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== 影響 ==
=== その後の日韓関係 ===
この一連の事件のため、日韓関係は[[日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約|日韓国交正常化]]後当時、最悪の状態に陥った。韓国側の捜査によれば、朝鮮総連の関与は明白であったにも関わらず、日本側がそれを明確に認めなかったこと、文が所持していた拳銃が[[大阪府]]内の派出所より盗まれたものであったことによる。
 
謝罪のない日本側に対し、朴大統領は「日本は本当に友邦なのか?」と問いただし、ついには「[[中国共産党|中共]]だけが一番なのか。(日本と断交しても)安保、経済に問題はない」、「日本は赤化工作の基地となっている」という言葉まで出た。しかし、朴大統領の側近が「このまま断絶してしまえば、今までの苦労が水の泡になってしまう」と説得し、日韓双方で、
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韓国側はこの事件の処理に強い不信感を抱き、日本側に朝鮮総連への規制を求め事実上認めさせた<ref>日韓協調へ努力 椎名・朴会談で確認 補足メモも渡す 田中親書と同時に『朝日新聞』昭和49年(1974年)9月20日朝刊、13版、1面</ref>。また、日本政府側が求めた金大中事件の容疑者引渡し等の全容解明を拒否し、事件の解明要求と引き換えに曖昧な政治決着で問題解決を図ろうとしたと言われている。
 
なお、日本を朝鮮総連による「赤化工作基地」とみなす認識は、反共的な韓国の保守派・右派にとっては長らく[[反日感情]]の源泉となった。
 
=== 北朝鮮との関係 ===