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{{Infobox baseball player
{{野球選手
|選手名 = ジミー・キー<br />'''Jimmy Key'''
|英語表記 = Jimmy Key
|守備位置=[[投手]]
|所属球団 =
|国籍={{USA}}
|背番号 =
|誕生日={{生年月日と年齢|1961|4|22}}
|選手写真ファイル名 =
|打席=右
|写真サイズ =
|利き腕=左
|写真のコメント =
|出身地=[[アラバマ州]]ハンツヴィル
|国籍 = {{USA}}
|デビュー年=1984年4月6日
|出身地 = [[アラバマ州]][[ハンツビル]]
|経歴=[[トロント・ブルージェイズ]]<br />(1984年-1992年)<br />[[ニューヨーク・ヤンキース]]<br />(1993年-1996年)<br />[[ボルチモア・オリオールズ]]<br />(1997年-1998年)
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1961|4|22}}
|没年月日 =
|身長 = {{フィートとcm (身長用変換)|6|1}}
|体重 = {{ポンドとkg (体重用変換)|190}}
|利き腕 = 左
|打席 = 右
|守備位置 = [[投手]]
|プロ入り年度 = 1982年
|ドラフト順位 = ドラフト3巡目
|初出場 = 1984年4月6日
|最終出場 = 1998年9月20日
|年俸 =
|経歴 =
* バトラー高校
* [[クレムゾン大学]]
* [[トロント・ブルージェイズ]] (1984 - 1992)
* [[ニューヨーク・ヤンキース]] (1993 - 1996)
* [[ボルチモア・オリオールズ]] (1997 - 1998)
|選出国 =
|選出年 =
|得票率 =
|選出方法 =
}}
'''ジェームズ・エドワード・"ジミー"・キー'''('''James Edward "Jimmy" Key''' , [[1961年]][[4月22日]] - )は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]で活躍した[[投手]]。'''左投右打'''。
アメリカ合衆国[[アラバマ州]][[ハンツビル]]出身。現役時代の代理人はカリン夫人が務めていた。
 
== 経歴 ==
'''ジミー・キー'''('''James Edward "Jimmy" Key''' , [[1961年]][[4月22日]] - )は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]で活躍した[[投手]]。'''左投右打'''。
バトラー高校時代に10勝0敗、防御率0.30の記録を残す。
アメリカ合衆国[[アラバマ州]]ハンツヴィル出身。
 
== 人物・来歴 ==
バトラー高校時代に10勝0敗、防御率0.30の驚異的な記録を残す。
打者としても打率.410、11本塁打、35打点の活躍。
[[クレムン大学]]に進学し、投手としては9勝3敗、防御率2.79。登板しないときでも[[指名打者]](DH)で出場し、打率.300を記録。
[[{{by|1980年]]}}にはカレッジ・ワールド・シリーズの第1戦に先発した。
 
[[{{by|1982年]]}}[[6月]]の[[ドラフト会議 (MLB)|ドラフト会議]]で[[トロント・ブルージェイズ]]から3巡目に指名され、入団。
1シーズン半のマイナー生活を経て、[[{{by|1984年]]}}[[4月6日]]にリリーフでメジャー初登板。
この年はリリーフばかり63試合に登板して、4勝5敗10セーブ、防御率4.65を記録。
この年の背番号は「'''27'''」であったが、先発に転向した翌[[1985年]]以後、ブルージェイズでは「'''22'''」に変更した。
1985年には14勝6敗、防御率3.00の好成績。
[[デーブ・スティーブ]]、[[ドイル・アレサンダー]]らとともに先発ローテーションを担い、チームの球団創設以来初の地区優勝に貢献した。
[[カンザスシティ・ロイヤルズ]]との[[アメリカンリーグ|ア・リーグ]][[リーグチャンピオンシップシリーズ|チャンピオンシップシリーズ]]ではまず第2戦に登板。
勝敗はつかなかったが、チームは延長10回に逆転サヨナラ勝ち。
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1回、2回に1点ずつを取られるが、その2点に抑える好投。
しかし、打線が[[ダニー・ジャクソン]]に抑えられて0-2で敗れる。チームはその後第6戦、第7戦にも敗れ、リーグ優勝はならなかった。
その後も、[[{{by|1997年]]}}までの間、故障で1勝に終わった[[{{by|1995年]]}}を除いて毎年12勝以上をあげる安定した活躍を見せる。
[[{{by|1987年]]}}には防御率1位のタイトルを獲得。
 
