「ローラ・ブッシュ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
 
(27人の利用者による、間の47版が非表示)
1行目:
{{Infobox First Lady
[[ファイル:Mrsbush-20060206.jpg|frame|ローラ・ブッシュ]]
|name = ローラ・ブッシュ
'''ローラ・レーン・ウェルチ・ブッシュ'''('''Laura Lane Welch Bush''', [[1946年]][[11月4日]] - )は、第43代[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]の妻である。
|image = Laura Bush.jpg
|imagesize = 200px
*|office = {{Flagicon|USA}} [[アメリカ合衆国のファーストレディの一覧]]
|term_start = [[2001年]][[1月20日]]
|term_end = [[2009年]][[1月20日]]
|president = [[ジョージ・W・ブッシュ]]
|predecessor = [[ヒラリー・クリントン]]
|successor = [[ミシェル・オバマ]]
|birth_date = {{birth date and age|mf=yes|1946|11|4}}
|birth_place = {{flagicon|USA}} [[アメリカ合衆国]]<br />[[テキサス州]][[ミッドランド (テキサス州)|ミッドランド]]
|birthname = ローラ・レーン・ウェルチ(旧姓)
|death_date =
|death_place =
|nationality = {{flagicon|USA}} [[アメリカ合衆国]]
|party = [[共和党 (アメリカ)|共和党]]
|spouse = ジョージ・W・ブッシュ([[1977年]]より)
|relations =
|children = [[バーバラ・ピアース・ブッシュ|バーバラ(1981年生)]]、[[ジェンナ・ブッシュ|ジェンナ(1981年生)]]
|residence =
|alma_mater = [[南メソジスト大学]]<br />[[テキサス大学オースティン校]]
|profession =
|net worth =
|religion = 合同メソジスト教会
|website =
|footnotes =
|signature = Laura Bush signature.svg
}}
 
'''ローラ・レーン・ウェルチ・ブッシュ'''('''Laura(Laura Lane Welch Bush''', [[1946年]][[11月4日]] - )は、第43代[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]の妻である。身長5[[フィート]]6インチ(約168cm)<ref>[https://www.businessinsider.com/us-president-first-lady-height-differences-2018-7 The height differences between all the US presidents and first ladies] [[ビジネス・インサイダー]]</ref>
 
== 生い立ち ==
ローラ・レーン・ウェルチ ('''Laura Lane Welch''') は、[[テキサス州]][[ミッドランド (テキサス州)|ミッドランド]]で住宅ローンと注文住宅の販売業に就いていた{{Sfn|L・ブッシュ|2015|p=31}}'''ハロルド・ブルース・ウェルチ'''(Harold Bruce Welch,[[1912年]] - [[1995年]])とデパートの広報部員だった{{Sfn|L・ブッシュ|2015|p=11}}[[ジェンナ・ルイーズ・ホーキン]]([[1919年]] - )の一人娘として生まれる。彼女の家庭は、当時のテキサスの大部分の家庭がそうであったように、保守的な[[民主党 (アメリカ)|民主党]]員であった{{Sfn|L・ブッシュ|2015|p=150}}。彼女は、未来の夫であるジョージ・W・ブッシュと同じ中学に通い(当時はジョージのことは知らなかった)、トミー・フランクス陸軍大将([[w:en:Tommy Franks|Tommy Franks]])や[[トミー・リー・ジョーンズ]]と同時期に同じ[[ロバート・E・リー]]高校に通った{{Sfn|L・ブッシュ|2015|p=62}}。
 
== 自動車事故 ==
ローラは17歳になった2日後の[[1963年]][[11月6日]]に、級友のジュディ・ダイクと自らのシボレー・セダンを運転していた。午後8時を過ぎた頃、国道349号線とテキサス州農道868号線(現在は4車線の国道)の交差点に通りかかった。彼女は一時停止標識を無視し級友のシボレー・コーヴェアー・セダンに追突する。ローラとダイクは軽傷で済んだが、追突された元ボーイフレンドのマイケル・ダットン・ダグラス([[w:en:Michael Dutton Douglas|Michael Dutton Douglas]])は衝撃で車外に放り出され、ミッドランド・メモリアル病院に搬送されたが、頸椎の骨折により死亡した。未成年であったローラは[[刑事]]を受けなかった。[[2000年]]5月に2ページからなる警察の事故報告書が公開されたが、ファーストレディであった期間は事故について語ることはなかった。
 
