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フランス軍は同日夕方までに独第1陣地の最前線を奪取した。ドイツ軍の逆襲を撃退してさらに攻撃を続け、5日までにペロンヌ西側地区において第1陣地だけでなく第2陣地の一部も占領するにいたる。イギリス軍の正面ではドイツ軍の激しい逆襲によってあまり前進出来ず、ただフランス軍との隣接地区においてのみ相当の進展を見た。ドイツ軍はこの間各方面から増援を得て逆襲を繰り返して抗戦を試み、その兵力は2倍、16師団に増加した。連合軍はその後攻撃を続行し、[[7月20日]]までに仏軍は正面約12km、深さ2ないし8kmの敵陣地を獲得し、英軍では第1陣地地帯を突破した。
 
[[7月]]下旬から[[9月]]中旬にわたる間英仏軍は攻撃を続行し、ソンム河北岸の地区では攻撃進展著しく、イギリス軍は[[9月15日]]の攻撃で第15軍に投入された[[Mk.I戦車]]をフレール方面で初めて使用した。秘密兵器の初披露であった衝撃もあり、ドイツ軍の戦線攻略に効果があったが、投入49両用意されていた戦車のうち稼働できる数たの少なく18両実戦に参加できたのは5両だけ、運用面でも不備があり機動性は発揮できなかった(戦車の投入にはイギリスの軍需大臣[[デビッド・ロイド・ジョージ|ロイド・ジョージ]]は否定的であった)。この間ドイツ軍では[[8月]]下旬、[[エーリッヒ・フォン・ファルケンハイン]]がヴェルダン攻撃失敗により参謀総長の職を退き、[[パウル・フォン・ヒンデンブルク]]がこれに代わった。
 
9月末にソンム地方は天候不良で地面が泥だらけとなって作戦困難となったが、英仏連合軍は攻撃を続けた。[[10月]]末までにはソンム河北岸地方で一定の成果をみたが、7月以来3カ月にわたる攻撃で消耗激しく、またドイツ軍も他方面の作戦に忙殺され、[[11月]]上旬には両軍対峙の形となった。