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{{表記揺れ案内|表記1=サンタクロース|表記2=サンタ・クロース|表記3=サンタ|議論ページ=|font-size=medium}}
[[ファイル:20121123 SantaClaus-Chicago.JPG|サムネイル|サンタクロース]]
'''サンタクロース'''({{Lang-en-short|Santa Claus}}{{Efn|{{IPA-en|ˈsæntə klɔːz}}}})は伝説上の人物で、赤い服を着て白い髯をはやした[[老人]]の姿で知られる<ref>{{Cite Kotobank|サンタクロース|authorencyclopedia=小学館「デジタル大辞泉」|accessdate=2021年12月23日}}</ref><ref>{{Cite Kotobank|サンタクロース|authorencyclopedia=小学館「精選版 日本国語大辞典」|accessdate=2021年12月23日}}</ref>。[[トナカイ]]のひく空飛ぶ[[そり]]に乗り、[[クリスマス・イヴ]]に子供たちにプレゼントを配って回るとされるが、時代や地域によりサンタクロース像は異なる。子供が贈りものをもらうときは靴下をつるすという習慣がある<ref>遠藤紀勝・大塚光子『クリスマス小事典』現代教養文庫、1989年、152頁、{{ISBN2|4-390-11317-8}}</ref>。
 
== 由来 ==
[[ファイル:Ilja_Jefimowitsch_Repin_-_Saint_Nicholas_of_Myra_saves_three_innocents_from_death.jpg|右|サムネイル|210x210ピクセル|『ミラの聖ニコライ、無実の三人を[[死刑]]から救う』(画:[[イリヤ・レーピン]]。[[主教]]の祭服を身につけた姿で描かれている)]]
サンタクロースのモデルは[[シンタクラース]]である。そのシンタクラースのモデルは「[[ミラのニコラオス]]」ではないかと言われている。
[[ファイル:Sinterklaas-zittend.JPG|右|サムネイル|267x267ピクセル|シンタクラース]]
{{See also|ミラのニコラオス}}
4世紀頃の[[東ローマ帝国]]・[[小アジア]]の[[ミュラ|ミラ]]の[[司教]]([[主教]])、[[教父]][[ミラのニコラオス|聖ニコラオス(ニコラウス)]]の伝説が起源である。「ニコラオス」の名は[[ギリシア語]]表記。[[ラテン語]]では'''ニコラウス'''。[[イタリア語]]、[[スペイン語]]、[[フランス語]]ではサン・'''ニコラ'''。[[イタリア語]]では'''ニコラオ'''とも。[[ロシア語]]では'''ニコライ'''。
 
以下のような伝説のほか、右に挙げる[[絵画]]のように[[冤罪|無実の罪に問われた]][[死刑囚]]を救った[[聖伝]]も伝えられている。
 
「ある時[[聖ニコラウス|ニコラウス]]は、貧しさのあまり三人の娘を[[身売り]]しなければならなくなる家族の存在を知った。ニコラウスは真夜中にその家を訪れ、窓から[[金貨]]を投げ入れた。このとき[[暖炉]]には[[靴下]]が下げられていており、[[金貨]]はその[[靴下]]の中に入ったという。この金貨のおかげで家族は娘の[[人身売買|身売り]]を避けられた」という逸話が残されている。この[[逸話]]が由来となり、「夜中に家に入って、靴下の中に[[贈り物|プレゼント]]を入れる」という<ref>[[デズモンド・モリス]]『クリスマス・ウォッチング』([[扶桑社]])「6 子どもたちはなぜクリスマスに靴下を吊るすのか?」。</ref>、今日におけるサンタクロースの伝承が生まれている。また、ニコラウスの[[死体|遺骸]]は[[イタリア]]南部の都市である[[バーリ#バーリの聖ニコラ|バーリ]]に移されたとも言われている。<sup>(諸説あり)</sup>
 
[[煙突]]から入ることになったのは[[1822年]]にアメリカの学者{{仮リンク|クレメント・クラーク・ムーア|en|Clement Clarke Moore}}が[[フィンランド]]の言い伝えを伝承した「[[クリスマスのまえのばん|聖ニクラウスの訪(おとな)い]]」(英語)という詩「キラ星のなか、屋根から降るのは/小さい蹄の立てる爪音/引っこめ振り向いて見ると/聖なるニコラウス煙突からどすん」を書いたからと考えられる<ref>[[トナカイ]]の伝説もこれで定着した。以上の出典:[[デズモンド・モリス]]『クリスマス・ウォッチング』([[扶桑社]])「7 ファザー・クリスマスはなぜ煙突からやってくるのか?」</ref>。
 
