「オーヴァーロード作戦」の版間の差分

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{{Battlebox
| battle_name = オーヴァーロード作戦
| campaign = campaign=第二次大戦西部戦線
| colour_scheme = background:#ffccaa
| image = [[File:NormandySupply edit.jpg|300px]]
| caption = ノルマンディーからの突破のため[[オマハ・ビーチ]]で物資を降ろす{{仮リンク|[[戦車揚陸艇|en|Landing Craft Tank|label=LCT}}]]。上空には[[阻塞気球]]が浮かぶ。
| conflict = conflict=[[第二次世界大戦]]([[西部戦線 (第二次世界大戦)|西部戦線]])
| date = 1944年6月6日 - {{要出典範囲|86月30日|date<ref name=2019年6月}}"大いなる聖戦下197">『大いなる聖戦(下)』P197</ref>
| place = [[フランス]]北部
| result = 連合軍の勝利
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* {{Flagicon|Belgium}} {{仮リンク|自由ベルギー軍|en|Free Belgian Forces}}{{Sfn|Williams|1988|p=x}}
* {{Flagicon|Czechoslovakia}} [[チェコスロバキア亡命政府|自由チェコスロバキア軍]]{{Sfn|Beevor|2009|p=492}}
* {{Flagicon|Greece|royal}} {{仮リンク|[[ギリシャ亡命政府|en|Greek government-in-exile|label=亡命ギリシャ軍}}]]{{Sfn|US Navy website}}
* {{Flagicon|Luxembourg}} {{仮リンク|自由ルクセンブルク軍|en|Free Luxembourgish forces}}{{Sfn|Luxembourg Army website}}
* {{Flagicon|Netherlands}} {{仮リンク|オランダ亡命政府|en|Dutch government-in-exile|label=亡命オランダ軍}}{{Sfn|Williams|1988|p=x}}
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}}
 
'''オーヴァーロード作戦'''(オーヴァーロードさくせん、'''{{lang-en|'''Operation Overlord}}'''。'''大君主作戦'''(だいくんしゅさくせん)とも。}})は、[[第二次世界大戦]]においてドイツ軍占領中の[[西部戦線 (第二次世界大戦)|西ヨーロッパ]]への侵攻に成功した[[連合国 (第二次世界大戦)|連合軍]]の作戦「ノルマンディーの戦い」のコードネームである。'''大君主作戦'''(だいくんしゅさくせん)とも。本作戦は、一般に'''[[D-デイ]]'''として知られる1944年6月6日、[[ノルマンディー上陸作戦]]('''ネプチューン作戦'''('''[[:en:Normandy landings|Operation Neptune]]''')、一般に'''Dデイ'''('''D-Day''')として知られる)から始まった。1,200名の[[エアボーン|空挺降下]]の後、5,000隻超が参加した[[水陸両用作戦|強襲上陸]]が行われた。初日に約16万名が[[イギリス海峡]]を渡り、8月末にはフランス国内の連合軍は200万名を超えた。
 
1943年5月、ワシントンで行われた[[第3回ワシントン会談|トライデント会談]]で、1944年にイギリス海峡を横断する侵攻の実施を決定。[[ドワイト・D・アイゼンハワー]]{{仮リンク|大将 (アメリカ軍)|en|General (United States)|label=大将}}が[[連合国遠征軍最高司令部]](SHAEF)の指揮官に、[[バーナード・モントゴメリー]]{{仮リンク|General (United Kingdom)|en|General (United Kingdom)|label=大将}}が、侵攻する全陸上部隊が属する{{仮リンク|第21軍集団|en|21st Army Group}}の指揮官に任命された。上陸地点に[[ノルマンディー地域圏|ノルマンディー]]海岸が選ばれ、アメリカ軍が[[ユタ・ビーチ|ユタ]]および[[オマハ・ビーチ|オマハ]]、イギリス軍が[[ソード・ビーチ|ソード]]および[[ゴールド・ビーチ|ゴールド]]、カナダ軍が[[ジュノー・ビーチ|ジュノー]]と名付けられた各ビーチへ上陸することとなった。ノルマンディー海岸堡で予想される事態を解決するため、{{仮リンク|マルベリー港|en|Mulberry harbour}}と呼んだ2つの人工港や、[[ホバーツ・ファニーズ]]と呼ばれた特殊戦車などの特殊技術が開発された。また、連合軍は侵攻の数か月前から、偽の電子情報や視覚情報を用いて、大規模な[[欺瞞作戦]]である{{仮リンク|ボディーガード作戦|en|Operation Bodyguard}}を実行した。これはドイツに連合軍の主上陸の日付と場所を間違えさせた。一方[[アドルフ・ヒトラー]]は、連合軍の侵攻を見越して[[エルヴィン・ロンメル]][[元帥 (ドイツ)|元帥]]に[[大西洋の壁|大西洋岸の要塞化]]を担当させた。
 
