削除された内容 追加された内容
m {{pp-vandalism|small=yes}}
m Bot作業依頼#Cite webの和書引数追加
61行目:
[[北海道]]の[[根室半島]]と[[千島列島]]の[[得撫島]]との間にある'''[[択捉島]]'''、'''[[国後島]]'''、'''[[色丹島]]'''、そして'''[[歯舞群島]]'''をあわせた4つの島が、いわゆる'''[[北方地域|北方領土]]'''(または'''北方四島''')と呼ばれる。また、これらの島々が千島列島(クリル諸島)に含まれると考える立場からは、'''南千島'''(または、'''南クリル諸島''')という語が同義語として用いられる。本記事では単に「4島」とも記す。
 
現在、4島を[[ロシア連邦]]が[[実効支配]]しており<ref>{{Cite news|title=アングル:ロシアに翻弄される漁業の町、北海道根室に再び試練|newspaper=[[ロイター]]|date=2022-04-15|author=Daniel Leussink|agency=[[ロイター]]|url=https://jp.reuters.com/article/japan-russia-nemuro-idJPKCN2M70EY|access-date=2022-05-12}}</ref>、[[ロシア連邦政府|ロシア政府]]は「4島はロシアの[[領土]]である」と主張している<ref>{{Cite web |和書|url=https://www.ru.emb-japan.go.jp/japan/JRELATIONSHIP/1992.html |title=日露関係 |access-date=2022-05-12 |publisher=[[在ロシア日本国大使館]]}}</ref>。一方、[[日本国政府]]は「4島は日本の領土であり、日本に[[返還]]されるべき」と主張している<ref name=":18">{{Cite web|和書|title=北方領土問題とは?|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo.html|website=日本の領土を巡る情勢|accessdate=2021-08-15|language=ja|publisher=外務省|date=2021-03-31}}</ref>。
 
{{TOC limit|3}}
77行目:
北海道本島から4島への距離は、最も近い島で約3.7 [[キロメートル|km]]、最も遠い島で144.4 kmである。また得撫島からは最短で約40 km、最長で約370 kmである。
 
面積は合計で約5000 [[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]で、[[愛知県]]や[[福岡県]]の面積とほぼ等しい<ref name=":1923">{{Cite web|和書|title=北方領土の位置・面積・人口|url=https://www.hoppou.go.jp/archives/basics/islands1.html|website=独立行政法人 北方領土問題対策協会|accessdate=2021-08-15|language=ja|publisher=独立行政法人 北方領土問題対策協会}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/backnumber/GSI-menseki20210401.pdf|title=令和3年 全国都道府県市区町村別面積調 (4月1日時点)|accessdate=2021-08-16|publisher=[[国土交通省]] [[国土地理院]]|format=PDF}}</ref>。
 
住民として、[[近代]]以前までは主に[[アイヌ]]などの[[先住民]]が居住していた。[[1855年]]([[安政]]2年)から[[1945年]]([[昭和]]20年)までは[[日本人|日本国民]]が住み、1945年には約1万7300人が居住していた。以降は主に[[ロシア人|ロシア国民]]が住み、現在は約1万8000人が居住している<ref name=":1923">{{Cite web|和書|title=北方領土の位置・面積・人口|url=https://www.hoppou.go.jp/archives/basics/islands1.html|website=独立行政法人 北方領土問題対策協会|accessdate=2021-08-15|language=ja|publisher=独立行政法人 北方領土問題対策協会}}</ref>。
 
詳細は下記記事を参照のこと。
99行目:
 
=== 日本の領有以前 ===
[[13世紀|中世]]以前、[[北海道]]やその北に伸びる[[樺太]](サハリン)、東に連なる[[千島列島]](クリル列島)には、[[日本人]]([[和人]])や[[ロシア人]]よりも古くから[[アイヌ]]などの[[先住民]]が居住していた<ref name=":13">{{Cite web|和書|title=アイヌ民族とは - 主な沿革|url=https://www.ainu-assn.or.jp/ainupeople/past.html|website=公益社団法人北海道アイヌ協会|accessdate=2021-08-15|language=ja|publisher=公益社団法人北海道アイヌ協会}}</ref><ref name=":5">{{Cite web|和書|title=先住民族の近現代史 ~日露の狭間で翻弄された人々~|url=https://www.jacar.go.jp/seikatsu-bunka/p05.html|website=知ってなるほど 明治・大正・昭和初期の生活と文化|accessdate=2021-08-14|publisher=国立公文書館 アジア歴史資料センター}}</ref>。
 
[[近世]]以降、それらの地域と近接する[[日本]]と[[ロシア]]は競って進出を行い、領土を拡張してきた<ref name=":11">{{Cite web|和書|title=北方領土問題の歴史|url=https://www.hoppou.go.jp/problem-info/know/islands-history.html|website=北方領土問題対策協会|accessdate=2021-08-14|language=ja|publisher=独立行政法人 北方領土問題対策協会}}</ref>(詳細は[[北方領土問題#関係史(日本の領有時代まで)|関係史]]節を参照)<ref group="*">なお、両国の政体は北方四島との接触以降にそれぞれ二度変遷している。
 
日本は[[江戸幕府]] → [[大日本帝国]] → [[日本|日本国]](現行)となった。
115行目:
 
==== 日ソ中立条約 ====
連合国にはロシア帝国の領土を継承した[[ソビエト連邦]](ソ連)も含まれていたが、日本とソ連とはすでに[[1941年]]4月に[[日ソ中立条約]]を結んでいた<ref name=":4" /><ref>{{Cite web|和書|title=大日本帝国及「ソヴィエト」社会主義共和国聯邦間中立条約・御署名原本・昭和十六年・条約第六号|url=https://www.digital.archives.go.jp/file/150948.html|website=国立公文書館 デジタルアーカイブ|accessdate=2021-08-15|language=ja|publisher=国立公文書館}}</ref>ため、交戦状態にはなかった。
 
==== ヤルタ会談 ====
129行目:
米国は1945年5月 - 9月に掃海艇55隻、上陸用舟艇30隻、護衛艦28隻など計145隻の艦船をソ連に無償貸与。4月 - 8月にはソ連兵約1万2000人を米アラスカ州コールドベイの基地に集め、艦船やレーダーの習熟訓練を行った。コールドベイには常時1500人の米軍スタッフが詰め、ソ連兵の指導に当たったという。
 
