「小林宏之 (野球)」の版間の差分
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{{by|2001年}}(5年目)終盤から一軍に定着。この年7月9日の対[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]18回戦([[千葉マリンスタジアム]])で、10回表に3点ビハインドの場面で登板し、1/3回を無失点に抑えると、10回裏の攻撃で[[フランク・ボーリック]]が満塁本塁打を放ち逆転[[サヨナラゲーム|サヨナラ]]勝利となったことでプロ初勝利を挙げた。この年は22試合に登板し、防御率3.70の成績を残した。
{{by|2002年}}
{{by|2003年}}
{{by|2004年}}の開幕前
{{by|2005年}}は
[[ファイル:WBC2006 Hiroyuki Kobayashi.jpg|thumb|2006年WBCでの小林]]
{{by|2006年}}は開幕前の3月に開催された[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)]]の[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|WBC日本代表]]に選出された
シーズンではWBCの影響で足を故障し開幕から出遅れたが、4月26日の対[[オリックス・バファローズ]]戦で初登板、2安打[[完封]]、98球で勝利。その後、シーズン最終登板となった対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]戦で10勝目を挙げ、2年連続の2桁勝利を記録した。
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{{by|2007年}}はシーズンを通して先発ローテーションを守り、自己最多の投球回を達成。13勝を挙げて3年連続の2桁勝利となった。[[2007年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]でも第1ステージ第2戦・第2ステージ第2戦で先発したが、第1ステージでは2回途中6失点の大乱調で敗戦、第2ステージでは足の痙攣が治まらず4回途中に降板した。同年は[[第24回アジア野球選手権大会日本代表|北京五輪アジア予選日本代表]]に選出され、初戦の対フィリピン戦を打者3人、2奪三振で締めた。背番号はロッテでの41を[[稲葉篤紀]]に譲って14を着けた。オフには[[ポスティングシステム]]による[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]移籍の希望を球団に訴えたが認められず、総額2億円+出来高の2年契約を結んだ。
{{by|2008年}}はプロ12年目で初めて[[開幕投手]](対[[北海道日本ハムファイターズ]]戦)に指名された。相手投手の[[ダルビッシュ有]]と投げ合い、6回途中まで無失点に抑えたものの足の痙攣で降板し、敗戦投手となった。それ以降は右肩痛を発症したこともあり不調が続き、
{{by|2009年}}は先発ローテーションの一角を担ったが
{{by|2010年}}は4月6日より登録名を'''小林宏'''に変更。1998年から2007年までは小林雅英が、2008年と2009年は[[小林憲幸]]が同じ球団に所属していたため、スコアボードや新聞上では「小林宏」の表記が使われていた。2010年シーズンは同姓の選手がいなくなったが、本人は「小林宏」表記に愛着を持っており、「小林」に対し違和感があったことから、[[山本昌]]と同様に名字と名前の一文字目を組み合わせて姓名の区別を付けない登録名にしたものであった。シーズンでは[[オープン戦]]で右肘を痛めたため開幕を二軍で迎え、状態によっては長期離脱の可能性もあったが、開幕7戦目となる3月30日の対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦で一軍に復帰し、初[[セーブ]]を挙げた。4月26日には海外[[フリーエージェント (プロスポーツ)|フリーエージェント]] (FA) 権を取得<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.marines.co.jp/news/detail/4609.html |title=海外FAの権利を取得した小林宏投手のコメント |publisher=千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト |date=2010-04-26 |accessdate=2010-04-26}}</ref>。最終的に3勝3敗29セーブ、防御率2.21, WHIP1.07と好成績を残したが、開幕から5月までは防御率0.00, WHIP0.72, 8月に
=== 阪神時代 ===
{{by|2011年}}1月20日にFA権行使直後より[[久保田智之]]・[[藤川球児]]に繋ぐ中継ぎの軸として獲得意思を表明していた[[阪神タイガース]]と初交渉し、阪神入団を表明<ref>[http://hanshintigers.jp/news/topics/info_1657.html 小林宏之選手入団記者会見]阪神球団公式サイト2011年1月28日配信</ref>。推定2年総額5億円で大筋合意した。そして1月28日に入団会見を開き、背番号はロッテ時代と同じ「41」となった。獲得前からの球団の方針で開幕からセットアッパーとして8回のマウンドを任された。しかしシーズン前半戦は6度の救援失敗(うち4敗)を喫するなど不振で7月26日の対[[中日ドラゴンズ]]戦で移籍後初勝利を挙げたものの、調子は上がらず8月28日に二軍落ち。9月30日に再び一軍登録されたものの、10月4日の対[[東京ヤクルトスワローズ]]戦で失点を喫するなど最後まで不安定なままシーズンを終えた。
[[ファイル:HT-Hiroshi-Kobayashi20120314.jpg|サムネイル|阪神時代(2012年3月14日)]]
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=== 西武時代 ===
2014年7月21日に[[埼玉西武ライオンズ]]が獲得を発表、2年ぶりに[[日本野球機構|NPB]]に復帰することになり<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.seibulions.jp/news/detail/9185.html |title=選手獲得について |publisher=埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト |date=2014-07-21 |accessdate=2021-09-23}}</ref>、翌7月22日に入団会見を行った。背番号は「52」<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.seibulions.jp/news/detail/9187.html |title=小林宏之投手 入団会見 |publisher=埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト |date=2014-07-22 |accessdate=2021-09-23}}</ref>。登録名は2010年から2012年まで使用していた'''小林宏'''になった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140723-1339082.html |title=西武小林宏「死ぬ気で」年俸は600万円 |publisher=日刊スポーツ |date=2014-07-23 |accessdate=2021-09-23}}</ref>。7月25日の対ロッテ戦([[西武ドーム]])でNPBでは2011年10月4日以来、1,025日ぶりに一軍登板を果たし、6回の1イニングを2与四球1奪三振の無失点で抑えた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/07/26/kiji/K20140726008630710.html |title=西武・小林宏、笑顔の零封 阪神時代以来1025日ぶり登板 |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=2014-07-26 |accessdate=2021-09-23}}</ref>。その後は中継ぎとして15試合に登板したが、防御率7.94と不安定な成績
=== 引退後 ===
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