また、ニコラオスは学問の[[守護聖人]]として崇められており、[[アリウス派|アリウス異端]]と戦った偉大な教父でもあった。教会では[[聖人]]として[[列聖]]されているため、「聖(セント)ニコラオス」という呼称が使われる。これを[[オランダ語]]にすると「シンタクラース」である。オランダでは[[14世紀]]頃から聖ニコラウスの命日の[[12月6日]]を「シンタクラース祭」として祝う慣習があった。その後、[[17世紀]]アメリカに植民したオランダ人が「サンタクロース」と伝え、サンタクロースの語源になったようだ。
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なおニコラオスは、商人の守護聖人でもある<ref>アト・ド・ヴリース 『イメージ・シンボル事典』</ref>。[[ファイル:Customsuit.jpg|200px|right|thumb|サンタクロース]]
 
「どうしてサンタクロースは空を飛べるのか?」という問いについて、ニコラオスが風の制御を行うことができるという伝説とサンタクロースの空飛ぶ乗り物に関する考察から、「サンタクロースは、西ヨーロッパの神話の中にその深遠なルーツを持っている。そのルーツは幾分か忘れ去られてはいるが、その痕跡は我々の想像世界(イマジネール)の分枝の中に生き長らえているのである」(ニコラ・シュナデル)とする論考がある<ref>ニコラ・シュナデル「サンタクロースの神話的素描」([[渡邉浩司]]・渡邉裕美子訳)〔[[中央大学]]『中央評論』 No.325 2023 Autumn (75巻3号)、168-175頁、引用175頁〕</ref>。
 
== 特徴 ==
[[File:Samichlaus un Ruprecht.jpg|thumb|200px|right|ドイツの聖ニコラウス(右)。左の茶色の服は悪い子を懲らしめる[[クネヒト・ループレヒト]]]]
常に笑顔の、白のトリミングのある赤い服・赤いナイトキャップ姿で白ヒゲを生やした太りぎみの老人の男。白い大きな袋に[[クリスマスプレゼント]]を入れて肩に担いでいる。[[19世紀]]の初出では一頭立ての[[トナカイ]]が[[そり]]を引く姿が描かれていたが、やがて八頭立てとなり、家々の子どもたちが寝ている間にプレゼントを配る現在のイメージに至っている。
 