連合軍は初日の目標達成に失敗したが、細長い海岸堡を確保した。その後、徐々に戦線を拡大し、6月26日に[[シェルブール=オクトヴィル|シェルブール]]を、7月21日に[[カーン]]を占領した。8月8日のドイツ軍の反撃は失敗し、[[ファレーズ・ポケット]]に[[第7軍 (ドイツ軍)|第7軍]]の兵士5万人が取り残された。連合軍は、8月15日に南フランスへの侵攻を開始([[ドラグーン作戦]])し、8月25日には[[パリの解放|パリを奪還]]した。{{要出典範囲|ドイツ軍は8月30日にセーヌ川の向こうへ退却し、オーヴァーロード作戦は完了した。|date=2019年6月}}
 
勘違いされがちだが、本作戦は「ヨーロッパ北西部で展開された作戦全体」に名付けられている。そのため、6月30日が公式的な作戦終了日ではあるが、その定義で考えるならば作戦が正式に終了したのが1945年5月であるとも言える{{R|"大いなる聖戦下197"}}。
 
== Dデイへ向けた準備 ==
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1943年5月にワシントンで行われた[[第3回ワシントン会談|トライデント会談]]で、翌年のうちにイギリス海峡越しの侵攻作戦を実行することが決定された{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|p=11}}。チャーチルは連合軍が[[地中海の戦い (第二次世界大戦)|地中海戦線]]からドイツへ主攻撃を行うことを支持していた。しかし、兵士と物資を供給する同盟国アメリカは、チャーチルに反対した{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|p=10}}。詳細計画の策定を開始するため、イギリス軍の{{仮リンク|フレデリック・E・モーガン|en|Frederick E. Morgan}}中将が、連合国軍最高司令部参謀長(COSSAC)に任命された{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|p=11}}。上陸舟艇のほとんどがすでに地中海や太平洋戦線に投入されていたため、初期計画は使用可能な上陸舟艇の数に制約された{{Sfn|Wilmot|1997|pp=177–178, chart p. 180}}。1942年8月の[[ディエップの戦い|ディエップ強襲]]で得た教訓により、堅固に防御されたフランスの港湾に第一波上陸を直接行わないこととした{{Sfn|Whitmarsh|2009|p=9}}。また、ディエップでの失敗は、十分な砲兵と航空機の支援、特に[[近接航空支援]]と、可能な限り海岸に接近できる特殊舟艇が必要であることを明らかにした{{Sfn|Zuehlke|2004|p=23}}。幅広い航空支援は、可能な限り長く航空機が上空に留まることが必要ながら、[[スーパーマリン スピットファイア]]や[[ホーカー タイフーン]]といったイギリス軍の航空機は作戦半径が短く、潜在的な上陸地点の数は限られることとなった{{Sfn|Gilbert|1989|pp=397, 478}}。モーガンは上陸地点に4ヶ所を考えた:[[ブルターニュ]]、[[コタンタン半島]]、ノルマンディー、[[パ=ド=カレー県|パ=ド=カレー]]である。このうちブルターニュとコタンタンは半島であり、ドイツ軍が比較的狭い地域で連合軍の前進を断つことができることから除外された{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|pp=13–14}}。
 
[[ファイル:Shermans-loaded-in-LCT.jpg|thumb|left|フランス侵攻に備え、{{仮リンク|[[戦車揚陸艇|en|landing craft tank}}]](LCT)に搭載されるアメリカ軍の[[M4中戦車]]。1944年5月末か6月初め頃。]]
 
イギリスから最も近いヨーロッパ本土のパ=ド=カレーには、[[V1飛行爆弾]]と[[V2ロケット]]の発射基地が置かれ、なおも増強中であった{{Efn|name=Rockets}}。ドイツ軍はそこが最初の上陸地点として可能性が一番高いと考えており、最も要塞化した地域に造り上げた。しかし、そこは多くの川や運河に接しており、連合軍が展開できる可能性は少なかった。一方、ノルマンディーの広い正面は、[[シェルブール=オクトヴィル|シェルブール]]港と、ブルターニュのはるか西にある港湾、パリさらにはドイツへの地上攻撃の脅威を同時に与えることが可能かもしれなかった。こうしてノルマンディーが上陸地点に選ばれた{{Sfn|Ambrose|1994|pp=73–74}}。だが、またノルマンディー海岸上陸の最も重な障の弊である港湾施設がでありいう問題は、人工港を開発することで克服した{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|p=14}}。
 
COSSACは1944年5月1日に侵攻を開始する計画を立案{{Sfn|Wilmot|1997|p=170}}。計画の初期案は1943年8月の[[ケベック会談]]で承認された。[[ドワイト・D・アイゼンハワー]]大将が[[連合国遠征軍最高司令部]](SHAEF)の指揮官に{{Sfn|Gilbert|1989|p=491}}、[[バーナード・モントゴメリー]]大将が侵攻後の全陸上部隊が属する{{仮リンク|第21軍集団|en|21st Army Group}}の指揮官に任命された{{Sfn|Whitmarsh|2009|pp=12–13}}。1943年12月31日、アイゼンハワーとモントゴメリーは、2個師団の支援下で3個師団が強襲上陸するCOSSACの計画を初めて見た。すぐに二人とも、幅広い戦線で作戦を行い、かつシェルブール港の占領を早めるため、3個師団の空挺降下を伴い5個師団が第一波上陸する作戦へ規模を拡大することを主張した。作戦の拡大により、追加の上陸用艇を準備する必要から侵攻は1944年6月まで遅れることになった{{Sfn|Whitmarsh|2009|pp=12–13}}。最終的にノルマンディーの戦いに連合軍は39個師団(アメリカ軍22個師団、イギリス軍12個師団、カナダ軍3個師団、自由ポーランド軍1個師団、自由フランス軍1個師団)、100万人を超える兵士を投入し{{Sfn|Weinberg|1995|p=684}}、全てイギリス軍の指揮下に入った{{Sfn|Ellis|Allen|Warhurst|2004|pp=521–533}}{{Efn|name=British command}}。
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[[ファイル:Allied Invasion Force.jpg|thumb|upright=1.4|[[ノルマンディー上陸作戦|Dデイ]]の侵攻路の地図]]
 
