「ウォール街」の版間の差分
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=== ウォール街の誕生 ===
[[ファイル:The Night Watch - HD.jpg|サムネイル|[[レンブラント・ファン・レイン|レンブラント]]画「[[夜警 (絵画)|夜警]]」アムステルダム市民の集団自画像。]]
▲これにより、それまで[[ベネルクス]]の中心的な都市であった南部の都市[[アントウェルペン]]から大勢の商人が北部の都市[[アムステルダム]]に移住することになった{{Sfn|川北稔|1996|pp=30-31}}{{Efn|大量移住の理由には、
* 商工業者の多くは[[新教徒]]([[カルヴァン派]]、[[ゴイセン]])であったこと
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* 独立運動の中で[[フランドル地方]]が荒廃し、商工業者は新天地を求めたこと
など、複数の要因が考えられる。}}。こうしてアムステルダムは、[[欧州]]最大の[[商業]]、[[金融]][[都市]]として発展した。また、オランダは[[経済]]的・[[学問]]的な繁栄に加え、[[宗教]]に寛容だったため多くの[[ユダヤ人]]が亡命し、こうした要因もまた、オランダを発展させることになった{{Sfn|木畑洋一|2023|p=199}}{{Sfn|渡辺惣樹|茂木誠|2022|p=24}}。
オランダは[[スペイン帝国|スペイン]]の衰退や造船業の発展を背景に1602年、続けて1621年には[[オランダ東インド会社|東インド会社]]、[[オランダ西インド会社|西インド会社]]を設立し、[[アジア]]、[[アメリカ大陸|アメリカ]]に進出した。特に、[[北米]]にはニューネーデルラント植民地・[[ニューアムステルダム]]港を建設した。
こうして、[[十七世紀]]前半にはオランダ一国で世界の貿易額の50%を握るようになっていった。また、[[ギルダー]]の発行も行うようになり、世界進出を目論む[[イングランド王国|イギリス]]にとっても大きな障害となった{{Sfn|渡辺惣樹|茂木誠|2022|p=24}}。
しかしながら、十七世紀後半の三次にも及ぶ[[第一次英蘭戦争|英蘭戦争]]にてイングランドに敗れ、ニューアムステルダム港は[[
[[1792年]]、[[材木]]の取引のために[[商人]]や[[投資家]]が集まり非公式に取引所を開設した。これがニューヨーク証券取引所のはじまりである。
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