訓練を受けたソ連兵と貸与艦船は樺太南部や千島列島の作戦に投入された。8月28日からの択捉、国後、色丹、歯舞の四島占領作戦には、米の貸与艦船10隻を含む17隻が参加。ソ連軍は各島で日本兵の武装解除を行い、四島の占領は9月5日までに完了した<ref>{{Cite web |和書|title=ソ連四島占領 米が援助 艦船貸与、兵訓練…極秘合同作戦 45年2~9月 根室振興局調査で判明:北海道新聞デジタル |url=https://www.hokkaido-np.co.jp/article/380726 |website=北海道新聞デジタル |access-date=2023-03-27 |language=ja}}</ref>。
 
==== ソ連の参戦 ====
137行目:
* 29ページ目「(10)日ソ中立条約の廃棄に関するソ連覚書(1945年)」</ref>。
 
同年8月8日、'''ソ連は当時まだ有効であったはずの[[日ソ中立条約]]に違反'''して日本に宣戦布告し、翌9日から[[ソビエト連邦軍]]([[赤軍]])が日本の勢力圏および領土へ侵攻を開始した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/1992.pdf|title=日露間領土問題の歴史に関する共同作成資料集|accessdate=2021-08-15|publisher=外務省|format=PDF|date=1992-09-29}}</ref><ref name=":29">{{Cite web|和書|url=https://www.hoppou.go.jp/archives/history3.html|title=北方領土問題の歴史|ソ連の占拠|accessdate=2021-08-17|publisher=独立行政法人 北方領土問題対策協会}}</ref>(なお、日本は[[1931年]]以降に当時有効であった[[九カ国条約]]に違反して[[中華民国 (1912年-1949年)|中華民国]]への[[侵略]]〈[[満洲事変|満州事変]]・[[日中戦争]]〉を続けていた<ref>{{Cite news|title=ロシアへの「兵糧攻め」の行く末は 経済制裁の予測不能な返り血|newspaper=[[朝日新聞]]|date=2022-4-12|author=富田洸平, 岸善樹|url=https://www.asahi.com/articles/ASQ4C34LZQ42UPQJ007.html|access-date=2022-06-10}}</ref>)。
 
日本はこの[[ソ連対日参戦]]を受けて、5日後の同年8月14日、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]に対して降伏した([[ポツダム宣言]]の受諾)<ref>{{Cite news|title=「原爆投下によって日本は降伏した」説は本当か?|古谷経衡|newspaper=Yahoo! ニュース|date=2020-08-07|url=https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20200807-00192054|accessdate=2021-08-15}}</ref>。
155行目:
 
==== 「千島列島」の範囲に関する解釈 ====
その「[[千島列島]]を放棄する」旨の文言について、'''日本国政府は1951年当時、「千島列島」の範囲には[[国後島]]・[[択捉島]]が含まれると説明した''' <ref name="kokkai19500308" /><ref name="kokkai19511106" /><ref name="kokkai19511019" /><ref name=":47">{{Cite web |和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000035454.pdf |title=2020年度版 われらの北方領土 資料編 |access-date=2022-06-10 |publisher=[[外務省]] |page=22 |quote=日本開国の当時、千島南部の二島、択捉、国後両島が日本領であることについては、帝政ロシアもなんら異論を挟まなかったのであります。
(中略)
また、日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹島および歯舞諸島も終戦当時たまたま日本兵営が存在したためにソ連軍に占領されたままであります。 |date=2021年 |format=PDF}}</ref>。一方で「[[色丹島]]および[[歯舞群島|歯舞諸島]]は[[北海道]]の一部を構成する([[属島]]である)」<ref name=":47" />とも説明した。
163行目:
しかし、この説明は'''[[1956年]]2月に撤回され'''<ref name="kokkai19560211" />'''、'''日本国政府は「[[サンフランシスコ平和条約]]にいう千島列島のなかにも([[国後島]]と[[択捉島]]の)両島は含まれない」と述べた<ref name="www8.cao.go.jp">[https://www8.cao.go.jp/hoppo/shiryou/pdf/gaikou12.pdf 「北方領土返還要求に関する政府の公式見解」昭和31年2月11日第24回国会衆議院外務委員会]</ref>。
 
以降、現在まで'''日本政府は「北方四島は千島列島には含まれず、日本は放棄していない」と主張している<ref name=":4" />'''<ref name=":6">{{Cite web|和書|title=北方領土問題に関するQ&A|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/mondai_qa.html|website=日本の領土をめぐる情勢|accessdate=2021-08-14|language=ja|publisher=外務省|date=2021-03-31}}</ref>。
 
一方、ロシアおよび英語圏では、千島列島を意味する「クリル列島({{Lang-ru-short|Кури́льские острова́}}、{{Lang-en-short|Kuril Islands}})」に択捉島や国後島までが含まれるとみなすことが一般にみられる<ref name=":3">{{Cite web|title=Kuril Islands {{!}} islands, Russia|url=https://www.britannica.com/place/Kuril-Islands|website=Encyclopedia Britannica|accessdate=2021-08-14|language=en}}</ref><ref name=":7">{{Cite news|title=Russia expands military construction plans on Kuril islands|newspaper=REUTERS|date=2021−08-09|url=https://www.reuters.com/world/asia-pacific/russia-expands-military-construction-plans-kuril-islands-report-2021-08-09/|accessdate=2021-08-14}}</ref>。
 
ただし、ソビエト連邦および現'''ロシア連邦は'''その'''[[日本国との平和条約|サンフランシスコ平和条約]]への署名を拒否し、調印していない'''<ref name=":9">{{Cite web|和書|title=サンフランシスコ平和条約|url=https://www2.nhk.or.jp/school/watch/clip/?das_id=D0005403096_00000|website=NHK for School|accessdate=2021-08-14|language=ja|publisher=NHK}}</ref><ref name=":10">{{Cite web|和書|title=ソ連は調印を拒否 日本が主権回復した「サンフランシスコ平和条約」の裏側|url=https://news.yahoo.co.jp/articles/57d69ac6c9f46f4cf931876118e93b759338c51d|website=THE PAGE|accessdate=2021-08-14|language=ja|publisher=Yahoo! JAPAN|date=2016-12-08}}</ref>。
 
== 日本政府の主張 ==
173行目:
=== 「不法占拠された日本固有の領土」===
[[日本国政府]]は、北方四島(南クリル諸島)について、'''「日本固有の領土であり、現在はロシアに不法占拠されている。日本に返還されるべきである」'''と認識している<ref name=":18" />。
同国政府によれば、その根拠は主に次のようになる<ref name=":18" /><ref name=":4">{{Cite web|和書|title=北方領土問題の経緯(領土問題の発生まで)|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo_keii.html|website=日本の領土を巡る情勢|accessdate=2021-08-14|language=ja|publisher=外務省|date=2010-12-01}}</ref>。
 
