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== 概要 ==
[[1939年]]にアメリカ陸軍は、レシプロ機の限界を打ち破るべく周回計画(Circular (Circular Proposal) R40CProposal)R40Cという単発の迎撃機の仕様を航空メーカー各社に提示した。そして、バルティー[[XP-54 (航空機)|XP-54]]、ノースロップ[[XP-56 (航空機)|XP-56]]と共に、カーチス社の設計案に対して試作発注がなされることとなった。カーチス社の設計案では、主翼は後退翼で着陸装置はカーチス社の軍用機としては初の3車輪式の[[先尾翼機]]で、エンジンは開発中だった[[プラット・アンド・ホイットニー X-1800|P&W X-1800]](2,200 hp)を搭載することになっていた。しかし、陸軍は余程カーチス社に信頼がおけなかったのか、地上試験用モデルと風洞テスト用モデルの製作発注のみを行い、試作機の発注はその結果次第で行うという対応をとった。その結果、カーチス社はまず実物大の飛行テスト機(社内名称 CW-24B)を自費製作し[[1941年]]12月からテストを行った。そして、その年の7月にようやくXP-55として試作機3機の発注を陸軍から受けることができた。
 
試作1号機の初飛行は1943年7月19日に行われたが、その時点から安定性不良が指摘された。また、搭載予定していたX-1800エンジンが開発中止となってしまったため、約1,000 hpも出力が落ちるアリソン[[V-1710 (航空用エンジン)|V-1710]]エンジンを搭載したが、このエンジンでは明らかにパワー不足であった。試作1号機は1943年11月に失速試験を行っている際に墜落して失われた。翌年に、全幅や小翼の形状を変更し操縦性の改善を図った2号機、3号機が完成した。しかし、劣悪な操縦性や低速時の安定性不良は改善されず、最高速度も当時の制式戦闘機を下回る628 km/hしか出なかった。結局、性能不良ということで、本機の開発計画は中止になってしまった。