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=== 文武の発展 ===
会津藩は藩祖・[[保科正之]]以来、文武が大いに奨励されたが、容頌と玄宰も[[享和]]3年([[1803年]])に[[藩校]]・[[日新館]]を創設し、文武を大いに奨励した。日新館は藩士やその子弟、さらに庶民が通うこともできる藩校であり、文学や礼式は勿論のこと、兵学や水練などの武道も教えられ、文武に優れた人材を広く育てることになった。容頌の命令によって藩士の[[沢田名垂]]が指導者となり、『日新館童子訓』上下2巻が編纂された。
 
さらに玄宰によって、容頌正之時代に編纂された『会津風土記』の補助的な編纂も行なわれた。これは『[[新編会津風土記]]』と呼ばれている。新編風土記は容頌の死後に完成した。