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== 概要 ==
無尽は、金銭の融通そのものを目的にするものと、特殊な目的のために金銭または金銭以外の物品の融通をするものの2つがある<ref name=":0">{{Cite journal|和書|author=並松信久|date=20022-03|title=近代日本の無尽講と相互扶助|url=https://hdl.handle.net/10965/00010710|journal=京都産業大学日本文化研究所紀要|volume=27|issue=|pages=260-298|publisher=京都産業大学日本文化研究所|ref=harv}}</ref>。発起人や被救済者が確定している、あるいは共同設立・共同融通である場合は、'''親無尽'''と呼ばれる<ref name=":0" />。一方、参加者の相互救済を目的とする'''親無し無尽'''もある<ref name=":0" />。
 
無尽の仕組みは、一定の口数と金額を決めて定期的に掛金を払い、一口ごとに抽選・入札・談合などを通じ、掛金を払った者に対して物品を与える(物品無尽)、もしくは金銭を与えるというものである<ref name=":0" />。金銭・物品の分配方法には、抽籤、入札、双方を用いるという3つの方法がある<ref name=":0" />。抽籤では、集金額から経費を差し引いた金額を交付する<ref name=":0" />。入札は「最低入札者を落札者とする」「講員の掛金および掛戻金の合計額と、落札者の取得金額との差額を入札する」「割増金、または利子に対して入札し、多額の割増金または高利の利子支払のできる者を落札者とする」という方法がある<ref name=":0" />。
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=== 歴史 ===
====江戸時代まで====
{{Wikisource|慶長見聞集/巻之三#k-3-8|慶長見聞集|原文「江戸町にてむじんはやる事」}}
無尽の起源は、[[奈良時代]]にさかのぼれるという<ref name=":0" />。[[鎌倉時代]]の『[[御成敗式目|貞永式目]]』追加法にも記述がある。庶民の[[相互扶助]]として始まったものだと考えられる。[[江戸時代]]になると、[[身分]]や地域に問わず大衆的な金融手段として確立し、大規模化していく講も存在するようになった。無尽を変形させ[[賭博]]にしたものは「取退無尽(とりのきむじん)」と呼ばれ、[[富籤#江戸の陰富|陰富]]と並んで江戸時代にはしばしば禁令が出された<ref name="Masukawa">[[増川宏一]]『合わせもの』<ものと人間の文化史> 法政大学出版局 2000年 ISBN 4588209418 pp.188-189.</ref>。また、公認の無尽にも「花くじ」と呼ばれるちょっとした金額の賞金が付く[[籤]]が設けられた講が現れるようになった<ref name="Masukawa" />。
 
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== 日本以外の無尽 ==
{{出典の明記| section = 1| date = 2023-04}}
無尽同様のものは古くから世界中で運営されており、[[:en:ROSCA]](Rotating Savings and Credit Association 回転型貯蓄信用講)と総称される。例えば、[[中国]]・[[唐]]代[[三階教]]の[[無尽蔵]]、[[中華民国]]([[台湾]])の'''互助会'''(民法第2編第2章第19節の一の「合會」に定められている)などがある。現代ではFintechを利用したROSCA専用のスマートフォンアプリなども存在している<ref>{{Cite web|和書|url=https://afelica.com/africa/egypt/moneyfellows/|title=『Moneyfellows』グループで貯蓄・運用を行う金融慣習をデジタル化|accessdate=2020年6月18日|publisher=}}</ref>。
 
[[韓国]]では、旧[[商法]]において基本的商行為の一つとして「無盡」として規定されており(第46条第16号)、無尽会社が銀行にアクセスできない庶民層への非制度金融として機能していたが、[[朴正煕]]政権による金融制度改革により、日本と同様無尽会社はすべて相互信用金庫に再編された(現在の[[貯蓄銀行]])。また、一部は政府系金融機関に改組され、庶民金融専業銀行として国民銀行が誕生した(現在の[[KB国民銀行]])。
 
発祥は異なるが、「[[マイクロクレジット]]」と呼ばれる[[開発途上国|発展途上国]]の個人に対する融資も、同様に共同体を基盤にしている点を指摘する論者もいる。