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{{other people|19891986年生まれのサッカー選手}}
{{サッカー選手
| 名前 = 本田 圭佑
| 画像 = Keisuke Honda 2018 (cropped) (cropped).jpg
| 画像サイズ = 230px
| 画像の説明 = [[2018 FIFAワールドカップ]]での本田圭佑
| 愛称 = ケイスケホンダ
| アルファベット表記 = KEISUKE Honda
| アルファベット表記 = HONDA Keisuke
| 原語名 =
| 原語表記 =
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| 出身地 = [[大阪府]][[摂津市]]<ref name="keisuke-honda.com">
<[https://keisuke-honda.com/profile 本田圭佑オフィシャルWEBサイト - Profile] 2023年4月26日閲覧</ref>
[[EARTH]] <ref>{{Cite web|和書|title=「出身地はアース」「プロフェッショナルとはケイスケ・ホンダ」 本田圭佑出演のNHK番組が名言だらけで話題に
|url=https://news.livedoor.com/article/detail/14716556/|website=ライブドアニュース|accessdate=2024-02-23|language=ja}}</ref>
| 身長 = 182 [[センチメートル|cm]]<ref name="keisuke-honda.com"/>
| 体重 = 74 [[キログラム|kg]]<ref name="keisuke-honda.com"/>
| 所属チーム名 =
| ポジション = [[ミッドフィールダー|MF]] / [[フォワード (サッカー)|FW]]<ref name="keisuke-honda.com"/>
| 背番号=
| 利き足=左足
| ユース年1 = 1994-1998 | ユースクラブ1 = {{Flagicon|JPN}} 摂津FC
| ユース年2 = 1999-2001 | ユースクラブ2 = {{Flagicon|JPN}} [[ガンバ大阪]]ジュニアJrユース
| ユース年3 = 2002-2004 | ユースクラブ3 = {{Flagicon|JPN}} [[星稜中学校・高等学校|星稜高校]]
| 年1 = 2005-2007 | クラブ1 = {{Flagicon|JPN}} [[名古屋グランパスエイト]] | 出場1 = 90 | 得点1 = 11
| 年2 = 2008-2009 | クラブ2 = {{Flagicon|NED}} [[VVVフェンロー]] | 出場2 = 68 | 得点2 = 24
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| 年9 = 2021 | クラブ9 = {{Flagicon|AZE}} [[ネフチ・バクー]] |出場9 =7|得点9 =2
| 年10= 2021 |クラブ10 = {{Flagicon|LTU}} [[FKスードゥヴァ・マリヤンポレ|スードゥヴァ・マリヤンポレ]]|出場10 =6 |得点10 =1
| 通算年11= 2024 |クラブ11 ={{Flagicon|BTN}} [[パロFC]]|出場11 = 4151 | 通算得点11 = 860
| 通算出場 = 416 | 通算得点 = 86
| 代表年1 = 2002 | 代表1 = {{fbu|17|JPN|name=日本 U-17}} | 代表出場1 = 1 | 代表得点1 = 0
| 代表年2 = 2005 | 代表2 = {{fbu|20|JPN|name=日本 U-20}} | 代表出場2 = 1 | 代表得点2 = 0
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| 代表年4 = 2008-2018<ref name="daihyo">{{Cite news|title=本田 圭佑|work=サッカー日本代表データベース|url=http://www.jfootball-db.com/players_ha/keisuke_honda.html}}</ref>
| 代表4 = {{JPNf}} | 代表出場4 = 98 | 代表得点4 = 37
| クラブ成績更新日 = 20212024127130
| 代表成績更新日 = 2018年7月3日
| 監督年 = 2018-2023
| 監督チーム = {{Flagicon|CAM}} [[サッカーカンボジア代表|カンボジア]]
}}
'''本田 圭佑'''(ほんだ けいすけ、[[1986年]][[6月13日]] - )は、[[大阪府]][[摂津市]]出身の[[実業家]]、サッカー指導者、[[プロサッカー選手]]。[[サッカーのポジション|ポジション]]は[[ミッドフィールダー|MF]]、[[フォワード (サッカー)|FW]]<ref name="keisuke-honda.com"/>。元[[サッカー日本代表|日本代表]]。ナショナルチャレンジャー<ref>{{Cite web|和書|title=本田圭佑が元代表の呼称に反発「ナショナルチャレンジャーと書いて」|url=https://news.livedoor.com/article/detail/18211055/|website=ライブドアニュース|accessdate=2020-05-04|language=ja}}</ref><ref name="national-challenge">{{Cite tweet|author=Keisuke Honda |user=kskgroup2017 |number=1256677403918839808 |title=Please don’t write “former”. I don’t like it. Please write “a national challenger! |date=2020-05-03 |accessdate=2024-02-23}}</ref>。
本田圭佑(ほんだけいすけ、[[1989年]][[8月18日]] - )は、日本のサッカー選手。
 
== 概要 ==
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2012-13シーズンはトップ下で起用され、19試合で7得点を挙げる活躍でチームの原動力となり、チームは首位でウィンターブレイクを迎えた。ウィンターブレイク中の2013年2月に左足首の負傷でチームを離脱。以後、長期に渡り治療を余儀なくされ、3月のW杯アジア最終予選ヨルダン戦も欠場し、4月21日のスパルタク・モスクワ戦で2か月ぶりに復帰を果たした。2013年5月18日、CSKAモスクワは6シーズンぶりのリーグ優勝を達成し、自身にとって初の欧州1部リーグでの優勝となった。6月1日、ロシア・カップ決勝の[[FCアンジ・マハチカラ|アンジ]]戦に先発出場し、2シーズンぶりの優勝に貢献、2冠を達成した。ロシア紙『スポーツ・エクスプレス』選定の2012-13シーズンのベストイレブンにトップ下で選出された<ref>[http://www.sport-express.ru/football/rfpl/reviews/814099/ СПОРт2013.5.27]</ref>。
 
2013-14シーズン初戦となった[[ロシア・スーパーカップ 2013|ロシア・スーパーカップ]]の[[ゼニト・サンクトペテルブルク|ゼニト]]戦で2得点を決める活躍を見せ、CSKAモスクワの4シーズンぶりの優勝に貢献した<ref>[https://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20130714/122781.html CSKA本田が2得点の活躍でスーパー杯獲得に貢献] サッカーキング 2013年7月14日</ref><ref>[https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/07/15/kiji/K20130715006218950.html 本田2発スーパー杯V貢献!ミランに今夏獲得アピール] スポニチ 2013年7月15日</ref>。夏の移籍市場で[[セリエA (サッカー)|セリエA]]の[[ACミラン]]への移籍が取り沙汰され、1か月以上にわたってクラブ間交渉が行われたが、最終的にCSKAがオファーを断り、移籍は破談となった<ref>[https://www.nikkansports.com/m/soccer/world/news/p-sc-tp3-20130902-1182723_m.html 本田巡るミランとCSKAの移籍交渉メモ ] 日刊スポーツ 2013年9月2日</ref>。[[UEFAチャンピオンズリーグ 2013-14|CL]]グループリーグでは[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]戦と[[FCヴィクトリア・プルゼニ|プルゼニ]]戦で1ゴールを決めるなど2G2Aの活躍を見せたが、チームはグループリーグで敗退した。2013年12月11日、CSKAモスクワ退団が発表された。
 
=== ACミラン ===
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=== ネフチ・バクー ===
2021年3月15日、[[アゼルバイジャン・プレミアリーグ]]の[[ネフチ・バクー]]への移籍が発表された。シーズン終了の5月末までの契約で背番号は「4」<ref>{{Cite web|和書|title=本田圭佑のアゼルバイジャン1部行きが正式に決定 - 海外サッカー : 日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/soccer/world/news/202103150001148.html|website=nikkansports.com|accessdate=2021-03-15|language=ja}}</ref>。アゼルバイジャン・プレミアリーグでプレーする初めての日本人選手となった<ref>[https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=87836 「日本人で誰もやったことのないチャレンジを」] サッカーダイジェスト 2021年3月16日</ref>。4月4日、第21節[[スムガイトFK|スムガイト]]戦に後半開始から出場し、3か月半ぶりの公式戦出場となった。第25節[[ケシュラFK|ケシュラ]]戦で移籍後初得点を挙げ<ref>[https://www.football-zone.net/archives/320374 本田圭佑が“70m激走カウンター”アゼルバイジャン初ゴールに反響] フットボールゾーン 2021年5月4日</ref>、第26節[[サバイルFK|サバイル]]戦では2試合連続となる得点を挙げた<ref>[https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=90877 本田圭佑が2試合連続ゴール!] サッカーダイジェスト 2021年5月9日</ref>。5月19日、リーグ7連覇中で首位の[[カラバフFK|カラバフ]]と優勝を懸けた最終節に先発出場し、チームはカラバフに勝ち、逆転で8シーズンぶりのリーグ優勝を達成した<ref>[https://www.nikkansports.com/soccer/world/news/202105200000022.html 本田圭佑、8季ぶりリーグ制覇 ネフチ劇的逆転V] 日刊スポーツ 2021年5月20日</ref>。
 
