「クラウディオ・カニーヒア」の版間の差分

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{{表記揺れ案内|表記1=クラウディオ・カニージャ}}
{{サッカー選手
|名前=クラウディオ・カニーヒア
|画像=ClaudioPaulCaniggiaCaniggia_atalanta.jpg
|画像サイズ=250px
|本名=クラウディオ・パウル・カニーヒア<br />Claudio Paul Caniggia
|愛称=''Hijo del Viento'' (風の申し子(Hijo del Viento)、),<BRbr />''El Pájaro'' (スズメ(El Pájaro)、<BR>マラドーナの恋人)
|カタカナ表記=クラウディオ・カニーヒア
|アルファベット表記=Claudio CANIGGIA
|原語名=
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|国={{ARG}}
|誕生日={{生年月日と年齢|1967|1|9}}
|出身地=[[{{仮リンク|エンデルソン (ブエノスアイレス州)|label=エンデルソン]]|es|Henderson (Buenos Aires)}}
|身長=172cm
|体重=67kg
|血液型=
|所属チーム名=
|ポジション=[[フォワード (サッカー)|FW]]
|背番号=
|利き足=右足
|年1=1985-1988|クラブ1={{Flagicon|ARG}} [[CAリーベル・プレート|リーベル・プレート]]|出場1=53|得点1=8
|クラブ=
|年2=1988-1989|クラブ2={{Flagicon|ITA}} [[エラス・ヴェローナFC|エラス・ヴェローナ]]|出場2=21|得点2=3
|年=
|年3=1989-1992|クラブ3={{Flagicon|ITA}} [[アタランタBC|アタランタ]]|出場3=85|得点3=26
|出場(得点)=<!--国内リーグ戦の成績に限る-->
|年4=1992-1994|クラブ4={{Flagicon|ITA}} [[ASローマ|ローマ]]|出場4=15|得点4=4
|年5=1994-1995|クラブ5={{Flagicon|POR}} [[SLベンフィカ|ベンフィカ]]|出場5=23|得点5=8
|年6=1995-1999|クラブ6={{Flagicon|ARG}} [[ボカ・ジュニアーズ]]|出場6=74|得点6=32
|年7=1999-2000|クラブ7={{Flagicon|ITA}} アタランタ|出場7=17|得点7=1
|年8=2000-2001|クラブ8={{Flagicon|SCO}} [[ダンディーFC|ダンディー]]|出場8=21|得点8=7
|年9=2001-2003|クラブ9={{Flagicon|SCO}} [[レンジャーズFC|レンジャーズ]]|出場9=50|得点9=12
|年10=2003-2005|クラブ10={{Flagicon|QAT}} [[カタールSC]]|出場10=15|得点10=5
|年11=2012|クラブ11={{Flagicon|ENG}} [[ウェンブリーFC|ウェンブリー]]|出場11=0|得点11=0
|通算出場=360|通算得点=107
|クラブ成績更新日=
|代表年1=1987-2002|代表1={{ARGf}} <ref name="rsssf">{{Cite web|url=http://www.rsssf.com/miscellaneous/arg-recintlp.html|title=Appearances for Argentina National Team|publisher=rsssf.com|accessdate=2017-12-16}}</ref>
|代表国={{ARGf}}
|代表出場1=1987–2002 50|代表得点1=16
|代表出場(得点)=50 (16)
|代表成績更新日=
|監督年1=|監督チーム1=
|監督チーム=
}}
