「ボリビア」の版間の差分
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導入部に地理的位置を、概要に内陸国からの脱却を現在も目指していることを加筆。 |
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| GDP値 = 965億9200万<ref name="imf2021"/>
| GDP/人 = 8,305.422(推計)<ref name="imf2021"/>
| 建国形態 = [[国家の独|独立]]
| 建国年月日 = [[スペイン]]より<br />[[1825年]][[8月6日]]
| 通貨 = [[ボリビアーノ]]
| 通貨コード = BOB
| 時間帯 = -4
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| 注記 = <references group="注"/>
}}
'''ボリビア多民族国'''<ref name="日本国外務省">[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/bolivia/data.html ボリビア多民族国(The Plurinational State of Bolivia)基礎データ] 日本国外務省(2022年7月17日閲覧)</ref>(ボリビアたみんぞくこく、{{Lang-es-short|Estado Plurinacional de Bolivia}}、{{Lang-qu|Buliwiya Mama Llaqta}}、{{Lang-ay|Bulibiya Suyu}})、通称'''ボリビア'''は、[[南アメリカ大陸]]西部に
[[太平洋戦争 (1879年-1884年)]]で敗れて[[チリ]]に[[太平洋]]海岸部の[[領土]]を奪われて以降は[[内陸国]]となっており<ref name="読売20220615">【世界 in-depth 深層】ボリビア:内陸国 特別な「海の日」 戦争で喪失 経済低迷]『[[読売新聞]]』朝刊2022年6月15日(国際面)</ref>、南西はチリ、北西は[[ペルー]]、北東は[[ブラジル]]、南東は[[パラグアイ]]、南は[[アルゼンチン]]と[[国境]]を接する。
== 概要 ==
国
[[南半球]]にあり、晴れていれば[[南十字星]]が見える<ref name="bolib01">眞鍋周三編著 『ボリビアを知るための73章』第2版】(明石書店 <エリア・スタディーズ 54> 2013年)20ページ</ref>。
かつて「黄金の玉座に座る乞食」と形容されたように、豊かな天然資源を持つにもかかわらず実際には貧しい状態が続いており、現在もラテンアメリカ貧国の一つである。
現在海には面していないが、海軍を保有している。
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[[2009年]][[3月18日]]に、それまでの{{Lang|es|República de Bolivia}}(<!--レプブリカ・デ・ボリビア。日本語表記は「-->ボリビア共和国<!--」-->)から現国名へ変更した<ref>{{Cite web|url=http://www.derechoteca.com/gacetabolivia/decreto-supremo-0048-del-18-marzo-2009.htm|title=DECRETO SUPREMO No 0048 del 18 Marzo 2009 | Derechoteca Gaceta Bolivia 5|language=スペイン語|accessdate=2010-05-31}}</ref>。
公式の英語表記は {{Lang|en|Plurinational State of Bolivia}}<ref name="日本国外務省"/><!--(プラリネーショナル・ステート・オブ・ボリヴィア)-->。通称は {{Lang|en|Bolivia}} {{IPA-en|bəˈliviə|}} となっている。
日本語の表記は、'''ボリビア多民族国'''<ref
[[国家の独立]]前は[[アルト・ペルー]](上ペルー、高地ペルー)と呼ばれていたが、独立に際して
== 歴史 ==
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{{See also|スペインによるアメリカ大陸の植民地化}}
* [[1532年]] インカ皇帝[[アタワルパ]]がスペイン人[[コンキスタドール]]により処刑され、インカ帝国は崩壊。
* [[1535年]] [[フランシスコ・ピサロ]]により[[ペルー副王領]]が作られる。[[ディエゴ・デ・アルマグロ]]の遠征軍が[[アルト・ペルー]]を探検する。
* [[1538年]] [[ゴンサロ・ピサロ]]の軍がアルト・ペルーに遠征し、首長[[アヤビリ]]を降してこの地を植民地化する。
* [[1540年]] ラ・プラタ市(後のチュキサカ、チャルカス、スクレ)が建設される。
* [[1545年]] [[ポトシ]]銀山発見。以降、現在のペルーを始めとする諸地域から多くの[[インディオ]]が鉱山のミタにより、ポトシで強制労働させられることになる。
* [[1548年]] アロンソ・デ・メンドーサにより、チチカカ湖の近くに[[ラパス|ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・パス]]市が建設される。
* [[1559年]] チャルカス(
* [[1559年]] 東部のチャコ地方に[[サンタクルス|サンタ・クルス・デ・ラ・シエラ]]が建設される。
* [[1569年]] ペルー副王フランシスコ・デ・トレドの統治が始まる。銀山採掘のためにポトシは人口十万人を超える都市として発展し(当時の[[ロンドン]]より大きい)、銀採掘のためにミタ制によりかき集められたインディオは、過酷な労働と病気で次々に死んでいった。
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