=== スードゥヴァ・マリヤンポレ ===
2021年9月14日、[[Aリーガ]](リトアニア1部リーグ)の[[FKスードゥヴァ・マリヤンポレ|スードゥヴァ]]への移籍が発表された<ref name="fksuduva_20210914">{{Cite web|url=http://fksuduva.lt/suduvos-naujo-zaidejo-pristatymas/ |title=„Sūduvoje“ žais K. Honda (tiesioginė transliacija) |publisher=FK Sūduva |date=2021-09-14 |accessdate=2021-09-14}}</ref>。シーズン終了の11月末までの契約で背番号は「3」{{r|fksuduva_20210914}}。9月26日、第30節[[FKバンガ・ガルグジュダイ|バンガ]]戦に先発出場し、4か月ぶりの実戦となった試合で移籍後初得点を挙げた<ref>[https://www.nikkansports.com/soccer/world/news/202109260001305.html リトアニア挑戦の本田圭佑いきなりゴール!9カ国目の1部リーグ得点] 日刊スポーツ 2021年9月26日</ref>。シーズン終了後、契約満了により退団した
 
2022年10月に膝の手術を受けた<ref>[https://web.gekisaka.jp/news/world/detail/?370320-370320-fl 本田圭佑が車椅子姿で報告「膝の手術をしました」] ゲキサカ 2022年10月12日</ref>。実戦復帰を目指して、リハビリと練習を続けていた。
 
=== パロFC ===
2024年7月29日、{{仮リンク|ブータン・プレミアリーグ|en|Bhutan_Premier_League}}の{{仮リンク|パロFC|en|Paro FC}}と1試合限定で契約したことを発表した<ref>[https://www.nikkansports.com/soccer/world/news/202407290001231.html 本田圭佑が1試合限定の異例の契約で選手としてピッチに戻る] 日刊スポーツ 2024年7月29日</ref>。背番号は「4」でユニフォームネームは「KSK」。本田にとって10カ国目のクラブとの契約となる。当初は8月13日に行われる{{仮リンク|AFCチャレンジリーグ|en|2024–25 AFC Challenge League}}への出場権を懸けたプレーオフのみの出場予定だったが<ref>[https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2024/07/29/kiji/20240729s00002000387000c.html?amp=1 本田圭佑 電撃復帰!ブータンリーグ・パロFCと特別選手契約 1試合限定、987日ぶり選手としてプレー]スポニチ 2024年7月29日</ref>、8月8日の国内リーグ[[チランFC]]戦で後半開始から途中出場し、ブータン1部デビューを飾った。8月13日、AFCチャレンジリーグ・プレーオフの{{仮リンク|チャーチ・ボーイズ・ユナイテッド|en|Church Boys United}}戦にキャプテンマークを巻いてフル出場、ボランチとして攻守で奮闘しチームの勝利に貢献、クラブを史上初のAFC国際大会本戦出場に導いた<ref>[https://web.gekisaka.jp/news/acl/detail/?413084-413084-fl 本田圭佑がフル出場で歴史的偉業!!ブータン王者を史上初のアジア国際大会本戦出場に導く] ゲキサカ 2024年8月13日</ref>。
 
== 代表経歴 ==
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== ビジネスマンとして ==
* 2017年12月、株式会社HRBrain に本田圭佑が代表を務める、KSK Angel Fund LLCが出資。投資家に加わり独自の目標達成メソッドの共同開発やパブリシティ面で随時連携を図っていく予定。
* 2018年4月、[[ウィル・スミス]]と共同で[[投資ファンド]]・ドリーマーズ・ファンドを設立<ref name="asahi180718">{{Cite news|title=本田圭佑とウィル・スミスが共同ファンド 野村も出資|newspaper=朝日新聞デジタル|date=2018-07-18|url=https://www.asahi.com/articles/ASL7L5279L7LULFA014.html|accessdate=2018-07-18}}</ref>。世界各国の投資家から資金として約1億ドルを集め、[[ベンチャー#アメリカ合衆国|アメリカの新興企業]]に投資を行う計画である<ref name="asahi180718" />。7月18日には、[[野村ホールディングス]]がファンドへの出資に参加することを発表した<ref name="asahi180718" />。
* 2020年4月、音声通話サービス・[[NowVoice]]をリリースし、[[ダルビッシュ有]]、[[錦織圭]]など多くの著名人が参加した<ref>[https://www.jiji.com/jc/article?k=2020043000501&g=spo 本田圭佑、「音声で深い話を」 トップ選手参加のサービス] JI JI com(2020年4月30日)2020年5月29日閲覧。</ref>。
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2014年の[[2014 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ・ブラジル大会]]敗退後に日本のメディアからは批判もされたが<ref>{{Cite web|和書|date=2014-06-27|url=http://www.iza.ne.jp/kiji/sports/news/140627/spo14062710200026-n1.html|title=日本代表、主力信頼しすぎたツケ…不調の本田フル起用、初戦の遠藤投入|publisher=産経新聞|accessdate=2014-10-16}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2014-06-20|url=http://web.gekisaka.jp/column/detail/?3916-3916-cm|title=なるようにしてなった結果。日本はワールドカップで戦うチームではない|publisher=ゲキサカ|accessdate=2014-10-16}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2014-06-25|url=http://www.goal.com/jp/news/5256/2014%E5%B9%B4w%E6%9D%AF/2014/06/25/4912709/%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%81%A7%E6%B5%AE%E3%81%8D%E5%BD%AB%E3%82%8A%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%95%97%E5%9B%A0|title=データコラム:データで浮き彫りになるザックジャパンの敗因|publisher=Goal.com|accessdate=2014-10-16}}</ref>、コートジボワール戦をイタリアの[[ガゼッタ・デロ・スポルト]]<ref>{{cite news |title = 【世界の各紙から】本田のゲームづくりを消した大迫 |newspaper = [[スポーツ報知]] |date = 2014-06-16 |author = |authorlink = |url = http://www.hochi.co.jp/soccer/japan/20140616-OHT1T50017.html |publisher = |accessdate = 2014-10-16 |page = <!--|archiveurl = https://web.archive.org/web/20141016084453/http://www.hochi.co.jp/soccer/japan/20140616-OHT1T50017.html |archivedate = 2014-10-16--> }}</ref>、フランスの[[ル・モンド]]<ref>{{Cite web|和書|url = http://www.footballchannel.jp/2014/06/16/post44058/ |title = 本田を絶賛もチームには厳しい評価 |accessdate = 2014-10-16 |author = 小川由紀子 |authorlink = 小川由紀子 |date = 2014-06-16 |work = フランスメディアが見た日本。本田を「宝石」と絶賛もチームへの言及少なく。話題の中心はドログバ |publisher = [[フットボールチャンネル]] |page = 1 |pages = <!--|archiveurl = https://web.archive.org/web/20141016085938/http://www.footballchannel.jp/2014/06/16/post44058/ |archivedate = 2014-10-16--> }}</ref>、[[レキップ]]<ref>{{Cite web|和書|url = http://www.footballchannel.jp/2014/06/16/post44058/2/ |title = 「似たようなアクションの2連発は珍しい」。失点シーンを指摘 |accessdate = 2014-10-16 |author = 小川由紀子 |authorlink = |date = 2014-06-16 |work = フランスメディアが見た日本。本田を「宝石」と絶賛もチームへの言及少なく。話題の中心はドログバ |publisher = フットボールチャンネル |page = 2 |pages = <!--|archiveurl = https://web.archive.org/web/20141016090227/http://www.footballchannel.jp/2014/06/16/post44058/2/ |archivedate = 2014-10-16--> }}</ref>、コロンビア戦をブラジルのプラカール誌、ガゼッタ・エスポルチーバ、ランセ紙<ref>{{Cite web|和書|url = http://www.footballchannel.jp/2014/06/26/post45346/ |title = もっと日本は戦えると思っていた。フィジカルで負け、CBは脆すぎた |accessdate = 2014-10-16 |author = 下薗昌記 |authorlink = 下薗昌記 |date = 2014-06-26 |work = ブラジルメディアが見た日本。大会前の期待に応えず厳しい評価。「余りにも稚拙なPKを犯した」今野に最低点 |publisher = フットボールチャンネル |page = 1 |pages = <!--|archiveurl = https://web.archive.org/web/20141016092927/http://www.footballchannel.jp/2014/06/26/post45346/ |archivedate = 2014-10-16--> }}</ref>、フォーリャ紙<ref>{{Cite web|和書|url = http://www.footballchannel.jp/2014/06/26/post45346/2/ |title = 43歳モンドラゴンを出場させる余裕を持ったコロンビアに高い評価 |accessdate = 2014-10-16 |author = 下薗昌記 |authorlink = |date = 2014-06-26 |work = ブラジルメディアが見た日本。大会前の期待に応えず厳しい評価。「余りにも稚拙なPKを犯した」今野に最低点 |publisher = フットボールチャンネル |page = 2 |pages = <!--|archiveurl = https://web.archive.org/web/20141016094730/http://www.footballchannel.jp/2014/06/26/post45346/ |archivedate = 2014-10-16--> }}</ref> では高評価が与えられた。グループリーグ終了後にFIFAは、公式分析システムの[[カストロール・インデックス]]を使い、出場全選手736人のランキングを10点満点で発表し、本田は8.96点の全体37位および日本選手では最上位と採点した<ref>{{cite news |title = FIFAが分析システムに準じた選手ランキングを発表…日本人トップは本田の37位 |newspaper = |date = 2014-06-28 |author = |authorlink = |url = http://www.soccer-king.jp/news/world/wc/20140628/206704.html?view=more |publisher = [[ワールドサッカーキング]] |accessdate = 2014-10-16 |page = <!--|archiveurl = https://web.archive.org/web/20141016110034/http://www.soccer-king.jp/news/world/wc/20140628/206704.html?view=more |archivedate = 2014-10-16--> }}</ref><ref name="サンスポのカストロール">{{cite news |title = 本田、FIFA W杯プレー分析システムで736人中37位 |newspaper = [[サンケイスポーツ]] |date = 2014-07-02 |author = |authorlink = |url = http://www.sanspo.com/soccer/news/20140702/jpn14070205000001-n1.html |publisher = [[SANSPO.COM]] |accessdate = 2014-10-16 |page = <!--|archiveurl = https://web.archive.org/web/20141016101908/http://www.sanspo.com/soccer/news/20140702/jpn14070205000001-n1.html |archivedate = 2014-10-16--> }}</ref>{{#tag:ref |日本から100位以内に入ったのは他にMF[[山口蛍]]のみで、全体1位はコロンビアMF[[ハメス・ロドリゲス]]で9.79点を記録した<ref name="サンスポのカストロール"/>。|group = "注釈"}}。
 
