />。
 
特技は[[ギター]]で、劇団青俳時代は当時の団員の中でただ一人、[[弾き語り]]の出来る人だったという<ref name="heibon721228"/>。後に婚約者となる女性とも、弾き語りをして一緒に歌って楽しんでいたほどだった<ref name="heibon721228"/>。また[[乗馬]]が得意だったため、『ライオン丸』の虎錠之介は馬に乗るキャラクターであった。しかし後を継いだ福島資剛は馬に全く乗れなかったため、福島に交替後の錠之介は乗馬のシーンが無くなった。<ref name="tondemo178"/>。
[[台東区]][[谷中 (台東区)|谷中]]には、戸野広を記念して作られた小劇場「戸野廣浩司記念劇場」が存在したが、[[2016年]][[7月]]をもって閉館・解体され現存していない<ref>[https://ameblo.jp/marumarusp/entry-12181081527.html 西日暮里の戸野廣浩司記念劇場閉鎖。] [[MARU]]MARUスープレックス 2016年7月16日</ref>。
 
<gallery caption="">
File:Tonohiro Koji Memorial Theater.jpg|東京都台東区「戸野廣浩司記念劇場」入口
</gallery>
 
== 出演作品 ==
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* 光る海(1972年、CX)
* [[家光が行く]](1972年、[[日本テレビ放送網|NTV]]) - 山田
== 戸野廣浩司記念劇場 ==
{{ホール概要
| 名称= 戸野廣浩司記念劇場<br/>Koji Tonohiro Anniversary Theater
| 画像= [[File:Tonohiro Koji Memorial Theater.jpg|300px|東京都台東区「戸野廣浩司記念劇場」入口]]
| 通称= トノゲキ
| 正式名称=
| 旧名称=
| 完成年=
| 完成月=
| 完成日=
| 開館年= 2009
| 開館月= 10
| 開館日= 24
| 開館公演= オープン式典
| 閉館年= 2016
| 閉館月= 6
| 閉館日= 19
| 最終公演= 劇団水色革命「絆」
| 収容人数=
| 客席= 100
| 延床面積=
| 設備=
| 用途= [[演劇]]、[[落語]]、[[映画]]上映<ref>{{Cite web|和書|url=https://ueno.keizai.biz/headline/503/|title=谷中に小劇場「戸野廣浩司記念劇場」-若い演劇人の活躍に期待|accessdate=2018-06-30|author=|date=2009年11月24日|website=|work=上野経済新聞|publisher=KeepAlive}}</ref>
| 旧用途=
| 運営= 有限会社I&Iファクトリー
| 所在地= [[東京都]][[台東区]]谷中三丁目19号5番 結城ビル地下1階
| 郵便番号= 110-0001
| アクセス= JR山手線:西日暮里 (徒歩 約5分)<br/>
JR京浜東北線:西日暮里 (徒歩 約5分)<br/>
日暮里・舎人ライナー:西日暮里 (徒歩 約5分)<br/>
東京メトロ千代田線:西日暮里 (徒歩 約5分)<br/>
東京メトロ千代田線:千駄木 (徒歩 約7分)
| HP= http://iandifactory.com/iandi/tonohiro/tono.html
}}
[[台東区]][[谷中 (台東区)|谷中]]には戸野広を記念して作られた小劇場「戸野廣浩司記念劇場」が存在した。2009年10月24日開館。所有は芸能事務所[[I&Iファクトリー]]。代表の[[平山陽]]が偶然『ライオン丸』を見たことがきっかけで、戸野広の生前を調べ生き方に感銘。友人であった[[平山亨]]に相談のうえ、親族と連絡を取り、若い俳優たちに名前を知ってもらい、ひいては志を受け継いでもらいたいと劇場建設を決めた。オープン式典には遺族のほか、戸野広の友人で俳優の狭間鉄が来賓として来場。タイガージョー役を引き継いだ[[福島資剛]]もコメントを贈った。
 
[[台東区]][[谷中 (台東区)|谷中]]には、戸野広を記念花道のある独特の劇場として作られた小I&Iファクトリー所属の戸野廣浩司記念劇場水色革命」が存在し使用のほか、小劇団、大衆劇団に愛されたが、[[2016年]][[7月]]をもって閉館し、7年間に渡る劇場に終止符を打った。同年には入居ビルも解体されてしまっており、現存していない<ref>[https://ameblo.jp/marumarusp/entry-12181081527.html 西日暮里の戸野廣浩司記念劇場閉鎖。] [[MARU]]MARUスープレックス 2016年7月16日</ref>。
 
== 脚註 ==
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== 外部リンク ==
*[http://iandifactory.com/iandi/tonohiro/tonohirotono.htmhtml 戸野廣浩司記念劇場]
 
{{DEFAULTSORT:とのひろ こうし}}