== 教員生活 ==
11 ⟶ 41行目:
彼女は[[ダラス]]の[[南メソジスト大学]]に入学する。大学では女子社交クラブ「[[ソロリティ|カッパ・アルファ・シータ]]」{{Sfn|L・ブッシュ|2015|p=84}}のメンバーであった。[[1968年]]に理学士の学位を得て大学を卒業した。大恐慌のために両親や医師の伯父は大学を中退していたので、一族で初めての大学の学位取得者となった{{Sfn|L・ブッシュ|2015|p=82、85}}。[[1969年]]までダラス[[アメリカ合衆国の学区|独立学区]]のロングフェロー小学校で学校教師を務める。続いて[[ヒューストン]]のヒューストン独立学区にあるジョン・F・ケネディ小学校で[[1972年]]まで教鞭を執った。この学校はスラム街にある困難の多い学校だったが、献身的な教員で構成されており、この学校での経験は後のローラの活動に強い影響を与えた{{Sfn|L・ブッシュ|2015|p=96-98}}。
 
その後彼女は、[[テキサス大学オースティン校]]から[[1973年]]に図書館学修士号を得る。彼女はヒューストン公立図書館で[[1974年]]まで勤務した後、[[オースティン (テキサス州)|オースティン]]に戻り、オースティン独立学区にあるドーソン小学校の図書館員として[[1977年]]まで勤務した。
 
== 結婚家族 ==
[[ファイル:Laura Bush Asia Trip 2002 01.jpg|thumb|200px|[[2002年]][[1月]]、[[皇居]][[宮殿]]竹の間にて、夫である[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]とともに[[上皇明仁|今上明仁天皇]]、[[皇后美智子|美智子皇后]]と会談]]
ローラ・ウェルチは[[1977年]]、友人宅の[[バーベキュー]]・パーティでジョージ・W・ブッシュに出会う。三ヶ3か月の交際の後、11月5日にミッドランドの第一統一メソジスト教会でブッシュと結婚する。同教会は彼女が洗礼を施された教会であった<ref>[http://marriage.about.com/od/celebritymarriages/p/georgewbush.htm]</ref>。
 
[[1981年]]に彼女は双子の娘、[[ジェンナ・ブッシュ|ジェンナ]]と[[バーバラ・ピアース・ブッシュ|バーバラ]]を出産する。彼女らの名はそれぞれの母親から受け継いだものである。彼女らは[[2000年]]に高校を、[[2004年]]に別々の大学を卒業した。
 
[[1981年]]に彼女ローラは双子の娘、[[ジェンナ・ブッシュ|ジェンナ]]と[[バーバラ・ピアース・ブッシュ|バーバラ]]を出産する。彼女らの名はそれぞれの母親から受け継いだものである。彼女らは[[2000年]]に高校を、[[2004年]]に別々の大学を卒業した。ジェンナは[[トゥデイ (テレビ番組)|NBC『トゥデー』]]のアンカーの一人で、バーバラは博物館の学芸員、教員、慈善活動家の顔を持つ
 
== テキサス州知事夫人として ==
[[1995年]]、ジョージが[[テキサス州知事]]に就任すると、ローラはテキサスのファーストレディとして教育問題に尽力した。特に関心を持って取り組んだのは[[バーバラ・ブッシュ|家族リテラシー・バーバラ・ブッシュ財団]]と協働しての<ref>[https://web.archive.org/web/20081011163228/http://www.lib.utexas.edu/taro/tslac/80001/tsl-80001.html Texas Governor George W. Bush:An Inventory of First Lady Laura Bush's Files (Part I) at the Texas State Archives, about 1994-1999, bulk 1995-1999]</ref>未就学児への教育プログラムの実施や、教育困難な地域や家庭をサポートするケースワーカーへの支援、そして「テキサス・ブック・フェスティバル」の開催である{{Sfn|L・ブッシュ|2015|p=160-162}}。[[エルパソ (テキサス州)|エルパソ]]在住の退役軍人兼作家の[[:en:Robert Skimin|ロバート・スキミン]]の提案で始められたこのブック・フェスティバルは成功を収め、テキサス州の恒例行事となった{{Sfn|L・ブッシュ|2015|p=162-164}}。
 