[[欧米]]諸国などのサンタは「Ho Ho Ho」(ふぉっ、ほっほっ)と特徴的な笑い声をあげる事がある。伝統文化として定着している面もあり、[[カナダ]]ではサンタクロース宛専用の[[:en:Postal codes in Canada|郵便番号]]「[[:en:Ho ho ho|H0H0H0]]」がある(同国の郵便番号の書式は"A1B2C3"のようなアルファベットと数字の組み合わせであり、アルファベットの"O"(オー)の代わりに数字の"0"(ゼロ)を使用している)。
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=== 年表 ===
[[ファイル:MerryOldSanta.jpg|thumb|right|250px|1881年に[[トーマス・ナスト]]によって描かれたサンタクロース。ナストはクレメント・クラーク・ムーアの詩と共に、現代に通じるサンタクロースのイメージを生みだした。]]
* [[1821年]]、『子供たちのお友達 (The children's friend)』(作者不詳)という絵本が出版され、この絵本の中で1頭の[[トナカイ]]が引くソリに乗ったサンタクロース (santeclause) の姿が描かれた<ref>葛野浩昭 『サンタクロースの大旅行』80頁[[岩波新書]] ISBN 978-4004305910</ref>。
* [[1822年]]、ニューヨークの神学者クレメント・クラーク・ムーア([[コロンビア大学]]教授)が病身の子供のために作ったと言われる詩「[[クリスマスのまえのばん|聖ニコラウスの訪問]]」の中で、8頭のトナカイに引かれたソリに乗るサンタクロースの姿が表現された<ref>『サンタクロースの大旅行』岩波新書72頁</ref>。ただし、この年代ならびに作者については異説がある。次項目参照。
* [[1823年]]、アメリカ合衆[[ニューヨーク州]][[トロイ (ニューヨーク州)|トロイ]]の新聞「トロイ・センティネル」に「聖ニコラスの訪問([[クリスマスのまえのばん]])」という詩が神学者クレメント・クラーク・ムーアの友人の手によって、作者名を明らかにしない形で掲載された。これは長らくクレメント・クラーク・ムーア教授 ([[:en:Clement Clarke Moore|Clement C. Moore]]) によるものであると紹介されてきた。一方、2000年のニューヨーク・タイムスの報道により、ヘンリー・リヴィングストン・ジュニアが本当の作者ではないか、という説が提示された<ref>[http://www.nytimes.com/learning/general/featured_articles/001027friday.html Literary Sleuth Casts Doubt on the Authorship of an Iconic Christmas Poem], October 26, 2000。</ref>。
* [[1849年]]、アメリカ合衆[[コロンビア大学]]のクレメント・クラーク・ムーア教授名義で「[[クリスマスのまえのばん|クリスマスの前の晩]]」が出版され、その挿絵として赤い服を着たサンタクロース、がテオドア・C・ボイドによって描かれた。
* [[1862年]]、週刊誌「ハーパーズ・ウィークリー」において[[トーマス・ナスト]]が「丸々太ってニコニコ顔」のサンタクロースを描いた。
* [[1874年]]、日本では[[外国人居留地#築地居留地|築地居留地]]にあった学校で開催されたクリスマス会にて、[[戸田忠厚]]扮する殿様風の姿をしたサンタクロースが登場した<ref>[[佐波亘]] 『[[植村正久と其の時代]] 第二巻』 [[教文館]]、1938年、505-516頁</ref><ref>[https://gendai.ismedia.jpmedia/articles/-/49846?page=2 明治日本初のクリスマス、サンタクロースは殿様姿で登場した(堀井 憲一郎)|現代新書|講談社(2/4)]、現代ビジネス、2016年10月2日。</ref><ref>[https://gendai.ismedia.jpmedia/articles/-/49846?page=3 明治日本初のサンタクロースは殿様姿で登場した(堀井 憲一郎)|現代新書|講談社(3/4)]、現代ビジネス、2016年10月2日。</ref>。
* [[1886年]]、トーマス・ナストはサンタクロースが[[北極]]で暮らしている姿を詳細に描いた。
* [[1900年]]、一説によると、この年発行された子供向け教材の道徳教育の教科書により、日本の物語に初めてサンタクロースが登場。ただし名前は「北國の老爺 三太九郎」とされていた。小説の表紙には、アジア人っぽい顔で頭にはフードをかぶり革のバッグを掛け、手にはツリーを持ちロバがプレゼントを運んでいる。寒い北国に住む貧しい少年が、迷子の旅人を助け、病気の父の看病に精を出し、三太九郎サンタクロースからたくさんの贈り物をもらうというストーリーであった。既に[[1888年]]からクリスマスカードなどが輸入され始めたことをきっかけに一般の人にも広まり、この物語発行から数年後頃には年中行事として定着していたという<ref>{{Cite news|date=2016-12-21|url=http://www.news24.jp/sp/articles/2016/12/21/07349671.html|title=クリスマス いつから日本に定着した?|newspaper=日テレNEWS24|publisher=日本テレビ|accessdate=2019-11-30}}</ref>。
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* [[1914年]]、この頃から[[日本]]の子供雑誌『[[子供之友]]』を中心に、赤い帽子に赤い服を着て太いベルトを腰に巻いた、現代と同じイメージのサンタクロースが盛んに描かれるようになった。
* [[1920年代]]、トーマス・ナストが描いたイメージのサンタクロースが、著名な画家[[ノーマン・ロックウェル]]に受け継がれた。
* [[1923年]]、[[東京日日新聞]]は、「[[Xマス]]近づく」との見出しの記事において「坊ちゃん嬢ちゃんに歓迎されるクリスマス・プレゼントは、年々盛んになるばかりだ」と報じた。同記事の中で、人気のクリスマスプレゼントの一つとして「サンタクロース人形」が取り上げられた。
* [[1926年]]、[[大正天皇]]が12月25日に崩御。[[休日]]となる[[先帝祭]]が翌[[1927年]]より12月25日に移行されて[[大正天皇祭]]となった(~[[1947年]])。これが日本でのサンタクロース普及に大きな役割を果たしたとされる<ref name="Kracht">『クリスマス~どうやって日本に定着したか』(クラウス・クラハト、克美・タテノクラハト、[[1999年]]、[[角川書店]]、ISBN 4-04-883598-X)</ref>
* [[1927年]]、「民族断篇」という著作に、「どんな子供でもサンタクロースが白い羊毛の縁を取った赤い衣を着て、大きな袋を背負ってトナカイの橇に乗ってやってきて、煙突から室内に入ってよい子に玩具や何かをくれてゆくことは知っている」と記載された。
* [[1928年]]、[[朝日新聞]]で「サンタクロースは立派に日本の子供のものに」との記事が掲載された<ref name="Kracht"/>。
<!--* [[1961年]]、[[フィンランド]]郵政省はサンタクロースの住所を "Mr.Santa Claus Joulupukin Konttori Napapiiri,96930 Rovaniemi,Finland" と定めた<ref>{{Cite web |url=httphttps://www.suntory.co.jp/whisky/yamazaki_pre/little/little_19951224.html|title=小さな小さな新聞廣告 シングルモルトウイスキー山崎 サントリー|accessdate=2012-11-19}}</ref>。実際にこの住所宛に返信用切手を同封して手紙を書くと返事が届くという{{要出典|date=2012年11月}}。-->
 
