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Funavashi (会話 | 投稿記録)
 
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{{Quotation|(オタクに対する誤解をなんとかするためには)2つ方法がある。1つは魅力そのものを伝えてオタクというのは実は面白くて「こうだ」っていう方法。もう一つは、お前らは知らないだろうけど、海外では俺達ちょっとしたもんだぜっていうこの二面作戦でオタクって実は大したことあるよという底上げ作戦を展開したんですね。それはその後、海外でのオタク評価は本当に上がってきたりですね、「エヴァンゲリオン」が大ヒットしたりですね、ものすごい後押しがあったんですね。時代の後押しがあったおかげで、なんだかんだいってもオタクは80年代の暗黒の時代から90年代の後半になるにつれて、かなり楽な状況になってきた。<br>だから僕たちは、なんかこう「オタク」と言えるようになったんですね、自分のことを。[[ロフトプラスワン]]で「オタクのイベントだ」と言って人が来るようになったのそれのおかげなんですよ。それまでは「オタクのイベントだ」と言うと、何よりもオタクが来れなかったんですね。オタクと思われたら困るっていう風に思ってた。それがなんか90年代半ばのオタク状況。(中略)<br>世の中が急激にそのオタクを認めるようになった。1つは、お前らがやってることって案外面白いんだなってのが、ようやっと評価されてきた。それはエヴァンゲリオンとか色んな作品のヒットのおかげですね。あともう一つ、海外で一流の監督とかが皆オタクだと自分のことを言ったり、よその国では[[セーラームーン]]とかそういうコスプレしてる奴がガンガン出てきて、僕らのヘンテコさがなんとなく相対化されたんですね。僕らが相変わらずヘンテコなのは当たり前なんですけども、海外にもヘンテコな奴がいるからなんだこれ?って。日本の中の変な奴じゃなくて、世界でいえば普遍的な奴なんだ。あいつら面白かもわかんないなみたいな目線で見てもらえるようになったのが僕らがちょっとだけ生きやすくなった理由ですね。|『オタク・イズ・デッド』([[新宿ロフトプラスワン]], 2006年5月24日)}}
 
また、岡田はこのようなおたくへの評価が好転した要因として、「オタクたちの努力だけではなく、[[平成不況|日本経済が行き詰まっていた]]ことも挙げられる」と述べている{{Sfn|岡田斗司夫|2008|p=64}}。財界人からもオタク文化に期待する声が寄せられた
 
{{Quotation|日本人は、日本発のものは世界に評価されるはずはないと思っている。[[桂離宮]]から[[浮世絵]]まで、外国人が評価したものだけを日本文化と称してきたが、それは違うのではないか。<br>
漫画こそ、日本が世界に誇りうる独自の文化で、これからもっと世界に浸透していくだろう。[[マルチメディア]]時代になれば、コンビューターソフトと結びついておもしろい社会をつくると思う。世界に広がる漫画が、管理教育、官僚文化に風穴を開けてほしいものだ。<br>
インターネットの他、ますます複雑・高度化する情報ネットワーク網の中で作品を作り続け、ヒットさせる実力を持つ者はオタク・クリエイターしかいない。現に、日本のアニメーターたちは日本よりもアメリカ等海外での評価が高い。本当の国際競争力を持つクリエイターとは、オタクの中からしか生まれないのだ。|岡田斗司夫『オタク学入門』[[堺屋太一]]<ref>岡田斗司夫1996年2月25日 [[日本経済新聞]]オタク学入門メディアあんぐる 新潮社、pp.11-12.「誇りうる文化で画一化に風穴を」</ref> }}
 
批評家の[[東浩紀]]も[[バブル崩壊|1990年代の不況]]と関連付けて分析をしている。
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[[原田曜平]]は、非常に多くの若者たちが、自分のことを「オタク」と自称するようになっていることを挙げ、本来であれば、サブカルチャー好きを指す言葉である「オタク」というワードが、メジャーなカルチャーにまで使われるようになってきていることに驚いたと述べている。また、話題になった作品だけをチェックしており、オタク知識は総じてそう深くない「エセオタク」が増えており、濃度の高いオタク(ガチオタ)からは「にわかオタク」と揶揄されることもある<ref>{{cite news|url=https://toyokeizai.net/articles/-/92036|title=若者の間に「エセオタク」が激増しているワケ | さとり世代は日本を救うか?|publisher=東洋経済オンライン|date=2015-12-02|accessdate=2021-10-23}}</ref>。
 
