「名家 (諸子百家)」の版間の差分

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しかしながら、具体的にどのような思想だったかに関しては、文献の乏しさや難解さなどの理由から、定説が無く、諸説ある{{Sfn|チャン|2010|p=132}}{{Sfn|関口|1993|p=75;81}}([[#研究史]])。
 
[[21世紀]]初頭時点での一応の定説(教科書的な説明)は、[[スタンフォード哲学百科事典]]の記事にまとめられている<ref name="sep">[{{Citation|title=School of Names|last=Fraser|first=Chris|date=2020|url=https://plato.stanford.edu/archives/win2020/entries/school-names/|edition=Winter Stanford2020|publisher=Metaphysics EncyclopediaResearch ofLab, Philosophy]Stanford University|editor-last=Zalta|editor-first=Edward N.|access-date=2023-06-24}}</ref>。
 
=== 術語 ===
名学の主な[[術語]]としては、「名」「実({{Lang|zh-hant|實}})」「指」「物」「同」「異」「離」「合」「体({{Lang|zh-hant|體}})」「兼」{{Efn|「兼」は、名学とは別に、『墨子』の[[兼愛]]思想や『荀子』の国家論でも術語として用いられている。そちらの用法の意味についても諸説ある<ref>{{Cite book|和書|title=荀子禮治思想的淵源與戰國諸子之研究|date=|year=2013|publisher=臺大出版中心|author=佐藤将之|chapter=第一章 統治天下人民的帝王:《墨子》的「兼」與《荀子》|isbn=9789860396348}}</ref>。}}「位」「形」「色」「類」「蔵({{Lang|zh-hant|藏}})」「盈」「内・外」{{Efn|「内・外」は、名学とは別に、いわゆる「仁内義外説」、すなわち『孟子』告子上篇や[[郭店楚簡]]『六徳』『語叢一』などの思想でも術語として用いられている。そちらの用法の意味についても諸説ある<ref>{{Cite book|和書|title=郭店楚簡『五行』と伝世文献|year=2014|publisher=北海道大学出版会|author=西信康|isbn=9784832967991|date=|chapter=第六章 『孟子』に見える告子の仁内義外説}}</ref>。}}「有厚・無厚(无厚)」「[[神 (中医)|神]]」「力」「知」「正」「是」「然」「可」「此」「彼」「辯」などがある{{Efn|その他、後述の論理学説を採る場合は、墨弁冒頭の「故」「大故」「小故」なども重要な術語とみなされる。}}。しかしながら、これら術語の意味についても諸説あり、定訳が無い。例えば「指」は、「{{仮リンク|指示対象|en|Referent|label=}}」や「指示作用」と訳されることもあれば{{Sfn|加地|2012|p=|loc=第二部三章 指物論}}、「認識」{{Sfn|浅野|2003|p=58(浅野は「ゆび」説を否定して「認識」とする)}}、「[[ゆび]]」{{Efn|その場合、「指非指」や「指之非指」という学説は、[[親指]]や[[人差し指]]と五本指全体の関係についての学説と解釈される{{Sfn|浅野|2003|p=58(浅野は「ゆび」説を否定して「認識」とする)}}<ref>{{Cite book|和書|title=荘子 内篇|year=2011|publisher=講談社〈講談社学術文庫〉|page=72|author=福永光司|authorlink=福永光司|isbn=978-4062920582}}</ref>。なお、『孟子』告子上篇に出てくる「無名之指」は、大抵の訳注で「[[薬指]]」と解釈される。}}と訳されることもある。
 
