「ディノ・デ・ラウレンティス」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
First citizen (会話 | 投稿記録) |
||
(19人の利用者による、間の28版が非表示) | |||
6行目:
| 画像コメント =
| 本名 = Agostino De Laurentiis
| 別名義 =
| 出生地 = {{ITA1861}} [[トッレ・アンヌンツィアータ]]
| 死没地 = {{USA}} [[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]
| 国籍 = {{ITA}}
| 身長 =
| 血液型 =
| 生年 = 1919
| 生月 = 8
20 ⟶ 22行目:
| 活動期間 =
| 活動内容 =
| 配偶者 = [[シルヴァーナ・マンガーノ]](1949年 - 1988年)<br>[[マ
| 著名な家族 = [[:en:Luigi De Laurentiis|ルイジ・デ・ラウレンティス]](弟)<br>[[:en:Veronica De Laurentiis|ヴェロニカ・デ・ラウレンティス]](娘)<br>[[ラファエラ・デ・ラウレンティス]](娘)<br>[[アウレリオ・デ・ラウレンティス]](甥)<br>[[ジャーダ・デ・ラウレンティス]](孫)
| 事務所 =
| 公式サイト =
| アカデミー賞 = '''[[アカデミー外国語映画賞|外国語映画賞]]'''<br />[[第29回アカデミー賞|1956年]]『[[道 (1954年の映画)|道]]』<br />'''[[アービング・G・タルバーグ賞]]'''<br />[[第73回アカデミー賞|2000年]] 映画界への貢献に対して
| ヴェネツィア国際映画祭 = '''[[栄誉金獅子賞]]'''<br>[[第60回ヴェネツィア国際映画祭|2003年]] 映画界への貢献に対して
| 主な作品 = <!--皆が認める代表作品を入力-->
| 備考 =
}}
'''ディノ・デ・ラウレンティス'''
== 略歴 ==
[[ローマ]]で映画製作を学んだが、第二次世界大戦勃発により中断。1940年の『L'ultimo Combattimento』より150本以上の映画のプロデュースを手掛けている。インディペンデントのプロデューサーとしては[[カルロ・ポンティ]]とともに業界最高峰の人物で、生きる神話の一人とも呼ばれた。
1957年、『[[道 (1954年の映画)|道]]』で[[アカデミー外国語映画賞]]([[第29回アカデミー賞|第29回]])を受賞<ref>{{Cite web|url=https://www.oscars.org/oscars/ceremonies/1957|title=THE 29TH ACADEMY AWARDS / 1957|website=Oscars.org|publisher=AMPAS|accessdate=2024-03-21|language=en}}</ref>。
[[1962年]](昭和37年)[[3月]]に来日している。▼
2001年、[[第73回アカデミー賞]]で[[アービング・G・タルバーグ賞]]を受賞<ref>{{Cite web|url=https://www.oscars.org/oscars/ceremonies/2001|title=THE 73RD ACADEMY AWARDS / 2001|website=Oscars.org|publisher=AMPAS|accessdate=2024-03-21|language=en}}</ref>。
2010年11月11日、[[ロサンゼルス]]で死去。91歳没<ref name="47newsdeath"/>。▼
== 私生活 ==
1949年にイタリアの女優[[シルヴァーナ・マンガーノ]]と結婚。4人の子供をもうける(次女は映画プロデューサーの[[ラファエラ・デ・ラウレンティス]])が、1989年に
== 主なプロデュース作品 ==
45 ⟶ 51行目:
* [[ヨーロッパ一九五一年]] ''Europa '51'' (1952年)
* [[道 (1954年の映画)|道]] ''La Strada'' (1954年)
* [[ユリシーズ (1954年の映画)|ユリシーズ]] ''Ulisse'' (1954年)
* マンボ ''Mambo'' (1954年)
* ローマの女 ''La Romana'' (1955年)
56 ⟶ 63行目:
* [[華やかな魔女たち]] ''Le Streghe'' (1967年)
* [[異邦人 (映画)|異邦人]] ''Lo Straniero'' (1967年)
* [[アンツィオ大作戦]] ''Lo sbarco di Anzio'' (1968年)
* [[バーバレラ#映画|バーバレラ]] ''Barbarella'' (1968年)
* [[ワーテルロー (映画)|ワーテルロー]] ''Waterloo'' (1970年)
* [[バラキ (映画)|バラキ]] ''The Valachi Papers'' (1972年)
* ボッカチオ ''Boccaccio'' (1972年)
66 ⟶ 75行目:
* [[オルカ (映画)|オルカ]] ''Orca'' (1977年)
* 蛇の卵 ''The Serpent's Egg'' (1977年)
* [[ブリンクス (映画)|ブリンクス]] ''The Brink's Job'' (1978年)
* [[ハリケーン (1979年の映画)|ハリケーン]] ''Hurricane'' (1979年)
* [[フラッシュ・ゴードン
* [[ラグタイム (映画)|ラグタイム]] ''Ragtime'' (1981年)
* [[コナン・ザ・グレート]] ''Conan the Barbarian'' (1982年)
* [[デッドゾーン (映画)|デッドゾーン]] ''The Dead Zone'' (1983年)
* [[デューン/砂の惑星 (1984年の映画)|デューン/砂の惑星]] ''Dune'' (1984年)
* [[バウンティ/愛と反乱の航海]] ''The Bounty'' (1984年)
* [[炎の少女チャーリー]] ''Firestarter'' (1984年)
* [[キャッツ・アイ (1985年の映画)|キャッツ・アイ]] ''Cat's Eye'' (1985年)
* [[イヤー・オブ・ザ・ドラゴン]] ''Year of the Dragon'' (1985年)
* [[刑事グラハム/凍りついた欲望]] ''Manhunter'' (1986年)
92 ⟶ 102行目:
* {{official|http://www.dinodelaurentiis.it/}}{{it icon}}
* {{allcinema name|4471|ディノ・デ・ラウレンティス}}
* {{Kinejun name|7168|ディノ・デ・ラウレンティス}}
* {{
* {{YouTube|iWWaoXp7bo0|Dino de Laurentiis receiving the Irving G. Thalberg Memorial Award}}(アービング・G・タルバーグ賞 Oscars公式映像)
{{アービング・G・タルバーグ賞}}
{{キングコング}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:てらうれんていす ていの
[[Category:イタリアの映画プロデューサー]]
[[Category:デ・ラウレンティス家|*ていの]]
[[Category:カンパニア州出身の人物]]
[[Category:1919年生]]
|