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{{出典の明記|date=2019年3月}}
'''近代化'''(きんだいか)または'''モダナイゼーション'''<ref>{{Cite kotobank|word=モダナイゼーション|accessdate=2021-12-25}}</ref>とは、[[封建]]的なものを排除して物事を[[科学]]化・合理化していくことであり、具体的には[[産業化]]・[[資本主義]]化・[[民主化]]などがある{{Sfn|松村|2023b|p=「近代化」}}。「[[近代]]」は一般的には、封建的時代より後の[[資本主義社会]]・[[市民社会]]の時代{{Sfn|松村|2023a|p=「近代化」}}{{Sfn|小学館|2023|p=「近代社会」}}。
'''近代化'''(きんだいか)とは、[[社会]]を[[近代]]的な状態に変えること。即ち、[[政治]]・[[経済]]が、[[国民国家]]と[[工業化|産業化]]を特徴とする形態に変えることである。
 
== 近代化論 ==
近代化論とは、[[1950年]]代から[[1960年]]代にかけて、次々に独立を遂げていった旧植民地の国々をいかに近代化させ、欧米的な意味での国民国家形成をいかに実現していくのかを論じた学問分野で、[[開発経済学]]と近接ないし重複する領域である。それは、単に[[経済成長]]のモデルではなく、政治、社会、文化、心理など人間生活のあらゆる側面において、近代化とは何か、そしてそれはいかに達成できるのかを明らかにしようとした一連の研究であった。
 
近代化論は、日本にも多大な影響を与えながら、特にアメリカ合衆国においては、学問と現実政治のはざまで揺れ続け、その後の社会科学の諸思潮にも長い間強い影響をおよぼした。
 
アメリカにおいて近代化論がそれほどまでに影響力を持った背景には、[[冷戦]]という当時の時代状況があった。つまり、[[開発途上国]]に対する[[ソビエト連邦]]の影響力を最小限に食い止め、欧米的な国家を作り上げていくことこそが、近代化論の最も重要な使命とされたのである。
 
アメリカ合衆国においては、それゆえ近代化論は国家的な[[イデオロギー]]、さらには[[アイデンティティ]]としての性格を持っていた。しかし、1970年代に入ると、近代化論は急速にその影響力を低下させ、精彩を欠くようになる。開発途上国の経済発展が一向に進まず、[[貧困]]が減らないことに[[悲観論]]が現れ、[[ベトナム戦争]]の敗北と、そこに見られた反米ナショナリズムの強さから、これまでの開発戦略が途上国の歴史的経験や伝統文化、経済の現状から乖離していることへの見直しが始まった。また、[[公民権運動]]に代表される[[マイノリティ]]の異議申し立てがアメリカのみならず先進各国で現れた。この時代、[[従属理論|国際従属理論]]や文化帝国主義論が近代化論に代わって一世を風靡した。
 
一方で日本の経済成長や、それにならった韓国、[[台湾]]、[[シンガポール]]、[[香港]]の[[新興工業経済地域]](NIES)の経済発展は近代化の概念を揺さぶった。[[プロテスタント]]の倫理や[[白人]]優越主義はもはや誰の目にも成り立たなくなり、NIES諸国で広くみられた[[開発独裁]]は、民主化を与件としてきた近代化論への再考をせまるものであった。しかし、特にアメリカは一種の人工国家という側面から、自国のアイデンティティの一部をかたちづくっている。アメリカにおける近代化論は、それゆえ何度も論理が組み替えられ、歴史叙述における強国論や覇権の盛衰、[[文明]]論や諸文明の拮抗・対立、あるいは歴史終焉論というふうに姿を変えながらも、根強い影響を与えつづけているのである。
 
