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{{Infobox ethnic group
|group=ヴォルガ・タタール
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|caption= <small>(上段)[[ルスラン・チャガエフ]] • [[アリーヤ・ガラエワ]] • [[ラヴィル・ガイヌッティン]]<br />(中段)[[ティマティ]](ティムール・ユルソフ) • [[アルスー]] • [[ルドルフ・ヌレエフ]] <br />(下段)[[リナト・ダサエフ]] • [[マラト・イズマイロフ]] <br /> [[マラト・サフィン]]</small>
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|langs = [[タタール語]]、[[ロシア語]]
|rels = 多くは[[イスラーム教]][[スンナ派]]、他に [[ロシア正教会]]・[[無神論]]
|関連=[[クリャシェン人]]、[[バシキール人]]、[[チュヴァシ人]]、[[クリミア・タタール人]]}}
}}
 
'''ヴォルガ・タタール人'''(ヴォルガ・タタールじん、{{lang-tt|'''Идел-Урал татарлары'''}})は、[[ロシア]]の[[ヴォルガ川]]中流域([[イデル=ウラル]]地方)に居住する[[テュルク系]]民族。ロシア連邦内に[[タタールスタン共和国]]を形成している。[[シベリア]]から[[東ヨーロッパ]]にかけて分布する[[タタール]]と総称されるテュルク系諸民族の中で最大のグループであり、しばしば単に「タタール人」ともいう。タタールスタンの首都[[カザン]]に居住し、歴史的に[[カザン・ハン国]]を建てたグループを特に'''カザン・タタール人'''({{lang|tt|'''Казан татарлары'''}})ともいう。
 
== 概要 ==
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タタールスタン共和国の人口380万人のうち、50%強がタタール人で、タタールスタンはロシア連邦の非ロシア系民族の国の中では特に高い経済力、政治的発言力を持つ有力な[[ロシア連邦の地方区分|連邦構成主体]]である。
 
タタール人は[[スンナ派]]のムスリムを主体とする。元来あった[[モンゴロイド]]の要素は一部を除いて、形質的にはまったくのほぼ[[コーカソイド]]で、外見でロシア人との見分けをつけることは外国人には難しい。
 
== 歴史 ==
もともと[[フィン・ウゴル]]系民族が主体であった[[ヴォルガ地方]]テュルク系民族が流入するのは[[7世紀]]のことである。この頃、[[アゾフ海]]北岸から[[黒海]]北岸の方面で[[遊牧国家]]を形成したテュルク系の[[ブルガール人|ブルガール]]が分裂し、西進した人々は[[ドナウ川]]流域に[[ブルガリア帝国]]を建設して[[スラヴ人|スラヴ]]化してゆくが、東進した人々はヴォルガ川中流の屈曲部に定住して[[ヴォルガ・ブルガール]]と呼ばれる王国を建国、ヴォルガ川下流域に勢力を拡大したテュルク系の遊牧国家[[ハザール]]に服属した。[[10世紀]]にハザールが衰退すると、ヴォルガ・ブルガールはハザールに代わって中央アジアのイスラム勢力と、西の[[ルーシ]](ロシア)の人々との間の仲介交易に携わるようになって繁栄した。
 
[[13世紀]]初頭、東方の草原地帯に[[モンゴル帝国]]が起こるとヴォルガ・ブルガールはその進攻を受けるようになり、[[1236年]]に[[バトゥ]]率いる[[ヨーロッパ]]遠征軍の[[モンゴルのヴォルガ・ブルガール侵攻|最初の標的とされた]]。征服された後は、バトゥの立てた[[ジョチ・ウルス|キプチャク・ハン国]](ジョチ・ウルス)に併合された。モンゴルの支配下でヴォルガ地方には、ヴォルガ下流域のテュルク系遊牧民[[キプチャク]]系の人々が盛んに流入するようになり、民族の混交が起こって言語的にもキプチャク化していった。ヴォルガ・タタール人の先祖となる人々はこうして形成されたが、言語的に[[テュルク諸語]]のうちでも特殊なグループに属するブルガールの言葉の特徴を残しているのは、ヴォルガ・タタールよりもむしろ北に住む[[チュヴァシ人]]である。
 