'''クラウディオ・パウル・カニーヒア'''({{Lang-es|'''Claudio Paul Caniggia'''}}, [[1967年]][[1月9日]] - )は、[[アルゼンチン]]出身の元[[サッカー選手]]であり、元[[サッカーアルゼンチン代表|同国代表]]。ポジションは[[フォワード (サッカー)|フォワード]]。アルゼンチン代表として、50試合に出場した<ref name="rsssf"/>。カニーヒアは[[FIFAワールドカップ]]に3度出場し、ライバルチームである[[CAリーベル・プレート]]と[[ボカ・ジュニアーズ]]の双方でプレーした。フィジカルの強さと高い技術力を兼ね備えた[[ストライカー]]であり<ref name=treccani.it>{{cite web|url=http://www.treccani.it/enciclopedia/claudio-paul-caniggia_%28Enciclopedia-dello-Sport%29/|title=Caniggia, Claudio Paul|publisher=Treccani: Enciclopedia dello Sport|language=Italian|author1=Matteo Dotto|accessdate=3 June 2015}}</ref>、スピードの速さで知られていた<ref>{{cite web|url=http://ricerca.repubblica.it/repubblica/archivio/repubblica/1994/05/11/il-caniggia-riscoperto.html|title=IL CANIGGIA RISCOPERTO|publisher=La Repubblica|language=Italian|date=11 May 1994|accessdate=3 June 2015}}</ref><ref name="Che fine ha fatto? Claudio Caniggia">{{cite web|url=http://www.calciomercato.com/news/che-fine-ha-fatto-caniggia-il-figlio-del-vento-incubo-degli-ital-815048|title=Che fine ha fatto? Claudio Caniggia|publisher=Calcio Mercato|language=Italian|author1=Massimiliano Cappello|date=31 January 2015|accessdate=3 June 2015}}</ref><ref>{{cite web|url=http://articles.orlandosentinel.com/1994-06-15/features/9406150766_1_baggio-great-soccer-players-goals-in-world|title=Baggio Takes Great Strides Toward Soccer Greatness|publisher=The Orlando Sentinel|author1=Mike Zizzo|date=15 June 1994|accessdate=24 September 2015}}</ref>。サッカー選手としての活動を開始する以前には、地方の競技大会の100メートル走などにも参加していた<ref name="fifa">{{Cite web|url=http://www.fifa.com/classicfootball/players/do-you-remember/newsid=1182036/index.html|title=Argentina's 'Son of the Wind': Claudio Caniggia|publisher=FIFA.com|accessdate=2017-12-16}}</ref>。彼は高い得点力に加えて<ref name=treccani.it/>、アシストなどチャンスを創出する能力にも優れており、そのためしばしば[[司令塔 (スポーツ)|司令塔]]や[[フォワード (サッカー)#センターフォワード|センターフォワード]]などのポジションでもプレーした<ref name="Che fine ha fatto? Claudio Caniggia"/>。
'''クラウディオ・パウル・カニーヒア'''('''Claudio Paul Caniggia'''、[[1967年]][[1月9日]]- )は、[[アルゼンチン]]出身の元[[サッカー]]選手であり、元[[サッカーアルゼンチン代表|同国代表]]。ポジションは[[フォワード (サッカー)|フォワード]]。
 
