「フォルミオン (将軍)」の版間の差分

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== 提督として ==
 
同年の冬にフォルミオンは20隻の艦隊と共にペロポネソス同盟の艦船の[[コリントス湾]]の出入りを封鎖する任を受け、[[ナウパクトス]]に基地を置いた<ref>ibid, II. 69; ディオドロス, XII. 47</ref>。一方、翌[[紀元前429年]]の夏、[[ペロポネソス同盟]]側はアテナイの同盟国である[[ザキュントス]]や[[ケファレニア]]をアテナイから切り離し、また[[ケルキュラ]]との間に楔を打ち込もうとして、アテナイとそれらの同盟国との間に横たわるアカルナニアの地を勢力に置くために軍を送った<ref>トゥキュディデス, II. 80</ref>。フォルミオンはアカルナニア人からスパルタのこの計画を知らされたが、ナウパクトスを無防備にするのを恐れた彼は援軍を送らず、待機し続けた<ref>ibid, II. 81</ref>。
 
陸軍と連動したペロポネソス艦隊47隻が夜間にコリントス湾から外洋へ出てアカルナニアに向おうと航行し始めると、フォルミオンは20隻の艦隊を率いてそれに挑んだ<ref>ibid, II. 83</ref>。円陣を組んだ敵の周りをアテナイ艦隊は回り、フォルミオンは明け方に吹く風を待った。風が吹くと密集したペロポネソス艦隊は風に煽られて身動きがとれずに隊列を崩したり、互いに衝突し始めた。そこでフォルミオンは全船に総攻撃を命じ、1隻を沈め、12隻を拿捕し、勝利を得た([[リオンの海戦]])<ref>ibid, II. 84</ref>。