「ヴァロワ朝」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
Thijssie!bot (会話 | 投稿記録) m ロボットによる 追加: simple:House of Valois, th:House of Valois |
編集の要約なし |
||
1行目:
{{フランスの歴史}}
'''ヴァロワ朝'''(ヴァロワちょう
[[1328年]]に[[カペー朝]]が断絶したため、[[カペー家]]の支流[[ヴァロワ家]]から[[フィリップ6世 (フランス王)|フィリップ]]が即位しヴァロワ朝が始まった。初期には[[1339年]]に勃発した[[百年戦争]]に苦しんだが、この戦争を通じて英仏両国で国民意識が形成された。[[1589年]]までの間に13代の王を輩出した。
8行目:
[[画像:FrancisIFrance.jpg|thumb|left|フランソワ1世]]
=== 成立と百年戦争 ===
[[カペー朝]]第10代国王・[[フィリップ3世 (フランス王)|フィリップ3世]]の子
ところが、当時のイングランド王
名将
そのような中で[[シャルル7世 (フランス王)|シャルル7世]]の時代に現れた
=== イタリア侵略 ===
21行目:
[[1515年]]に死去したルイ12世にも世継ぎがなく、同じくオルレアン公ルイの孫で従兄であるアングレーム伯シャルルの息子フランソワを養子とした。これが'''ヴァロワ=アングレーム家'''である。ヴァロワ=アングレーム家は[[フランソワ1世 (フランス王)|フランソワ1世]]から[[アンリ3世 (フランス王)|アンリ3世]]まで5代続いた。
その間も続いていたイタリア戦争では、同じように統一を果たした[[スペイン]]と対立し、後にはスペイン王位を兼ねた[[オーストリア]]の[[ハプスブルク家]]によって挟撃され、敗北し、国力は衰えた。その後、ヴァロワ朝内部では権力闘争や宗教紛争が相次いだ。このような中で王朝も衰退し、[[1589年]]に第13代国王
ただし、断絶したのは嫡流の方で、厳密に言えばヴァロワ家の血脈自体は絶えていない。オルレアン公ルイの[[庶子]]である[[ジャン・ド・デュノワ|ジャン]]を祖とする[[ロングウィル公|ヴァロワ=ロングウィル家]]は17世紀末まで存続し、[[シャルル9世 (フランス王)|シャルル9世]]の庶子である[[シャルル・ド・ヴァロワ (アングレーム公)|アングレーム公シャルル]]を祖とする家系も17世紀初期まで存続した。又、[[アンリ2世 (フランス王)|アンリ2世]]の庶子である[[アンリ・ド・サン=レミー]]を祖とする家系は19世紀末まで存続し、[[首飾り事件]]で有名な[[ジャンヌ・ド・ラ・モット・ヴァロア|ジャンヌ・ド・ラ・モット・ヴァロワ]] はこの家系の出身と言われている。
== 歴代国王 ==
|