スペイン語読みは「'''カニーヒア'''」だが、[[イタリア系アルゼンチン人]]である本人は、イタリア語読みの「'''カニージャ'''」を好み、メディアにもそう呼んでほしいと主張していた。
 
== 経歴 ==
=== クラブ ===
[[1985年]]に、[[リーベルプレート]]から国内リーグにデビュー。その後欧州に渡るが、癇癪持ちの性格からか行く先々でトラブルメーカーとなり、クラブレベルではあまり名声を得ることが出来なかった。
[[1985年]]に[[CAリーベル・プレート|リーベル・プレート]]のトップチームに昇格<ref name="fifa"/>。当時から瞬間的なスピードとドリブルの技術で知られており、1986年には[[プリメーラ・ディビシオン (アルゼンチン)|国内リーグ]]、[[コパ・リベルタドーレス]]、[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|インターコンチネンタルカップ]]、[[コパ・インテルアメリカーナ|コパ・インテラメリカーナ]]優勝を経験した<ref name="fifa"/>。
 
1988年にイタリアの[[エラス・ヴェローナFC]]へ移籍し、1989年からは[[アタランタBC]]でプレー<ref name="fifa"/>。
代表では1987年にイタリア戦でデビューし、同年母国で行われた南米選手権で活躍。その後、[[1990年]]の[[1990 FIFAワールドカップ|ワールドカップ・イタリア大会]]での準優勝、[[1991年]]の[[コパ・アメリカ1991|南米選手権・チリ大会]]優勝時等のメンバーとなっている。[[ディエゴ・マラドーナ]]と数多くの大会で2トップを組み、「'''マラドーナの恋人'''」と呼ばれるほど高い連携を見せた。W杯イタリア大会決勝トーナメント1回戦のブラジル戦では、マラドーナのスルーパスから、W杯で初めてブラジルを破るゴールを挙げている。
 
[[1992年]]に[[ASローマ]]に移籍し、コパ・イタリア準決勝では[[ACミラン]]を破るゴールを決め<ref>[http://www.calcio.com/cronaca_partita/coppa-italia-1992-1993-halbfinale-as-roma-ac-milan/ 10. marzo 1993 Roma-Milan]-Calcio.com</ref>、決勝進出に貢献した。
ワールドカップには、[[1994年]]の[[1994 FIFAワールドカップ|アメリカ大会]]へも出場したが、[[1998年]]の[[1998 FIFAワールドカップ|フランス大会]]は代表落ちした。当時の代表監督は、長髪禁止令で物議を醸した[[ダニエル・パサレラ]]であり<ref>仲の良い[[フェルナンド・レドンド]]も、それを起因としてパサレラと衝突していた。</ref>、その落選も「短髪を拒否した為」とされることが多いが、実際は[[1996年]]4月のボリビア戦を最後に、元々代表からは遠ざかっていた。また、後述の「値札張替え事件」も大会直前に起こしている。
 
1993年3月21日に行われた[[SSCナポリ]]戦後の尿検査の結果、コカインが検出され<ref>{{Cite web|url=http://www.nytimes.com/1993/04/07/sports/sports-people-soccer-italian-star-faces-ban-after-failing-test.html|title=SPORTS PEOPLE: SOCCER; Italian Star Faces Ban After Failing Test|publisher=The New York Times|date=1993-04-07|accessdate=2017-12-16}}</ref>、リーグの懲罰委員会により13か月の出場停止処分が科せられた<ref name=darkness>{{cite news|title=Darkness descends on the Stadium of Light|publisher=The Scotsman|date=22 June 1997|accessdate=4 April 2009}}</ref><ref name="berliner">{{Cite web|url=https://www.berliner-zeitung.de/mit-35-kehrt-claudio-caniggia-in-die-argentinische-nationalmannschaft-zurueck-der-letzte-rockstar-16388550|title=Mit 35 kehrt Claudio Caniggia in die argentinische Nationalmannschaft zurück Der letzte Rockstar|publisher=Berliner Zeitun|date=2002-04-17|accessdate=2017-12-16}}</ref>。
その後不遇を託つ時期が続いたが、2001-2002年シーズンに[[グラスゴー・レンジャーズFC|レンジャーズ]]へ移籍すると、エースとしてチームを優勝に導く活躍を見せた。このことが認められ、[[2002年]]2月には久々に代表復帰。更には[[2002 FIFAワールドカップ|ワールドカップ・日韓大会]]のメンバーにも選出され、周囲を驚かせた。しかし出場機会がないまま、[[スウェーデン]]戦ではベンチから暴言を吐き退場。試合に全く出場しないまま、退席処分を受けるという珍記録を作ってしまった。
 
処分明け後の1994年8月、ASローマと大手食品会社の[[パルマラット]]との合意によりポルトガルの[[SLベンフィカ]]へ移籍<ref>{{Cite web|url=https://elpais.com/diario/1994/08/07/deportes/776210409_850215.html|title=Caniggia jugará en el Benfica de Lisboa|publisher=EL PAÍS|date=1994-08-07|accessdate=2017-12-16}}</ref>。[[UEFAチャンピオンズリーグ 1994-95]]ではチームのベスト8進出に貢献した。
2003年にカタールに移籍。[[2005年]]を最後に現役を引退した。
 