=== ラトゥールの近代化論 ===
人類学者の[[ブルーノ・ラトゥール]]は「近代」に関する言説から、近代化とは人間的な[[社会]]や[[文化]]の領域と、非人間な[[自然界]]の領域を分離・独立させる「純化」のプロセスと、文化と自然を融合させハイブリッドを生成する「翻訳」のプロセスの実践であると説いた<ref name="Matumura">[[松村圭一郎]]『文化人類学』 <ブックガイドシリーズ 基本の30冊> 人文書房 2011年 ISBN 978-4-409-00107-3 pp.184-190.</ref>。近代論者は「純化」こそが近代化であると唱え推進しているものの、水面下では常に「翻訳」が行われており、近代化されているとされる西欧社会も実際には理念通りの近代には到達していないし、今後も到達することはないと論じた。ラトゥールは近代 - 前近代という直線的な相対化に疑問を呈し、近代化の過程で生じるハイブリッドを評価することで「近代人」という虚構を脱却する、「非近代人」という立場を提唱した<ref name="Matumura"/>。
 
== 産業化と近代化 ==
近代化とは、産業化を中心として、それに関連した[[政治]]的・[[社会]]的・[[心理]]的その他、さまざまな変化の総体を指す。産業化は、[[アイザック・ニュートン|ニュートン]]の[[科学革命]]以来の[[科学技術]]の成果を系統的・累積的に活用して、生産力はじめ[[環境]]をコントロールする能力を高めていく過程でもあり、その本格化は[[18世紀]]後半の[[イギリス]]に始まった。いわゆる[[産業革命]]である。やがて、その動きはヨーロッパ大陸や北アメリカに伝わり、[[19世紀]]後半から[[20世紀]]初頭にかけては[[ロシア]]や[[東ヨーロッパ|東欧]]、[[日本]]もその動きに加わって、20世紀後半には全世界を覆うこととなった<ref>{{Cite book |author=Sergei Gavrov; Igor Klyukanov |editor=James D. Wright |year=2015 |title=Modernization, Sociological Theories of |trans-title=社会学理論 |series=International Encyclopedia of the Social & Behavioral Sciences (Second Edition) |publisher=Elsevier |address=Oxford |pages=707-713 |isbn=978-0-08-097087-5 |doi=10.1016/B978-0-08-097086-8.32094-3 |url=https://doi.org/10.1016/B978-0-08-097086-8.32094-3}}</ref>
 
== 欧米の近代化18世紀 ==
[[16世紀]]から[[17世紀]]にかけての[[ヨーロッパ]]では、[[イタリア戦争]]や[[ユグノー戦争]]、[[三十年戦争]]など各地で戦争がつづいたが、その間、強国は[[領土]]を広げ、[[財政]]と軍備を整えて、海外に進出して、[[植民地]]を広げた。こうしたなか、新しい国際秩序ができあがった。[[ウェストファリア条約]]体制([[主権国家]]体制)がそれであり、そこでは[[主権]]を主張する国は、[[宗教]]や[[文化]]の違いをこえて対等な外交交渉をおこない、[[戦争]]のルールを定め、勢力の均衡をはかった。また、ウェストファリア条約では、[[神聖ローマ帝国]]内の各[[領邦]]は主権を認められ、[[オランダ]]と[[スイス]]の[[独立]]も正式に承認された。
 
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イギリスで産業革命が始まった要因として、通常は、原料供給地および[[市場]]としての植民地の存在、ピューリタン革命・名誉革命による政治的・法的な環境、蓄積された資本ないし資金調達が容易な環境、金融経済の発達および[[農業革命]]によってもたらされた[[労働力]]などがあげられる。
 
ただし実際には、これらの条件の多くはフランスでも大差がなかった。決定的に違うものがあるとすれば、それは植民地の広がりであった。イギリス産業革命は1760年代に始まるとされることが多いが、[[七年戦争]](北米では[[フレンチ・インディアン戦争]])が終結し、アメリカやインドにおけるイギリスの優位が決定づけられたのは[[1763年]]の[[パリ条約 (1763年)|パリ条約]]であった。植民地自体は以前から存在していたので、1763年の時点でイギリスが一挙に市場や原料供給地を得たというよりは、フランスが産業革命の先陣を切るために必要な市場、および原料供給地を失ってしまったという見方が可能である。[[三角貿易#砂糖・銃欧州、西アフリカ、西インド北米の三角貿易(奴隷貿易)|大西洋経済]]こそ、産業革命の生みの親だったのである。いずれにせよ、イギリスはフランスに先んじて産業革命を開始し、一体化しつつあった地球上の他の全ての国家に対し、一定の有利な位置を占めることとなった。これが[[イギリス帝国|第一次大英帝国]]である。
 