* 日本はロシアよりも先に北方四島を発見しており、遅くとも[[19世紀]]初めには四島の実効的支配を確立していた<ref name=":18" /><ref name=":4" />。
194行目:
 
==== 教科書検定による義務付け ====
日本国の[[文部科学省]]が[[小学校]]、[[中学校]]、[[高等学校]]への指導内容を規定する[[学習指導要領]]([[教科書検定]])において、日本の[[社会 (教科)|社会科]]の[[教科書]]には「北方領土は日本固有の領土である」と必ず記載することが義務付けられている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cas.go.jp/jp/ryodo/torikumi/mext.html|title=発達段階に応じた領土に関する教育|accessdate=2021-08-19|publisher=文部科学省}}</ref><ref name=":19">{{Cite news|title=「固有の領土」記述求める 北方四島「ロシア支配」は不可―教科書検定|newspaper=時事通信|date=2021-03-30|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2021033000815|accessdate=2021-08-18}}</ref>。
 
また、同検定において「地理総合」や「公共」の教科書では「ロシアが北方領土を[[実効支配]]している」という表現は許可されず、「ロシアが[[占領|不法占拠]]している」と記載するように求められた<ref name=":19" />。
205行目:
 
==== 時代による地図帳の変化 ====
なお、中学校や高等学校の社会科で用いられる[[地図帳]]における4島の帰属は、時代とともに認識の変遷がみられた。以下で挙げる例はすべて[[文部省]]の教科書検定に合格した地図帳である<ref name=":21">{{Cite web|和書|url=https://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/MAP_Kyoukasho/Kyoukasho.htm|title=日本の学校地図教科書にみる北方領土|accessdate=2021-08-19|publisher=cccpcamera|website=北方領土問題}}{{出典無効|date=2021年8月19日}}</ref>。
 
[[第二次世界大戦]]より前の1934年([[昭和]]9年)や1938年(昭和13年)に発行された地図帳([[帝国書院]])では、4島は日本の領土であったので当然そう記載されていた。ここでは択捉島・国後島・色丹島は「[[千島列島]]」に属し、歯舞群島は「[[根室市|根室]]」に属していた<ref name=":21" />。
245行目:
ロシア政府の主張によれば、同国の基本方針は主に次の通りである<ref name=":26" /><ref name=":20">{{Cite news|title=南クリルの主権にロシアが固執する理由とは|newspaper=Sputnik|date=2019-01-17|url=https://sputniknews.jp/20190117/5815267.html|accessdate=2021-08-15}}</ref>。
 
* ロシアは日本との[[平和条約]]を締結することを目指して日本政府との交渉を続けている。しかし、南クリル諸島についての日本側の不当な領有権主張があるため、いまだに実現していない<ref name=":26">{{Cite web|和書|url=https://tokyo.mid.ru/web/tokyo-ja/-7|title=露日関係の発展|accessdate=2021-08-16|publisher=在日ロシア連邦大使館}}</ref>。
* 日本が南クリル諸島におけるロシアの主権を否認することは、『[[1956年]]の[[日ソ共同宣言|ソ日共同宣言]](日ソ共同宣言)に基づいて、ロシアが[[歯舞群島|歯舞諸島]]と[[色丹島]]を日本へ引渡す』ことを日本が否定しているのに等しい<ref group="*">ロシア連邦はソ連を[[継承国|継承した国家]]であり、[[1956年]]([[昭和]]31年)にソ連と日本の両国が結んだ[[日ソ共同宣言|ソ日共同宣言]]についても、ロシア連邦が引き継いでいる。</ref><ref name=":20" />。
** その根拠として、同条文にはロシア語でも日本語でも「両島を日本へ引き渡す」という言葉が使われている。もし「返還する」という表現ならば他人のものを本来の所有者へ返すことを意味するが、「引き渡す」という表現ならば自らの所有物を他人へ渡すことを意味するからである<ref name=":20" />。
259行目:
=== 行政機能 ===
ロシアは4島において施政権を有しており、4島を[[極東連邦管区]]の[[サハリン州]]が管轄する地域と区分している。
同国は択捉島に「[[クリル管区|クリル市]]({{Lang-ru-short|Курильский городской округ}})」、国後島・色丹島・歯舞群島に「[[南クリル管区|南クリル市]]({{Lang-ru-short|Южно-Курильский городской округ}})」を設置して4島での行政機能を行っている<ref>{{Cite web|和書|url=https://sakhalin.gov.ru/index.php?id=678|title=МУНИЦИПАЛЬНОЕ ОБРАЗОВАНИЕ "КУРИЛЬСКИЙ ГОРОДСКОЙ ОКРУГ"(自治体"クリル市")|accessdate=2021-08-17|publisher=Правительство Сахалинской области(サハリン州政府)|language=ru}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://sakhalin.gov.ru/index.php?id=693|title=МУНИЦИПАЛЬНОЕ ОБРАЗОВАНИЕ "ЮЖНО-КУРИЛЬСКИЙ ГОРОДСКОЙ ОКРУГ"(自治体 "南クリル市")|accessdate=2021-08-17|publisher=Правительство Сахалинской области(サハリン州政府)|language=ru}}</ref>。
 