2013-14シーズン途中に移籍したACミランでは、クラブOBの[[アレッサンドロ・コスタクルタ]]に「現時点での本田は『ミランの10番』どころか、単に『ミランの一員』としても認めるわけにはいかないレベルにある、と言わざるを得ない」<ref>クリスティアーノ・ルイウ:[http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/wfootball/2014/05/15/ob/ 激辛注意。ミランOB・コスタクルタが放つ「本田圭佑論」][[Sportiva]]、2014年5月14日(2014年6月20日閲覧)</ref>、同OBの[[パオロ・マルディーニ]]ミランの低迷を踏まえて「その救世主たり得るだけの実力を本田は残念ながら持ち合わせてはいない」<ref>クリスティアーノ・ルイウ:[http://www.footballchannel.jp/2014/05/01/post38706 元主将マルディーニが語る本田の価値「救世主となる実力はない。数年前のミランならメンバーになれない」] フットボールチャンネル、2014年05月01日(2014年6月20日閲覧)/</ref> と評された。
 
しかしOBでミラン監督の[[フィリッポ・インザーギ]]は2014-15シーズン前から「本田は勝利に必要なスピリットを随所で見せられる選手。(イタリアメディアが)本田に対して過小評価の報道をするのに納得できない」と、イタリアで報じられる本田不要説を一蹴<ref>{{cite news |title = 本田、今季初アシスト!ミラン監督絶賛 |newspaper = [[デイリースポーツ]] |date = 2014-08-08 |author = |authorlink = |url = http://www.daily.co.jp/soccer/2014/08/08/0007215831.shtml |publisher = DAILY SPORTS ONLINE |accessdate = 2014-10-16 |page = <!--|archiveurl = https://web.archive.org/web/20140809075916/http://www.daily.co.jp/soccer/2014/08/08/0007215831.shtml |archivedate = 2014-08-08--> }}</ref>。2014-15シーズン開幕後、元イタリア代表DF[[フルヴィオ・コッロヴァーティ]]は「本田には驚いた。異なるサッカーから来た選手だからね。いいクオリティーを持った選手だ。」<ref>{{cite news |title = コッロヴァーティ氏が語る |newspaper = |date = 2014-10-16 |author = |authorlink = |url = http://www.goal.com/jp/news/1867/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2/2014/10/16/5188811/%E5%85%83%E4%BC%8A%E4%BB%A3%E8%A1%A8df%E6%9C%AC%E7%94%B0%E3%81%AE%E6%B4%BB%E8%BA%8D%E3%81%AB%E3%81%AF%E9%A9%9A%E3%81%84%E3%81%9F?ICID=HP_BN_4 |publisher = [[Goal.com]] |accessdate = 2014-10-16 |page = <!--|archiveurl = https://web.archive.org/web/20141016034312/http://www.goal.com/jp/news/1867/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2/2014/10/16/5188811/%E5%85%83%E4%BC%8A%E4%BB%A3%E8%A1%A8df%E6%9C%AC%E7%94%B0%E3%81%AE%E6%B4%BB%E8%BA%8D%E3%81%AB%E3%81%AF%E9%A9%9A%E3%81%84%E3%81%9F?ICID=HP_BN_4 |archivedate = 2014-10-16--> }}</ref>、
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== 人物 ==
[[ファイル:HondaVVV.JPG|200px|right|thumb|2009年8月21日、練習中]]
父親は[[熊本県]][[坂本村 (熊本県)|坂本村]]の出身<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.47news.jp/localnews/hotnews/2010/06/post-20100616112739.html|title=本田選手、ルーツは熊本「決勝ゴール肥後もっこすの血が成した」|publisher=熊本日日新聞|accessdate=2019-12-01|date=2010-06-16|author=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140714184419/http://www.47news.jp/localnews/hotnews/2010/06/post-20100616112739.html|archivedate=2014-07-14|deadlinkurl-status=dead|url-status-date=2019-12-01}}</ref>。母親は[[広島県]]出身<ref>「[[女性セブン]]」 [[小学館]]、2010年7月1日号、p42</ref>。実兄の弘幸も元サッカー選手で2005年には[[大分トリニータ]]加入が決まっていたが、けがのために現役を引退し、現在は本田の[[代理人]]を務めている。
 
[[大叔父]]の[[本田大三郎]]は[[1964年東京オリンピック]]で[[カヌー]]競技のカナディアンペアに出場。その息子の[[本田多聞]](圭佑の父母の従兄弟、圭佑からみて従兄弟違いになる)は[[アマチュアレスリング|レスリング]]の[[フリースタイル]]で3大会連続のオリンピック出場経験を持つ現役<!--フリーランス-->[[プロレスラー]]である<ref name="asahi" />。
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1999年から2004年に[[週刊少年サンデー]]で連載されていたサッカー漫画『[[ファンタジスタ (漫画)|ファンタジスタ]]』のファンであり、2009年に作者の[[草場道輝]]と対談。これがきっかけで、2012年10月から2015年まで連載されたファンタジスタの続編『ファンタジスタ ステラ』に原案という形で参画し、本人役で登場した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp0-20120926-1023045.html |title=本田 漫画ファンタジスタ本人役で登場 |publisher= [[日刊スポーツ|nikkansports.com]] | date=2012-09-26 | accessdate=2013-04-24 }}</ref>。
 
名古屋時代は黒髪だったが、オランダ移籍後から金髪にしており、現在では本田のトレードマークになっている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tokyo-sports.co.jp/hamidashi.php?hid=9081|title=本田「金髪」「サングラス」の秘密|publisher=東京スポーツ新聞社|accessdate=2019-12-01|date=2010-07-14|author=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100719194101/http://www.tokyo-sports.co.jp/hamidashi.php?hid=9081|archivedate=2010-07-19|deadlinkurl-status=dead|url-status-date=2019-12-01}}</ref>。
 
プライベートでは、いつも両腕に[[腕時計]]をつけている<ref name="yasuda20080619"/>。2011年10月にはイタリアの腕時計メーカー・GaGa MILANOとスポンサー契約を結んだ<ref>{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/japan/news/20111012-OHT1T00341.htm|title=本田間に合った! 11月タジク戦で代表復帰も|publisher=スポーツ報知|accessdate=2019-12-01|date=2011-10-13|author=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20111013075433/http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/japan/news/20111012-OHT1T00341.htm|archivedate=2011-10-13|deadlinkurl-status=dead|url-status-date=2019-12-01}}</ref>。両腕にはめる理由について、2008年に[[安田理大]]から尋ねられたときは「誰が時計は片腕って決めたん?」とはぐらかしていたが<ref name="yasuda20080619" />、2013年(CSKAモスクワ在籍中)にロシア誌『Futbol』のインタビューを受けた際は「僕のスタイルだからだが別の意味もある。1つはロシア時間、もう1つは日本時間。間違えて夜中に電話やメールをしないように。またボディバランスを保つため」と答えている<ref name="sansupo-20130609">{{Cite web|和書| url=http://www.sanspo.com/soccer/news/20130609/int13060905150000-n1.html | title=本田の両腕時計の謎解けた!ロシア誌に語る | newspaper=サンスポ | publisher=産経新聞社 | date=2013-06-09 | accessdate=2013-06-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130611131746/http://www.sanspo.com/soccer/news/20130609/int13060905150000-n1.html|archivedate=2013-06-11|deadlinkurl-status=dead|url-status-date=2019-12-01}}</ref>。このエピソードは本田の物真似をする芸人の[[じゅんいちダビッドソン]]も用いている。
 
スパイクは[[ミズノ]]『イグニタス』を使用している<ref>[http://mizunofootball.com/players/ ミズノホームページ・プレイヤー]</ref>。W杯後に本田の活躍によりこのスパイクが急激に売れたとのこと。ちなみに右足は26.5&nbsp;cm、左足は27.0cmとサイズが異なるだけでなく、2010年W杯のときは右足のポイントを付け替え式、左足を固定式とするなど、左右非対称の構成を採用している。またメンテナンスは欧州移籍後も古巣・名古屋グランパスの用具担当である松浦紀典に依頼しており、松浦によれば「年間で約10 - 15足ほどを消費する」という<ref>東京スポーツ・2011年4月13日付 5面「ザックJAPAN 新世代の素顔」</ref>。
 
