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この時代に公用語?
 
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{{混同|中山国|x1=古代中国の}}
{{出典の明記|date=2014年3月1日 (土) 00:37 (UTC)|ソートキー=沖縄ちゆうさんおうこく}}
{{基礎情報 過去の国
|略名 = =中山王国
|日本語国名 = =中山王国
|公式国名 = =
|建国時期 = =[[1314年]]
|亡国時期 = =[[1429年]]
|代1 = =琉球王国
|先旗1 =
|次旗1 =Ryukyu Islands flag until 1875.svg
|次代21 = =琉球王国
|次旗21 = =
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|国旗コメ = =
|国章画像旗幅 = =
|国章サイズ旗縁 =
|国章コメント画像 = =
|国歌名章リンク = =
|国歌追記章幅 = =
|標語 =
|位置画像 =Ryukyu_Kingdoms_of_Sanzan_era.jpg
|標語追記 =
|位置画像説明 =[[琉球]]の[[三山時代|三山]]の区分
|国歌 =
|首都 =[[浦添市|浦添]]
|国歌追記 =
|元首等肩書 =[[国王]]
|位置画像 = Ryukyu Kingdoms of Sanzan era.jpg
|元首等年代始1 =[[1314年]]
|位置画像説明 = [[琉球諸島|琉球]]の[[三山時代|三山]]の区分
|元首等年代終1 =[[1336年]]
|位置画像幅 =
|元首等氏名1 =[[玉城]]
|公用語 =
|元首等年代始2 =[[1355年]]
|首都 = [[浦添市|浦添]]→[[首里]]
|元首等年代終2 =[[1397年]]
|元首等氏名2肩書 = =[[察度国王]]
|元首等年代始31 = [[13981314年]]
|元首等年代終31 = [[14061336年]]
|元首等氏名3 1 = [[武寧玉城 (琉球国王)|玉城]]
|元首等年代始42 = [[14221336年]]
|元首等年代終42 = [[14291349年]]
|元首等氏名42 = =[[尚巴志王西威]]
|元首等年代始3 = [[1355年]]
|変遷1 =王国成立
|変遷元首等月日1代終3 = =[[13141397年]]
|元首等氏名3 = [[察度]]
|変遷2 =[[琉球王国]]成立
|変遷元首等月日2代始4 = =[[14291398年]]
|元首等年代終4 = [[1406年]]
|注記 =
|元首等氏名4 = [[武寧]]
|元首等年代始5 = [[1422年]]
|元首等年代終5 = [[1429年]]
|元首等氏名5 = [[尚巴志王|尚巴志]]
|首相等肩書 =
|首相等年代始1 =
|首相等年代終1 =
|首相等氏名1 =
|面積測定時期1 =
|面積値1 =
|人口測定時期1 =
|人口値1 =
|変遷1 = 王国成立
|変遷年月日1 = [[1314年]]頃
|変遷2 = [[琉球王国]]成立
|変遷年月日2 = [[1429年]]頃
|通貨 =
|通貨追記 =
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|夏時間 =
|時間帯追記 =
|ccTLD =
|ccTLD追記 =
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|国際電話番号追記 =
|注記 =
|現在 = {{JPN}}
*{{flagicon|沖縄県}} [[沖縄県]]
}}
'''中山王国'''(ちゅうざんおうこく)は、現在の[[那覇市]]、[[浦添市]]を中心に主に[[沖縄県]][[中頭郡]]に存在していた[[王国]]で[[三山時代|三山]]の[[統一]]後の[[琉球王国]]の正式な[[国号]]。
 
'''中山王国'''(ちゅうざんおうこく)は、現在の[[那覇市]]、[[浦添市]]を中心に主に[[沖縄県]][[中頭郡]]に存在していた[[王国]]。
琉球国では、中山国をきずいたのは[[天孫氏]]とされるがこれは伝説である。英祖王統に入ってから次第に[[按司]]をまとめていったものと考えられ、[[察度]]が中山王になるころまで形成されたと思われる。
 
