「民主党 (韓国 1995-1997)」の版間の差分

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候補を擁立した総選挙について、選挙が行われた年月日と得票率を加筆。
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[[1992年]][[12月]]の[[1992年大韓民国大統領選挙|大統領選挙]]に敗れ政界を引退した後、[[1995年]][[7月18日]]に政界への復帰を宣言した元大統領候補で有力野党政治家(当時)だった[[金大中]]が、民主党内から自派系議員を離党させて[[新政治国民会議]]を創党した後、民主党に留まった[[李基澤]]や[[李哲]]、[[盧武鉉]]を初めとするメンバーは、[[市民運動]]家や[[在野]]人士、旧[[民衆党 (1990)|民衆党]]人士が中心となって同年11月に結成した[[改革新党]]を統合して[[12月4日]]に両党の統合を宣言して「'''統合民主党'''」を発足させた。[[1996年]][[4月]]の第15代総選挙では、市民運動出身者を多数擁立し「[[三金]](金泳三・金大中・[[金鍾泌]])政治の打破」を掲げて戦ったものの、強い支持基盤を持っていないことが災いして15議席にとどまり、院内交渉団体(20議席以上)の資格すら失う惨敗を喫した。翌年の[[1997年]]11月、大統領選挙を前に当時の与党の'''[[新韓国党]]'''と合同して「'''[[ハンナラ党]]'''」を結成し、解体された。なお、盧武鉉や[[金元基]]など一部の議員は新政治国民会議に合流した。
 
===候補を擁立した選挙 ===
{|class="wikitable" style="text-align:center"
!年!!議席数
|-
|+総選挙
!年
!代
!年!!議席数
|地域区
|全国区
!得票率
|-
![[1996年]][[4月11日]]
![[第15代総選挙 (大韓民国)|第15代総選挙]]
||15
|9
|6
|11.2
|-
|}