「オーヴァーロード」は、ヨーロッパ大陸に大規模な{{仮リンク|[[拠点|]]([[:en|:lodgement|FIXME=1}}]])を構築する作戦に付けられたコードネームである{{Sfn|Churchill|1951|p=642}}。強襲上陸を行い確固とした海岸堡を確立する第一段階は「[[ネプチューン作戦]]」と名付けられた{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|p=14}}。そして侵攻の成功を確保するために必要な制空権を得るため、連合軍はドイツ軍の飛行機工場、燃料タンク、飛行場に対する爆撃({{仮リンク|ポイントブランク作戦|en|Operation Pointblank}})を行った。またフランス北部を分断し増援が来るのをより困難にするため、「{{仮リンク|輸送計画|en|Transport Plan}}」のもと、通信施設、道路、鉄道が爆撃された。これらの攻撃は正確な侵攻地点が明らかになるのを避けるため広範囲に行われた{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|p=14}}。さらにドイツ軍が侵攻の時期と場所を特定するのを防ぐため、入念な[[欺瞞作戦]]が計画された{{Sfn|Beevor|2009|p=3}}。
 
ノルマンディーの海岸線は17区画に分けられ、[[オマハ・ビーチ]]の西端にあるエイブル(Able)から[[ソード・ビーチ]]の東端ロジャー(Roger)まで、[[:en:Allied_military_phonetic_spelling_alphabets#United_States_military_spelling_alphabets|通話表]](現行の[[NATOフォネティックコード]]とは異なる)を用いたアルファベット順・通しのコードネームがつけられた。コタンタン半島の[[ユタ・ビーチ]]が侵攻地点に含まれるようになると西側に8区画が追加された。さらに各区画はグリーン、レッド、ホワイト、レッド3つの「セクター」順で更に細分化された{{Sfn|Buckingham|2004|p=88}}(映画「[[プライベート・ライアン]]」に登場する「ドッグ・グリーンセクター」も実在する。オマハビーチに含まれる西から4番目、更にその西端で、カルヴァドス県[[ヴィエルヴィル=シュル=メール]]に当たる)
 
連合軍の作戦立案者は、強襲上陸に先立ち、東側の[[オルヌ川]]にかかる橋を確保するためカーン近郊に、西では[[カランタン]]の北に、空挺降下を行うことを考えた。初期目標は、カランタン、{{仮リンク|イシニー=シュル=メール|en|Isigny-sur-Mer|label=イシニー}}、[[バイユー]]、そしてカーンであった。ユタとオマハに上陸するアメリカ軍は、コタンタン半島を分断しシェルブールの港湾施設を占領することが求められた。ソードとゴールドに上陸するイギリス軍とジュノーに上陸するカナダ軍は、カーンを占領し、カーン近郊に飛行場を建設する間、アメリカ軍の側面を守るため{{仮リンク|コーモン=レヴォンテ|en|Caumont-l'Éventé}}からカーン南東にかけて戦線を形成することが求められた。カーンとその周辺地域の確保は、イギリス・カナダ軍にとって[[ファレーズ (カルヴァドス県)|ファレーズ]]占領に向け南へ進撃するための確固たる足場となるものとされた。最初の三週間で[[アヴランシュ]]とファレーズを結ぶ線より北側の地域を全て占領し、それから左へ旋回して[[セーヌ川]]へ向け進撃する予定であった{{Sfn|Churchill|1951|pp=592–593}}{{Sfn|Beevor|2009|loc=Map, inside front cover}}{{Sfn|Ellis|Allen|Warhurst|2004|pp=78, 81}}。
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{{See also|{{仮リンク|ボディーガード作戦|en|Operation Bodyguard}}|欺瞞作戦}}
 
