「福岡空港ガルーダ航空機離陸事故」の版間の差分

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{{Infobox Airliner incident
|name=ガルーダ・インドネシア航空 865便
|画像=Garuda Flight 856865 wreckage.png
|Image caption=事故機の残骸
|Date=[[1996年]]([[平成]]8年)[[6月13日]]
|Type=タービンブレードの金属疲労、及び[[V速度#V1の定義|離陸決心速度]]超過後の離陸中断操作によるオーバーラン
|Site={{Flagicon|JPN}} [[福岡空港]]
|Fatalities=3
|Injuries=109
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|Crew=15
|Survivors=272
|coordinates={{Coord|33|34|11.4|N|130|27|40.1|E|display=inline,title}}<ref>{{Cite web|和書|url=httphttps://www.mlit.go.jp/jtsb/aircraft/download/97-6-PK-GIE-02.pdf|title=航空事故調査報告書 97-6-PK-GIE ガルーダ・インドネシア航空所属 ダグラス DC-10-30型 PK-GIE 福岡県福岡空港 29頁~58頁|accessdate=2018-12|date=1997-11-17|format=PDF|website=https://jtsb.mlit.go.jp/jtsb/aircraft/download/bunkatsu.html#3|publisher=運輸安全委員会|language=ja}}</ref>{{rp|58}}
 
|ground_injuries=53|Origin={{Flagicon|JPN}} [[福岡空港]]|Destination={{Flagicon|IDN}} [[スカルノ・ハッタ国際空港]]|Stopover={{Flagicon|IDN}} [[ングラ・ライ国際空港]]}}
|ground_injuries=53}}
'''福岡空港ガルーダ航空機離陸事故'''(ふくおかくうこうガルーダこうくうきりりくじこ)は、[[1996年]]([[平成]]8年)[[6月13日]]に[[福岡県]][[福岡市]]にある[[福岡空港]]で発生した[[航空事故]]である。
 
20202023712月現在、日本国内で旅客定期航空便が起こした最後の航空旅客死亡事故である(ただし、[[1997年]]6月8日に発生した[[日本航空MD11機乱高下事故]]で重傷を負った客室乗務員が1年8ヶ月後に死亡している)
 
== 事故の概略 ==
[[Fileファイル:PK-GIE Garuda Indonesia McDonnell Douglas DC-10-30, Garudaat -Hong IndonesianKong AirwaysKai AN1018724Tak Airport in July 1993.jpg|thumbサムネイル|right|19851993年に撮影された事故機{{efn|塗装は異なる}}]]
[[1996年]]([[平成]]8年)[[6月13日]]、福岡空港から[[インドネシア]]・[[バリ島]][[デンパサール]]を経由し、同国の首都[[ジャカルタ]]に向かう計画であった[[ガルーダ・インドネシア航空]]865便(DC-10-30、[[機体記号]]PK-GIE、1979年製造)は、午後0時8分に滑走路16を離陸滑走中ローテーションを開始した直後に右翼第3[[ジェットエンジン|エンジン]]が故障した。機長は離陸中止を決断し実行したが、すでに機体が僅かに数フィート浮しており、滑走路内で止まりきれずに[[オーバーラン]]し滑走路端の緑地帯で擱座した。
 
擱座した際の衝撃で右翼の[[降着装置|ランディング・ギア]](車軸着陸装置)が燃料タンクを貫通したために炎上した。この事故で乗員15名・乗客260名の合わせて275名のうち乗客3名が死亡し、乗員2名・乗客16名の計18名が重傷、91名が軽傷を負った。また、救助活動や消火活動に従事していた[[消防士]]のうち53名が漏洩していた[[ジェット燃料]]に長時間接触したことによる化学[[熱傷]]を負った<ref>{{Cite book|和書|editor=[[全国消防長会]] |title=実戦NBC災害消防活動 |edition=3訂版 |year=2009 |publisher=東京法令出版 |isbn=978-4809022913 |pages=178-179}}</ref>。
 
{{File clip | Fukuoka Airport and Hakata Station areas Aerial photograph.jpg | width = 240 | 60 | 1 | 1 | 60 | w = 7336 | h = 4844 | 福岡空港南側周辺<br />{{国土航空写真}}}}
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== 事故の原因 ==
事故の引き金となった第3エンジンの故障は、エンジン内の高圧第1[[ジェットエンジン#タービン|タービンブレード]]が粒状酸化[[疲労_(材料)|疲労]]により破断したことが原因であった。GEによればCF6-50Cの高圧第1タービン内のエアパッセージの粒状酸化による破壊事故は全世界で21件起きており、顧客には酸化を防ぐコーティングを施した改良品の使用を推奨していた。それはこの種類のブレード内部の疲労亀裂は、150時間間隔で行われるボアスコープなどの通常の検査方法では発見するのが難しいものからであった。またブレードは製造メーカーの[[ゼネラル・エレクトリック]]社が推奨す廃棄の目安となる使用サイクルを超過していた
 
