削除された内容 追加された内容
K6Adan (会話 | 投稿記録)
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1996年6月、公害等調整委員会は「香川県の誤った監督指導体制が、事態をここまで悪化させた要因である」と指摘し、香川県の責任を認めるとともに自治体として踏み込んだ対応をするように求めた<ref name="watashitachi" />。こうして香川県の姿勢が変わったのは1997年1月になってからである<ref name="watashitachi" />。その背景には、処理費用に対して当時の[[内閣総理大臣]][[橋本龍太郎]]がその半額を国から援助するという判断があったからだとされる<ref name="watashitachi" />。これにより費用負担を拒否してきた香川県は、ようやく残り半分の処理費用を負担する判断を下す<ref name="watashitachi" />。
 
1997年4月には「住民が長期にわたり、不安と苦痛を受けた」という文章を盛り込んだ中間合意案が公害等調整委員会によって作成されたが、香川県は「不安と苦痛」という部分に難色を示し削除を求めたために1か月後に公開された文章では該当部分が削除された<ref name="watashitachi" />。それを知った豊島の住民は改めて香川県の対応に落胆することになる<ref name="watashitachi" />。この中間合意案では、県が責任を認めやすいように、住民側県に対する賠償を放棄した背景があった<ref name="watashitachi" />。香川県はこの合意案を受諾する方針を表明したが、住民側は「県の責任が明確にされていない」などとして、合意案の変更を公害等調整委員会に迫ったが、委員会が応じることは無かった。このため住民側は、期限切れで中間合意をまとめることが不可能になることを恐れ、この合意案を不本意ながら受け入れ<ref name="watashitachi" />、香川県の責任については別の運動で追及していく方針とした<ref name="watashitachi" />。中間合意後も香川県は住民への謝罪を拒み、謝罪を求める住民との間で調停は再び膠着状態となった<ref name="watashitachi" />。
 
1998年9月、[[前川忠夫]]に続いて知事に就任していた[[平井城一]]が退き、[[真鍋武紀]]が知事に就任した<ref name="watashitachi" />。真鍋は当選前から、県の謝罪表明には「検討の上で対応する」と慎重な姿勢をとっていた<ref name="watashitachi" />。当選後の1998年10月の代表質問でも「中間合意で香川県は既に遺憾の意を表明している」と述べて、既に謝罪済みで解決しているという見解を表明した<ref name="watashitachi" />。