連合軍は侵攻の数か月前から、ドイツ軍が連合軍の主上陸日付と場所を誤認するよう計画された、{{仮リンク|ボディーガード作戦|en|Operation Bodyguard}}を実行した{{Sfn|Weinberg|1995|p=680}}。同作戦のうち[[フォーティテュード作戦]]は、偽の無線通信を行いドイツ軍にノルウェーへの攻撃を予想させようとするフォーティテュード・ノースと、7月にパ=ド=カレーへの上陸を行うと信じさせようとする大規模な欺瞞作戦フォーティテュード・サウスからなった。架空のアメリカ第1軍集団が、司令官[[ジョージ・パットン]]中将の下、[[ケント (イングランド)|ケント]]と[[サセックス]]に配置されているかのように立ち上げられた。連合軍は、ニセの戦車、トラック、上陸用船艇を作り、海岸近くに配置した。大軍が集結しているかのように偽装するため、{{仮リンク|カナダ第2軍団|en|II Canadian Corps}}や{{仮リンク|カナダ第2師団|en|2nd Canadian Division}}を含むいくつかの部隊が、この地域に移動した{{Sfn|Beevor|2009|p=3}}{{Sfn|Zuehlke|2004|pp=71–72}}。ニセの無線通信だけでなく、第21軍集団からの本物の通信がまず陸上通信線でケントを経由した後に、そこから無線発信することで、ドイツ軍に連合軍の大半がそこに駐屯している印象を与えようとした{{Sfn|Whitmarsh|2009|p=27}}。パットンは、第二次攻撃がカレーで行われるとドイツを欺き続けるため、7月6日までイギリスに留まった{{Sfn|Beevor|2009|p=282}}。軍人も一般市民も機密保持の必要性を認識しており、侵攻参加部隊は特に侵攻直前には可能な限り隔離された。アメリカ軍のとある将軍は、パーティで侵攻開始日を臭わすという失態を犯し本国へ送還更迭された{{Sfn|Beevor|2009|p=3}}。
 
ドイツはイギリス国内に広範囲のスパイ網を作り上げたと考えていたが、実際にはドイツのスパイは全て捕まえられており、中には{{仮リンク|ダブルクロス・システム|en|Double-Cross System}}の下、連合軍の[[二重スパイ]]となった者もいた。コードネーム「ガルボ」で知られる反ナチスのスペイン人で二重スパイの[[フアン・プホル・ガルシア]]は、Dデイまで二年以上、ドイツに彼らのために情報を収集していると信じさせた偽の情報網を作り上げた。プホルは、Dデイ前の数ヶ月、攻撃が7月にカレーで行われるとドイツに確信させるためにイギリスの情報機関により特別に用意された、数百の情報をマドリードの上役に送った{{Sfn|Whitmarsh|2009|p=27}}{{Sfn|Beevor|2009|p=4}}。
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[[ファイル:Bundesarchiv Bild 101I-719-0240-05, Pas de Calais, Atlantikwall, Panzersperren.jpg|thumb|[[パ=ド=カレー県|パ=ド=カレー]]の海岸障害物。1944年4月18日。]]
 
ロンメルはノルマンディー海岸が侵攻の上陸地点として可能性が高いと信じており、沿岸に広範囲の防御施設の建設を命じた。海岸沿いの戦略地点にコンクリート造の火砲陣地のほか、上陸用舟艇の接近を遅らせ戦車の行動を妨害するため、海岸に木の杭、金属製の三脚、地雷、大型の対戦車障害物の配置を命令した{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|pp=54–56}}。そして、歩兵が海岸で露出する時間を少なくするため連合軍は高潮時に上陸することが予想されたため、これらの障害物の多くを高潮点に配置することを命じた{{Sfn|Whitmarsh|2009|p=31}}。[[有刺鉄線]]や[[ブービートラップ]]、地面に生える植物の除去は、歩兵の接近を危険なものとした{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|pp=54–56}}。ロンメルの命令により、海岸の地雷数は53倍にされた。制空権は連合軍が支配している(連合軍はノルマンディー作戦に4,029機を、加えて爆撃と防衛に5,514機を投入したのに対し、ドイツ空軍がフランスおよび低地諸国に配備した飛行機は570機であった{{Sfn|Whitmarsh|2009|p=31}}。)ため、「{{仮リンク|ロンメルのアスパラガス|en|Rommel's asparagus}}(Rommelspargel)」と呼ばれたブービートラップ付きの杭が、空挺降下を阻止するため牧草地や野原に設置された{{Sfn|Whitmarsh|2009|p=13}}。
 
==== 機甲部隊の予備 ====
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== 侵攻 ==
{{Main|ノルマンディー上陸作戦}}
{{Quote|You are about to embark upon the Great Crusade, toward which we have striven these many months. The eyes of the world are upon you. The hopes and prayers of liberty-loving people everywhere march with you. In company with our brave Allies and brothers-in-arms on other Fronts, you will bring about the destruction of the German war machine, the elimination of Nazi tyranny over the oppressed peoples of Europe, and security for ourselves in a free world.<br>(我々がこの数か月努力してきた偉大な聖戦に、諸君は旅立とうとしている。世界中が諸君に注目している。自由を愛する人々の希望と願いはどこにいても諸君と共にある。勇敢な連合軍と他の戦線の戦友たちとともに、諸君は戦争国家ドイツを破壊し、ヨーロッパの人々を虐げているナチスの圧政を止めさせ、自由世界の我々自身の安全をもたらすこととなろう。)アイゼンハワー|連合軍将兵達への手紙{{Sfn|Whitmarsh|2009|p=42}} <ref>この文章はパソコンゲーム「[[メダル・オブ・オナー アライドアサルト]]」のノルマンディー上陸作戦のミッションでも冒頭に登場する</ref>}}
{{clear}}
(原文)You are about to embark upon the Great Crusade, toward which we have striven these many months. The eyes of the world are upon you. The hopes and prayers of liberty-loving people everywhere march with you. In company with our brave Allies and brothers-in-arms on other Fronts, you will bring about the destruction of the German war machine, the elimination of Nazi tyranny over the oppressed peoples of Europe, and security for ourselves in a free world.|アイゼンハワー|連合軍への手紙{{Sfn|Whitmarsh|2009|p=42}} }}
 