1995年1月、リーベル・プレートと伝統的にライバル関係にある[[ボカ・ジュニアーズ]]へ移籍した<ref>{{Cite web|url=https://elpais.com/diario/1994/08/07/deportes/776210409_850215.html|title=Caniggia jugará en el Benfica de Lisboa|publisher=EL PAÍS|date=1994-08-07|accessdate=2017-12-16}}</ref>。代表のチームメイトであるマラドーナと共にプレーし、自身のキャリアの中でも充実した時間を過ごし<ref name="fifa"/>、1998年5月31日に行われた{{仮リンク|ヒムナシア・イ・ティロ|en|Gimnasia y Tiro}}戦を最後に退団した<ref name="lanacion19990813">{{Cite web|url=http://www.lanacion.com.ar/149353-caniggia-jugara-en-atalanta|title=Caniggia jugará en Atalanta|publisher=LA NACION|date=1999-08-13|accessdate=2017-12-16}}</ref>
しかし2012年イングランド9部リーグ・ウェンブリーFCに選手として加入。
 
1999年8月、[[セリエB (サッカー)|セリエB]]に所属していた古巣のアタランタBCと契約したが<ref name="lanacion19990813"/>、監督の{{仮リンク|ジョヴァンニ・ヴァヴァッソリ|en|Giovanni Vavassori}}との意見の相違を理由に、1シーズン限りで退団<ref>{{Cite web|url=http://www.lanacion.com.ar/16644-tirando-paredes|title=Tirando paredes|publisher=LA NACION|date=2000-05-14|accessdate=2017-12-16}}</ref>。
== エピソード ==
* [[ボカ・ジュニアーズ]]に所属していた頃、得点後のパフォーマンスで、同僚だったマラドーナとディープキスをしたことがある<ref>[http://www.fotobaires.com.ar/images/fotos/beso.jpg 写真]</ref>。「マラドーナの恋人」と呼ばれていることに伴ったジョークだったが、当時のマラドーナ夫人は激怒し、カニージャが謝罪する事態にまで発展した。
* 恐妻家とされていた。
* ピッチ外でもマラドーナの弟分としても知られていたが、素行の悪さまで似たのか度々問題行動を起こしている。
* ワールドカップ・イタリア大会では、準決勝・イタリア戦で不用意なハンドを犯し、累積警告で決勝に出場できなくなった。
* 1993年、[[コカイン]]の使用で13ヶ月間の出場停止処分を受けた。
* マラドーナが薬物使用で追放処分を受けた1994年の[[1994 サッカー・ワールドカップ|ワールドカップ・アメリカ大会]]では、前述したコカインの摂取歴やマラドーナと仲が良い点から、カニージャにも疑惑の声が挙がった。怪我により3試合の出場に留まったが、「ドーピング検査に引っ掛かるのを恐れて出場しなかったのでは」とも噂された。
* 1998年には、所属クラブのアメリカ遠征の際、靴屋で値札の張り替え事件を起こし逮捕された。
*[[1999年]]、 [[ワールドサッカー (雑誌)|ワールドサッカー]]の[[ワールドサッカー (雑誌)#20世紀の偉大なサッカー選手100人|20世紀の偉大なサッカー選手100人]]で52位に選出された。
 
2000年10月、スコットランドの[[ダンディーFC]]と契約<ref>{{Cite web|url=http://www.lanacion.com.ar/149353-caniggia-jugara-en-atalanta|title=El Dundee ficha a Caniggia|publisher=LA NACION|date=2000-10-05|accessdate=2017-12-16}}</ref>。ダンディーでは好調なプレーを維持したことから、2001年1月に契約期間を2年半に延長した<ref>{{Cite web|url=http://www.telegraph.co.uk/sport/football/competitions/scottish-premier/2995800/Caniggia-signs-1.5m-deal-to-stay-at-Dundee.html|title=Caniggia signs £1.5m deal to stay at Dundee|publisher=telegraph|date=2001-01-04|accessdate=2017-12-16}}</ref>。
== 所属クラブ ==
* 1985-1988 {{flagicon|ARG}} [[リーベルプレート]]
* 1988-1989 {{flagicon|ITA}} [[エラス・ヴェローナ]]
* 1989-1992 {{flagicon|ITA}} [[アタランタBC]]
* 1992-1994 {{flagicon|ITA}} [[ASローマ]]
* 1994-1995 {{flagicon|POR}} [[ベンフィカ]]
* 1995-1999 {{flagicon|ARG}} [[ボカ・ジュニアーズ]]
* 1999-2000 {{flagicon|ITA}} アタランタBC
* 2000-2001 {{flagicon|SCO}} [[ダンディーFC]]
* 2001-2003 {{flagicon|SCO}} [[グラスゴー・レンジャーズFC]]
* 2003-2005 {{flagicon|QAT}} [[カタールSC]]
 