キプジョャクハン国ウルス時代は南の草原地帯が諸勢力の興亡の舞台となったため、ヴォルガ中流は歴史の中心から外れていたが、[[15世紀]]に[[チンギス・カン|チンギス・ハーン]]の末裔同士で草原で繰り広げられていた王位争いに敗れた王族ウルグ・ムハンマド(大ムハンマド)という人物が[[1438年]]にヴォルガ中流域に後退してカザンで王位につき、[[カザン・ハン国]]を建国した。カザン・ハン国は南の草原から持ち込んだ[[イスラム教]]を支配下のヴォルガ中流域に広め、東西の中継交易を掌握して繁栄したが、[[16世紀]]に入ると王位を巡る争いから衰退し、[[1552年]]にロシアの[[イヴァン4世]]によって征服された。こうしてロシアの支配下に入ったカザン・ハン国の遺民のテュルク系ムスリムがカザン・タタール人となる。
 
ロシア帝国のもとでカザンには[[キリスト教]]の文化が持ち込まれ、ロシア人が流入してきたためにタタール人はロシア帝国の各地に拡散していった。一時はイスラム教の信仰も廃れ、キリスト教に改宗してロシア化してゆく者も増えたが、。このころ正教に改宗したグループは'''[[クリャシェン人]]'''という別民族としての自認を獲得していった。[[18世紀]]に入ると、[[エカチェリーナ2世 (ロシア皇帝)|エカチェリーナ2世]]らの[[啓蒙専制君主]]のもと、ロシア帝国はイスラム教の抑制を改め、ロシア文化に親しんで「文明」化したムスリムであるタタール人のイスラム信仰を保護し、いまだ「野蛮」な[[中央アジア]]や[[カフカス]]のムスリムの教化にあたらせようとする政策に転じたため、ヴォルガ・タタール人はロシア帝国下のムスリムの最先進民族として優遇されるとともに、中央アジアやカフカスの各地で商業・交易活動に従事して富裕な共同体へと発展していった。[[19世紀]]末から[[20世紀]]初頭にはロシア帝国のムスリム諸民族の教育・文化を改革し、ロシア帝国の枠内での自治を認めさせることを目指す運動の主導的役割を果たし、一部は中国領の[[東トルキスタン]](新疆)にまで進出して新疆の民族運動に加わった。
 
[[ファイル:SultanGaliyev0011.jpg|thumb|right|160px|スルタンガリエフ]]
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また、ロシア帝国の末期頃から、ヴォルガのタタール人はブルガール人の末裔であると主張して、ブルガール人の自治実現を目指す動きも起こっていたが、タタール自治共和国の建設ともにこれまで漠然とタタールと呼ばれていた人々をまとめて指す民族名としてタタール人という名が公式に設定され、ヴォルガ・タタール人のみを指すブルガールの民族名は否定された。その後、ソ連末期に比較的大きな人口を持つ[[クリミア・タタール人]]がタタール人と別民族であることを認められたが、現在もその他のタタールはタタールと総称されたままである。
 
== 著名なヴォルガ・タタール人のサブグループ ==
ヴォルガ・タタールは[[タタール語]]の方言によって主に三派に分かれる。
* '''[[カザン・タタール人]]'''(中部タタール)
** [[ナガイバク人]]
** [[クリャシェン人]]
** [[カシモフ・タタール人]]
** [[アストラハン・タタール人]] 他
* '''[[ミシャル・タタール人]]'''(西部タタール)
** {{仮リンク|テプテル・タタール人|ru|Тептяри}}他
* '''[[シベリア・タタール人]]'''(東部タタール)
** [[バラバ・タタール人]]他
 
== 著名なヴォルガ・タタール人 ==
*[[アイダル・ガリモフ]] - 歌手
*[[アリーナ・カバエワ]] - 元体操選手
*[[アリーナ・ザギトワ]] - フィギュアスケート選手
*[[アルスー]] - 歌手
*[[カミラ・ワリエワ]] - フィギュアスケート選手 
* [[リナト・ファクレトディノフ]] - 総合格闘家
* [[マラト・イズマイロフ]] - サッカー選手
* [[ソフィア・グバイドゥーリナ]] - 作曲家
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== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|title=テュルクを知るための61章|author=小松久男 編著、|publisher=明石書店|year=2016年刊(http|url=http://www.akashi.co.jp/book/b244171.html)html}}
 
== 関連項目 ==
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{{テュルク系民族}}
{{ロシアの民族}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:うおるかたたあるしん}}
[[Category:ヴォルガ・タタール人|*]]
[[Category:ロシアの民族]]
[[Category:テュルク系民族]]