詳細は「[[北方領土問題#ロシアの行政区分下の北方領土|ロシアの行政区分下の北方領土]]」節および下記記事を参照。
284行目:
*13世紀前半
**[[日本]]は有史以来、領土を北方へ拡張し続けており、その勢力圏は同時点までに[[本州]]島の北端(現在の[[青森県]]にあたる)へ達した。
**日本は同国の勢力圏よりも北方を漠然と「[[蝦夷地]](えぞち)」と呼称しており、同時代ごろから「蝦夷地」は北海道および千島列島、樺太へと限定されるようになった<ref>{{Cite web|和書|title=百科事典マイペディア「蝦夷地」の解説|url=https://kotobank.jp/word/%E8%9D%A6%E5%A4%B7%E5%9C%B0-36628|website=コトバンク - 蝦夷地|accessdate=2021-08-15|language=ja|publisher=コトバンク}}</ref>。
**日本の[[鎌倉幕府]]の[[執権]]である[[北条義時]]が、本州北部を治めていた[[豪族]]の[[安藤広郎|安藤五郎]]を「[[蝦夷管領]]」に任命した<ref name=":16">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/tohokurekishi/tohoku-pdf/tohoku_2019-03.pdf|title=第5回 第1部 十三湊から解き明かす 北の中世史|accessdate=2021-08-15|publisher=JR東日本|website=東北歴史文化講座|format=PDF|date=2019-07-06}}</ref>。
**この頃から本州から北海道南部([[渡島半島]]、[[道南]])へ[[日本人]]([[和人]])が進出し始めた。和人とアイヌとの[[交易]]が盛んになり、アイヌの生活に変化をもたらした<ref name=":15">{{Cite web|和書|title=第1章 北海道民のなりたち|url=https://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/bns/digest/1_syou.html|website=北の生活文化(中世から近世のアイヌの人々 )|accessdate=2021-08-15|publisher=北海道庁}}</ref>。
*[[1454年]](享徳3年)
**日本の[[武将]]である[[安東愛季|安東師季]](安藤五郎の一族)と[[武田信広]]らが、「蝦夷ヶ島(北海道本島)」に渡ったと記録された<ref name=":16" />。
292行目:
**北海道南部で和人の活動領域が広まり、和人とアイヌとの対立が激化した<ref name=":15" />。
*[[16世紀]]
** ロシア([[ロシア・ツァーリ国]])は国力増大のために領土の獲得を試み、[[ウラル山脈]]を西から東へ越えて[[シベリア]]に進出した。当初はさらに南方を目指したが、[[清|清国]]に妨げられたため、目標を東方に転じた。当時シベリアは[[毛皮]]の産地であったため、毛皮を求めて積極的に東へ進出するようになった<ref name=":12">{{Cite web|和書|title=ロシアの南進|url=https://www.hoppou.go.jp/archives/history1.html|website=北方領土問題対策協会|accessdate=2021-08-14|language=ja|publisher=独立行政法人 北方領土問題対策協会}}</ref>。
 