ファッションがメディアに取り上げられることが多い。2010年の[[2010 FIFAワールドカップ|南アフリカワールドカップ]]から帰国した際は、チーム内では唯一サングラス姿で到着ロビーに現われた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sanspo.com/worldcup2010/news/100702/wca1007020503009-n1.htm|title=グラサン凱旋!本田、達成感より「残念」|publisher=サンケイスポーツ|accessdate=2019-12-01|date=2010-07-02|author=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100704070116/http://www.sanspo.com/worldcup2010/news/100702/wca1007020503009-n1.htm|archivedate=2010-07-04|deadlinkurl-status=dead|url-status-date=2019-12-01}}</ref>。
 
== エピソード ==
{{雑多な内容の箇条書き|date=2016年2月|section=1}}
*元日本代表の[[平山相太]]は本田が活躍できた理由について、ユース世代の日本代表合宿での出来事を持ち出して説明する。エースだった平山は練習でもゴールを量産し、誰もが平山氏を「すごい」とたたえる中、ラストパスを出した本田は「こんな良いパスもらったことないでしょ」と、さも自分のおかげで平山のゴールが決まったといわんばかりの言葉をかけてきたという。1歳年下で当時有名でなかった本田のことを「面白いな」と思ったという。しかし同時に、本田には「強い気持ちがあった。それが自分には足りなかった」と振り返る。奇しくも本田は平山と同じオランダリーグに挑戦。その入団会見で「車のHONDAとは違うホンダです」とジョークを交えてカタコトのオランダ語で胸を張って堂々とあいさつする本田を見て、自分との差を感じたという。平山は監督に戦術的なことを理解するためにオランダ語を覚えるよう要求されたが「無理でした。自分にはちょっと難しかった」と習得できずそのまま戦力外となっていた<ref>{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/soccer/2018/07/08/0011427360.shtml |title=“怪物”平山氏がオランダで戦力外になった理由 本田圭佑との“差”とは |publisher = |accessdate=2024-09-12}}</ref>。
* 利き足と生年月日が一緒である[[家長昭博]]とは[[ガンバ大阪]]ジュニアユースの同期生であり、親友として互いにhttp://ws1.axseed.net/field/h1019honda.html WEBサッカーマガジン 本誌連動イ
* 利き足と生年月日が一緒である[[家長昭博]]とは[[ガンバ大阪]]ジュニアユースの同期生であり、親友として互いに尊重しあう間柄である<ref>[http://ws1.axseed.net/field/h1019honda.html WEBサッカーマガジン 本誌連動インタビューより]</ref>。
* 悦次郎が尊敬している[[えつじろう]]とは、[[サッカー日本代表|日本代表]]のトップ下を務める新旧エースとして、メッシと比較されることが多い。21歳で欧州リーグへ移籍し活躍していることをはじめ、日本人離れした強靭なフィジカルとメンタリティ、[[ファッション]]への独自のこだわりといった共通点が挙げられる。二人は[[2010 FIFAワールドカップ|南アフリカW杯]]の直前に放映された対談で初対面した。中田は本田について「彼は貪欲に上を目指せるタイプで、今後の日本を背負う選手」と期待を寄せている<ref>文藝春秋、2010年8月号</ref>。
* 本田が尊敬している[[中田英寿]]とは、[[サッカー日本代表|日本代表]]のトップ下を務める新旧エースとして比較されることが多い。21歳で欧州リーグへ移籍し活躍していることをはじめ、日本人離れした強靭なフィジカルとメンタリティ、[[ファッション]]への独自のこだわりといった共通点が挙げられる。二人は[[2010 FIFAワールドカップ|南アフリカW杯]]の直前に放映された対談で初対面した。中田は本田について「彼は貪欲に上を目指せるタイプで、今後の日本を背負う選手」と期待を寄せている<ref>文藝春秋、2010年8月号</ref>。
* [[2008年北京オリンピックのサッカー競技|北京五輪]]のグループリーグで敗退が決まったあとの消化試合では、数名の選手とともに[[反町康治]]監督の指示に造反していたことを明かした<ref>[https://megalodon.jp/2009-0515-2106-26/www.sanspo.com/beijing2008/news/080814/oab0808140432002-n2.htm 3戦全敗1次L敗退、反町監督に選手造反 (2/2ページ)]、サンスポ、2008.8.14</ref>。
* [[VVVフェンロー]]は「本田を放出した際の[[移籍金]]の一部を、新[[スタジアム]]建設に充てる」と発表した。[[日本放送協会|NHK]]の取材に対してサポーターたちは「新スタジアムの名前は『ケイスケ・ホンダスタジアム』にすべきだ」「名前がダメならせめて[[銅像]]だけでも建てるべき」など、本田の功績と求心力がうかがえるコメントを残し、VVVフェンローの{{仮リンク|ハイ・ベルデン|nl|Hai Berden}}会長も「ケイスケのクラブに対する功績は何らかの形で残すつもりだ」と明言した<ref name="銅像">{{Cite web|和書|title = 本田、銅像になる!?古巣フェンロが新本拠地に建立計画 |url = http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/01/08/kiji/K20130108004929970.html |newspaper = [[スポーツニッポン]] |publisher = スポニチ Sponichi Annex |date = 2013-01-08 |accessdate = 2013-05-29 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130111072057/http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/01/08/kiji/K20130108004929970.html |archivedate = 2013-01-11 |deadlinkurl-status=dead|url-status-date=2019-11-07 }}</ref>。2018年9月20日、3人の歴代の名選手の1人として、VVVフェンローのホームスタジアム外壁に肖像画が描かれた<ref>[https://www.soccer-king.jp/news/world/ned/20180922/836382.html?cx_tag=page1.html 本田圭佑、古巣のスタジアム外壁に肖像画描かれる!歴代の名選手らと共にクラブの“顔”に] サッカーキング 2018年9月22日</ref>。
* [[2ちゃんねる]]をはじめとした[[インターネット掲示板]]、[[ツイッター]]、[[mixi]]、[[ニコニコ動画]]のコメント欄などにおいて'''本田△'''(意味:本田三角形→本田さんかっけー→本田さんカッコイイ)という[[ネットスラング]]が広がっており<ref>[http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090612/197463/ 「本田△」が“読め”れば、ワールドカップもきっと面白い] 日経ビジネス</ref>、2010年度の「[[新語・流行語大賞]]」にもノミネートされた<ref>[http://singo.jiyu.co.jp/nominate/nominate2010.html 「新語・流行語大賞2010 ノミネート語」]([[新語・流行語大賞]]公式サイト)</ref>。
* [[カプコン]]の人気ゲーム『[[モンスターハンター]]』シリーズのファンで、総プレイ時間は2013年時点で185時間を超えている。2013年には[[ニンテンドー3DS]]用ソフト『[[モンスターハンター#モンスターハンター4|モンスターハンター4]]』のCMイメージキャラクターを務めた<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/world/rus/20130601/113413.html 本田圭佑がモンハン最新作のテレビCMに出演「お楽しみに!」] SOCCERKING 2013年6月1日</ref>。
* 小学校の[[卒業文集]]に「世界一のサッカー選手になる」「[[セリエA (サッカー)|セリエA]]に入団し10番で活躍する」という将来の夢を書いている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.acmilan.com/jp/news/show/150740|title=本田圭佑の夢|date=2014-01-08|work=ACミランオフィシャルサイト|accessdate=2014-01-17}}</ref>。2014年1月、[[ACミラン]]の加入会見で複数のクラブ<ref>{{cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2014/01/09/kiji/K20140109007349200.html|title= 本田 バルサ、マンC、エバートンのオファー断っていた |newspaper=Sponichi Annex|date=2014-01-08|accessdate=2014-01-16}}</ref> からオファーを受ける中、「なぜACミランを選んだのか」との質問に「心の中の"リトルホンダ"に聞いたらミランでプレーしたいと言った」と答え<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.soccer-king.jp/news/world/ita/20140108/160756.html|title=入団会見に臨んだ本田、ミラン移籍の理由は「リトル・ホンダに聞いた」|date=2014-01-08|work=サッカーキング|accessdate=2014-01-15}}</ref>、「夢が1つ叶いました」とコメントした<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.soccer-king.jp/news/world/ita/20140110/161111.html|title=伊紙、本田圭佑の小学校卒業文集を紹介「10番で活躍します」|date=2014-01-10|work=サッカーキング|accessdate=2014-01-17}}</ref>。
*「ミランの[[経営]]ではいい部分と[[反面教師]]にすべき部分を直に見ている。これは今後のビジネスに必ず生きてくる。だから[[経営者]]としてもミランでプレーすることは価値がある」と引退後に経営者としてサッカービジネスに携わることを公言している。
268 ⟶ 275行目:
欧州では下部リーグであってもトップチームにスカウトされるチャンスがあるため、若くして欧州でプレーする選手を増やしたいという意図がある<ref>[https://newspicks.com/news/1650056/body/ 2部昇格のホルン。CL出場に向けた“破壊的創造”]</ref>。本田は現役選手としてプレーしているため現地でクラブの業務に関わることはできないが、毎日スタッフと連絡を取り合い近況報告を聞くだけではなく、自らもピッチ内のことに限らず集客などの細かいアイデアを出している。
 