=== アメリカ独立とフランス革命 ===
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こうしたナショナリズムがきわめて明確なかたちで表現されるようになったのが18世紀後半の[[アメリカ独立革命]]と[[フランス革命]]であり、そこでは多くの血が流された。
 
[[画像:Declaration of Independence (1819), by John Trumbull.jpg|thumb|right|250px|[[フィラデルフィア]]で開催された第二次[[大陸会議]]で[[アメリカ独立宣言]]草稿を提出する5[[五人委員会 (アメリカ独立宣言)|五人委員会]]のメンバー([[ジョン・トランブル]]画『[[独立宣言 (絵画)|独立宣言]]』)]]
[[画像:Prise de la Bastille.jpg|250px|thumb|right|「[[バスティーユ襲撃]]」(“La Prise de la Bastille”)]]
 
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同時に、ナポレオンの試みへの抵抗を通じて[[民族主義]]とナショナリズムの思潮がヨーロッパ全域に広まった。これはのちのヨーロッパの歴史を大きく変え、その後100年の間に、ヨーロッパ諸国は封建領主の領土を単位とした領域から国民国家(ネーション・ステイト)へと大きく変貌を遂げた。また、国家を自分たちのものと考える姿勢は、自分たちも国政に参加し、国家の発展に貢献しようという意欲を促す。その意味で、ナショナリズムは平等化と民主化をともなうものであったのである。これらは、[[1848年革命]]へとつながる諸要素となっていった。
 
== 19世紀 ==
=== イタリアとドイツの統一 ===
[[画像:Francesco Hayez 041.jpg|right|160px|thumb|カミッロ・カヴール]]
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政府首脳部をともなった[[岩倉使節団]]はビスマルクの主張に感銘を受け、以後、明治政府はドイツの法学者、医学者、科学者などを[[お雇い外国人]]として招き、その一方でドイツにも数多くの留学生を派遣した。また、のちに初代[[内閣総理大臣]]となった[[伊藤博文]]も[[大日本帝国憲法]]の制定の際、プロイセン憲法を参照したことはよく知られている。
 
=== ロシアの近代化とソ連一国社会主義 ===
 
[[ロシア革命]]、[[ロシア内戦]]を経て1922年に成立した[[ソビエト連邦|ソヴィエト社会主義共和国連邦]](ソビエト連邦)の存在は、それまで[[資本主義]]列強によって形成されてきた世界資本主義に対し背を向けるものであり、なかでも[[ヨシフ・スターリン]]による一国社会主義路線の確立は、アンチ資本主義を国是とする政権の誕生を意味していた。
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したがって、ソ連の存在は欧米諸国や日本とは異なった行き方で第二次産業革命を達成したものととらえることが可能であり、その点で[[第二次世界大戦]]後に独立を果たした[[アジア]]・[[アフリカ]]諸国にとっては一種の近代化のモデルとしてアピールしたのであった。
 
==日本 アジアの近代化 ==
=== 日本の近代化 ===
{{独自研究|section=1|date=2007年12月}}
{{See also|明治維新#評価と研究}}
[[明治維新]]以降、[[日本]]は[[欧米]][[先進国]]の文物や制度を導入([[文明開化]])し、[[独立]]を保ちながらも[[条約改正]]の努力を行い、国際的地位の上昇を図りつつ[[不平等条約]]を改正していくことを目指した。
 
[[開国]]直後の[[江戸時代]]末期・[[幕末]]に幕府や雄藩が近代化の取り組みを始め、[[明治政府]]の主導により「[[トップダウン|上から]]の近代化」が推し進められた。[[官営工場]]を建設し、江戸時代から継続する[[三井財閥|三井]]・[[三菱財閥|三菱]]・[[住友財閥|住友]]などの[[商業資本]]を土台にしつつ、[[日清戦争]]期に[[軽工業]]を、[[日露戦争]]期に[[重化学工業]]を発達させた。併せて[[明治文化]]も参照。
 