2001年5月、スコットランドの[[レンジャーズFC]]と契約<ref>{{Cite web|url=http://www.telegraph.co.uk/sport/football/competitions/scottish-premier/3005460/Caniggia-agrees-Rangers-move.html|title=Caniggia agrees Rangers move|publisher=Telegraph|date=2001-05-15|accessdate=2017-12-16}}</ref>。レンジャーズでは[[スコティッシュ・プレミアリーグ]]、2度の[[スコティッシュリーグカップ]]、
== 主な代表歴 ==
2度の[[スコティッシュカップ]]優勝に貢献した<ref name="bbc20050219">{{Cite web|url=http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/4280259.stm|title=Argentine great Caniggia retires|publisher=BBC SPORT|date=2005-02-19|accessdate=2017-12-16}}</ref>。2001-02シーズンのスコティッシュリーグカップ決勝、{{仮リンク|エア・ユナイテッドFC|en|Ayr United F.C.}}戦では2得点を挙げる活躍を見せた<ref name="lanacion20020318">{{Cite web|url=http://www.lanacion.com.ar/381713-caniggia-la-gran-figura-del-rangers|title=Caniggia, la gran figura del Rangers|publisher=LA NACION|date=2002-03-18|accessdate=2017-12-16}}</ref>。
* [[FIFAワールドカップ]] 9試合出場、4得点(最高成績:準優勝)
** [[1990年]] [[1990 FIFAワールドカップ|イタリア大会]] 6試合出場2得点 (成績:準優勝)
** [[1994年]] [[1994 FIFAワールドカップ|アメリカ大会]] 3試合出場2得点 (成績:ベスト16)
** [[2002年]] [[2002 FIFAワールドカップ|日韓大会]] 出場なし0得点 (成績:グループリーグ敗退)
* [[コパ・アメリカ|南米選手権]]
** 1987年[[コパ・アメリカ1987|アルゼンチン大会]](成績:4位)
** 1991年[[コパ・アメリカ1991|チリ大会]](成績:優勝)
* [[FIFAコンフェデレーションズカップ|キング・ファハド・カップ]]
** 1992年[[キング・ファハド・カップ1992|サウジアラビア大会]](成績:優勝)
 
2003年にカタールの[[カタールSC]]でプレーをした後、[[2005年]]に現役を引退した<ref name="bbc20050219"/>。[[2012年]]6月、イングランド9部リーグの{{仮リンク|ウェンブリーFC|en|Wembley F.C.}}で現役復帰を果たし、[[レイ・パーラー]]、[[マーティン・キーオン]]、[[グレアム・ル・ソー]]、[[ブライアン・マクブライド]]らとともにプレー<ref>{{Cite web|url=http://www.bbc.com/sport/football/18534739|title=Terry Venables' Wembley FC recruit former stars for FA Cup|publisher=BBC SPORT|date=2012-06-21|accessdate=2017-12-16}}</ref>。同年、再び現役を引退した。
国際Aマッチ51試合出場、16得点。
 
=== 注釈代表 ===
<references />
 
[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン代表]]としては1987年6月7日に行われた[[サッカーイタリア代表|イタリア代表]]との国際親善試合でデビュー<ref name="lanacion20020207">{{Cite web|url=http://www.lanacion.com.ar/372283-caniggia-vuela-a-los-35|title=Caniggia vuela a los 35|publisher=LA NACION|date=2002-02-07|accessdate=2017-12-16}}</ref>。同年6月から7月にかけて母国アルゼンチンで行われた[[コパ・アメリカ1987]]のグループリーグ第2戦、[[サッカーエクアドル代表|エクアドル代表]]戦で初得点を決めた<ref name="lanacion20020207"/>。
== 関連項目 ==
* [[岡野雅行 (サッカー選手)|岡野雅行]] - [[ガイナーレ鳥取|鳥取]]FW。トレードマークの長髪はカニーヒアに影響された。
 