=== 近世 ===
298行目:
==== [[江戸時代]] ====
* [[17世紀]]前半
**日本の大名である[[松前藩]]が、[[安藤氏]](安藤五郎の一族)から独立して成立した<ref>{{Cite web|和書|title=松前藩の成立|url=http://www.town.matsumae.hokkaido.jp/hotnews/detail/00000355.html|website=松前町|accessdate=2021-08-15|language=ja|publisher=北海道松前町}}</ref>。
**松前藩は[[北海道]]南端の[[渡島半島]]を拠点にし、アイヌとの交易圏を独占した。同藩はアイヌと和人の居住地を分割(蝦夷地と[[和人地]])して両者間の往来と交易を厳しく制限し、さらにアイヌに対して不当な価格による交易を強制した<ref name=":15" />。
*[[1615年]] - [[1621年]]([[元和 (日本)|元和]]1年 - 元和7年)ごろ
**松前藩の記録「[[新羅之記録]]<ref>{{Cite web|和書|title=新羅之記録 上 (1810651800-1)|url=http://archives.c.fun.ac.jp/fronts/detail/reservoir/516ea10a1a55724270001255|website=函館市中央著書間デジタル資料館|accessdate=2021-08-14|publisher=[[函館市]]}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=新羅之記録 下 (1810651818-1)|url=http://archives.c.fun.ac.jp/fronts/detail/reservoir/516ea4f61a557242700012ab|website=函館市中央図書館デジタル資料館|accessdate=2021-08-14|publisher=[[函館市]]}}</ref>」によれば、同藩の[[和人]]たちは[[メナシクル|メナシ]]地方(現在の[[根室市|根室]]方面)の[[アイヌ]]らと[[ラッコ]]の[[毛皮]]や[[鷲]]の羽などの[[交易]]を行っていた。アイヌらは100隻近い舟に物品を積載して[[松前町 (北海道)|松前]](松前藩の本拠地)まで来ており、それらの産地となる島があることが知られていたという<ref name=":11" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.saitama.lg.jp/a0314/hoppou/rekishi.html|title=北方領土問題|北方領土の歴史|accessdate=2021-08-16|publisher=埼玉県|date=2021-02-08}}</ref>。同藩主はこれを江戸幕府の[[将軍]]へ献上した<ref name=":27">{{Cite web|和書|url=https://www.hoppou-d.or.jp/cms/cgi-bin/index.pl?page=contents&view_category_lang=1&view_category=1022|title=中学生むけ読みもの「私たちの北方領土」|accessdate=2021-08-16|publisher=公益社団法人 北方領土復帰期成同盟}}</ref>。
**ラッコは日本周辺では千島列島海域でしか獲れないため、当時の和人が北方四島や千島のアイヌと交流していたと考えられる<ref name=":27" />。
*1618年(元和4年)
314行目:
** この[[地図]]は、松前藩が江戸幕府に提出したものを基礎としており、提出された原本は残っていないが、松前藩はその10年前である[[1635年]]([[寛永]]12年)に蝦夷地の探検調査を行っているため、当時得られた知識に基づいて作られたものと考えられる<ref name=":11" />。
* 1661年
** 日本の[[伊勢国]]の七郎兵衛らの船が択捉島に漂流した。日本人では初めて千島列島に漂着した記録であるとされ、当時は[[アイヌ]]らが先住する島であったという<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.mctv.ne.jp/~takase/E18.htm|title=伊勢国松坂の船北海を漂流する|accessdate=2021-08-15|website=長期滞在・ロングスティ記 - 北海道の名付け親 松浦武四郎の足跡を訪ねて その他諸々 }}</ref>。
*[[1711年]]([[正徳 (日本)|正徳]]1年)
**[[ロシア人]]が初めて千島列島に進出した。[[コサック]]の反乱者コズィレフスキーら2人が千島列島の最北端である[[占守島|占守(シュムシュ)島]]に上陸し<ref name=":11" />、住民と戦って征服した。翌年には[[幌筵島|幌筵(パラムシル)島]]も征服した。さらに翌々年の[[1713年]]には[[温禰古丹島|温禰古丹(オンネコタン)島]]等を襲撃し、これらの島々を調査して帰国した<ref name=":12" />。
342行目:
* [[1785年]]([[天明]]5年)
** 日本の江戸幕府はロシアの千島列島進出に危機感を持ち、もはや松前藩単独では対抗できないことから、北方四島や千島列島に役人を派遣して実地調査を行った<ref name=":27" />。
**派遣された[[探検家]]の[[最上徳内]]らが蝦夷地から[[得撫島]]までを踏破した<ref name=":11" />。最上が記した「蝦夷草子」によれば、'''最上らは国後島から択捉島に渡って'''ロシアの南下の状況を調査し、得撫島に上陸して得撫島以北の諸島の情勢も察知したいう<ref name=":12" />。'''日本人では最初の得撫島への上陸'''であった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.murayama.lg.jp/kurashi/gakko/bunka/mogamitokunai.html|title=最上徳内記念館|accessdate=2021-08-15|publisher=[[山形県]][[村上市]]|date=2021-08-02}}</ref>。
**その際、'''択捉島にはすでに3名のロシア人が居住していた。'''またアイヌの中に[[正教会|正教]]を信仰する者がいたことが知られており、同時期、すでにロシア人の足跡があったとされる(ただし、正教はロシア人・ロシア国民以外にも信仰されているものであり〈例:[[ギリシャ正教会]]、[[ブルガリア正教会]]、[[日本正教会]]〉、[[正教徒]]が必ずロシア人とは限らない)。<!-- ので厳密に言えば、日本政府の説明は正しいとはいえない。--><!--(当時、ロシアでは正教を信仰し一定の税金・サヤークを支払うことが、ロシア国民たる用件であるとされていた。北方四島のロシア支配と、カムチャツカ・北千島・極東のロシア支配の様相は、あまり違わない。) 但しこれらの事実はロシアによる確固たる支配を意味するものではなく、影響力が及んでいたことを示すにとどまる。-->
*[[1792年]]([[寛政]]4年)
377行目:
**ロシアは択捉島と[[樺太]]の領有を強く主張した。一方で日本は「北方四島および千島列島は探検や開拓の歴史からみても日本の領土である」と主張して譲らなかった。交渉は難航し、同年中には合意に至らなかった<ref name=":27" />。
*[[1854年]]([[嘉永]]7年)
**日本で「蝦夷地」全体の地図「[https://www-user.yokohama-cu.ac.jp/~ycu-rare/pages/WC-1_25.html 改正蝦夷全図]」(加陽・豊島洞斎 作)が発行された。この地図には北海道本島および北方四島、[[千島列島]]の全島、[[樺太]]島の全体が描かれ、さらには[[ユーラシア|ユーラシア大陸]]の一部や[[カムチャッカ半島]]の一部までもが明記された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www-user.yokohama-cu.ac.jp/~ycu-rare/pages/WC-1_25.html|title=改正蝦夷全圖|accessdate=2021-08-16|publisher=横浜市立大学学術情報センター|website=横浜市立大学所蔵の古地図データベース}}</ref>。
* [[1855年]]([[安政]]1年)
** 日本(江戸幕府)とロシア帝国は'''[[日露和親条約]]'''(下田条約)を結び、択捉島と[[得撫島]]の間を国境線とした。この条約により'''択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島が日本領'''、得撫島から北の島々がロシア領と規定された<ref name=":11" />。
384行目:
==== 大日本帝国 - ロシア帝国時代 ====
*[[1868年]] - [[1869年]]
**[[明治維新]]<ref>{{Cite web|和書|title=年表 {{!}} 中高生のための幕末・明治の日本の歴史事典|url=https://www.kodomo.go.jp/yareki/chronology/index.html|website=www.kodomo.go.jp|accessdate=2021-08-14}}</ref>によって[[江戸幕府]]が解体し、その領土が[[大日本帝国]]へと[[継承国|継承]]された。
* [[1869年]]([[明治]]2年)
** [[蝦夷地]]を[[北海道 (令制)|北海道]]と改称。このとき[[国後島]]・[[択捉島]]の行政区分をあわせて「[[千島国]]」とし五郡を置いた。
463行目:
=== 日本の返還運動の発端 ===
*[[1945年]]([[昭和]]20年)
**12月1日:[[日本]]の[[根室町]]長(現在の[[根室市|根室]][[市長]]にあたる)であった[[安藤石典]]、また近隣の[[漁師|漁民]]代表、および[[北方諸島|北方四島]]から脱出した元島民の代表が、当時の日本を[[占領]]・[[統治]]していた[[連合軍最高司令官総司令部|連合軍最高司令官]][[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー元帥]]に対して、北方四島を[[アメリカ合衆国]](米国)が保護するようにと[[陳情]]を行った。その内容は「[[歯舞群島]]・[[色丹島]]・[[国後島]]・[[択捉島]]は日本固有の領土である。[[ポツダム宣言]]を忠実に履行する上からも、[[アメリカ軍]]の保証占領下に置いて、島民が安心して生業に付けるようにしてほしい」というものであった<ref name=":24">{{Cite web|和書|url=https://www.city.nemuro.hokkaido.jp/lifeinfo/kakuka/hoppouryoudotaisakubu/hoppouryoudotaisakuka/8392.html|title=根室市と北方領土|accessdate=2021-08-16|publisher=北海道根室市}}</ref>。
***この陳情は当時から「4つの島」の返還を目指したものであり、現在まで続く日本による北方領土返還運動の発端となった<ref name=":24" />。
 