非[[ヨーロッパ]]国として[[憲法]]を制定し、日露戦争に勝利したことで、当時の[[先進国]]にあたる[[列強]]の1つ(五大国)と呼ばれるようになり、[[大正デモクラシー]]など自由な気風がみられる時期もあった。併せて[[大正ロマン]]や[[昭和モダン]]、[[戦間期]]も参照。
 
しかし、[[スペインかぜ]]の[[パンデミック|感染爆発]]、[[第一次大戦]]後の[[戦後恐慌]]、[[関東大震災]]や[[昭和金融恐慌]]などが立て続けに起き、[[日本経済|日本経済]]が弱体化したことに加え、[[世界恐慌]]の影響による[[昭和恐慌]]と[[ブロック経済]]体制による貿易不振が日本経済に止めを刺した。また、経済不振による[[社会不安]]の増大が[[軍国主義]]や[[全体主義]]を蔓延させ、[[大日本帝国憲法|明治憲法]]最大の欠陥である「[[統帥権]]の独立」が[[文民統制]]を妨げ軍部の台頭と暴走を招いた。そして、市場を求め[[日中戦争|中国大陸へ進出]]しそれに対する[[ABCD包囲網]]、[[援蒋ルート|対中支援]]の遮断や戦争継続のための資源確保を目的とする[[仏印進駐]]とそれに対する[[ハル・ノート#対日経済制裁|対日経済制裁]]など、国際的な応酬が続き、[[日米関係史#世界恐慌から第二次世界大戦まで|日米関係]]が[[ハル・ノート|極度に悪化]](詳細は[[日米交渉]]も参照)、さらに[[独ソ戦|挟み撃ち]]を危惧した[[ソ連]]による[[中ソ不可侵条約]]の締結と[[在華ソビエト軍事顧問団]]や[[ソ連空軍志願隊]]の派遣、[[尾崎秀実#諜報活動|対日中国釘付け工作]]と[[南進論#世界恐慌から第二次世界大戦まで|南進論]]への誘導をはじめとする[[ゾルゲ事件|諜報活動]]が追い打ちをかけ、日本は[[第二次世界大戦]]・[[太平洋戦争]]と突き進んだ。
 
第二次世界[[日本の敗戦|敗戦]]により日本[[工業]]は壊滅状態に陥ったが、敗戦後の1946年(昭和21年)から1951年(昭和26の)の間に、アメリカの「[[ガリオア資金|占領地域救済政府資金]]」 (GARIOA) (GARIOA)と「[[エロア資金|占領地域経済復興資金]]」 (EROA) (EROA)から約50186000万[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]の[[政府開発援助|ODA]]を受けた<ref name="tak">{{Cite journal|和書|author=滝田賢治 |date=2015-03 |url=https://chuo-u.repo.nii.ac.jp/records/7467 |title=国際社会とアメリカの占領期対日経済援助された― ガリオア・エロア援助を中心として― |journal=法学新報 |ISSN=0009-6296 |publisher=法学新報編集委員会 |volume=121 |issue=9・10 |pages=315-348 |CRID=1050001202715771904}}</ref>(1973年完済)このときは[[カナダ]]、[[メキシコ]]、[[チリ]]、[[ブラジル]]、[[アルゼンチン]]、[[ペルー]]などからも[[日用品|生活物資]]や食料などが援助されている。[[朝鮮戦争]]の[[軍需]]により復興の糸口を掴み、[[1953年]]には、世界銀行から多国間援助である有償資金を使用して[[東海道新幹線]]、[[東名高速道路]]などを建設開始し、高度経済成長を実現した。[[1968年]]にはアメリカに次ぐ経済大国となり、再び[[先進国]]入りを果たした
 
[[朝鮮戦争]]の[[軍需]]([[特需景気]])により[[戦後復興期|復興]]の糸口を掴み、[[1953年]](昭和28年)には、[[世界銀行]]から多国間援助である有償資金を調達し、[[東海道新幹線]]、[[東名高速道路]]などの建設を開始し、[[高度経済成長]]を実現した。[[1968年]](昭和43年)にはアメリカに次ぐ[[経済大国]]となり、再び[[先進国]]入りを果たした。
== 韓国の近代化 ==
 