[[ファイル:Operation Tonga.jpg|thumb|left|[[アームストロング・ホイットワース アルベマール]]の前で腕時計の針を合わせる、イギリス空軍の{{仮リンク|パスファインダー (イギリス空軍)|en|Pathfinder (RAF)|label=パスファインダー}}。]]
 
1944年5月までに、150万のアメリカ兵がイギリスに到着した{{Sfn|Whitmarsh|2009|p=11}}。そのほとんどはイギリス南西部の仮設キャンプに宿営し、上陸地点の西側区画に向けてイギリス海峡を渡る準備をした。イギリス兵とカナダ兵は、さらに東の[[サウサンプトン]]から{{仮リンク|[[ニューヘブン (イースト・サセックス)|en|Newhaven, East Sussex|label=ニューヘブン}}]]にかけて、その東には第二波以降で上陸予定の兵士が宿営した。移動統制(Movement Control)と呼ばれた複雑なシステムが、兵士と車両が20か所の出発地点から日程通りの出発を行うのを確かなものとした{{Sfn|Whitmarsh|2009|p=30}}。兵士の中には出発1週間近く前に乗船しなければならなかった者もいた。船は海峡横断する船団となるため、[[ワイト島西]]西沖の合流地点(通称、コードネーム[[ピカィ・リーサーカス]]に集結した{{Sfn|Beevor|2009|p=74}}。6月5日夜に掃海部隊が航路を掃海し{{Sfn|Whitmarsh|2009|p=33}}、数千もの爆撃機が海岸陣地を攻撃するため夜明け前に飛び立った{{Sfn|Beevor|2009|p=79}}。航空機約1,200機が真夜中前にイギリスを出発し、上陸数時間前に敵戦線後方に降下する3個空挺師団を運んだ。アメリカ[[第82空挺師団 (アメリカ軍)|第82]]と[[第101空挺師団 (アメリカ軍)|第101]]両空挺師団は、ユタの西、コタンタン半島の目標を割り当てられた{{Sfn|Beevor|2009|p=51}}。{{仮リンク|第6空挺師団 (イギリス軍)|en|6th Airborne Division (United Kingdom)|label=イギリス第6空挺師団}}は、{{仮リンク|カーン運河|en|Caen Canal}}とオルヌ川にかかる橋を無傷で確保する任務を負った{{Sfn|Beevor|2009|pp=51-52}}。[[自由フランス]]第4[[第1海兵歩兵落下傘連隊 (フランス軍)|SAS]]大隊538人は、ブルターニュの目標を割り当てられた({{仮リンク|ディンソン作戦|en|Operation Dingson}}、{{仮リンク|サムウエスト作戦|en|Operation Samwest}}{{Sfn|Corta|1997|pp=64–79}})。Dデイ当日に約132,000人が船で、さらに24,000人が飛行機で輸送された{{Sfn|Whitmarsh|2009|p=30}}。準備艦砲射撃は、5:45から6:25まで、戦艦5隻、巡洋艦20隻、駆逐艦65隻、モニター艦2隻により行われた{{Sfn|Whitmarsh|2009|p=30}}{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|p=69}}。6:30頃、歩兵がビーチに到着し始めた{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|p=70}}。
 
=== ビーチ ===
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{{仮リンク|オック岬|en|Pointe du Hoc}}では、{{仮リンク|ジェームズ・ラダー|en|James Rudder}}{{仮リンク|中佐 (アメリカ軍)|en|Lieutenant colonel (United States)|label=中佐}}率いるアメリカ[[第2レンジャー大隊 (アメリカ軍)|第2レンジャー大隊]]の200名が、ロープと梯子で30メートルの崖を登り、そこにある砲台を破壊する任務を負った。上からの射撃を浴びながら崖を登ったものの、大砲はすでに運び去られていた。レンジャーは、岬の南約550メートルにある果樹園で、守られていないが使用可能な兵器を発見し、無力化した。攻撃を受け岬の兵は孤立し、捕虜となった者もいた。D+1日目の夜明けには、ラダーの下で戦闘可能な兵士は90人のみとなった。増援はD+2日目に{{仮リンク|第743戦車大隊|en|743rd Tank Battalion}}が到着するまで来なかった{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|pp=95–104}}。
 
[[ファイル:Into the Jaws of Death 23-0455M edit.jpg|thumb|left|「{{仮リ1944年6月6日、ロバート・F・サージェク|ト撮影『の顎赴く|』([[:en|:Into the Jaws of Death}}(Into the Jaws of Death)」]])。オマハで [[LCVP (アメリカ合衆国)|ヒギンズ・ボート]]から出発する[[第1歩兵師団 (アメリカ軍)|アメリカ軍第1歩兵師団]]の兵士。]]
 
