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{{出典の明記|date=2018年5月}}
{{Otheruses|ニューヨークにある金融街|1987年のアメリカ映画|ウォール街 (映画)}}
{{Redirect|ウォール・ストリート|2010年のアメリカ映画|ウォール・ストリート (映画)}}
[[画像:Photos NewYork1 032.jpg|thumb|250px|ウォール街と[[ブロードウェイ]]の交差点から見た[[ニューヨーク証券取引所]]]]
'''ウォール街'''(ウォールがい、
現在では通りの周辺の区域も含めて、世界の[[金融センター]]
付近には[[ニューヨーク連邦準備銀行]]や[[フェデラル・ホール]]、[[トリニティ教会 (ニューヨーク市)|トリニティーチャーチ]]などもある。ブロードウェイを南に少し下ったところにある雄牛像は有名。なお、今や観光名物となったこの[[銅像|ブロンズ像]]「[[
== 歴史 ==
=== ウォール街の誕生 ===
[[ファイル:The Night Watch - HD.jpg|サムネイル|[[レンブラント・ファン・レイン|レンブラント]]画「[[夜警 (絵画)|夜警]]」アムステルダム市民の集団自画像。]]
17世紀終わりごろ、[[八十年戦争]]を背景として[[ベネルクス]]の中心的な都市であった南部の都市[[アントウェルペン]]から大勢の商人が北部の都市[[アムステルダム]]に移住した。{{Sfn|川北稔|1996|pp=30-31}}{{Efn|大量移住の理由には、
* 商工業者の多くは[[新教徒]]([[カルヴァン派]]、[[ゴイセン]])であったこと
* 独立運動の中で[[フランドル地方]]が荒廃し、商工業者は新天地を求めたこと
など、複数の要因が考えられる。}}。こうしてアムステルダムは、[[欧州]]最大の[[商業]]、[[金融]][[都市]]として発展した。また、オランダは[[経済]]的・[[学問]]的な繁栄に加え、[[宗教]]に寛容だったため多くの[[ユダヤ人]]が亡命し、こうした要因もまた、オランダを発展させることになった{{Sfn|木畑洋一|2023|p=199}}{{Sfn|渡辺惣樹|茂木誠|2022|p=24}}。
オランダは[[スペイン帝国|スペイン]]の衰退や造船業の発展を背景に1602年、続けて1621年には[[オランダ東インド会社|東インド会社]]、[[オランダ西インド会社|西インド会社]]を設立し、[[アジア]]、[[アメリカ大陸|アメリカ]]に進出した。特に、[[北米]]にはニューネーデルラント植民地・[[ニューアムステルダム]]港を建設した。
こうして、[[十七世紀]]前半にはオランダ一国で世界の貿易額の50%を握るようになっていった。また、[[ギルダー]]の発行も行うようになり、世界進出を目論む[[イングランド王国|イギリス]]にとっても大きな障害となった{{Sfn|渡辺惣樹|茂木誠|2022|p=24}}。
しかしながら、十七世紀後半の三次にも及ぶ[[第一次英蘭戦争|英蘭戦争]]にてイングランドに敗れ、ニューアムステルダム港は[[ニューヨーク]]と改名された。この頃から、オランダ人が築いた城壁に沿った道が「ウォール{{Efn|{{Lang-en|wall}}}}街」と呼ばれるようになったのである{{Sfn|渡辺惣樹|茂木誠|2022|p=24}}。[[画像:Wall Street Sign.jpg|thumb|right|200px|ウォール街の道路標識]]
[[1792年]]、[[材木]]の取引のために[[商人]]や[[投資家]]が集まり非公式に取引所を開設した。これがニューヨーク証券取引所のはじまりである。
[[アンドリュー・ジャクソン]]大統領は州立銀行を奨励しウォール街の成長を阻んでいた。州立銀行の株や債券は[[シティ・オブ・ロンドン]]の資本家に購入されていた。[[1837年恐慌]]が起こり州立銀行が兌換停止に追い込まれた。そのとき[[第二合衆国銀行]]の特許更新を阻止していたために最後の貸し手を欠いてしまい、この反省から[[ボストン]]を経由したウォール街への資本集中が進んでいった。[[南北戦争]]では実際に[[ジューニアス・モルガン]]と[[ジョン・モルガン]]の親子が活躍した。後者は[[1907年恐慌]]の立役者となり、また[[金ぴか時代]]に台頭した[[ロックフェラー家]]と共に[[連邦準備制度]]の創設にも参加した。モルガンが[[第一次世界大戦]]で政府に融資をするときに[[カナダ]]のオタワが舞台となったが、その縁か[[グループ・ブリュッセル・ランバート]]には強力なカナダ資本が参加している。
[[狂騒の20年代]]に[[メロン財閥]]が力をつけて国政に関与した。そして[[ウォール街大暴落 (1929年)]] が起こり、ペコラ委員会がジョン・モルガンの息子ジャックの[[インサイダー取引]]を暴いた。ウォール街に対する規制熱は[[第二次世界大戦]]に参加するまで続いた。
[[1950年代]]を通じて株価が上昇して、インサイダー取引が復活したり、うまみにつられて野良のブローカーがウォール街に押し寄せたりした。その陰では[[投信]]業界が、構成員がほぼ同一の取締役会で、グループのファンド・営業・運用各部門を全て支配した。[[証券取引委員会]]は投信業界がファンド購入者と[[利益相反]]して三部門を統括している問題に手が回らなかった。
== 出典 ==
=== 注釈 ===
{{notelist}}
=== 出典 ===
<references />
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書 |title=教科書に書けないグローバリストの近現代史 |date=2022/3/1 |year=2022 |publisher=[[ビジネス社]] |author=渡辺惣樹 |ref=harv |author-link=渡辺惣樹 |author2=茂木誠 |author2-link=茂木誠 |isbn=978-4-8284-2370-8 |chapter=大英帝国と明治維新 ――近代日本の根本構造とは何か}}
* {{Cite book|和書 |title=砂糖の世界史 |date=1996-07-22 |year=1996 |publisher=岩波書店 |ref=harv |author=川北稔 |author-link=川北稔 |isbn=9784005002764 |series=岩波ジュニア新書}}
* {{Cite book|和書 |title=世界史探求 |date=2023-01-25 |year=2023 |publisher=実教出版 |ref=harv |editor=木畑洋一 |editor-link=木畑洋一 |isbn=978-4-407-20506-0 |location=東京 |pages=198-199 |chapter=近世ヨーロッパの形成と展開}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Wall Street}}
* [[ウォールストリート・ジャーナル]]
* [[ウォール街 (映画)]]
* [[日本橋兜町]]
* [[日本銀行旧小樽支店金融資料館]]…旧日銀小樽支店の周辺を「北のウォール街」と呼んだ。
* [[
* [[
{{マンハッタンの通り}}
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