「山本美保 (拉致被害者)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m リンク先とリンク文が同一
34行目:
 
== 権革の目撃証言 ==
[[1999年]]に[[韓国]]に亡命した北朝鮮国家安全保衛部指導員であった[[権革]](クォン・ヒョク)は2003年3月、[[平壌直轄市]]で山本美保を目撃したことを証言した<ref name ="pyon" />{{refnest|group="注釈"|権革は、[[斉藤裕 (拉致被害者)|斉藤裕]]([[1968年]]に失踪)、[[大屋敷正行]]([[1969]]年に失踪)、[[松本賢一 (拉致被害者)|松本賢一]]([[1970年]]に失踪)、[[遠山文子]]([[1973年]]に失踪)、[[国広富子]]([[1976年]]に失踪)、[[佐々木悦子 (拉致被害者)|佐々木悦子]]([[1991年]]に失踪)も北朝鮮領内で目撃したと証言している<ref name="pyon" />。}}。権革の証言によれば、目撃したのは失踪から9年経過した[[1993年]](平成5年)から翌年にかけてで、[[東大院区域]]三馬洞に所在する5454部隊本庁舎2階の通信局においてであった<ref name ="pyon" />{{refnest|group="注釈"|権革によれば、5454部隊は[[在日米軍|在日米軍]][[軍用飛行場|空軍基地]]を攻撃対象とする部隊で、当時は頻繁に[[落下]]訓練を行っていたという<ref name="pyon" />。}}。目撃は複数回におよんだという<ref name="pyon" />。また、妹の美砂に会った権革は「美保にそっくり」「美砂の方が華奢」とコメントしており、その内容が正しいことは母親も認めている。
 
== DNAデータ偽造事件 ==