最も堅固に防御された地区である[[オマハ・ビーチ]]には、第一波に[[第1歩兵師団 (アメリカ軍)|アメリカ第1歩兵師団]]が、増援に{{仮リンク|第29歩兵師団 (アメリカ軍)|en|29th Infantry Division (United States)|label=アメリカ第29歩兵師団}}が割り当てられた{{Sfn|Hughes|2010|p=5}}{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|pp=64–65, 334}}。これらは、予想していた1個連隊の敵ではなく、{{仮リンク|[[第352歩兵師団 (ドイツ国防軍)|en|352nd Infantry Division (Wehrmacht)|label=ドイツ第352歩兵師団}}]]と対峙することとなった{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|p=45}}。強い海流により、多くの上陸用舟艇が予定位置の東へ流されたり、遅らせられたりした。崖の上から射撃を受けたため、損害は他の海岸の総計を上回った{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|pp=76–77, 334}}。海岸障害物の除去が問題となり、上陸指揮官は8:30に更なる車両の上陸を中止させた。この頃、駆逐艦の一団が到着し支援砲撃を行った{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|pp=90–91}}。オマハからの出口は5つの谷しかなく、朝遅くまでに高台にたどり着いた兵はわずか600人であった。昼までに砲撃が打撃を与えドイツ軍が弾切れになり始めたので、アメリカ軍はビーチに何本かの通路を切り開くことができた。また、ドイツ軍の陣地を掃討し始め、車両がビーチから出ることができるようになった{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|pp=56, 83}}。細長い海岸堡は続く数日で拡大し、Dデイの目標はD+3日目に達成された{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|p=337}}。
 
[[ファイル:The Invasion of Normandy 1944 B5258.jpg|thumb|right|1944年6月7日のゴールド・ビーチ]]
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[[ジュノー・ビーチ]]の歩兵の上陸は荒い海のために遅れ、下船の間に大損害を受けながら、支援する戦車より先に到着した。艦砲射撃はほとんどがドイツ軍の防御陣地を外した。これらの困難に拘らず、カナダ軍は速やかにビーチの敵を一掃し内陸の村への進路を2本作った。{{仮リンク|ベニー=シュル=メール|en|Bény-sur-Mer}}の占領の遅れはビーチの渋滞をもたらしたが、日暮れまでには接続したジュノーとゴールドの海岸堡は幅19 km 奥行き10 km の地域を確保した{{Sfn|Wilmot|1997|pp=275–276}}。ジュノーの損害は961人であった{{Sfn|Beevor|2009|p=131}}。
 
[[ソード・ビーチ]]では、25両のDD戦車のうち21両が無事に上陸し、7:30に下船を開始した歩兵を援護した。彼らは速やかにビーチを掃討し、戦車のために数本の進路を開拓した。風の影響で波は予想より速く、装甲車両の操縦は困難であった{{Sfn|Wilmot|1997|pp=277–278}}。{{仮リンク|キングズ・シュロップシャー軽歩兵連隊|en|King's Shropshire Light Infantry}}第2大隊は徒歩でカーンの数キロ以内まで前進したが、戦車の支援がなく退却を余儀なくされた{{Sfn|Beevor|2009|pp=143, 148}}。16:00に{{仮リンク|第21装甲師団 (ドイツ国防軍)|en|21st Panzer Division (Wehrmacht)|label=ドイツ第21装甲師団}}がソードとジュノーの間で反撃を開始し、もう少しで海岸に到達するところであった。しかし同師団は{{仮リンク|[[第3師団 (イギリス軍)|en|3rd Division (United Kingdom)|label=イギリス第3歩兵師団}}]]の強固な抵抗に遭い、間もなくカーンとバイユーの間の地域を支援するために呼び戻された{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|pp=326–327}}{{Sfn|Wilmot|1997|p=283}}。
 
[[ファイル:2nd Infantry Division, E-1 draw, Easy Red sector, Omaha Beach, D+1, June 7, 1944.jpg|thumb|オマハビーチの増強:{{仮リンク|サン=ローラン=シュル=メール|en|Saint-Laurent-sur-Mer}}に向けて前進する[[第2歩兵師団 (アメリカ軍)|アメリカ軍第2歩兵師団]]の兵士と装備。1944年6月7日。]]
205行目:
{{Main|[[シェルブールの戦い]]|{{仮リンク|シェルブール爆撃|en|Bombardment of Cherbourg}}}}
 