{{by|1988年}}秋に[[日米野球]]で、メジャーリーグオールスター(監督は[[デトロイト・タイガース]]の[[スパーキー・アンダーソン]])の一員として来日している。
[[1989年]]にもチームは地区優勝するが、リーグチャンピオンシップシリーズで[[オークランド・アスレチックス]]に敗れる。
[[1992年]]にようやく念願かない、ワールドシリーズに進出。
[[アトランタ・ブレーブス]]との[[1992年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]では、第4戦に先発して[[トム・グラビン]]に投げ勝って勝利投手となり、チームのワールドチャンピオンに貢献。
しかし、この登板を最後に[[フリーエージェント]](FA)で[[ニューヨーク・ヤンキース]]と4年1,680万ドルで契約。
 
{{by|1989年}}にもチームは地区優勝するが、リーグチャンピオンシップシリーズで[[オークランド・アスレチックス]]に敗れる。
ヤンキースでも背番号22をつけ、移籍初年度の[[1993年]]には自己最多の18勝をあげる。
{{by|1992年}}にようやく念願かない、ワールドシリーズに進出。
[[ストライキ]]でシーズンが短縮された[[1994年]]にはリーグ最多の17勝をあげる。
[[アトランタ・ブレーブス]]との[[1992年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]では、第4戦に先発して[[トム・グラビン]]に投げ勝って勝利投手となり、さらに第6戦にリリーフで勝利を挙げ、チームのワールドチャンピオンに貢献。
1995年は故障のため1勝に終わるが、[[1996年]]に12勝をあげ、チーム15年ぶりのリーグ優勝、18年ぶりの[[1996年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]制覇に貢献。
しかし、この登板を最後に[[フリーエージェント (プロスポーツ)|フリーエージェント]](FA)で[[ニューヨーク・ヤンキース]]と4年1,680万ドルで契約。
 
ヤンキースでも背番号22をつけ、移籍初年度の{{by|1993年}}には自己最多の18勝をあげる。
[[1994年から1995年のMLBストライキ]]でシーズンが短縮された{{by|1994年}}にはリーグ最多の17勝をあげる。
1995年は故障のため1勝に終わるが、{{by|1996年}}に12勝をあげ、チーム15年ぶりのリーグ優勝、18年ぶりの[[1996年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]制覇に貢献。
ブレーブスとのシリーズでは、まず第2戦に先発し、敗戦投手。
チームは本拠地[[ヤンキー・スタジアム (1923年)|ヤンキー・スタジアム]]で連敗スタートとなったが、その後チームは敵地[[アトランタ]]で3連勝。
ホームに戻った第6戦に再び先発すると、[[グレッグ・マダックス]]に投げ勝って勝利投手となり、自身2度目のワールドチャンピオンとなるが、この時もこの登板を最後にFAで移籍することとなった。
 
ヤンキース移籍を決めてからちょうど4年後の1996年[[12月10日]]に[[ボルチモア・オリオールズ]]と2年773万ドルで契約。
[[野球の背番号|背番号]]今まで着けていた「22」がオリオールズの[[野球界の永久欠番|永久欠番]]([[ジム・パーマー]])だったため、「'''21'''」となった。移籍初年度の[[1997年]]は16勝をあげ、チームのプレイオフ進出に貢献するが、[[{{by|1998年]]}}には6勝に終わり、この年限りで現役を引退した。
 
球速はそれほどでもないが、制球力に優れ、9イニングあたりの与四球は2回([[1989(1989]][[1993年]])リーグ最少であった。通算の9イニング平均与四球は2.32で、同時期に活躍した投手と比較すると、[[ブレット・セイバーヘイゲン]]の1.65や[[グレッグ・マダックス]]の1.81にはかなわないが、[[フランク・バイオーラ]]が2.74、[[ロジャー・クレメンス]]が2.89、[[ジャック・モリス]]が
3.27、[[フェルナンド・バレンズエラ]]が3.53、長年のチームメイト[[デーブ・スティーブ]]が3.21となっている。
[[スライダー]]の切れは良く、右打者にも有効であった。通算勝率は.614で、これはメジャー歴代78位にあたる。([[2006年]]終了時点。通算2,000イニング以上投げた投手に限る。)
 