また、本田とHONDA ESTILOはIT活用による選手強化やチームのパフォーマンス改善にも取り組んでおり、ドイツのソフトウェア企業[[SAP (企業)|SAP]]と協力して、選手達のトレーニングや試合中のデータを分析して育成に繋げる取り組み「HONDA NO LIMITS PROJECT」の開始を発表した。 同プロジェクトでは[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]や[[横浜F・マリノス]]でも採用されている「[[SAP HANA]]」をデータ分析ツールとして利用する<ref>[https://xtech.nikkei.com/it/atcl/news/16/042501218/?rt=nocnt サッカーの本田圭佑選手、SAPのインメモリーDB「HANA」でデータ分析プロジェクト]</ref><ref>[httphttps://www.nikkei.com/article/DGXMZO00055600V20C16A4000000/ サッカーの本田選手、SAPのDBで分析プロジェクト]</ref>。同ツールは2014年サッカーワールドカップでドイツ代表の優勝に貢献したことから、HONDA ESTILOの同取り組みはスポーツビジネス界やIT業界でも大きく注目を集めた<ref>[https://xtech.nikkei.com/dm/atcl/feature/15/110200006/021900015/ 独サッカー代表、躍動の裏にデータ分析あり SAPの流儀とは]</ref><ref>[http://mmtdayon.blog.fc2.com/blog-entry-120.html?sp 独サッカー磨く“12番目の選手”――SAPのビッグデータ技術、1試合4000万件…即座に解析、超高速処理が武器]</ref><ref>[https://news.mynavi.jp/techplus/article/20160426-a138/ 本田選手のマネジメント事務所、チーム強化に向け最先端分析システム導入プロジェクト]</ref><ref>[http://www.excite.co.jp/News/column_g/20160426/Cobs_436545.html 本田選手のマネジメント事務所、チーム強化に向け最先端分析システム導入プロジェクト]</ref><ref>[http://japan.zdnet.com/article/35083254/ 本田圭佑のホルンvs岡田武史のFC今治の対決をデジタルで支援--SAPジャパン]</ref><ref>[https://xtech.nikkei.com/it/atcl/news/16/052601519/ 「IoTやAIでサッカーにもデジタル化を」、SAPがSVホルン対FC今治の試合を支援]</ref>。
 
1年目の2015-16シーズンは3部リーグ優勝し、[[エアステリーガ]](オーストリア2部リーグ)昇格を果たした。しかし、2016-17シーズンは成績が振るわず、1年で3部降格となった。2017-18シーズンは3部リーグ優勝し、1年で2部返り咲きを果たした。
303 ⟶ 310行目:
* 2019年 {{Flagicon|NED}} [[SBVフィテッセ]]
* 2020年 - 2021年 {{Flagicon|BRA}} [[ボタフォゴFR]]
* 2021年3月 - 6月 {{Flagicon|AZE}} [[ネフチ・バクー]]
* 2021年9月 - 同年11月 {{Flagicon|LTU}} [[FKスードゥヴァ・マリヤンポレ|FKスードゥヴァ]]
* 2024年8月 {{Flagicon|BTN}} {{仮リンク|パロFC|en|Paro FC}}
 
== 選手成績 ==
324 ⟶ 332行目:
|2008-09||rowspan="2"|10||[[エールステ・ディヴィジ|エールステ]]||36||16||colspan="2"|-||1||0||37||16
|-
|[[エールディヴィジ 2009-10|2009-10]]||[[エールディヴィジ]]||18||6||colspan="2"|-||2||2||20||8
{{サッカー選手国内成績表 th|ロシア|all}}
|-
352 ⟶ 360行目:
{{サッカー選手国内成績表 th|オランダ|all}}
|-
|2019-20||[[SBVフィテッセ|フィテッセ]]||33||[[エールディヴィジ]]||4||0||colspan="2"|-||colspan="2"|-||4||0
{{サッカー選手国内成績表 th|ブラジル|all}}
|-
363 ⟶ 371行目:
|-
|2021||[[FKスードゥヴァ・マリヤンポレ|FKスードゥヴァ]]||3||[[Aリーガ]]||6 ||1 ||colspan="2"|-||colspan="2"|-||6 ||1
{{サッカー選手国内成績表 通算始th|10ブータン|日本|J1all}}90||11||10||2||5||0||105||13
|-
|2024||[[パロFC|パロ]]||4||[[A-ディヴィジョン]]||1||0||colspan=2|-||colspan=2|-||1||0
{{サッカー選手国内成績表 通算始|11|日本|J1}}90||11||10||2||5||0||105||13
{{サッカー選手国内成績表 通算行|オランダ|エールディヴィジ}}36||8||colspan="2"|-||2||2||38||10
{{サッカー選手国内成績表 通算行|オランダ|エールステ}}36||16||colspan="2"|-||1||0||37||16
373 ⟶ 384行目:
{{サッカー選手国内成績表 通算行|アゼルバイジャン|プレミア}}7||2||colspan="2"|-||colspan="2"|-||7||2
{{サッカー選手国内成績表 通算行|リトアニア|Aリーガ}}6 ||1 ||colspan="2"|-||colspan="2"|-||6 ||1
{{サッカー選手国内成績表 通算行|ブータン|A-ディヴィジョン}}4151||860||40colspan=2||8||8-||colspan=2|-||4631||960
{{サッカー選手国内成績表 通算終}}416||86||40||8||8||2||464||96
|}
2004年は[[特別指定選手]]として出場。
413 ⟶ 425行目:
* 2010年 - [[UEFAヨーロッパリーグ 2010-11]] プレーオフ 1試合0得点
* 2012年 - [[UEFAヨーロッパリーグ 2012-13]] プレーオフ 2試合1得点
* 2024年 - AFCチャレンジリーグ 24/25 プレーオフ 1試合0得点
 
== 監督成績 ==
435 ⟶ 448行目:
 
== 代表歴 ==
 
*国際Aマッチ初出場 - 2008年6月22日 [[2010 FIFAワールドカップ・アジア予選|2010 FIFAワールドカップ・アジア3次予選]] vs[[サッカーバーレーン代表|バーレーン代表]]([[埼玉スタジアム2002]])<ref name="daihyo" />
*国際Aマッチ初得点 - 2009年5月27日 [[キリンカップサッカー2009]] vs[[サッカーチリ代表|チリ代表]]([[長居陸上競技場|長居スタジアム]])<ref name="daihyo" />
 