西部戦区において、アメリカ軍はコタンタン半島、中でも水深が深いシェルブール港を占領することが求められた。ユタとオマハの内陸の地形は、両側に窪みを持つ高さ0.91から1.2 m の土堤にとげのある生け垣が立つ{{仮リンク|[[ボカージュ|en|bocage}}]]が特徴であった{{Sfn|Wilmot|1997|p=301}}。多くの地域が射撃壕と機関銃陣地でさらに守られていた{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|p=175}}。そしてほとんどの道路は戦車が通行するには狭すぎた{{Sfn|Wilmot|1997|p=301}}。ドイツ軍はユタの奥の土地を海岸から3.2 km まで海水で水浸しにした{{Sfn|Whitmarsh|2009|p=49}}。コタンタン半島のドイツ軍には、{{仮リンク|第91歩兵師団 (ドイツ国防軍)|en|91st Infantry Division (Wehrmacht)|label=第91歩兵師団}}と、{{仮リンク|第243定置歩兵師団 (ドイツ国防軍)|en|243rd Static Infantry Division (Wehrmacht)|label=第243}}および{{仮リンク|[[第709定置歩兵師団 (ドイツ国防軍)|en|709th Static Infantry Division (Wehrmacht)|label=第709}}歩兵師団]]の定置歩兵師団がいた{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|pp=118–120}}。D+3日目までに、連合軍の指揮官はシェルブールを早期に占領できないと認識し、さらなる増援が送り込まれるのを防ぐためコタンタン半島を分断することとした{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|p=179}}。これに未熟練の{{仮リンク|第90歩兵師団 (アメリカ軍)|en|90th Infantry Division (United States)|label=第90歩兵師団}}が失敗した後、[[第7軍団 (アメリカ軍)|第7軍団]]長の[[ジョーゼフ・ロートン・コリンズ]]中将は、ベテランの{{仮リンク|第9歩兵師団 (アメリカ軍)|en|9th Infantry Division (United States)|label=第9歩兵師団}}を投入した。第9歩兵師団は6月17日にコタンタン半島西岸に達し、シェルブールを孤立させた{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|p=182}}。第9歩兵師団に第4歩兵師団と{{仮リンク|第79歩兵師団 (アメリカ軍)|en|79th Infantry Division (United States)|label=第79歩兵師団}}が加わり、6月19日からの激しい戦闘の末、コタンタン半島を支配下に置き、シェルブールは6月26日に陥落した。このときまでにドイツ軍は港湾施設を破壊しており、シェルブール港の完全回復には9月までかかった{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|pp=185–193}}。
 
=== カーン ===
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[[ファイル:Battleforceanmapenglish.PNG|thumb|left|{{仮リンク|カーンの戦い|en|Battle for Caen}}の地図]]
 
カーン地区における、ドイツ第21装甲師団や第12SS装甲師団「ヒトラーユーゲント」などとの戦闘は、すぐに膠着状態となった{{Sfn|Beevor|2009|p=186}}。{{仮リンク|パーチ作戦|en|Operation Perch}}で、イギリス第30軍団は{{仮リンク|モン・パンソン|en|Mont Pinçon}}に向けて南への進撃を目論んだが、すぐに直接的なアプローチを取りやめ、カーンを[[翼包囲]]することにした。第30軍団は、第7機甲師団が{{仮リンク|ティリー=シュル=スール|en|Tilly-sur-Seulles}}から{{仮リンク|ヴィレル=ボカージュ (カルヴァドス県)|en|Villers-Bocage, Calvados|label=ヴィレル=ボカージュ}}へ迂回移動し、一方第1軍団が東方からカーンを抜こうとした。第1軍団の攻撃はすぐに頓挫し、第30軍団はヴィレル=ボカージュを簡単に占領した。イギリス軍の先行部隊は待ち伏せを受け、[[ヴィレル・ボカージュの戦い]]とボックスの戦い(Battle of the Box)が終日行われた。イギリス軍はティリー=シュル=スールへ退却を余儀なくされた{{Sfn|Ellis|Allen|Warhurst|2004|pp=247–254}}{{Sfn|Forty|2004|pp=36, 97}}。6月17日から23日の嵐による遅れの後、6月26日に、{{仮リンク|第8軍団 (イギリス軍)|en|VIII Corps (United Kingdom)|label=第8軍団}}が迂回してカーンを南西から攻撃し、[[オドン川]]の南に橋頭堡を作ろうとする、{{仮リンク|エプソム作戦|en|Operation Epsom}}が開始された{{Sfn|Wilmot|1997|p=342}}。本作戦ではカーンの占領は失敗したものの、使用可能な装甲部隊を全て作戦に投入したドイツ軍は戦車に大損害を受けた{{Sfn|Beevor|2009|pp=232–237}}。ドイツ軍では、ルントシュテットは戦争はもはや負けだと述べた後、7月1日に更迭され、[[ギュンター・フォン・クルーゲ]]元帥が後任となった。連合軍はカーン北部を7月7日夜に爆撃し、7月8-9日の{{仮リンク|チャーンウッド作戦|en|Operation Charnwood}}でオルヌ川の北側を占領した{{Sfn|Copp|2000|p=73}}{{Sfn|Beevor|2009|p=273}}。7月18-21日の{{仮リンク|アトランティック作戦|en|Operation Atlantic}}と{{仮リンク|グッドウッド作戦 (1944年7月)|label=グッドウッド作戦|en|Operation Goodwood}}でカーンの残りと南の高地を占領したが、その時までにカーンはほとんど破壊された{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|pp=340–341}}。7月20日には[[7月20日事件|ヒトラー暗殺計画]]が実行されたが、失敗に終わっている{{Sfn|Beevor|2009|pp=332–333}}。
 