== トナカイ ==
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== NORADによる追跡 ==
[[1955年]]にNORAD([[北アメリカ航空宇宙防衛司令部]])の前身であるCONADに間違い電話がかかってきた。百貨店[[シアーズ・ローバック]]が「サンタへの[[ホットライン]]」を設けたのだが、電話番号が間違っていたためである。機転をきかせた当時の司令官が"レーダーで確認させて"、電話を掛けてきた子供たちにサンタの最新情報を順次伝え、その後、NORADの職員やその家族・友人たちのボランティアによってサンタとトナカイの最新情報が流されている。現在ではインターネットでサンタクロースの現在位置と配ったプレゼントの数をリアルタイムで、サンタのソリが地球上空を飛行するCGアニメーションで配信している。
{{See also|NORAD|ノーラッド・トラックス・サンタ}}
 
== 公認試験 ==
{{出典の明記|date=2022年1月17日 (月) 15:57 (UTC)|section=1}}
[[グリーンランド]]に住む長老サンタクロースの補佐をする目的で、[[グリーンランド国際サンタクロース協会]]が[[1957年]]に設立された。グリーンランド国際サンタクロース協会が認定する公認サンタクロースは現在世界に120人<ref>{{Cite news|title=サンタクロースって何者?日本唯一「公認サンタ」に聞く|newspaper=朝日新聞|date=2019-12-16|url=https://www.asahi.com/articles/ASMDJ3J1ZMDJUHBI00J.html|accessdate=2022-02-05}}</ref>。クリスマスに自宅ですごすことができない子どもたちのため、[[クリスマス]]より一足早く[[福祉施設]]小児病棟などを訪問する。
 
世界中で、子どもたちの人気の的であるサンタクロースだが、驚くほど志願者が少なく、その理由は「報酬ゼロ」であることにある。公認サンタクロースとしての活動の他に、本業での収入源などがないと成り立たない職業である。また、子どもの夢を壊さないための配慮として行動に制限なども多い。例えばサンタの職務中においては、道中でサンタクロースの衣装に着替えることも許されていない。そのため、毎年7月に[[デンマーク]]の[[コペンハーゲン]]で開催される世界サンタクロース会議に参加する際には、自宅からサンタクロースの衣装を着用して、飛行機内でもそのままの服装で現地まで行く必要があるという。
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日本では[[1998年]]に[[マンボ]][[ミュージシャン]]の[[パラダイス山元]]が、グリーンランド国際サンタクロース協会の公認サンタクロースになっている<ref>パラダイス山元著『サンタクロース、ライフ。』</ref>。
 