=== 出場大会 ===
479 ⟶ 495行目:
!通算
|98||37
|}
 
===出場===
{|class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed"
! # !! 開催日 !! 開催地
!スタジアム!! 対戦国 !! 勝敗 !! 監督 !! 試合概要
|-
|1.||2008年06月22日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]|| rowspan="2" |{{fb|BHR}}||○1-0||rowspan="5"|[[岡田武史]]||[[2010 FIFAワールドカップ・アジア3次予選]]
|-
|2.||2009年01月28日||{{Flagicon|BHR}}[[マナーマ]]||[[バーレーン・ナショナル・スタジアム]]||●0-1||[[AFCアジアカップ2011 (予選)|AFCアジアカップ2011・最終予選]]
|-
|3.||2009年05月27日||{{Flagicon|JPN}}[[大阪府]]||[[長居陸上競技場]]||{{fb|CHI}}||○4-0|| rowspan="2" |[[キリンカップサッカー2009]]
|-
|4.||2009年05月31日||{{Flagicon|JPN}}[[東京都]]||[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場]]||{{fb|BEL}}||○4-0
|-
|5.||2009年06月06日||{{Flagicon|UZB}}[[タシケント]]||[[パフタコール・マルカジイ・スタジアム]]||{{fb|UZB}}||○1-0|| rowspan="2" |[[2010 FIFAワールドカップ・アジア4次予選]]
|-
|6.||2009年06月10日||{{Flagicon|JPN}}[[神奈川県]]||[[横浜国際総合競技場]]||{{fb|QAT}}||△1-1||[[大木武]](代行)
|-
|7.||2009年09月05日||{{Flagicon|NED}}[[エンスヘーデ]]||[[デ・フロルーシュ・フェステ]]||{{fb|NED}}||●0-3||rowspan="13"|[[岡田武史]]|| rowspan="2" |[[エキシビション|国際親善試合]]
|-
|8.||2009年09月09日||{{Flagicon|NED}}[[ユトレヒト]]||[[スタディオン・ハルヘンワールト]]||{{fb|GHA}}||○4-3
|-
|9.||2009年10月10日||{{Flagicon|JPN}}[[神奈川県]]||[[横浜国際総合競技場]]||{{fb|SCO}}||○2-0|| rowspan="2" |[[サッカー日本代表の国際親善試合|キリンチャレンジカップ]]2009
|-
|10.||2009年10月14日||{{Flagicon|JPN}}[[宮城県]]||[[宮城スタジアム]]||{{fb|TOG}}||○5-0
|-
|11.||2009年11月14日||{{Flagicon|RSA}}[[ポート・エリザベス]]||[[ネルソン・マンデラ・ベイ・スタジアム]]||{{fb|RSA}}||△0-0||国際親善試合
|-
|12.||2010年03月03日||{{Flagicon|JPN}}[[愛知県]]||[[豊田スタジアム]]||{{fb|BHR}}||○2-0||[[AFCアジアカップ2011 (予選)|AFCアジアカップ2011・最終予選]]
|-
|13.||2010年05月24日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|KOR}}||●0-2||キリンチャレンジカップ2010
|-
|14.||2010年05月30日||{{Flagicon|AUT}}[[グラーツ]]||[[グラーツ・リーベナウ・シュターディオン|UPCアレーナ]]||{{fb|ENG}}||●1-2|| rowspan="2" |国際親善試合
|-
|15.||2010年06月04日||{{Flagicon|SUI}}[[シオン]]||[[スタッド・ドゥ・トゥールビヨン]]||{{fb|CIV}}||●0-2
|-
|16.||2010年06月14日||{{Flagicon|RSA}}[[ブルームフォンテーン]]||[[フリーステイト・スタジアム]]||{{fb|CMR}}||○1-0|| rowspan="4" |[[2010 FIFAワールドカップ]]
|-
|17.||2010年06月19日||{{Flagicon|RSA}}[[ダーバン]]||[[モーゼス・マヒダ・スタジアム]]||{{fb|NED}}||●0-1
|-
|18.||2010年06月24日||{{Flagicon|RSA}}[[ルステンブルク]]||[[ロイヤル・バフォケン・スタジアム]]||{{fb|DEN}}||○3-1
|-
|19.||2010年06月29日||{{Flagicon|RSA}}[[プレトリア]]||[[ロフタス・ヴァースフェルド・スタジアム]]|| rowspan="2" |{{fb|PAR}}||△0-0(PK3-5)
|-
|20.||2010年09月04日||{{Flagicon|JPN}}[[神奈川県]]||[[横浜国際総合競技場]]||○1-0||rowspan="2"|[[原博実]](代行)|| rowspan="3" |キリンチャレンジカップ2010
|-
|21.||2010年09月07日||{{Flagicon|JPN}}[[大阪府]]||[[長居陸上競技場]]||{{fb|GUA}}||○2-1
|-
|22.||2010年10月08日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|ARG}}||○1-0||rowspan="38"|[[アルベルト・ザッケローニ]]
|-
|23.||2010年10月12日||{{Flagicon|KOR}}[[ソウル]]||[[ソウルワールドカップ競技場]]||{{fb|KOR}}||△0-0||国際親善試合
|-
|24.||2011年01月09日|| rowspan="5" |{{Flagicon|QAT}}[[ドーハ]]|| rowspan="2" |[[カタールSCスタジアム]]||{{fb|JOR}}||△1-1|| rowspan="5" |[[AFCアジアカップ2011]]
|-
|25.||2011年01月13日||{{fb|SYR}}||○2-1
|-
|26.||2011年01月21日|| rowspan="2" |[[サーニー・ビン・ジャーシム・スタジアム|アル・ガラファ・スタジアム]]||{{fb|QAT}}||○3-2
|-
|27.||2011年01月25日||{{fb|KOR}}||△2-2(PK3-0)
|-
|28.||2011年01月29日||[[ハリーファ国際スタジアム]]||{{fb|AUS}}||○1-0(延長)
|-
|29.||2011年06月01日||{{Flagicon|JPN}}[[新潟県]]||[[新潟スタジアム]]||{{fb|PER}}||△0-0|| rowspan="2" |[[キリンカップサッカー2011]]
|-
|30.||2011年06月07日||{{Flagicon|JPN}}[[神奈川県]]||[[横浜国際総合競技場]]||{{fb|CZE}}||△0-0
|-
|31.||2011年08月10日||{{Flagicon|JPN}}[[北海道]]||[[札幌ドーム]]||{{fb|KOR}}||○3-0||キリンチャレンジカップ2011
|-
|32.||2012年05月23日||{{Flagicon|JPN}}[[静岡県]]||[[静岡県小笠山総合運動公園スタジアム]]||{{fb|AZE}}||○2-0||キリンチャレンジカップ2012
|-
|33.||2012年06月03日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|OMA}}||○3-0|| rowspan="3" |[[2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選]]
|-
|34.||2012年06月08日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|JOR}}||○6-0
|-
|35.||2012年06月12日||{{Flagicon|AUS}}[[ブリスベン]]||[[サンコープ・スタジアム|ブリスベン・スタジアム]]||{{fb|AUS}}||△1-1
|-
|36.||2012年08月15日||{{Flagicon|JPN}}[[北海道]]||[[札幌ドーム]]||{{fb|VEN}}||△1-1|| rowspan="2" |キリンチャレンジカップ2012
|-
|37.||2012年09月06日||{{Flagicon|JPN}}[[新潟県]]||[[新潟スタジアム]]||{{fb|UAE}}||○1-0
|-
|38.||2012年09月11日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|IRQ}}||○1-0||[[2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選]]
|-
|39.||2012年10月16日||{{Flagicon|POL}}[[ヴロツワフ]]||[[ヴロツワフ市立競技場]]||{{fb|BRA}}||●0-4||国際親善試合
|-
|40.||2012年11月14日||{{Flagicon|OMA}}[[マスカット]]||[[スルタン・カーブース・スポーツコンプレックス|スルタン・カーブース・スポーツ・コンプレックス]]||{{fb|OMA}}||○2-1||[[2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選]]
|-
|41.||2013年02月06日||{{Flagicon|JPN}}[[兵庫県]]||[[御崎公園球技場]]||{{fb|LVA}}||○3-0||キリンチャレンジカップ
|-
|42.||2013年06月04日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|AUS}}||△1-1||[[2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選]]
|-
|43.||2013年06月15日||{{Flagicon|BRA}}[[ブラジリア]]||[[エスタジオ・ナシオナル・デ・ブラジリア]]||{{fb|BRA}}||●0-3|| rowspan="3" |[[FIFAコンフェデレーションズカップ2013]]
|-
|44.||2013年06月19日||{{Flagicon|BRA}}[[レシフェ]]||[[アレナ・ペルナンブーコ]]||{{fb|ITA}}||●3-4
|-
|45.||2013年06月22日||{{Flagicon|BRA}}[[ベロオリゾンテ]]||[[エスタジオ・ゴベルナドール・マガリャンイス・ピント|ミネイロン]]||{{fb|MEX}}||●1-2
|-
|46.||2013年08月14日||{{Flagicon|JPN}}[[宮城県]]||[[宮城スタジアム]]||{{fb|URU}}||●2-4|| rowspan="3" |キリンチャレンジカップ2013
|-
|47.||2013年09月06日||{{Flagicon|JPN}}[[大阪府]]||[[長居陸上競技場]]||{{fb|GUA}}||○3-0
|-
|48.||2013年09月10日||{{Flagicon|JPN}}[[神奈川県]]||[[横浜国際総合競技場]]||{{fb|GHA}}||○3-1
|-
|49.||2013年10月11日||{{Flagicon|SRB}}[[ノビサド]]||[[スタディオン・カラジョルジェ]]||{{fb|SRB}}||●0-2|| rowspan="4" |国際親善試合
|-
|50.||2013年10月15日||{{Flagicon|BLR}}[[ミンスク]]||[[トルペド・スタジアム(ジョジナ)|トルペド・スタジアム]]||{{fb|BLR}}||●0-1
|-
|51.||2013年11月16日||{{Flagicon|BEL}}[[ヘンク]]||[[セゲカ・アレーナ|クリスタル・アレナ]]||{{fb|NED}}||△2-2
|-
|52.||2013年11月19日||{{Flagicon|BEL}}[[ブリュッセル]]||[[ボードゥアン国王競技場]]||{{fb|BEL}}||○3-2
|-
|53.||2014年03月05日||{{Flagicon|JPN}}[[東京都]]||[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場]]||{{fb|NZL}}||○4-2|| rowspan="2" |キリンチャレンジカップ2014
|-
|54.||2014年05月27日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|CYP}}||○1-0
|-
|55.||2014年06月02日|| rowspan="2" |{{Flagicon|USA}}[[タンパ]]|| rowspan="2" |[[レイモンド・ジェームス・スタジアム]]||{{fb|CRC}}||○3-1|| rowspan="2" |国際親善試合
|-
|56.||2014年06月06日||{{fb|ZAM}}||○4-3
|-
|57.||2014年06月14日||{{Flagicon|BRA}}[[レシフェ]]||[[アレナ・ペルナンブーコ]]||{{fb|CIV}}||●1-2|| rowspan="3" |[[2014 FIFAワールドカップ]]
|-
|58.||2014年06月19日||{{Flagicon|BRA}}[[ナタール]]||[[アレーナ・ダス・ドゥーナス]]||{{fb|GRE}}||△0-0
|-
|59.||2014年06月24日||{{Flagicon|BRA}}[[クイアバ]]||[[アレーナ・パンタナール]]||{{fb|COL}}||●1-4
|-
|60.||2014年09月05日||{{Flagicon|JPN}}[[北海道]]||[[札幌ドーム]]||{{fb|URU}}||●0-2||rowspan="10"|[[ハビエル・アギーレ]]|| rowspan="3" |キリンチャレンジカップ2014
|-
|61.||2014年09月09日||{{Flagicon|JPN}}[[神奈川県]]||[[横浜国際総合競技場]]||{{fb|VEN}}||△2-2
|-
|62.||2014年10月10日||{{Flagicon|JPN}}[[新潟県]]||[[新潟スタジアム]]||{{fb|JAM}}||○1-0
|-
|63.||2014年10月14日||{{Flagicon|SIN}}[[シンガポール]]||[[シンガポール・ナショナルスタジアム]]||{{fb|BRA}}||●0-4||国際親善試合
|-
|64.||2014年11月14日||{{Flagicon|JPN}}[[愛知県]]||[[豊田スタジアム]]||{{fb|HON}}||○6-0|| rowspan="2" |キリンチャレンジカップ2014
|-
|65.||2014年11月18日||{{Flagicon|JPN}}[[大阪府]]||[[長居陸上競技場]]||{{fb|AUS}}||○2-1
|-
|66.||2015年01月12日||{{Flagicon|AUS}}[[ニューカッスル]]||[[ニューカッスル国際スポーツセンター|ニューカッスル・スタジアム]]||{{fb|PLE}}||○4-0|| rowspan="4" |[[AFCアジアカップ2015]]
|-
|67.||2015年01月16日||{{Flagicon|AUS}}[[ブリスベン]]||[[サンコープ・スタジアム|ブリスベン・スタジアム]]||{{fb|IRQ}}||○1-0
|-
|68.||2015年01月20日||{{Flagicon|AUS}}[[メルボルン]]||[[メルボルン・レクタンギュラー・スタジアム]]||{{fb|JOR}}||○2-0
|-
|69.||2015年01月23日||{{Flagicon|AUS}}[[シドニー]]||[[スタジアム・オーストラリア]]||{{fb|UAE}}||△1-1(PK4-5)
|-
|70.||2015年03月27日||{{Flagicon|JPN}}[[大分県]]||[[大分スポーツ公園総合競技場]]||{{fb|TUN}}||○2-0||rowspan="24"|[[ヴァイッド・ハリルホジッチ]]||キリンチャレンジカップ2015
|-
|71.||2015年03月31日||{{Flagicon|JPN}}[[東京都]]||[[東京スタジアム]]||{{fb|UZB}}||○5-1||JALチャレンジカップ2015
|-
|72.||2015年06月11日||{{Flagicon|JPN}}[[神奈川県]]||[[横浜国際総合競技場]]||{{fb|IRQ}}||○4-0||キリンチャレンジカップ2015
|-
|73.||2015年06月16日|| rowspan="2" |{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]|| rowspan="2" |[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|SIN}}||△0-0|| rowspan="4" |[[2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選]]
|-
|74.||2015年09月03日||{{fb|CAM}}||○3-0
|-
|75.||2015年09月08日||{{Flagicon|IRN}}[[テヘラン]]||[[アザディ・スタジアム]]||{{fb|AFG}}||○6-0
|-
|76.||2015年10月08日||{{Flagicon|OMA}}[[マスカット]]||[[シーブ・スタジアム]]||{{fb|SYR}}||○3-0
|-
|77.||2015年10月13日||{{Flagicon|IRN}}[[テヘラン]]||[[アザディ・スタジアム]]||{{fb|IRN}}||△1-1||国際親善試合
|-
|78.||2015年11月12日||{{Flagicon|SIN}}[[シンガポール]]||[[シンガポール・ナショナルスタジアム]]||{{fb|SIN}}||○3-0|| rowspan="3" |[[2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選]]
|-
|79.||2015年11月17日||{{Flagicon|CAM}}[[プノンペン]]||[[プノンペン・オリンピックスタジアム]]||{{fb|CAM}}||○2-0
|-
|80.||2016年03月29日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|SYR}}||○5-0
|-
|81.||2016年09月01日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|UAE}}||●1-2|| rowspan="4" |[[2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選]]
|-
|82.||2016年09月06日||{{Flagicon|THA}}[[バンコク]]||[[ラジャマンガラ競技場]]||{{fb|THA}}||○2-0
|-
|83.||2016年10月06日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|IRQ}}||○2-1
|-
|84.||2016年10月11日||{{Flagicon|AUS}}[[メルボルン]]||[[ドックランズ・スタジアム]]||{{fb|AUS}}||△1-1
|-
|85.||2016年11月11日||{{Flagicon|JPN}}[[茨城県]]||[[茨城県立カシマサッカースタジアム]]||{{fb|OMA}}||○4-0||キリンチャレンジカップ2016
|-
|86.||2016年11月15日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|KSA}}||○2-1|| rowspan="3" |[[2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選]]
|-
|87.||2017年03月23日||{{Flagicon|UAE}}[[アル・アイン]]||[[ハッザーア・ビン・ザーイド・スタジアム]]||{{fb|UAE}}||○2-0
|-
|88.||2017年03月28日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|THA}}||○4-0
|-
|89.||2017年06月07日||{{Flagicon|JPN}}[[東京都]]||[[東京スタジアム]]||{{fb|SYR}}||△1-1||国際親善試合
|-
|90.||2017年06月13日||{{Flagicon|IRN}}[[テヘラン]]||[[シャヒード・ダストゲルディ・スタジアム]]||{{fb|IRQ}}||△1-1|| rowspan="2" |[[2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選]]
|-
|91.||2017年09月05日||{{Flagicon|KSA}}[[ジッダ]]||[[キング・アブドゥッラー・スポーツシティ|キング・アブドゥッラー・スポーツ・シティ]]||{{fb|KSA}}||●0-1
|-
|92.||2018年03月23日|| rowspan="2" |{{Flagicon|BEL}}[[リエージュ]]|| rowspan="2" |[[スタッド・モーリス・デュフラン]]||{{fb|MLI}}||△1-1||国際親善試合
|-
|93.||2018年03月27日||{{fb|UKR}}||●1-2||キリンチャレンジカップ2018 in EUROPE
|-
|94.||2018年05月30日||{{Flagicon|JPN}}[[神奈川県]]||[[横浜国際総合競技場]]||{{fb|GHA}}||●0-2||rowspan="5"|[[西野朗]]||キリンチャレンジカップ2018
|-
|95.||2018年06月08日||{{Flagicon|SUI}}[[ルガーノ]]||[[スタディオ・コルナレド]]||{{fb|SUI}}||●0-2||国際親善試合
|-
|96.||2018年06月19日||{{Flagicon|RUS}}[[サランスク]]||[[モルドヴィア・アリーナ]]||{{fb|COL}}||○2-1|| rowspan="3" |[[2018 FIFAワールドカップ]]
|-
|97.||2018年06月24日||{{Flagicon|RUS}}[[エカテリンブルク]]||[[セントラル・スタジアム (エカテリンブルク)|エカテリンブルク・アリーナ]]||{{fb|SEN}}||△2-2
|-
|98.||2018年07月02日||{{Flagicon|RUS}}[[ロストフ・ナ・ドヌ]]||[[ロストフ・アリーナ]]||{{fb|BEL}}||●2-3
|}
 