=== 海岸堡からの突破 ===
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== その後 ==
アイゼンハワーは9月1日、連合軍の全陸上部隊の指揮官となった。そしてドイツ軍の反撃とフランスに届く物資の制約への懸念から、狭い正面の一撃ではなく幅広い正面で作戦を継続することを決定した{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|pp=341–342}}。ノルマンディーに上陸した部隊は{{仮リンク|ジークフリート線への進撃|en|drive to the Siegfried Line}}の過程で、9月12日、南フランスの連合軍と合流した{{Sfn|Wilmot|1997|p=485}}。9月17日、モントゴメリーは、英米の空挺部隊でオランダ国内の橋を確保し陸上部隊がライン川を渡りドイツへ進撃する[[マーケット・ガーデン作戦]]を開始したが失敗した{{Sfn|Ford|Zaloga|2009|pp=341–342}}。連合軍の進撃はドイツ軍の抵抗と補給不足(特に燃料)のため遅くなった。12月16日、ドイツ軍は[[バルジの戦い]]と呼ばれることになる、西部戦線最後の大攻勢であるアルデンヌ攻勢を開始した。1945年1月12日には、ソ連軍が[[ヴィスワ=オーデル攻勢]]を開始した。4月16日、[[ベルリンの戦い]]が始まる。4月30日、ソ連軍がベルリンの[[総統地下壕]]に近づくと[[アドルフ・ヒトラーの死|ヒトラーは自殺]]し、5月7日にドイツは降伏した{{Sfn|Whitmarsh|2009|p=109}}。
 
[[ファイル:Canadiannaziflag1944.jpg|thumb|upright|捕獲した[[ドイツの国旗]]を持つカナダ軍の兵士]]
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[[ファイル:The Allied Campaign in North-west Europe, 6 June 1944 - 7 May 1945 B6794.jpg|thumb|left|[[カーン]]で老婦人を護衛するイギリス兵。1944年7月。]]
 
侵攻に先立ち、SHAEFはフランスの歴史遺産の破壊を限定する必要性を強調する命令(後に[[武力紛争の際の文化財の保護に関する条約|武力紛争の際の文化財の保護に関する条約第一議定書]]の基となる)を発した。遺跡に関する公式民事リスト(Official Civil Affairs Lists of Monuments)に記されたこれらの場所は、上位司令部から許可がない限り部隊が使用することはできなかった{{Sfn|Flint|2009|p=350}}。それでも至る所で、教会の尖塔や石造りの建物がドイツ軍が使用するのを防ぐために損傷を与えられたり破壊されたりした{{Sfn|Beevor|2009|p=520}}。再建する作業者が道路修理のために重要な廃墟から瓦礫を使用するのを防いだり、芸術品を探すのを防ぐ努力がなされた{{Sfn|Flint|2009|p=354}}。[[バイユーのタペストリー]]や他の文化財は戦争開始時からル・マン近郊の{{仮リンク|スルシェ城(Château|en|Château de Sourches)Sourches}}に保管され、無傷であった{{Sfn|Flint|2009|p=352}}。ドイツ軍もまた保護する建物のリストを作成していたが、その目的は良好な状態に保ちドイツ軍の宿舎とするためであった{{Sfn|Flint|2009|p=354}}{{Sfn|Flint|2009|p=354}}。
 
ノルマンディーの多くの都市と町が戦闘や爆撃により完全に破壊された。{{仮リンク|カーンの戦い|en|Battle of Caen}}の終了時には、6万人を超える住民に対し居住可能な住居は8,000しか残っていなかった{{Sfn|Beevor|2009|p=520}}。カーンにあった18の教会は、66のモニュメントとともに、4つが大被害を受け、5つが破壊された{{Sfn|Flint|2009|p=352}}。ノルマンディー海岸堡があった[[カルヴァドス県]]では、住民76,000人が家を失った。カーンでは戦前210人いたユダヤ人のうち、戦争を生き抜いた者は1人のみであった{{Sfn|Flint|2009|p=337}}。
 
略奪は全ての陣営-退却するドイツ軍、侵攻する連合軍(例を挙げると、イギリス軍はカーンの{{仮リンク|ノルマンディー骨董品博物館(Musée|fr|Musée des Antiquaires)antiquaires de Normandie|label=骨董品博物館}}やバイユー近郊の{{仮リンク|オドゥリュー城(Château|fr|Château d'Audrieu)Audrieu}}を略奪した)、フランスの地元住民-が参加した関心事であった{{Sfn|Flint|2009|p=354}}。
 
略奪は連合軍では絶対に許されず、犯人は処罰された{{Sfn|Flint|2009|p=292}}。一方で、現地での米兵の規律は十分に保たれていたとは言えず、地元には「ドイツ人を見て隠れるのは男たちだったが、米兵の場合は女たちを隠さねばならなかった」という話が伝わっているという。特に[[ル・アーブル]]やシェルブールでは米兵らは手当たり次第に現地女性と[[性行為]]に及び、「セックスをしている男女を見かけずに街を歩くことは不可能」なほどで、[[強姦|レイプ]]も多数報告されている。外国で戦う兵士たちへ向けて『[[ライフ (雑誌)|ライフ]]』などの米誌がフランスを「快楽主義者4000万人が住む巨大な売春宿」呼ばわりし、米軍機関紙「[[星条旗新聞]]」がフランス女性を口説くための[[フランス語]]フレーズを連載するなどの[[プロパガンダ]]が行われていたこともこの背景にあった<ref>{{Cite web|和書|title=「解放者」米兵、ノルマンディー住民にとっては「女性に飢えた荒くれ者」|url=https://www.afpbb.com/articles/-/2946474|website=www.afpbb.com|accessdate=2019-06-11|publisher=AFP|date=2013-05-27}}</ref>。
 
== 戦争記念施設と観光 ==
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* [[ドラグーン作戦]]
* [[ダウンフォール作戦]]
* [[コンバット!]]
 
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
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== 外部リンク ==