なお、[[三山時代|三山]]の[[統一]]、琉球王国成立後も、国号および王号の一つとして用いられた('''中山王府'''、琉球国中山王など)。
[[浦添市|浦添]][[按司]][[察度]]が[[英祖王統]]を滅ぼし、[[察度王統]]を成立させ、[[1372年]]に初めて中国([[明]])に朝貢している、ただし、冊封を受けたかどうか定かではない。[[察度]]の世子である[[武寧]]が[[尚巴志]]よって滅ぼされ、[[尚巴志]]は父である[[尚思紹]]を中山王とした。[[第一尚氏王統]]の始まりである。[[1416年]]には[[北山国]]を、[[尚巴志]]の治世になると[[1429年]]に[[南山国]]を滅ぼし、中山王の[[尚巴志]]が[[三山時代|三山]]の[[統一]]をはたした。[[琉球王国]]の始まりである。
 
春秋時代の[[中国]]にあった[[中山国]]とは無関係である。
==中山国の王統==
*[[英祖王統]]
*[[察度王統]]
 
==関連項目 概要 ==
琉球王国では、中山王国を築いたのは[[天孫氏]]とされるがこれは伝説である。英祖王統に入ってから次第に[[按司]]をまとめていったものと考えられ、[[察度]]が中山王になるころまで形成されたと思われる。
 
[[浦添市|浦添]][[按司]][[察度]]が[[英祖王統]]を滅ぼし、[[察度王統]]を開いた。察度は浦添に都したと考えられている。察度は、[[1372年]]に初めて中国([[明]])に[[朝貢]]した。察度の世子である次代の武寧は[[1383年]]([[洪武]]16年)に「琉球国中山王」の賜印を受けている(『[[琉球国志略]] 巻四』)。ただし、冊封を受けたかどうか定かではない。
 
その後1406年、[[武寧]]が[[尚巴志王|尚巴志]]によって討たれ察度王統は滅ぼされる。中山王賜印はそのまま尚思紹、尚巴志に継がれた。また、明に対して使節を送り、「武寧が没しその世子巴志が王位を継いだ」と偽りの報告をしたため、そのまま中山王位を継承する事になった。琉球統一後も、自称、他称共に王号は'''琉球国中山王'''で有り続けた。
 
察度王統までは浦添に都したが、察度王統が滅んでまもなく、尚巴志が[[首里]]に遷都したと考えられている。なお、[[尚巴志王|尚巴志]]は父である[[尚思紹王|尚思紹]]を中山王とした。[[第一尚氏王統]]の始まりである。
 
[[1416年]]には[[北山王国]]を、[[尚巴志王|尚巴志]]の代の[[1429年]]には[[南山王国]]を滅ぼし、[[三山時代|三山]]の統一を果たした。[[琉球王国]]の始まりである。
 
=== 中山王国の王統 ===
* [[英祖王統]] - 浦添按司として[[中頭]]を中心に支配
* [[察度王統]] - 浦添按司として明に朝貢、琉球国中山王とされる(史書上は初)
* 第一尚氏王統 - 前王統を滅ぼし中山を承継した
 
琉球統一(1429年)以降は、[[琉球王国]]となる。
 
== 参考文献 ==
* 『中国・琉球交流史』徐恭生(1991)、西里喜行・上里賢一訳、ひるぎ社
 
== 関連項目 ==
* [[浦添市]]
* [[北山王国]]
* [[南山王国]]
* [[琉球王国]]
* [[三山時代]]
* [[沖縄の歴史]]
* [[琉球国王の一覧]]
 
{{琉球国王}}
{{DEFAULTSORT:ちゆうさんおうこく}}
{{デフォルトソート:ちゆうさんおうこく}}
[[Category:古琉球]]
[[Category:琉球王国|*]]
[[Category:かつて存在したアジアの君主]]
[[Category:冊封国]]
 
[[Category:中山王国|*]]
{{history-stub}}
{{History-stub}}
 
[[en:Chūzan]]
[[pt:Chūzan]]