470行目:
==== [[ヨシフ・スターリン|スターリン]]時代 ====
*[[1946年]](昭和21年)
** [[1月29日]]:'''[[SCAPIN|連合国最高司令官司令]]により、「千島列島、歯舞群島、色丹島」などの地域に対する日本の行政権が'''一時的に'''停止された'''<ref group="*" name=":1">なお、同指令第6項には「この指令中のいかなる規定も、ポツダム宣言の第8項に述べられている諸小島の最終的決定に関する連合国の政策を示すものと解釈されてはならない」とある。</ref><ref name=":30">{{Cite web|和書|url=https://www.cas.go.jp/jp/ryodo/shiryo/takeshima/detail/t1946012900101.html|title=若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する件(SCAPIN-677)|accessdate=2021-08-15|publisher=政府の委託事業の下で地元の専門家を中心とするチーム|website=竹島資料ポータルサイト|date=1946-01-29}}</ref>(SCAPIN-677)。これらは'''ソビエト連邦の行政管轄区域となった'''。
** 2月2日:'''[[ソビエト連邦最高会議]]が、'''南[[樺太|サハリン]](南樺太)および'''クリル諸島(千島列島)を'''1945年9月20日にさかのぼり'''国有化宣言した'''([[南サハリン州]]の設置に関するソ連邦最高会議幹部会令、ソ連邦最高会議一九四六年二月二日付命令)。同地域はソ連の南サハリン州として新設され、[[ロシア共和国]]・[[ハバロフスク地方]]へと編入された<ref name=":29" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000035454.pdf|title=われらの北方領土2020年版(令和2年版)|accessdate=2021-08-16|publisher=外務省|format=PDF}}</ref>。
***当時、[[樺太|樺太島]]の南部(北緯50度以南)に住んでいた日本国民は1945年8月時点で約40万人だったが、彼らはソ連の占領下で生活することになり、技術者を中心とする彼らの多くがそのまま職場にとどまらざるを得なかった。
***南樺太には日本からの米の供給が途絶えたことから、ソ連は旧[[満州国]]から大豆、[[北朝鮮]]から米を移入し、日本人への配給にあてた。一方、[[林業]]などのために[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]からの[[朝鮮民族|朝鮮人]]労働者も南樺太へ送られるようになった。
491行目:
*:米国は北方領土は常に日本の領土であったので、日本に主権があることは正当として認められなければならないと[[国務省]]の覚書として明文化された公式見解を示し、日本の立場を支持している。
*:しかし、英・仏からは日本に好意的な回答は得られなかった。フランスからは、サンフランシスコ会議議事録において日本代表が国後、択捉を南千島として言及しているところに注意を喚起するとの回答があった。
*: [[平和条約]]の締結交渉については、北方領土の全面返還を求める日本と、平和条約締結後の二島の「譲渡」で決着させようとするソ連の妥協点が見出せないまま、結局日ソ平和条約は締結されなかった。'''平和条約の締結後に歯舞群島・色丹島をソ連が日本に引き渡す'''と記載された条文を盛り込んだ「共同宣言」で決着した<ref name=":8">{{Cite web|和書|title=日ソ・日露間の平和条約締結交渉|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo_rekishi.html|website=日本の領土をめぐる情勢|accessdate=2021-08-14|language=ja|publisher=外務省|date=2021−03-31}}</ref>。
*: 日ソ共同宣言で日ソ間の外交関係が回復。日本とソ連は1956年12月7日、日ソ共同宣言の批准書を交換し、日ソ共同宣言は同日発効した。
* [[1957年]]
536行目:
** 11月:両国は[[クラスノヤルスク]]での[[首脳会談]]で「東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす。」と合意した<ref name=":8" />。
* [[1998年]]
** 4月:両国は[[川奈ホテル|川奈]]での首脳会談で「平和条約が、東京宣言第2項に基づき四島の帰属の問題を解決することを内容とし、21世紀に向けての日露の友好協力に関する原則等を盛り込むものとなるべきこと。」と合意した(川奈合意)<ref name=":8" /><ref>{{Cite web|和書|title=川奈首脳会談|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/kiroku/s_hashi/arc_98/nichiro/kawana.html|website=過去の記録|accessdate=2021-08-14|publisher=外務省|date=1998-04-28}}</ref>。
 
==== エリツィン - [[小渕恵三|小渕]]時代 ====
569行目:
*(2014年 [[2014年クリミア危機|クリミア危機]]・[[ロシアによるクリミアの併合]])
*[[2016年]]
**12月:ロシアの[[ウラジーミル・プーチン|プーチン]]大統領が訪日し、[[山口県]][[長門市]]で首脳会談を行った。両首脳は「北方四島において特別な制度の下で共同経済活動を行うための協議の開始」に合意するとともに、 「元島民らによる[[墓参り]]等のための手続きを改善する」ことで一致した<ref name=":8" /><ref>{{Cite web|和書|title=プーチン・ロシア大統領の訪日(結果)|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/erp/rss/hoppo/page4_002600.html|website=外務省|accessdate=2021-08-14|language=ja|publisher=外務省|date=2016-12-16}}</ref>。
* [[2018年]]
** 9月:プーチンは[[ウラジオストク]]での[[東方経済フォーラム]]で、安倍に「年末までに前提条件なしで[[平和条約]]を結ぼう」と提案し、領土問題の先送りを示唆した<ref name=":42">{{Cite news|title=北方領土「4島返還」封印、安倍氏の誤算 すれ違う日ロ|newspaper=[[朝日新聞]]|date=2021-05-23|url=https://www.asahi.com/articles/ASP5N5HHGP4NUTFK00N.html|accessdate=2022-02-11}}</ref>。
584行目:
***13日:[[連邦院 (ロシア)|ロシア上院]]の国際問題委員長のコサチョフは「最低だ。そうした発言をするのは問題の解決を望まない人物だけだ」と批判した<ref name=":44">{{Cite news|title=維新、丸山氏を除名 北方領土返還めぐり「戦争」発言|newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2019-05-14|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44775240U9A510C1PP8000/?n_cid=DSREA001|accessdate=2022-02-11}}</ref>。
***14日:日本維新の会は丸山を[[除名]]処分にした。日本の[[内閣官房長官|官房長官]]の[[菅義偉]]は「誰が見ても不適切だ」と批判し、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]の[[河野太郎]]も「このような発言、行動は決してプラスにならない」と批判した<ref name=":44" />。
**6月22日:大阪で開催される[[G20]]とそれに合わせ29日に行われる日露首脳会談に先駆けて、ロシアのプーチン大統領は国営放送のインタビューに'''「北方領土を日本に引き渡す計画はない」'''と答えた<ref>{{Cite web|和書|title=北方領土引き渡す計画なし=首脳会談前にけん制-ロシア大統領:時事ドットコム|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2019062200479&g=int|website=時事ドットコム|accessdate=2019-06-22|language=ja|publisher=時事通信社|date=2016-6-22|quote=ロシアのプーチン大統領はロシアが実効支配する北方領土について、日本側に引き渡す計画はないとの認識を示した。国営テレビが22日放映のインタビューの内容をサイトで公開した。
 
