「ノート:琉球侵攻」の版間の差分

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::::: 議論を停滞させているのは「とにかく改名しよう」とするからです。論じるにまずは情報源の提示をしてください。中立的な観点から見て「征伐」が危ういものであっても、日本語としては一般的に「琉球征伐」が用いられている歴史があるならば、これに対抗する情報が必要ということです。Tanuki32さんとBodhisattvaさんは何か情報源を示しましたか?妥協云々を述べる前に、情報源を示してください。強引に話をまとめようとしているのは改名しようとしている側にしか見えません。--[[利用者:アルトクール|アルトクール]]([[利用者‐会話:アルトクール|会話]]) 2017年5月22日 (月) 11:53 (UTC)
::::::{{コメント}} ご指摘ありがとうございます。では根拠を示しましょう。国立情報学研究所が運営する雑誌記事検索サイトcinii<http://ci.nii.ac.jp/>で、「琉球征伐」と入れてみて下さい。他書からそのまま引用されたものを除き、標題の中で薩摩島津氏が1609年に琉球に攻め込んだ事件を「琉球征伐」の語で表現する論文は、今からちょうど50年前、'''1967年の宮田俊彦「慶長十四年島津氏の琉球征伐」が最後'''です。同サイトで「琉球侵攻」と入れてみて下さい。'''1975年以降6人の著者がそれぞれ論考を発表'''しています。「情報として中立的な観点からみて問題のないものであること」を全ての人に承認させるのは至難ですが、このうち2009年の「琉球侵攻と日明関係」の著者は現東大准教授、掲載誌『東洋史研究』は日本の東洋史学界の代表的な雑誌ですので、さしあたり多くの人に納得してもらえるのではないでしょうか。以上は、ネットでお手軽に調べられる情報です。このほか、『国史大辞典』には紙屋敦之早大教授('''鹿児島県出身''')執筆による「琉球出兵」の項目で、「1960年代進入か侵入かが論争されたが、薩摩侵入以前の琉球=古琉球は外国だったから、これは日本の国内統一ではなく対外侵略」だと書いてあります。'''江戸幕府の側からすると「征伐」でよいのだ'''というご見解ですが、以上のように'''現在の日本の歴史学界において'''「琉球征伐」の語は「中立的な観点からみて問題がある」と見なされており、ネット上の個別の主張を除いてほとんど使われることがありません。現在の標題が存続しているのは諸般の事情があるようですが、以上のように'''学界ではとっくの昔に議論が終わっている時代錯誤の用語'''である以上、本文で「征伐」の語義から説き起こすのは当然だと考えます。また、ご存じとは思いますが、英語版ウィキペディアは、大半の項目が標題の語源解説(etymology)から始まっていますが、日本ではそれをしてはならないという固有ルールでもあるのでしょうか?あなたの人格を尊重して、ここしばらくは「取り消し」を差し控えますが、どうか記事内容の進歩改善にもご配慮くださるようお願いいたします。蛇足ですが、「琉球併合」は学界では明治以降の「琉球処分」を指すことが常識になっており、「薩摩の琉球侵攻」を指すことはまずありませんので、念のため。--[[利用者:Bodhisattva|Bodhisattva]]([[利用者‐会話:Bodhisattva|会話]]) 2017年5月23日 (火) 02:32 (UTC)
:提案者とそれ以外の方の意見が平行線のようですが、要は「琉球征伐」よりも「薩摩による琉球侵攻」が多く使われていることを示せば良いのでは?それをしないで改名ありきのうちはいつまで経っても改名には至らないでしょう。「学会では」を連呼していますが、なら「とっくに議論が終わってます」という文献を提示すれば良いだけのことです--[[利用者:東京中央銀行|東京中央銀行]]([[利用者‐会話:東京中央銀行|会話]]) 2017年5月27日 (土) 10:48 (UTC)
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