484 ⟶ 702行目:
{{legend|#fdd|FIFAワールドカップでの得点|border=#AAAAAA}}
{|class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed"
! # !! 開催年月日 !! 開催地
!スタジアム!! 対戦国 !! 勝敗 !! 試合概要
|-
| 1. || 2009年5月27日 || 日本、大阪 || {{CHIfFlagicon|JPN}} || ○4-0 || [[キリンカップサッカー2009大阪府]]
|[[長居陸上競技場|大阪長居スタジアム]]|| {{CHIf}} || ○4-0 || [[キリンカップサッカー2009]]
|-
| 2. || 2009年10月10日 || 日本、{{Flagicon|JPN}}[[神奈川県]]
|[[横浜 国際総合競技場]]|| {{SCOf}} || ○2-0 ||rowspan="2"| [[サッカー日本代表の国際親善試合|キリンチャレンジカップ]]2009
|-
| 3. || 2009年10月14日 || 日本、宮城 || {{TGOfFlagicon|JPN}} || ○5-0[[宮城県]]
|[[宮城スタジアム]]|| {{TGOf}} || ○5-0
|-
| 4. || 2010年3月3日 || 日本、{{Flagicon|JPN}}[[愛知県]]
|[[豊田 スタジアム]]|| {{BHRf}} || ○2-0 || [[AFCアジアカップ2011 (予選)|AFCアジアカップ2011 予選]]
|- style="background-color:#fdd;"
| 5. || 2010年6月14日 || 南アフリカ、{{Flagicon|RSA}}[[ブルームフォンテーン ]]
|[[フリーステイト・スタジアム]]|| {{CMRf}} || ○1-0 ||rowspan="2"| [[2010 FIFAワールドカップ・グループE|2010 FIFAワールドカップ]]
|- style="background-color:#fdd;"
| 6. || 2010年6月24日 || 南アフリカ、{{Flagicon|RSA}}[[ルステンブルク || {{DENf}} || ○3-1]]
|[[ロイヤル・バフォケン・スタジアム]]|| {{DENf}} || ○3-1
|-
| 7. || 2011年1月13日 || {{Flagicon|QAT}}[[ドーハ]]
|[[カタール、ドーハ SCスタジアム]]|| {{SYRf}} || ○2-1 || [[AFCアジアカップ2011]]
|-
| 8. || 2011年8月10日 ||日本、{{Flagicon|JPN}}[[北海道]]
|[[札幌 ドーム]]|| {{KORf}} || ○3-0|| キリンチャレンジカップ2011
|-
| 9. || 2012年6月3日 || 日本、rowspan="4" | {{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]
| rowspan="4" |[[埼玉スタジアム2002]]|| {{OMNf}} || ○3-0 || rowspan="4"|[[2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選]]
|-
| 10. || rowspan="3"|2012年6月8日 || rowspan="3"|日本、埼玉 || rowspan="3"|{{JORf}} || rowspan="3"|○6-0
|-
| 11.
510 ⟶ 738行目:
| 12.
|-
| 13. || 2013年2月6日 || 日本、{{Flagicon|JPN}}[[兵庫県]]
|[[御崎公園球技場|ホームズスタジアム神戸]]|| {{LVAf}} || ○3-0 || キリンチャレンジカップ2013
|-
| 14. || 2013年6月4日 || 日本、{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]
|[[埼玉スタジアム2002]]|| {{AUSf}} || △1-1 || 2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
|-
| 15. || 2013年6月19日 || [[ブラジル]]、{{Flagicon|BRA}}[[レシフェ]]
|[[エスタジオ・ナシオナル・デ・ブラジリア]]|| {{ITAf}} || ●3-4 || [[FIFAコンフェデレーションズカップ2013]]
|-
| 16. || 2013年8月15日 || 日本、{{Flagicon|JPN}}[[宮城 県]]
|[[宮城スタジアム]]|| {{URUf}} || ●2-4 || rowspan="3"|キリンチャレンジカップ2013
|-
| 17. || 2013年9月6日 || 日本、大阪 || {{GTMfFlagicon|JPN}} || ○3-0[[大阪府]]
|[[長居陸上競技場|大阪長居スタジアム]]|| {{GTMf}} || ○3-0
|-
| 18. || 2013年9月10日 || 日本、横浜 || {{GHAfFlagicon|JPN}} || ○3-1[[神奈川県]]
|[[横浜国際総合競技場]]|| {{GHAf}} || ○3-1
|-
| 19. || 2013年11月16日 || [[ベルギー]]、{{Flagicon|BEL}}[[ヘンク]] || {{NEDf}} || △2-2 || rowspan="4"|国際親善試合
|[[セゲカ・アレーナ|クリスタル・アレナ]]|| {{NEDf}} || △2-2 || rowspan="4"|国際親善試合
|-
| 20. || 2013年11月19日 || ベルギー、{{Flagicon|BEL}}[[ブリュッセル]] || {{BELf}} || ○3-2
|[[ボードゥアン国王競技場]]|| {{BELf}} || ○3-2
|-
| 21. || rowspan="2"|2014年6月6日 || rowspan="2"|[[アメリカ合衆国{{Flagicon|アメリカ]]、USA}}[[タンパ]] || rowspan="2"|{{ZMBf}} || rowspan="2"|○4-3
| rowspan="2" |[[レイモンド・ジェームス・スタジアム]]|| rowspan="2" |{{ZMBf}} || rowspan="2"|○4-3
|-
| 22.
|- style="background-color:#fdd;"
| 23. || 2014年6月14日 || ブラジル、{{Flagicon|BRA}}[[レシフェ ]]
|[[アレナ・ペルナンブーコ]]|| {{CIVf}} || ●1-2 || [[2014 FIFAワールドカップ・グループC|2014 FIFAワールドカップ]]
|-
| 24. || 2014年11月14日 || 日本、{{Flagicon|JPN}}[[愛知県]]
|[[豊田 スタジアム]]|| {{HNDf}} || ○6-0 || キリンチャレンジカップ2014
|-
| 25. || 2015年1月12日 || [[オーストラリア]]、{{Flagicon|AUS}}[[ニューカッスル (ニューサウスウェールズ州)|ニューカッスル]] || {{PLEf}} || ○4-0 || rowspan="3"|[[AFCアジアカップ2015]]
|[[ニューカッスル国際スポーツセンター|ニューカッスル・スタジアム]]|| {{PLEf}} || ○4-0 || rowspan="3"|[[AFCアジアカップ2015]]
|-
| 26. || 2015年1月16日 || オーストラリア、{{Flagicon|AUS}}[[ブリスベン]] || {{IRQf}} || ○1-0
|[[サンコープ・スタジアム|ブリスベン・スタジアム]]|| {{IRQf}} || ○1-0
|-
| 27. || 2015年1月20日 || オーストラリア、{{Flagicon|AUS}}[[メルボルン]] || {{JORf}} || ○2-0
|[[メルボルン・レクタンギュラー・スタジアム]]|| {{JORf}} || ○2-0
|-
| 28. || 2015年3月27日 || 日本、大分|| {{TUNfFlagicon|JPN}} || ○2-0 || rowspan="2"|キリンチャレンジカップ2015[[大分県]]
|[[大分スポーツ公園総合競技場|大分ビッグアイ]]|| {{TUNf}} || ○2-0 || rowspan="2"|キリンチャレンジカップ2015
|-
| 29. || 2015年6月11日 || 日本、横浜 || {{IRQfFlagicon|JPN}} || ○4-0[[神奈川県]]
|[[横浜国際総合競技場]]|| {{IRQf}} || ○4-0
|-
| 30. || 2015年9月3日 || 日本、{{Flagicon|JPN}}[[埼玉 県]]
|[[埼玉スタジアム2002]]|| {{CAMf}} || ○3-0 || rowspan="6"|[[2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選]]
|-
| 31. || 2015年9月8日 || [[イラン]]、{{Flagicon|IRN}}[[テヘラン]] || {{AFG2013f}} || ○6-0
|[[アザディ・スタジアム]]|| {{AFG2013f}} || ○6-0
|-
| 32. || 2015年10月8日 || [[オマーン]]、{{Flagicon|OMA}}[[マスカット]] || {{SYRf}} || ○3-0
|[[シーブ・スタジアム]]|| {{SYRf}} || ○3-0
|-
| 33. || 2015年11月12日 || {{Flagicon|SGP}}[[ガポール地区]]、カラン || {{SINf}} || ○3-0
|[[シンガポール・ナショナルスタジアム]]|| {{SINf}} || ○3-0
|-
| 34. || 2015年11月17日 || [[カンボジア]]、{{Flagicon|CAM}}[[プノンペン]] || {{CAMf}} || ○2-0
|[[プノンペン・オリンピックスタジアム]]|| {{CAMf}} || ○2-0
|-
| 35. || 2016年3月29日 || 日本、埼玉rowspan="2" || {{SYRfFlagicon|JPN}} || ○5-0[[埼玉県]]
| rowspan="2" |[[埼玉スタジアム2002]]|| {{SYRf}} || ○5-0
|-
| 36. || 2016年9月1日 || 日本、埼玉 || {{UAEf}} || ●1-2 || [[2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選]]
|- style="background-color:#fdd;"
| 37. || 2018年6月24日 || [[ロシア]]、{{Flagicon|RUS}}[[エカテリンブルク]] || {{SENf}} || △2-2 || [[2018 FIFAワールドカップ]]
|[[セントラル・スタジアム (エカテリンブルク)|エカテリンブルク・アリーナ]]|| {{SENf}} || △2-2 || [[2018 FIFAワールドカップ・グループH|2018 FIFAワールドカップ]]
|}
 