1990年にイタリアで開催された[[1990 FIFAワールドカップ]]では、[[ディエゴ・マラドーナ]]と2トップを組み、決勝トーナメント1回戦の[[サッカーブラジル代表|ブラジル代表]]戦では、マラドーナのスルーパスからブラジルを破るゴールを挙げた<ref name="lanacion20020207"/>。自身は後のインタビューで「私のキャリアにおいて最も重要な得点だ。なぜなら長年に渡るライバルチームとの対戦で、終始劣勢に立たされた状況の中であげた得点だからだ」と語っている<ref name="fifa"/>。準決勝のイタリア代表戦でもヘディングシュートを決め決勝進出に貢献したが<ref name="lanacion20020207"/>、この試合で不用意なハンドを犯し、累積警告により決勝戦の出場は叶わなかった<ref name="fifa"/>。このハンドについては「私のキャリアにおいて最も挫折を味わった瞬間のひとつ」と語っている<ref name="fifa"/>。
{{Navboxes|title = <font color=#FFFFFF>アルゼンチン代表 - 出場大会</font>
 
|titlestyle =background:#75aadb; color:#FFFFFF;
翌1991年に[[チリ]]で開催された[[コパ・アメリカ1991]]では、新たに代表入りをした[[ガブリエル・バティストゥータ]]とのコンビで優勝に貢献<ref name="fifa"/>。自身はグループリーグの初戦の[[サッカーベネズエラ代表|ベネズエラ代表]]戦、第3戦の[[サッカーパラグアイ代表|パラグアイ代表]]戦でそれぞれ1得点、合計2得点をあげた<ref>{{Cite web|url=http://www.rsssf.com/tables/91safull.html|title=Copa América 1991|publisher=rsssf.com|accessdate=2017-12-16}}</ref>
|list1=
 
<span/>
所属クラブでのコカイン服用の処分のため[[コパ・アメリカ1993]]の優勝メンバーには名を連ねることはできなかったが、処分明け後に代表に復帰すると、[[1994 FIFAワールドカップ]]グループリーグ第2戦の[[サッカーナイジェリア代表|ナイジェリア代表]]戦で2得点をあげる活躍を見せた<ref name="fifa"/>。続くグループリーグ第3戦の[[サッカーブルガリア代表|ブルガリア代表]]戦は怪我のため途中退場、決勝トーナメント1回戦の[[サッカールーマニア代表|ルーマニア代表]]戦では出場機会はなく、チームも敗退した<ref name="fifa"/>。
 
アメリカ大会後、新たに監督に就任した[[ダニエル・パサレラ]]から選手達に課せられていた「長髪禁止令」について、これを受け入れる意向を示し<ref>{{Cite web|url=https://elpais.com/diario/1995/01/03/deportes/789087603_850215.html|title=Caniggia se niega a obedecer a Pasarella|publisher=EL PAÍS|date=1995-01-03|accessdate=2017-12-16}}</ref>、1996年には3試合に出場した<ref name="lanacion20020207"/>。その一方で、同年7月7日に行われた[[1998 FIFAワールドカップ・南米予選]]の[[サッカーペルー代表|ペルー代表]]戦を最後に出場機会を失い<ref name="lanacion20020207"/>、[[1998 FIFAワールドカップ|本大会]]の代表入りを逃した<ref name="berliner"/>。
 