また、[[日本政府]]が[[観光資源]]の一環として、[[国策]]で「[[クールジャパン]]」戦略を行うようになったのも[[2010年代]]からであり、迫害から一転し、おたく文化は政府お墨付きの“[[レジーム|体制]]側”の文化になったとも言える。
 
オタク層は選挙の動きも左右するほどになっており、[[第25回参議院議員通常選挙]]で[[自由民主党 (日本)|自民党]]の[[山田太郎 (参議院議員)|山田太郎]]が当選した際には、オタク票を味方につけたことが勝因と評された<ref>[https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1907/22/news090.html 「私の戦闘力は53万です」 表現規制反対派・山田太郎氏が当選 SNSフル活用、“オタク層”の支持集める - ITmedia NEWS]</ref>。[[第26回参議院議員通常選挙]]では漫画家の[[赤松健]]([[自由民主党 (日本)|自民党]])が比例トップ当選し、自民党内の組織票系候補者すら軽く上回っている<ref>
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=== オタク以前 ===
:おたくという言葉が生まれる以前は、おたくの同義語として、主に「[[マニア]]」や[[きちがい]]を略して「○○キチ」([[釣りキチ]]等)「[[ファンダム]]」等と呼ばれていた。[[日本SF大会]]、[[全国アニメーション総会]]などのイベントも行われていた。
:基本的には目立った活動を行っていた集団として[[サイエンスフィクション|SF]]と特撮ファンが中心で挙げられ、流行した作品に『[[キング・コング]]』(1933年)や『[[原子怪獣現わる]]』(1953年)初代『'''[[ゴジラ (1954年の映画)|ゴジラ]]'''』(1954年)『[[キングコング対ゴジラ]]』(1962年)『[[大魔神]]』(1966年)『'''[[2001年宇宙の旅]]'''』(1968年)「[[猿の惑星シリーズ]]」(1968年~1973年)や、『[[鉄人28号]]』等がある。
 
=== オタク第一世代(1960年前後生まれ) ===
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:[[怪獣ブーム]]・[[変身ブーム]]を体験した世代であり、特撮オタクとなった者も多い。
:いわゆる[[断層の世代]](概ね[[中期しらけ世代]]の世代)、もしくは[[新人類]](概ね[[後期しらけ世代]]から[[バブル世代|前期バブル世代]]までの世代)である。
:「大人になったらアニメや漫画は卒業する」という考え方がまだ根強い時代でもあったため、同世代の大半は[[インドア]]なオタク文化ではなく、主に[[電通]]などの[[広告代理店]]や[[フジテレビ]]や[[ホイチョイ]]等が主導していた、[[ネアカ]]な[[恋愛至上主義]]的文化や、[[スキーブーム]]等の[[アウトドア]]、[[セゾングループ|セゾン]]文化を消費するのが主流であった。そのため、オタク文化がまだ珍しい[[サブカルチャー]]として[[ネクラ]]扱いされつつも容認されていた時代に青年期を過ごしている。
:[[大塚英志]]は本来「新人類」と「オタク」は「人の目を気にしなくていい」という同一の文化だったのに、[[朝日ジャーナル]]のために「新人類」のほうだけが文化人化されたとしている<ref>[https://business.nikkei.com/atcl/interview/16/100100031/102300012/ セゾン文化はオタク消費に飲み込まれた:日経ビジネス電子版]</ref>。
:しかし、1989年に発生した[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]の犯人が同世代であったため、主に年長者やオタク趣味を持たない同世代から、[[偏見]]や[[差別]]を受ける原因にもなった。
{{seealso|断層の世代}}
 