567 ⟶ 818行目:
* エールディヴィジ初出場 - 2008年1月20日 第20節 vs[[PSVアイントホーフェン]]([[デ・クール]])
* エールディヴィジ初得点 - 2008年3月15日 第29節 vs[[フェイエノールト]]([[フェイエノールト・スタディオン|デ・カイプ]])
* A代表初出場 - 2008年6月22日 [[2010 FIFAワールドカップ・アジア予選|ワールドカップ・アジア3次予選]] vs[[サッカーバーレーン代表|バーレーン]]([[埼玉スタジアム2002]])<ref name="daihyo"/>
* A代表初得点 - 2009年5月27日 [[キリンカップサッカー2009|キリンカップ2009]] vs[[サッカーチリ代表|チリ]]([[長居陸上競技場|長居スタジアム]])<ref name="daihyo"/>
* ロシア・プレミアリーグ初出場・初得点 - 2010年3月12日 第1節 vs[[アムカル・ペルミ]]([[ルジニキ・スタジアム]])
* セリエA初出場 - 2014年1月12日 第19節 vs[[USサッスオーロ・カルチョ|サッスオーロ]]([[マペイ・スタジアム=チッタ・デル・トリコローレ]])
574 ⟶ 823行目:
* リーガMX初出場・初得点 - 2017年8月22日 第6節 vs[[ティブロネス・ロホス・デ・ベラクルス|ベラクルス]]([[エスタディオ・イダルゴ]])
* Aリーグ初出場・初得点 - 2018年10月20日 第1節 vs[[メルボルン・シティFC|メルボルン・シティ]]([[ドックランズ・スタジアム|マーベル・スタジアム]])
* カンピオナート・カリオカ初出場・初得点 - 2020年3月15日 第3節 vs[[バングーAC]]([[エスタジオ・オリンピコ・ジョアン・アベランジェ|エスタジオ・ニウソン・サントス]])
* アゼルバイジャン・プレミアリーグ初出場 - 2021年4月4日 第21節 vs[[スムガイトFK]]([[スムガイト・シティ・スタジアム]])
* アゼルバイジャン・プレミアリーグ初得点 - 2021年5月3日 第25節 vs[[ケシュラFK]]([[シャマキ・シティ・スタジアム]])
* Aリーガ初出場・初得点 - 2021年9月26日 第30節 vs[[FKバンガ・ガルグジュダイ]]([[スードゥヴァ・スタジアム]])
* A-ディヴィジョン初出場 - 2024年8月8日 - 第12節 vs[[チランFC]]([[チャンリミタン・スタジアム]])
 
== 指導経歴 ==
764 ⟶ 1,018行目:
[[Category:日本のサッカー指導者]]
[[Category:星稜高等学校・中学校出身の人物]]
[[Category:大阪府出身の人物スポーツ選手]]
[[Category:1986年生]]
[[Category:存命人物]]