最近、取材で現地を訪れたという質問者が「子供たちはロシア国旗を掲げていた。(今後ロシア国旗を)降ろさざるを得ないということはないか」と聞くと、プーチン氏は「そのような計画はない」と応じた。}}</ref>。
**9月5日:ロシア・ウラジオストクで開催された『東方経済フォーラム』で、安倍が日本とロシアとの[[平和条約]]の締結を訴える演説を行った。
***その中で安倍は「ウラジーミル(プーチンの[[人名|ファーストネーム]])。君と僕は、同じ未来を見ている。」「ゴールまで、ウラジーミル、二人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか。」などと発言し<ref>{{Cite web |和書|url=https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2019/0905eef.html |title=令和元年9月5日 東方経済フォーラム全体会合 安倍総理スピーチ |access-date=2022-05-10 |publisher=[[首相官邸]] |date=2019-09-05}}</ref>、物議を醸した<ref name=":46">{{Cite news|title=安倍首相の「信じて」にアル・カポネの名言でプーチン氏が反論|newspaper=[[産経新聞]]|date=2019-09-18|url=https://www.sankei.com/article/20190918-GS3SASWMQ5NYZC5NNISSFF5LTA/|author=小野田 雄一|access-date=2022-05-10}}</ref><ref>{{Cite news|title=「君と僕」が見たはずの「同じ未来」 安倍元首相のロシア戦略の挫折|newspaper=[[朝日新聞]]|date=2022-03-23|url=https://www.asahi.com/articles/ASQ3Q6FV9Q3QUTFK013.html|access-date=2022-05-10|author=佐藤武嗣、野平悠一、岩尾真宏}}</ref>。
***一方でプーチンは否定的な見解を示し、「優しい言葉にピストルを添えれば、優しい言葉だけの場合よりもっと多くを得られる」などと発言した<ref name=":46" />。
*[[2020年]]
606行目:
***日本の[[ジャーナリスト]]の[[名越健郎]]は、「前任の[[ドナルド・トランプ]]とは異なり、バイデンはロシアに敵対的で、かつ日本などの同盟国と米国との結束を重視する。そのため日本とロシアとの交渉は難航化する可能性がある」と推測した<ref name=":1" />。
**2月:ロシアのプーチン大統領が「日本との関係は発展させたいが、'''ロシア憲法に違反することは何もするつもりはない'''。」と述べた。
***日本の著述家の[[亀山陽司]]は、「これは『ロシア領土の割譲を禁止』した条項を指している。この条項では例外規定として国境画定交渉を認めているが、この発言は、北方領土交渉は国境画定交渉ではない(つまり例外にはあたらず憲法違反である)ということを示唆している」と推測した<ref>{{Cite web|和書|title=北方領土交渉に日本のカードはあるか?(亀山陽司)|url=https://news.yahoo.co.jp/byline/kameyamayoji/20210630-00245689|website=Yahoo!ニュース|accessdate=2021-08-14|language=ja|publisher=Yahoo! JAPAN|date=2021-06-30}}</ref>。
**2月7日:日本の東京で開催された「北方領土返還要求全国大会」で、北方四島について「法的根拠のないままに75年間占拠され続けている」と主張するアピールを採択した。2年間使われていなかった'''「不法占拠」という文言を事実上復活させた'''<ref name=":2" />。
**8月19日:1人の[[ロシア人]]男性が、4島の[[国後島]]から[[北海道]]本島へ海を泳いで渡航し、日本の当局に保護・拘束される事件が起こった<ref name=":38">{{Cite news|title=「国後から来た」なら「国内移動」 ロシア人男性処遇に日本政府苦慮 標津で保護1週間|newspaper=[[北海道新聞]]|date=2021-08-29|url=https://www.hokkaido-np.co.jp/article/582551/|accessdate=2021-09-08}}</ref><ref name=":39">{{Cite news|title=「プーチン政権に嫌気」 難民認定申請のロシア人 国後から「23時間泳いだ」|newspaper=[[北海道新聞]]|date=2021-09-07|url=https://www.hokkaido-np.co.jp/article/586716/|accessdate=2021-09-08}}</ref><ref name=":40">{{Cite news|title=国後島から“遠泳”ロシア人男性 「23時間泳いできた」|newspaper=[[北海道放送]]|date=2021-09-08|url=https://news.yahoo.co.jp/articles/31115413d0469254da0ea206e6a4fe06144d057b|accessdate=2021-09-08|agency=Yahoo! ニュース|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210908184150/https://news.yahoo.co.jp/articles/31115413d0469254da0ea206e6a4fe06144d057b|archivedate=2021-09-08}}</ref>。
798行目:
{{See also|北洋漁業}}
[[File:A tour to visit graves in Suisyou-jima, Habomai.jpg|thumb|墓参の様子。[[水晶島]]・秋味場(あきあじば)の墓地にて2008年8月撮影。]]
1964年から、元島民及びその親族による北方領土にある先祖の墓所への参拝が人道的観点から断続的に実施されている。当初は簡単な証明書で渡航出来ていたが、ソ連側から[[旅券]]の携行を強く要求されたため1976年に一旦中断。10年後の1986年に口上書が交換され、再び簡単な証明書での墓参が実現した<ref>{{Cite web |和書|url=https://www8.cao.go.jp/hoppo/henkan/12.html |title=北方領土墓参|accessdate=2019/03/28 |website=[[内閣府]]}}</ref>。また、日本国民の北方領土関係者およびロシア人北方領土居住者に対する[[北方四島交流事業|ビザなし渡航]]が1991年の日ソ首脳会談で提案され、1992年4月から実施されている<ref>{{Cite web |和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/index_4to.html |title=北方四島への渡航に関する枠組み |accessdate=2019/03/28 |website=[[外務省]]}}</ref>。
 
1991年12月のソ連崩壊に伴って、ロシアを含む旧ソ連諸国と日本とで1993年に「支援委員会の設置に関する協定」が締結・発効された。支援委員会は旧ソ連諸国の市場経済への移行を促進するメカニズムとして設置され、ロシアが実効支配する北方四島においては市場経済への移行を促進するためとして北方四島の診療所や発電所や緊急避難所兼宿泊施設に支出された<ref>[http://report.jbaudit.go.jp/org/h13/2001-h13-0106-0.htm 国際機関等に対する拠出金等について、支出先における適切な事業運営が確保され、拠出金等の効率的使用等が図られるよう改善の意見を表示したもの] - 会計検査院HP</ref>。2002年の[[鈴木宗男事件]]発覚により、支援委員会の不透明さが問題視されて廃止された。
842行目:
</ref><ref group="*">{{Cquote|運輸省「サハリン管区」連邦総局長?M.エゴロフは、報告書のなかで次のような強い警告を発している。日本の領土要求に譲歩した場合、ロシアはフリザ海峡とエカチェリーナ海峡(それぞれ択捉海峡と国後水道)という凍結することのない海を失うことになる。つまりそれはロシアが太平洋へと自由に抜ける出口を失うということである。日本が通行に金銭的な対価を求めるか、通行そのものに制限を設けることは間違いない。|<!-- リンク切れなのでruwpから-->}}</ref>。
 
