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{{独自研究|date=mar 2015}}
{{大言壮語|date=mar 2015}}
{{Portal クラシック音楽}}
'''トーン・クラスター'''({{lang-en-short|Tonetone Clustercluster}})は、[[音名]]から別の音名までの'''全ての音を同時に発する'''房状[[和音]]のことを指す。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の作曲家[[ヘンリー・カウエル]]が用いた概念で、カウエルは当時「クラスターは2度の和音の集合」と捉えていた。
 
[[File:Cowell tone clusters.png|thumb|right|ヘンリー・カウエルの楽譜におけるピアノのトーン・クラスターの例 {{audio|Cowell tone clusters.mid|Play}}]]
== 黎明期 ==
[[ジョスカン・デ・プレ]]など[[ルネサンス音楽]]の一部は、数十声部における重厚な[[ポリフォニー]]を駆使し、それらの曲では各声部全体がほとんど巨大な一つの塊となって聞こえる。これは[[リゲティ・ジェルジュ|ジェルジ・リゲティ]]が提唱したミクロ・ポリフォニーの概念を既に備えているといえる。
 
== 黎明期 ==
[[バロック音楽]]時代後期の作曲家[[ジャン=フェリ・ルベル]]の「[[四大元素]]」は、[[教会旋法]]の全ての音を[[楽器]]で全合奏するというトーン・クラスターに極めて近い音響を冒頭で用いる。[[旋法|モード]]によるクラスターは現代の作曲家では[[アルヴォ・ペルト]]や[[ペトリス・ヴァスクス]]、[[クヌート・ニーステッド]]など[[バルト三国]]や[[北ヨーロッパ|北欧]]の作曲家、また[[吉松隆]]、[[北爪道夫]]などが多用している。
 
また既に[[18世紀]]には[[チェンバロ|ハープシコード]]の鍵盤を全て押さえる指示が見られる([[ミシェル・コレット]]のハープシコードと朗読のための「海戦の勝利」など)が、効果音以上の発展には至っていない。
 
[[19世紀]]には[[シャルル=ヴァランタン・アルカン]]が「[[48のモチーフ集―エスキス打ち上げ花火 (アルカン)|打ち上げ花火 ——序奏と即興]]」作品6355第45曲『小悪魔たち』終結部において悪魔、低音表現としてトーンクラスター(G・A・B♭・C♯・D・E・F・G)を用いている。
 
== 第二次世界大戦以前 ==
カウエルはまず、手のひらや肘で[[ピアノ]]を手ひらや肘で数多くの鍵盤を押さえる実験から開始し、その結果は数多くのピアノソロ作品に現れている。それと期を同じくして[[チャールズ・アイヴズ]]が[[ピアノソナタ第2番 (アイヴズ)|ピアノソナタ第2番]]の第2楽章で「数十センチのものさし状の板」を用いて肘では押えきれないほどの黒鍵や白鍵を同時に押さえる技法を用いている。これら2例がトーン・クラスターの黎明期の重要な作品とみなされている。
 
トーン・クラスター誕生には次のような逸話がある。「ヘンリー・カウエル  ピアノ曲集」には「マヌナーンの潮流」でトーン・クラスターを[[1912年]]に15歳で発案したと発表し、最近までこの説は広く信じられていた。近年カウエルの全作品目録を製作した研究者により、この作品は[[1917年]]に[[付随音楽]](もしくは[[オペラ]])として書かれた作品の第1曲であったことが判明した。つまり、トーン・クラスターの世界初の発案者になるために、アイヴズに「世界初が誰か」を相談していたというものである。アイズ自身も自作曲のミス・リードを行う癖があったことも災いして、「カウエルがトーン・クラスターの発案者として世界を駆け巡ること」をアイヴズに約束した。
 
こうして、カウエルは戦前から世界中でトーン・クラスターの講義を行ったらしくており、[[アルバン・ベルク]]の「[[ルル (オペラ)|ルル]]」、[[バルトーク・ベーラ|バルトーク]]の「[[ピアノ協奏曲第2番 (バルトーク)|ピアノ協奏曲第2番]]」、[[イワン・ヴィシネグラツキー]]の「24の前奏曲」、[[ジャチント・シェルシ]]の「ピアノソナタ第3番」などの作品にトーン・クラスターの使用が認められるのは、全てカウエル経由の影響によるものである。出版されたカウエルの「虎」に英語、ロシア語、ドイツ語で注釈が加えられているのは、講義を行った国々を示す証拠でもある。
 
アイヴズはその後、トーン・クラスターをオーケストラで鳴らすことを欲し、「独立記念日」ではカウエルの指導通り「2度の和音の集合」といった記譜法で弦楽パートを全て埋め尽くしており、街中の騒音を描写したような特異な音響を生み出すことに成功した。
 
以上の戦前までのトーン・クラスターはほぼ単発的な[[効果音]]としての使用に限られており、カウエル本人もこのような使用方法しか思いついていなかった。
 
== 第二次世界大戦以後 ==
===[[オルガン]]===
戦後、カウエルやアイヴズの発案したトーン・クラスターについて、[[ダルムシュタット夏季現代音楽講習会|ダルムシュタット]]において様々な議論が戦わされることとなった。その最初の問題作が[[マウリツィオ・カーゲル]]作曲したオルガン独奏のための「追加された即興」、[[ジェルジ・リゲティ]]が作曲した[[ヴォルーミナ]]」である。
 