その後、6年間にわたり代表から遠ざかっていたが、2002年2月に監督の[[マルセロ・ビエルサ]]の下で代表復帰を果たし、[[サッカーウェールズ代表|ウェールズ代表]]と[[サッカーカメルーン代表|カメルーン代表]]との国際親善試合でプレーした<ref name="berliner"/>。[[2002 FIFAワールドカップ]]のメンバーにも選出されたが怪我のため出場機会はなく<ref name="bbc20020612">{{Cite web|url=http://news.bbc.co.uk/sport3/worldcup2002/hi/matches_wallchart/sweden_v_argentina/newsid_2040000/2040105.stm|title=Caniggia's World Cup ends in disgrace|publisher=BBC SPORT|date=2002-06-12|accessdate=2017-12-16}}</ref>、グループリーグ第3戦の[[サッカースウェーデン代表|スウェーデン代表]]戦では試合中の判定を巡りベンチから抗議を行った際、主審の[[アリ・ブジサイム]]から退場処分を受けた<ref name="bbc20020612"/>。
 
== 代表歴 ==
* 1987年 - 2002年 アルゼンチン代表
** 代表通算 - 50試合16得点
** 1987年 - [[コパ・アメリカ1987|コパ・アメリカ]](4位)
** 1989年 - [[コパ・アメリカ1989|コパ・アメリカ]](3位)
** 1990年 - [[1990 FIFAワールドカップ|ワールドカップ・イタリア大会]] 6試合2得点(準優勝)
** 1991年 - [[コパ・アメリカ1991|コパ・アメリカ]]('''優勝''')
** 1992年 - [[キング・ファハド・カップ1992|キング・ファハド・カップ]]('''優勝''')
** 1994年 - [[1994 FIFAワールドカップ|ワールドカップ・アメリカ大会]] 3試合2得点(ベスト16)
** 2002年 - [[2002 FIFAワールドカップ|ワールドカップ・日韓大会]] 出場なし(グループリーグ敗退)
 
=== 試合数 ===
:出典<ref>{{Cite web|url=https://www.national-football-teams.com/player/13481/Claudio_Caniggia.html|title=Caniggia, Claudio|publisher=National-Football-Teams.com|accessdate=2017-12-16}}</ref>
{{サッカー代表個人成績|アルゼンチン|1}}
|-
|1987||6||2
|-
|1988||3||1
|-
|1989||7||2
|-
|1990||10||2
|-
|1991||6||3
|-
|1992||5||1
|-
|1993||2||1
|-
|1994||6||3
|-
|1995||0||0
|-
|1996||3||0
|-
|1997||0||0
|-
|1998||0||0
|-
|1999||0||0
|-
|2000||0||0
|-
|2001||0||0
|-
|2002||2||0
|-
!通算||50||16
|}
 
== 脚注 ==
{{Reflist|2}}
 
== 外部リンク ==
* {{NFT player|pid=13481}}
* [http://www.argentinesoccer.com/crcanien.html プロフィール] at Argentine Soccer
* [http://www.bdfa.com.ar/jugadores-CLAUDIO-PAUL-CANIGGIA-1782.html BDFA.comによるプロフィール]
* [https://web.archive.org/web/20071020025352/futbolfactory.futbolweb.net/index.php?ff=historicos&f2=00001&idjugador=480 Futbol Factory profile] (Archived){{es icon}}
 
{{Navboxes
|title=アルゼンチン代表 - 出場大会
|titlestyle=background:#6AB5FF; color:white; border:1px solid silver
|list1=
{{コパ・アメリカ1987アルゼンチン代表}}
{{コパ・アメリカ1989アルゼンチン代表}}
100 ⟶ 147行目:
{{2002 FIFAワールドカップアルゼンチン代表}}
}}
{{DEFAULTSORT:かにいひあ くらうていお}}
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{{DEFAULTSORT:かにいひあ くらうていお}}
[[Category:アルゼンチンのサッカー選手]]
[[Category:サッカーアルゼンチン代表選手]]
[[Category:CAリーベル・プレートの選手]]
[[Category:エラス・ヴェローナFCの選手]]
[[Category:アタランタBCの選手]]
[[Category:ASローマの選手]]
[[Category:SLベンフィカの選手]]
[[Category:ボカ・ジュニアーズの選手]]
[[Category:ダンディーFCの選手]]
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[[Category:コパ・アメリカ1987出場選手]]
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