=== 韓国の近代化 ===
[[大韓民国|韓国]]の近代化は[[19世紀]]に日本によってもたらされた。[[甲午改革]]など[[李氏朝鮮|李朝]]末期の近代化改革はいずれも政治的変動により挫折、[[日本統治時代の朝鮮|日本の統治時代]]に入って本格的な工業化が進められた。
 
朝鮮総督府の施策は伝統的な朝鮮社会の在り方を大きく変え、[[1930年代]]以降は日本の[[財閥]]資本の進出により朝鮮半島北部を中心に[[工業化]]が進行した。しかし、[[第二次世界大戦]]後の[[連合軍軍政期 (朝鮮史)|連合国占領]]で産業インフラの多くが米ソに接収され、韓国独立後に残された数少ない資本も[[朝鮮戦争]]で壊滅した。また、日本統治時代に形成された工業地帯は、[[朝鮮統一問題|南北分断]]によって[[北朝鮮]]の統治区域となっていたため、[[5・16軍事クーデター]]が発生した[[1961年]]時点で、[[農業国]]の韓国は[[国民総生産|GNP]]が現在の[[バングラデシュ]]や[[エチオピア]]と同水準の80ドル程度であった。
 
[[1950年代]]に、韓国を「[[反共]]の防波堤」と見做した[[アメリカ合衆国|アメリカ]]からの対外援助を受け、韓国は[[三白産業]](製糖、製粉、綿紡績)を中心とした[[軽工業]]が発展したが、脆弱な国内市場と対外援助の減少により、1950年代末には挫折を余儀なくされた。[[1960年代]]以降、[[朴正煕]]政権は[[外資]]の導入と[[輸出]]主導型経済を志向し、日本を中心とした外国からの[[政府開発援助]]による[[インフラ]]整備と、外資との合弁による[[重工業]]化を推進することになった。
 
結果、[[ヒュンダイ|現代]]・[[サムスングループ|三星]]・[[大宇財閥|大宇]]などの財閥が形成された。農村においても、[[セマウル運動]]を手始めに、農業の近代化政策が進められた。これらの輸出主導型の経済成長は「[[韓国ウォン|ウォン]]安・[[アメリカドル|ドル]]安・[[原油]]安」に支えられており、韓国は「[[漢江の奇跡]]」と呼ばれる経済成長を遂げて[[1996年]]に[[経済協力開発機構]](OECD)加盟を果たした。
 
=== 中国の近代化 ===
{{Main|中国の歴史}}
近代化論とは、[[1950年]]代から[[1960年]]代にかけて、次々に独立を遂げていった旧植民地の国々をいかに近代化させ、欧米的な意味での国民国家形成をいかに実現していくのかを論じた学問分野で、[[開発経済学]]と近接ないし重複する領域である。それは、単に[[経済成長]]のモデルではなく、政治、社会、文化、心理など人間生活のあらゆる側面において、近代化とは何か、そしてそれはいかに達成できるのかを明らかにしようとした一連の研究であった。
 
=== エジプトの近代化 ===
近代化論は、日本にも多大な影響を与えながら、特にアメリカ合衆国においては、学問と現実政治のはざまで揺れ続け、その後の社会科学の諸思潮にも長い間強い影響をおよぼした。
{{Main|エジプトの歴史#近代エジプト}}
 
=== トルコの近代化 ===
アメリカにおいて近代化論がそれほどまでに影響力を持った背景には、[[冷戦]]という当時の時代状況があった。つまり、[[開発途上国]]に対する[[ソビエト連邦]]の影響力を最小限に食い止め、欧米的な国家を作り上げていくことこそが、近代化論の最も重要な使命とされたのである。
{{Main|タンジマート}}
 