カーゲル作品では通常のオルガン奏者のほかに2人の音栓助手が必要である。何が話題になったのかというと、オルガンから生まれるトーン・クラスターのタイプを詳細に分析した最初の作品であると同時に音栓助手はオルガニストの手の動きとは無関係にすばやい速度でストップのオンオフを[[ランダム]]に行う点が、当時のオルガン音楽の常識を超える新技術とみなされた。[[ジョン・ゾーン]]はこの作品をいて作曲家になることを決意したといわれる。リゲティは既にマイクロ・ポリフォニーの探求の延長線上でトーン・クラスターを生むことに成功したが、彼もまたオルガンに興味を示した時期がある。その代表作が「ヴォルーミナ」で、全編[[図形楽譜]]からなるこの作品は、ほとんどがクラスターで構成された作品である。「オルガンが壊れる」というほどの凶悪な音像を示す瞬間もある。事実、初演の際の練習ではオルガンの電気系統の一部がショートし煙が吹いたという逸話もある。
 
現在でもこれほどアナーキーなオルガン音楽は珍しく、「現代オルガン音楽」はこの2作品で終わったと言い伝えられるほど、両者のインパクトは強かった。
 
===[[ピアノ]]===
既に戦前から可能性が追求されていたピアノのクラスターは、「ほぼクラスターのみで語る」作品の可能性が追求されることとなった。典型例は[[ジャチント・シェルシ]]の「アクション・ミュージック」であり、クラスターが単なる効果音に留まってはいない。[[カールハインツ・シュトックハウゼン]]の「[[ピアノ曲V〜X|ピアノ曲第10]]」は指先のない手袋をはめたピアニストのための作品で、クラスターの[[グリッサンド]]や肘などによるクラスターによって音響的インパクトが大変に華麗で、[[1960年代]]に書かれたピアノ作品の傑作と伝えられを引き出している。[[アンソニー・ブラクストン]]の「コンポジション第32番」は全曲がクラスターで構成された確定作品である。[[一柳慧]]の「ピアノ曲第6番」はインストラクションのみで、クラスターとグリッサンドに素材を限定した不確定作品を作曲した。
 
[[アバンギャルド|前衛]]の時代から遠く離れて、[[サルヴァトーレ・シャリーノ]]の「ピアノソナタ第4番」では、「クラスターと[[装飾音]]」のみで全曲を構成する奇異なピアノ曲を発表した。この作品では「片手のみで鍵盤の全音域を瞬時に往復する」極めて困難な技術が用いられる為に、演奏頻度が稀少である。この作品の練習で「首筋を痛める事がある」らしい。[[モーリッツ・エッゲルト]]の「ヘマークラフィーア第3番  ワンマンバンド」では、左足でピアノの低音域クラスターを奏する指示があり、右手と左手と左足の3声のテクスチュアが織り成される箇所が印象的である。
 
===[[オーケストラ]]===
アイヴズのような2度の和音の堆積といった概念から離れ、「特定の音名からまた違う音名まで」を塗りつぶす音響を最初に考案したのは[[イアニス・クセナキス]]であり、その[[弦楽器]]によるトーン・クラスターは、パートを分割して音を埋める範囲の各音に各奏者を割り当てる方法を採ったり、音を埋める範囲をグリッサンドで上下する方法が採られた。彼の初期作品の与えた衝撃は大きく、[[日本]]と[[ポーランド]]の作曲家を中心に影響を与え、後者は[[第一次ポーランド楽派]]としてブランド化する。クセナキスのクラスターをより単純化して楽譜化した作曲家に[[クシシュトフ・ペンデレツキ]]と[[ヘンリク・ミコワイ・グレツキ]]がいる。ペンデレツキのクラスターは横に持続する響きの帯であるが、グレツキの用いるクラスターは激しい断絶音として用いられるのが特徴である。1960年代以降は彼らだけに留まらず、前衛作曲家たちに広く用いられる定番技法とみなされるようになった。<!--あと、音の帯が上下に移動する、というのもありますよね-->
 
===[[合唱]]===
合唱曲における「積極的な」最初の使用例はジェルジ・リゲティの「パパイ夫人」であるが、当時リゲティはチャールズ・アイズの存在も知らず、バルトークが弦楽四重奏で初めて用いていた半音トーン・クラスターをアマチュア合唱団向けに全音階で積み重ねた。
 
1960年代前半にはペンデレツキの「時と静寂の次元」、「ルカ受難曲」やリゲティの「[[レクイエム (リゲティ)|レクイエム]]」の中で用いられていた。[[1970年代]]からは日本人の合唱作品にも少しずつ使われ始め、[[青島広志]][[マザーグース]]の歌」や[[廣瀬量平]]「海の歌」などでアマチュア団体にもこの技法が普及した。
 
== 関連記事項目 ==
{{Commonscat|Tone clusters}}
*[[不協和音]]
 
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