=== 条件 ===
=== 公認サンタクロース試験 ===
公認サンタクロース試験を受けるためには、いくつかの条件をクリアする必要がある(現在は、事情によっては一部条件が緩和されている)。
* 結婚していて子どもがいること。
* これまでに、サンタクロースとして活動した経験があること。
* サンタクロースにふさわしい体型であること (衣装や装備を含めて体重120kg以上)。
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上記の条件を満たすことができた者のみが、認定試験を受けられる。
* まず、体力測定として、プレゼントの入った袋を持って50メートル走を行った後、はしごで高さ約3メートル登って直径120cmの煙突に入り、暖炉から這い出なければいけない。その後、子どもたちが用意しているクッキー6枚と牛乳を完食して、スタート地点に戻るという制限時間2分の障害物リレーである。<ref>{{Cite web |title=【サンタ業務おつかれさまです!】「公認サンタクロース」の仕事内容って? 試験内容が意外と「過酷」って本当? {{!}} その他暮らし {{!}} ファイナンシャルフィールド |url=https://financial-field.com/living/entry-177205 |website=financial-field.com |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref>
* このレースを突破した候補者は、[[英語]][[デンマーク語]]での面接を行う。
* さらに、身だしなみチェックを経て、公認'''サンタクロース'''に認定される。
* 新たに認定を受けた新人サンタは、古株サンタの前で、「ホゥホゥホゥ」というサンタクロース言葉で[[宣誓|宣誓文]]を読み上げなければならない(古株の公認サンタがOKを出すまで続けなければならない)。
 
== 関連作品 ==
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*『The Night of the Meek(クリスマスプレゼント)』([[1985年]]、アメリカ)上記作品のリメイク
=== 漫画 ===
* 「わしはサンタじゃ!!」([[光原伸]]『[[アウターゾーン]]』の1エピソード)
* 「サンタクロース アカデミー」([[河内美雪]]『[[借金王キャッシュ]]』第2巻に同時収録。)
* 「ブラックナイトパレード」([[中村光 (漫画家)|中村光]])
 
=== アニメ ===
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* [[空海]] - 柳田國男によれば、愛知県~岐阜県辺りで、11月24日ごろに「弘法大師が家々を回って福を授ける」と言う伝承があったらしい。また、嘗てオホイコと呼ばれる、11月頃に生まれた神の長子を祝う風習があり、後にオホイコの字大子がダイシと読まれ、弘法大師が11月に拝まれる大師講になったと言い、冬至に神の子の生誕を祝う祭りと共通するという。
* [[クリスト・キント]] ([[:de:Christkind|Christkind]]) - マルチン・ルターが聖人崇拝を禁止した後のプロテスタントの間で、クリスマスに来るとされる「神の子」。元来は幼子イエスであったらしいが後に妖精のような女性になったらしい。なお21世紀のドイツでは、プロテスタントの家にサンタクロースが訪れ、カトリックの家にクリストキントが現れる。
* [[上地雄輔]] - [[2010年]][[12月24日]]放送の番組『[[アナザースカイ (テレビ番組)|アナザースカイ]]』の企画で、黄色いサンタコスチュームで、スウェーデンの北極圏の[[イェリヴァーレ]]に住むサンタクロースから「イェリヴァーレのサンタクロース」として認められている(参照:[http://yaplog.jp/santa/archive/171 パラダイス山元公式ブログ 2010.12.24])。
 
== 外部リンク ==
{{Wikiquote}}
{{Commons|Category:Santa_Claus}}
* [https://santaclausvillage.jp/ サンタクロース事務局]
* [http://www.santaclauslive.com/ Santa Claus Office]{{en icon}}{{fi icon}}{{リンク切れ|date=2021年12月}}
* [httphttps://santaclausvillagewww.jpjf-santa.org/ 日本・フィンランドサンタクロース村オフィシャルサイト協会]
* [http://www.jf-santa.org/ 日本・フィンランドサンタクロース協会]
* [http://www.sutv.zaq.ne.jp/osaka-orthodox/icon/nikorai.htm ミラ・リキヤの奇跡者 聖ニコライのイコン]{{リンク切れ|date=2021年12月}} - [http://www.orthodox-jp.com/osaka/ 大阪ハリストス正教会]
* {{Wayback|url=http://yaplog.jp/santa/ |title=公認サンタクロース、ライフ。 |date=20191222155555}}