[[スライダー (球種)|スライダー]]の切れは良く、右打者にも有効であった。通算勝率は.614で、これはメジャー歴代79位にあたる({{by|2008年}}終了時点。通算2,000イニング以上投げた投手に限る。)。
 
現在は[[ニューヨーク]]のノースセーラムに在住。
 
== 詳細情報 ==
 
=== 年度別投手成績 ===
==受賞歴・記録==
{|{{投手成績|リーグ=メジャーリーグベースボール}}
*[[最多勝利]]1回([[1994年]])
*最優秀防御率1回([[1987年]])
*[[MLBオールスターゲーム|オールスター]]出場4回([[1985年]]、[[1991年]]、[[1993年]]~94年)
 
== 年度別成績 ==
{| class="wikitable" style="font-size: 90%; text-align: right;"
|-
!年!!球団!![[勝利投手|勝利]]!![[敗戦投手|敗戦]]!![[防御率]]!![[登板]]!![[先発]]!![[完投]]!![[完封]]!![[セーブ]]!![[投球回]]!![[安打|被安打]]!![[失点]]!![[自責点|自責点]]!![[本塁打|被本塁打]]!![[死球|与死球]]!![[四球|与四球]]!![[三振|奪三振]]
|-
|style="text-align: center;"|[[{{by2|1984年]]}}
|rowspan="9" style="text-align: center;"|[[トロント・ブルージェイズ|TOR]]
|63|4|0|5|0|4.65||630||0||04||05||10||--||.444||285||62.0||70||378||32||8||1||44||3||1||37||32||444.65||1.65
|-
|style="text-align: center;"|[[{{by2|1985年]]}}
|style="text-align: center;"35|TOR|32|14|3|6|0|3.00|0|35|14|32||36||0||0--||.700||856||212.2||188||7722||7150||221||2||5085||856||1||77||71||3.00||1.12
|-
|style="text-align: center;"|[[{{by2|1986年]]}}
|style="text-align: center;"36|TOR|35|14|4|11|2|3.57|0|36|14|35|11|4|0|2|--|0|.560||959||232.0||222||9824||9274||241||3||74141||1413||0||98||92||3.57||1.28
|-
|style="text-align: center;"|[[{{by2|1987年]]}}
|style="text-align: center;"36|TOR||1736||8||'''2.76'''1||362||3617||8||10||0--||.680||1033||261.0||210||9324||8066||246||2||66161||1618||5||93||80||'''2.76'''||'''1.06'''
|-
|style="text-align: center;"|[[{{by2|1988年]]}}
|style="text-align: center;"21|TOR|21|12|2|5|2|3.29|0|21|12|21|5|2|0|2|--|0|.706||551||131.1||127||5513||4830||132||5||3065||651||0||55||48||3.29||1.20
|-
|style="text-align: center;"|[[{{by2|1989年]]}}
|style="text-align: center;"33|TOR|33|13|5|14|1||3.88||3313||3314||50||1--||0.481||886||216.0||226||9918||9327||182||3||27118||1184||1||99||93||3.88||1.17
|-
|style="text-align: center;"|[[{{by2|1990年]]}}
|style="text-align: center;"27|TOR|27|13|0|7|0|4.25|0|27|13|27|7||0||0--||0.650||636||154.2||169||7920||7322||202||1||2288||880||1||79||73||4.25||1.23
|-
|style="text-align: center;"|[[{{by2|1991年]]}}
|style="text-align: center;"33|TOR|33|16|2|12|2|3.05|1|33|16|33|12|2|0|2|--|0|.571||877||209.1||207||8412||7144||123||3||44125||1251||0||84||71||3.05||1.20
|-
|style="text-align: center;"|[[{{by2|1992年]]}}
|style="text-align: center;"33|TOR|33|13|4|13|2|3.53|1|33|13|33|13|4|0|2|--|0|.500||900||216.2||205||8824||8559||240||4||59117||1175||0||88||85||3.53||1.22
|-
|style="text-align: center;"|[[{{by2|1993年]]}}
|rowspan="4" style="text-align: center;"|[[ニューヨーク・ヤンキース|NYY]]||18||6||3.00||34||34||4||2||0||236.2||219||84||79||26||1||43||173
|34||34||4||2||0||18||6||0||--||.750||948||236.2||219||26||43||1||1||173||3||0||84||79||3.00||1.11
|-
|style="text-align: center;"|[[{{by2|1994年]]}}
|style="text-align: center;"|NYY25||'''1725'''||41||3.270||251||'''2517'''||14||0||0--||.810||710||168.0||177||6810||6152||100||3||5297||978||1||68||61||3.27||1.36
|-
|style="text-align: center;"|[[{{by2|1995年]]}}
|style="text-align: center;"5|NYY|5|1|0|2|0|5.64|0|5|1|5|2||0||0--||0.333||134||30.1||40||203||196||31||0||614||141||0||20||19||5.64||1.52
|-
|style="text-align: center;"|[[{{by2|1996年]]}}
|style="text-align: center;"30|NYY|30|12|0|11|0|4.68|0|30|12|30|11||0||0--||0.522||715||169.1||171||9321||8858||211||2||58116||1162||0||93||88||4.68||1.35
|-
|style="text-align: center;"|[[{{by2|1997年]]}}
|rowspan="2" style="text-align: center;"|[[ボルチモア・オリオールズ|BAL]]||16||10||3.43||34||34||1||1||0||212.1||210||90||81||24||5||82||141
|34||34||1||1||0||16||10||0||--||.615||902||212.1||210||24||82||1||5||141||4||1||90||81||3.43||1.38
|-
|style="text-align: center;"|[[{{by2|1998年]]}}
|style="text-align: center;"25|BAL|11|6|0|3|0|4.20|0|25|6|11|3||0||0--||0.667||327||79.1||77||395||3723||50||3||2353||531||1||39||37||4.20||1.26
|-
!colspan="2"|通算:15年
|15年470||186389||11734||3.5113||4708||389186||34117||1310||10--||.614||10719||2591.2||2518||1104254||1010668||25429||38||6681538||153850||12||1104||1010||3.51||1.23
|}
* 各年度の'''太字'''はリーグ最多。
 