== 出典 ==
アメリカ合衆国においては、それゆえ近代化論は国家的な[[イデオロギー]]、さらには[[アイデンティティ]]としての性格を持っていた。しかし、1970年代に入ると、近代化論は急速にその影響力を低下させ、精彩を欠くようになる。開発途上国の経済発展が一向に進まず、[[貧困]]が減らないことに[[悲観論]]が現れ、[[ベトナム戦争]]の敗北と、そこに見られた反米ナショナリズムの強さから、これまでの開発戦略が途上国の歴史的経験や伝統文化、経済の現状から乖離していることへの見直しが始まった。また、[[公民権運動]]に代表される[[マイノリティ]]の異議申し立てがアメリカのみならず先進各国で現れた。この時代、[[従属理論|国際従属理論]]や文化帝国主義論が近代化論に代わって一世を風靡した。
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
一方で日本の経済成長や、それにならった韓国、[[台湾]]、[[シンガポール]]、[[香港]]の[[新興工業経済地域]](NIES)の経済発展は近代化の概念を揺さぶった。[[プロテスタント]]の倫理や[[白人]]優越主義はもはや誰の目にも成り立たなくなり、NIES諸国で広くみられた[[開発独裁]]は、民主化を与件としてきた近代化論への再考をせまるものであった。しかし、特にアメリカは一種の人工国家という側面から、自国のアイデンティティの一部をかたちづくっている。アメリカにおける近代化論は、それゆえ何度も論理が組み替えられ、歴史叙述における強国論や覇権の盛衰、[[文明]]論や諸文明の拮抗・対立、あるいは歴史終焉論というふうに姿を変えながらも、根強い影響を与えつづけているのである。
* {{Cite book
| 和書
| author = [[小学館]]
| chapter = 近代社会
| title = 精選版 [[日本国語大辞典]]
| url = https://kotobank.jp/word/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E7%A4%BE%E4%BC%9A-161802#E7.B2.BE.E9.81.B8.E7.89.88.20.E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.9B.BD.E8.AA.9E.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E5.85.B8
| year = 2023
| publisher = [[DIGITALIO]]
| accessdate = 2023-07-15
| ref = harv
}}
 
* {{Cite book
=== ラトゥールの近代化論 ===
| 和書
人類学者の[[ブルーノ・ラトゥール]]は「近代」に関する言説から、近代化とは人間的な[[社会]]や[[文化]]の領域と、非人間な[[自然界]]の領域を分離・独立させる「純化」のプロセスと、文化と自然を融合させハイブリッドを生成する「翻訳」のプロセスの実践であると説いた<ref name="Matumura">[[松村圭一郎]]『文化人類学』 <ブックガイドシリーズ 基本の30冊> 人文書房 2011年 ISBN 978-4-409-00107-3 pp.184-190.</ref>。近代論者は「純化」こそが近代化であると唱え推進しているものの、水面下では常に「翻訳」が行われており、近代化されているとされる西欧社会も実際には理念通りの近代には到達していないし、今後も到達することはないと論じた。ラトゥールは近代 - 前近代という直線的な相対化に疑問を呈し、近代化の過程で生じるハイブリッドを評価することで「近代人」という虚構を脱却する、「非近代人」という立場を提唱した<ref name="Matumura"/>。
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}}
 
* {{Cite book
== 脚注 ==
| 和書
{{脚注ヘルプ}}
| last = 松村 |first = 明
{{Reflist}}
| chapter = 近代化
| title = デジタル大辞泉
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}}
 
== 関連項目 ==
* [[工業化]]
* [[民主化]]
* [[:en:Westernization|西洋化]]
* [[産業革命]]
* [[市民革命]]
* [[近代化遺産]]
* [[モダニズム]]
* [[グローバリゼーション]]
* [[世界の一体化]]
* [[世界システム論]]
* [[従属理論]]
 
{{Normdaten}}
*[[工業化]]
*[[民主化]]
*[[産業革命]]
*[[市民革命]]
*[[近代化遺産]]
*[[モダニズム]]
 
{{DEFAULTSORT:きんたいか}}
[[Category:近代史]]
[[Category:産業革命]]
[[Category:資本主義]]
[[Category:民主化運動]]
[[Category:歴史理論]]
[[Category:19世紀]]
[[Category:20世紀の世界史]]
 
[[he:מודרניות]]