== ファーストレディ ==
=== 女性の権利向上を支援 ===
[[2000年]]当時で[[2000年アメリカ合衆国大統領選挙|アメリカ史上最も接戦となった選挙戦]]をジョージが勝利し、ローラはファーストレディーとなると、前任の[[ヒラリー・クリントン]]、あるいは選挙戦での競争相手の妻で、アル・ゴアが副大統領になる前は夫より有名人だった[[ティッパー・ゴア]]とは対照的で、良く言えば古風な、悪く言えば冴えない1950年代風の主婦<ref>[httphttps://edition.cnn.com/CNN/Programs/people/bush/profile.html Read her lips Literacy efforts on first lady's agenda]</ref>{{Sfn|L・ブッシュ|2015|p=202}}と評された。しかし多くの活動でその風評を覆した。[[2001年]][[11月17日]]、[[ナショナル・パブリック・ラジオ]]での恒例の大統領のスピーチを大統領本人に代わって行った初めてのファーストレディとなった{{Sfn|L・ブッシュ|2015|p=266}}。ローラは[[アフガニスタン]]の女性の権利向上、子供の保護を訴えるスピーチを行った<ref>[https://georgewbush-whitehouse.archives.gov/news/releases/2001/11/20011117.html Radio Address by Mrs. Bush] For Immediate Release Office of the First Lady November 17, 2001</ref>。[[2005年]]には単独でアフガニスタンを訪問した{{Sfn|L・ブッシュ|2015|p=354-362}}。
この後もアフガニスタンなど[[イスラム]]社会、[[アフリカ]]など第三世界での女性の権利向上、参政権運動の支援を行った{{Sfn|L・ブッシュ|2015|p=451-452}}{{Sfn|L・ブッシュ|2015|p=202}}。アフリカの女性への援助は識字率向上のみならず、HIV患者や性的暴力の被害者などにも向けられた。
 
33 ⟶ 62行目:
 
=== 教育と読書 ===
テキサス州知事夫人時代同様に教育と読書を推進することはローラのライフワークであった。[[2001年]]に「ローラ・ブッシュ米国図書館財団」を設立し、学校の図書館を支援した{{Sfn|L・ブッシュ|2015|p=389}}。
 
男子生徒の高い高校中退率と低い大学進学率に着目し、これと併せて、テキサスで始めた教育困難家庭や虐待された子供への支援は、ギャングに関係するなど問題を抱える若者への更生支援{{Sfn|L・ブッシュ|2015|p=394-398}}{{Sfn|L・ブッシュ|2015|p=400-404}}などへも発展した。
 
[[2001年]]にはナショナル・ブックフェスティバルを創設した。[[2002年]]の第二回大会には[[ロシア]]の[[ウラジーミル・プーチン]]大統領夫人(当時)[[リュドミラ・プーチナ]]を招いている{{Sfn|L・ブッシュ|2015|p=306}}。
43 ⟶ 72行目:
 
== 後年 ==
[[2010年]]5月に自伝『''Spoken from the Heart''』(邦題:『ローラ・ブッシュ自伝-脚光の舞台裏』)を発表した。幸せな子供時代と1950年代~1960年代のミッドランドの暮らし、[[西部戦線 (第二次世界大戦)|第二次世界大戦の西部戦線]]を戦い、解放した[[強制収容所]]で目撃した凄惨な情景を常に心に留めていた父、ローラ以外の子供を全て早産や死産で失った母の苦しを描いた。また家庭人としての夫ジョージの姿、[[アメリカ同時多発テロ事件]]後の日々、[[イラク戦争]]、[[ヒラリー・クリントン]]や「私たちテキサスの大統領」と敬愛していた[[リンドン・ジョンソン]]の夫人[[レディ・バード・ジョンソン]]や子供たち、[[コンドリーザ・ライス]]ら政権スタッフ、そして外国首脳([[トニー・ブレア]]夫妻や[[小泉純一郎]]、[[ウラジーミル・プーチン]]夫妻、[[チェコ]]大統領[[ヴァーツラフ・ハヴェル]]夫妻など)から[[ホワイトハウス]]のスタッフたちとの交流と友情を描いた。同時に、[[アル・ゴア]]や[[ジョン・フォーブズ・ケリー|ジョン・ケリー]]との熾烈な選挙戦と[[イラク戦争]]が生んだ国の分断が引き起こした夫への誹謗中傷、自身の活動への拒絶や妨害、娘たちにまで向けられた攻撃への怒り、そして初めて高校時代に起こした交通事故のことを詳細に書いたこの本はベストセラーとなった{{Sfn|L・ブッシュ|2015|p=491}}。他方でイラク戦争に非協力的だった[[フランス]][[ドイツ]]両政府への批判と、[[2007年]]にドイツ政府が主催した[[第33回主要国首脳会議|ハイリゲンダム・サミット]]でのアメリカ合衆国代表団の「不可思議な食中毒」への指摘はアメリカ国外欧州スキャンダラスな話題となっ物議を醸した<ref>[http://www.spiegel.de/international/germany/hey-man-good-food-g-8-chefs-baffled-by-laura-bush-s-poisoning-claims-a-692452.html 'Hey Man, Good Food' G-8 Chefs Baffled By Laura Bush's 'Poisoning' Claims] [[デア・シュピーゲル]]、2010年5月1日</ref><ref>[https://www.theguardian.com/world/2010/apr/28/laura-bush-memoir-poison-plot Laura Bush memoir claims president was poisoned at G8 summit] [[ガーディアン]]、2010年4月28日</ref>。
 