===受賞歴・記録===
*[[最多勝利 (MLB)|最多勝利]]1回([[1994年]])
*最優秀防御率1回([[1987年]])
*[[MLBオールスターゲーム|オールスター]]出場4回([[1985年のMLBオールスターゲーム|1985年]]、[[1991年のMLBオールスターゲーム|1991年]]、[[1993年のMLBオールスターゲーム|1993年]]、[[1994年のMLBオールスターゲーム|1994年]])
 
== 外部リンク ==
==エピソード==
{{MLBstats |mlb= |espn= |br=k/keyji01 |fangraphs=1006885 |cube=jimmy-key}}
*1988年秋に日米野球で、メジャーリーグオールスター(監督はタイガースの[[スパーキー・アンダーソン]])の一員として来日している。
*現役時代の代理人はカリン夫人が務めていた。
 
{{Navboxes|title=獲得タイトル・記録
 
|list1=
==関連項目==
</span>
*[[デーブ・スティーブ]]
{{アメリカンリーグ最優秀防御率}}
*[[ジョージ・ベル]]
{{アメリカンリーグ最多勝投手}}
}}
{{1992 トロント・ブルージェイズ}}
{{1996 ニューヨーク・ヤンキース}}
{{ボルチモア・オリオールズ開幕投手}}
{{ニューヨーク・ヤンキース開幕投手}}
{{トロント・ブルージェイズ開幕投手}}
 
{{DEFAULTSORT:きい しみい}}
[[Category:アメリカ合衆国の野球選手]]
[[Category:クレムソン大学出身の野球選手]]
[[Category:トロント・ブルージェイズの選手]]
[[Category:ニューヨーク・ヤンキースの選手]]
[[Category:ボルチモア・オリオールズの選手]]
[[Category:アラバマ州ハンツビル出身の人物]]
[[Category:アメリカンリーグ多勝利 (MLB)優秀防御率]]
[[Category:アメリカンリーグ最多勝投手]]
[[Category:MLBオールスターゲーム選出選手]]
[[Category:1961年生]]
[[Category:存命人物]]
{{Baseball-biography-stub}}
 
 
[[en:Jimmy Key]]