北方領土には、石油に換算しておよそ3億6000万トンと推定される石油や天然ガス、世界の年間産出量の半分近い量の生産が見込まれる[[レニウム]]など手付かずの豊富な地下資源が眠っており<ref>{{Cite web|和書|title=「国後・択捉にレアメタル」で領土返還はさらに遠のく?|url=http://www.fsight.jp/1740|publisher=[[新潮社]]|accessdate=2013-03-27}}</ref>、水産資源においても世界3大漁場の内の1つに上げられるほど豊富である<ref name=searchina>{{Cite web|和書|title=最大規模のロシア政府代表団が国後島を視察|url=http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0131&f=politics_0131_015.shtml|publisher=[[サーチナ (ポータルサイト)|サーチナ]]|accessdate=2013-03-27}}</ref>。ロシアの天然資源・環境省によると、これら北方領土周辺の資源価値は2兆5000億ドルに上ると推計されており<ref name=searchina/>、これらの資源を巡る問題もまた北方領土の日本への返還を困難なものとしている<ref>{{Cite web|和書|title=北方領土、資源問題加わる 日本の対応難し|url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM28048_Y1A620C1FF2000/|publisher=[[日本経済新聞]]|accessdate=2013-03-27}}</ref>。
 
サンフランシスコ講和条約に対しても、ロシア側の主張は日本側のものとはかなり食い違っている。当時のソ連側から見れば、大戦当時ソ連・アメリカ・イギリス・中華民国は連合国であり、日本・ドイツ・イタリアの[[枢軸国]]とは敵対していた。枢軸国のイタリアやドイツが降伏した後、ソ連は連合国の求めに応じて対日参戦した。[[ヤルタ会談]]で千島・南樺太の割譲は米英ソの三者で合意されているし、ソ連も参加している[[ポツダム宣言]]を日本は無条件で受け入れ、1945年9月2日に降伏文書にも調印した。日本が降伏文書に調印する9月2日までは日本とソ連の間でまだ戦争は続いていたというのがロシアの立場であり、降伏文書調印以前の占領は合法であるという立場である<ref group="*">ただし歯舞群島の占領は9月3日以降であり、この論理によっては正当化できない。</ref>。日露の間は平和条約の締結こそしていないがロシアは占領地区を既に自国へ編入している。さらに、サンフランシスコ条約で日本は[[千島列島|クリル列島]]を放棄しており、クリル列島には、択捉島・国後島が含まれているのはもちろんのこと、色丹島・歯舞群島のいわゆる小クリル列島もまた含まれるとしている。その上で、第二次大戦の処理方針として[[大西洋憲章]]や[[カイロ宣言]]ならびに[[ポツダム宣言]]で領土不拡大の原則が定められているが、第二次世界大戦当時日本が連合国でないことから日本にこれらの原則は適用されないとし、かつ敗戦国であることから日本の北方四島の領有は根拠がないばかりか不法行為で、日本の敗戦と同時に北方四島は放棄されている、としている。これらを踏まえて、日露間の領土問題は架空の存在で事実無根であるとしている。
904行目:
[[中華人民共和国]]は冷戦中、ロマノフ朝時代に併合された[[外満洲|外満州]]、及び[[中ソ対立]]の影響から日本の北方領土領有の主張を支持していたが、冷戦終結前後の中露間の和解及び関係改善を受け、近年では立場を変えている。2021年、[[中華人民共和国外交部|中国外務省]]の[[趙立堅]]報道官は、北方領土問題に関し、「世界反ファシスト戦争([[第二次世界大戦]])の勝利の結果は正当に尊重され、遵守されなければならないと常に確信している。」と発言し、中国がロシアによる北方領土領有を認めるような趣旨の発言を行った。<ref>{{Cite web |url=https://tass.com/politics/1318207 |website=tass.com |access-date=2022-05-25 |title=Southern Kuril Islands dispute is Russian-Japanese issue, says Chinese diplomat |publisher=Tass}}</ref>
 
イギリスは立場を明らかにしてこなかったが、2016年に報道された電報を通じ、 1946年2月当時からのロシアがソ連時代から北方領土領有を主張する最有力根拠としてきた「ヤルタ密約」(ヤルタ協定のうち極東密約)が大西洋憲章に反する上に米議会の批准もないために有効性が無いとの認識を示していたことが示されている<ref name=":48">{{Cite web |和書|title=【ヤルタ密約秘話】英外務省、露の北方領土領有の根拠「ヤルタ密約」に疑念 「ルーズベルト米大統領が越権署名」 外交公電で全在外公館に警告(1/3ページ) |url=https://www.sankei.com/article/20161205-5P3VO3V3SFPJRIHNU5EZXMH6WQ/ |website=産経ニュース |date=2016-12-06 |access-date=2022-10-08 |language=ja |first=SANKEI DIGITAL |last=INC}}</ref>。
 
ウクライナは2022年10月に大統領と議会が北方領土はロシア連邦に不法占拠されている日本の北方領土に対する立場を支持することを表明した。ゼレンスキー大統領は「ロシアの占領下にある北方領土について、日本の主権と領土の完全性を尊重することを確認し、関連する法令に署名した。」「ロシアは、これらの領土に対して何の権利もなく、世界中の誰もがそのことをよく理解している」と表明した。ウクライナ議会は「国際社会は、北方領土が日本に帰属するという法的地位を定めるため、すべての可能な手段を講じるべきだ」と国連や欧州議会などの国際機関にも「北方領土が日本の領土であると定めるための一貫した支援と行動」を求めた<ref>{{Cite web |和書|title=ゼレンスキー大統領「北方領土は日本の領土」 国際社会に行動訴え(朝日新聞デジタル) |url=https://news.yahoo.co.jp/articles/540585b16eb46beb9a8fd202dea1653458a0f8d7 |website=Yahoo!ニュース |access-date=2022-10-08 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web |和書|title=ウクライナ議会 “北方領土は日本の領土と確認する決議”採択 {{!}} NHK |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221008/k10013852651000.html |website=NHKニュース |access-date=2022-10-08 |last=日本放送協会}}</ref>。
 
しかしながら、ロシアの北方領土領有には、国際法に基づいた法的根拠が全く存在しておらず、同様に日本の北方領土領有にも、国際法に基づいた法的根拠が存在しない。日本は[[サンフランシスコ平和条約]]に於いて千島列島すなわちクリル列島を放棄したが、その千島列島の範囲が条約に明記されておらず、南端が[[ウルップ島]]までなのか、北方四島も含まれるのかが明らかにされていない。また、北方領土は公式には千島列島ならびに南サハリンとともに'''帰属未定地'''となっているため、厳密には主権不明、すなわちどの国の領土にも属していないことになっている。このため、多くの国が北方領土は日本領でもロシア領でもなく、帰属は不明との立場をとっている。これにより、日本・ロシア両国の北方領土領有には、国際法の整備が必要となっており、領土問題の解決をより困難な物にしている。