== その他エピソード ==
50 ⟶ 79行目:
[[1986年]]、ジョージは40歳の誕生日を機に禁酒。この禁酒にはローラの粘り強い働きかけと篤い信仰心が影響したとされる。ジョージの大統領就任後、一般に広く知られた有名なローラが言ったとされる「ジム・ビームと私のどっちを取るの」、は実際には言っていないという{{Sfn|L・ブッシュ|2015|p=131-134}}。
 
恒例行事である[[2005年]]のホワイトハウス記者会主催晩餐会で、アメリカの人気テレビドラマ『[[デスパレートな妻たち]]』のファンであり、夫が早寝すぎるのでこの番組を副大統領夫人の[[リン・チェイニー]]と見ることだけが楽しみだと笑わせたが、あくまでもジョークであり、実際には一度も見たことがなかったが、ローラがこのドラマのファンであることと、ジョージに絶望している、という噂が独り歩きするようになり、外国の首脳やその配偶者たちから真顔で「本当に絶望的なのですか」と訊かれることもあった<ref>[http://www.nytimes.com/2005/05/02/politics/desperate-white-house-wife-episode-1-the-ranch-hand.html?_r=0 Desperate White House Wife, Episode 1: The Ranch Hand] [[ニューヨークタイムズ]]、2005年5月2日</ref>。
 
== 関連項目 ==
* [[アメリカ合衆国のファーストレディの一覧]]
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}
 
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=[['''ローラ・ブッシュ]]'''、村井理子訳|date=2015年5月|title=ローラ・ブッシュ自伝-脚光の舞台裏|publisher=[[中央公論新社]]|location=[[東京]]|isbn=978-4-12-004702-2|ref=L・ブッシュ(2015)}}
 
== 関連項目 ==
* [[アメリカ合衆国のファーストレディの一覧]]
 
== 外部リンク ==
{{commonscommonscat|Laura Welch Bush}}
*[http://www.whitehouse.gov/firstlady/ Official White House profile]
*[http://www.post-gazette.com/pg/04102/299341.stm "The book on Laura Bush" by Dennis B. Roddy, Pittsburgh Post-Gazette]
70 ⟶ 100行目:
{{先代次代|アメリカのファーストレディ|2001年 - 2009年|[[ヒラリー・クリントン]]|[[ミシェル・オバマ]]}}
{{アメリカ合衆国のファーストレディ}}
{{ブッシュ家}}
{{PeopleUS-politician-stub}}
{{authority control}}
 
{{DEFAULTSORT:ふつしゆ ろおら}}
[[Category:20世紀アメリカ合衆国の大統領夫人女性著作家]]
[[Category:21世紀アメリカ合衆国の女性著作家]]
[[Category:20世紀の回想録作家]]
[[Category:21世紀の回想録作家]]
[[Category:アメリカ合衆国のファーストレディ]]
[[Category:アメリカ合衆国の女性回想録作家]]
[[Category:ユネスコ親善大使]]
[[Category:アメリカ合衆国の図書館員]]
[[Category:アメリカ合衆国のメソジスト派信者]]
[[Category:ブッシュ家|ろふつしゆ]]
[[Category:ジョージ・W・ブッシュ]]
[[Category:ヨーロッパイギリス系アメリカ人]]
[[Category:テキサス州ミッドランド出身の人物]]
[[Category:1946年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:ヨーロッパ系アメリカ人]]
[[Category:ブッシュ家|ろらふつしゆ]]
 
{{People-stub}}