ガルーダ航空はエンジンの保守を[[KLMオランダ航空]]に依頼していた。故障したブレードは4897サイクル時に組み込まれ製造メーカーの[[ゼネラル・エレクトリック]]社推奨のユーザーが個々に廃棄計画を決めるソフトタイムによるブレード管理方式での目安となる6000サイクルを超え6182サイクルに達していた。KLM航空の判断では組み込み後に推奨廃棄サイクルである6000サイクルを超過しても許容する方針であったが、破断の可能性の情報をガルーダ航空の操縦士や整備部門へ周知が徹底されていなかった。
日本の[[運輸省]][[航空・鉄道事故調査委員会]](当時)は、[[1997年]][[11月20日]]に報告書を公表し、離陸を中断した機長の状況判断が適切でなかったとした。機長は「離陸を中断しなければ空港周辺にある建物に衝突するおそれがあるため、離陸の中断を決意した」と証言した。しかし、離陸を中断した時点で[[V速度#V1の定義|離陸決心速度]](V<sub>1</sub>, 279km/h)を超過しており、事故機はエンジンの1基が停止しても安全に飛行可能なように設計されていた。このため、そのまま上昇してから緊急着陸することが適切な対処であり、機長の判断は適切でなかったとされた。
 
日本の[[運輸省]][[航空・鉄道事故調査委員会]](当時)は、[[1997年]][[11月20日]]に報告書を公表し、離陸を中断した機長の状況判断が適切でなかったとした。機長は「離陸を中断しなければ空港周辺にある建物に衝突するおそれがあるため、離陸の中断を決意した」と証言した。しかし、離陸を中断した時点で[[V速度#V1の定義|離陸決心速度]](V<sub>1</sub>, 279km/h)を超過してローテーションを開始しており、事故機はエンジンの1基が停止しても安全に飛行可能なように設計されていた。このため、そのまま上昇してから緊急着すること適切な対処持続できる状態であり、機長の判断は適切でなかたとされた。
 
V1超過時に離陸を中止すべきかどうかについて、[[FAA]]は長大な滑走路がある場合等を除けば現時点での事故統計から離陸を持続したほうが事故の被害が小さいとしている<ref>{{cite web|title=Takeoff Safety Training Aid|url=http://www.iata.org/iata/RERR-toolkit/assets/Content/Contributing%20Reports/Reference/TakeoffTrainingSafetyAid.pdf| accessdate=18 May 2015|publisher=Federal Aviation Administration|pages=3|quote=" V1. [...](1) The maximum speed by which a rejected takeoff must be initiated to assure that a safe stop can be completed within the remaining runway, or runway and stopway;"}}</ref>。ガルーダ航空のマニュアルにも同様にV1を超えての離陸中断は極端に危険なので、離陸を持続するほうが安全性が低いと考えられる場合を除き行ってはならないとされていた。
 
このため、そのまま離陸し一旦飛行してから緊急着陸することが適切な対処であり、機長の判断は適切でなかったとされた。世界的には同種の事故は多く発生しているが、極端に短い時間で事故の規模と安全に離陸できるかを正確にパイロットが判断することは非常に困難であるとの考え方もある。
 
== 航空安全の碑 ==
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== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"|refs=
}}
=== 出典 ===
{{reflist}}
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{{参照方法|date=2012年10月|section=1}}
*{{Cite book|和書|author=デビッド・ゲロー |others=清水保俊 |title=航空事故 |edition=増改訂版 |year=1997 |publisher=[[イカロス出版]] |isbn=978-4871490993 |pages=246-247}}
 
== 関連項目 ==
*[[航空事故]]
*[[V速度#V1の定義|離陸決心速度]]
*[[トランスワールド航空843便大破事故]]
*[[LAPA 3142便離陸失敗事故]] - 離陸決心速度を超えてからブレーキをかけたために発生したオーバーランした事故。
*[[スパンタックス995便離陸失敗事故]]
*[[JALウェイズ58便エンジン爆発事故]] - 同じく福岡空港で発生した航空機事故だが、統計上は事故ではなくイレギュラー運航扱いである。
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[[Category:博多区の歴史]]
[[Category:1996年6月]]
[[Category:戦後の福岡]]