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:代表的な出来事として、『[[週刊少年マガジン]]』『[[週刊少年サンデー]]』『[[週刊少年ジャンプ]]』などの少年漫画誌の隆盛、『'''[[機動戦士ガンダム]]'''』や『'''[[銀河鉄道999 (アニメ)|銀河鉄道999]]'''』『'''[[うる星やつら (アニメ)|うる星やつら]]'''』に代表される[[アニメブーム]]や[[ガンプラ]]ブーム、「[[ファミリーコンピュータ]]」(1983年)の大ヒットによる[[家庭用ゲーム機]]の普及、『[[ゼビウス]]』(1983年)などの[[アーケードゲーム]]のブーム、「[[PC-9800]]」や「[[MSX]]」等の[[ホビーパソコン]]([[マイコン]])ブーム、『[[スター・ウォーズ]]』(1977年)『[[E.T.]]』(1982年)『[[ターミネーター (映画)|ターミネーター]]』(1984年)『[[ブレードランナー]]』(1982年)などの[[SF映画]]や[[サイバーパンク]]作品の世界的なブームなどが挙げられる。
:[[アニメ雑誌]]の相次ぐ創刊、「[[アニメイト]]」などの専門店の創業、[[コミックマーケット]]の大規模化、[[美少女ゲーム]]や[[アダルトゲーム]]の登場など、オタク文化や二次元文化が急速に発展する一方で、オタク第一世代と同様に、青年期に発生した[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]によってオタクバッシングが激化し、偏見・差別に晒された世代であった。
:このあたりの世代のアニメの作り手は比較的少なく、ゲーム業界に流れたことが原因ではないかと指摘されている<ref>[https://mantan-web.jp/article/20111015dog00m200019000c.html 深夜アニメ:エヴァ再放送きっかけに大人向けで新市場 元プロデューサー・東さんに聞く - MANTANWEB(まんたんウェブ)]</ref>。
 
=== オタク第三世代(1980年前後生まれ) ===
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:[[ブロードバンドインターネット接続|ブロードバンド]]が普及し、[[家庭]]でのインターネット利用が一般的な環境の中に育った。「[[Microsoft Windows XP|Windows XP]]」(2001年)世代でもある。
:この世代は[[ゆとり世代]]論により年少期からバッシングに晒され、また[[地上波テレビ]]等で[[自主規制]]が強まった後に育っている。
:一方で、インターネットの普及により「'''[[2ちゃんねる]]'''」(1999年)、2000年代前半から中盤の[[MADムービー|Flash動画]]黄金期、[[深夜アニメ]]の隆盛、「[[YouTube]]」(2005年)や「[[ニコニコ動画]]」(2006年)などの[[動画投稿サイト]]の台頭、[[実況プレイ]]などのネット動画ブーム、『[[初音ミク]]』(2007)等の[[VOCALOID]]ブーム、「'''[[ハルヒダンス]]'''」などの「踊ってみた」ブーム等、ネット発の様々な流行を体験した。
:2005年には、おたくを肯定的に描いた、2ちゃんねる発の恋愛作品『[[電車男]]』が映画化・ドラマ化され共に大ヒットしたことや、同年の[[流行語大賞]]に「[[萌え]]」及び「[[メイドカフェ]]」がノミネートされるなど、一般社会へオタク文化が急速に浸透し、10代でオタク趣味に傾倒する人が増えた。[[学校]]でアニメやゲームが話題に上がることも多く、宮崎事件の後に産まれていることもあって、オタク趣味やオタク文化に対する[[恥]]や後ろめたさがほとんどないことが特徴で、オタクの低年齢化が一気に進んだ。このため、かつての[[トレンディドラマ]]や[[J-POP]]、[[映画|洋画]]、[[スポーツ]]、[[車]]等といった、一般的な[[大衆文化]]([[メインカルチャー]])や[[アウトドア]]等と並んでオタク文化もごく普通に消費されるようになり、オタク文化が大衆文化やメインカルチャーに内包されるようになった最初の世代であるといえる。
{{seealso|Z世代}}