「水田章雄」の版間の差分
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{{Infobox baseball player
|選手名 = 水田 章雄
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|最終出場 = 2010年8月15日
|年俸 =
|経歴 =
* [[清教学園中学校・高等学校|清教学園高等学校]]
* [[立命館大学硬式野球部|立命館大学]]
* [[大和銀行]]
* [[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス<br />福岡ソフトバンクホークス]] (1999 - 2010)
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|選出方法 =
}}
'''水田 章雄'''(みずた あきお、[[1973年]][[7月11日]] - )は、[[大阪府]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。2011年度より[[福岡ソフトバンクホークス]]の
== 来歴・人物 ==
=== プロ入り前 ===
[[清教学園中学校・高等学校|清教学園高校]]3年時の夏の大阪府大会では、4回戦で[[中村紀洋]]のいる[[大阪府立渋谷高等学校
[[後藤光貴]](元[[埼玉西武ライオンズ|西武]]、[[読売ジャイアンツ|巨人]])は社会人時代の同期であるが、同一社会人チームからは事前の了承を得ないと複数人の選手をドラフトで指名することが出来ないというルールがあり、同じく1998年のドラフト会議で西武から指名される予定だった後藤が、水田が先に指名を受けたためプロ入りできないという事件があった。後藤は翌[[1999年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1999年のドラフト会議]]で西武の指名を受けてプロ入りしている。
=== プロ入り後 ===
[[2000年]]は主に火消し役として登板し、[[防御率]]2.76という活躍を見せた。 [[2002年]]には相次ぐ[[先発投手]]の離脱で1軍復帰。即先発を任される。結局6試合の先発登板で3勝負けなし、防御率2.62とプロ入りして最高の成績を挙げ、翌年の[[先発ローテーション]]入りに名乗りを挙げた。 [[2003年]]は15試合に投げてわずか1勝(3敗)に終わりシーズンを通して1軍定着とはいかなかった。 [[2004年]]、抑え投手の不在から開幕直後から抑え役に抜擢されたが、精神面の弱さを露呈しわずか3[[セーブ]]を挙げるに留まった。その後新人の[[三瀬幸司]]が抑えに定着し、またもシーズンを通して2軍暮らしを送る。同年[[10月21日]]、翌[[2005年]][[5月26日]]には相次いで右ヒジ遊離軟骨除去[[手術]]を行い、2005年は一軍登板無しに終わる。
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[[2010年]]は、[[甲藤啓介]]や[[森福允彦]]らの台頭もあり、14試合の登板、防御率7.62に終わり、[[10月1日]]に[[戦力外通告]]を受けた。
引退後はホークスの打撃投手に就任した。その後も球団スタッフを務める。
== 選手としての特徴 ==
最高150km/hの速球のほかに、[[カーブ (球種)|カーブ]]、[[スライダー (球種)|スライダー]]、[[フォークボール|フォーク]]、[[シュート (球種)|シュート]]が持ち球。
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=== 背番号 ===
* '''44''' (1999年 - 2010年)
* '''106''' (2011年 - 2013年)
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
{{NPB|91293888}}
{{MLBstats |cube=Akio-Mizuta |brm=mizuta001aki}}
* [http://www.mizuta44.com/ 水田章雄公式サイト]
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