「名」は、名家を象徴する術語だが、名家だけの術語というわけではない<ref>{{Kotobank|名家|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)・[[加地伸行]]}}</ref>。例えば上記の『荀子』や『墨子』をはじめとして、他の諸子も頻繁に「名」を論じている。とりわけ、『[[老子道徳経|老子]]』『荘子』や[[上博楚簡]]『恒先』が説く道家的な万物生成論や<ref name=":1">{{Cite book|和書|author=曹峰 |title=近年出土黄老思想文獻研究 |publisher=中国社会科学出版社 |year=2015 |series=国家哲学社会科学成果文库 |issue=2014 |NCID=BB19016186 |ISBN= 9787516157084}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=簡帛文献からみる初期道家思想の新展開|year=2018|publisher=東京堂出版|author=王中江 著、吉田薫 訳|isbn=9784490209891}}(第三章「『恒先』の宇宙観、ならびに人間社会観の構造」)</ref>、[[馬王堆帛書]]『{{仮リンク|黄帝四経|zh|黃帝四經}}』などが説く[[黄老思想]]において<ref name=":1" /><ref>{{Cite book|和書|title=礼と法の間隙―前漢政治思想研究|year=2000|publisher=汲古書院|isbn=9784762997334|chapter=『経法』の形名思想における思惟形式|date=|pages=218-221|author=芳賀良信}}</ref>、「名」は重要な術語として用いられている。また、『[[論語]]』で[[孔子]]は「[[正名 (思想)|正名]]」を説いており、その「正名」と関連して、[[儒教]]には[[名分論]]や[[名物学|名物]][[訓詁学|訓詁]]の学([[経学]])の伝統がある。ときには儒教そのものが「[[名教]]」と呼ばれることもある。しかしながら、以上諸々の「名」と名家の関係についても、諸説ある{{Efn|例えば後述するように、[[加地伸行]]は名学と経学の接続を試みている{{Sfn|加地|2012|p=337}}{{Sfn|鄭|2010|p=177}}。}}{{Efn|例えば後述の[[胡適]]は、孔子の「正名」を論理学的な営為として解釈している。そのような胡適の「正名」解釈は、21世紀現代では批判の対象になっている{{Sfn|曹|2017|p=100f}}。}}。
 
=== 学説 ===
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== 研究史 ==
[[研究史]]に関しては、{{Harvnb|加地|2012}}, {{Harvnb|坂出|1994}}, {{Harvnb|曹|2017}}, {{Harvnb|チャン|2010|p=|pp=}}, {{Harvnb|鄭|2010}}, {{Harvnb|梅|2007}}, {{Harvnb|Mou|2007}}などが詳しい。
 
=== 前近代 ===
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==== 論理学 ====
{{See also|中国における論理学}}
[[19世紀]]末、明治期の日本で生まれた「[[中国哲学]]」という研究分野{{Sfn|チャン|2010|p=xii}}{{Sfn|坂出|1994|p=21}}は、その名の通り中国に「[[哲学]]」を、すなわち中国に[[西洋哲学]]と似たものを発見し、西洋哲学の枠組みで[[漢籍]]を解釈することを名目として始まった分野である{{Sfn|梅|2007|p=62-65}}<ref name=":12">[[戸川芳郎]]「漢学シナ学の沿革とその問題点――近代アカデミズムの成立と中国研究の"系譜"(二)」『理想』397号、1966年、14頁。{{NAID|40003723061}}</ref>{{Sfn|加地|2012|p=14}}{{Sfn|中島|2007|p=i;259}}。そのような事情から、日本では[[1880年]]頃から名家や墨弁の思想が「[[論理学]]」とみなされるようになった{{Efn|詳細な経緯は{{Harvnb|坂出|1994}}が詳しい{{Sfn|鄭|2010|p=175}}。坂出によれば、[[明治]]10年代から20年代には、[[鈴木唯一]]・[[西周 (啓蒙家)|西周]]・[[千頭清臣]]・[[松本文三郎]]・[[蟹江義丸]]といった、主に西洋哲学畑の学者たちによって、論理学・詭弁・パラドックスと名学が類似視された{{Sfn|坂出|1994|p=95-99}}。これに対し、同時期の中国哲学畑の学者たち([[藤田豊八]]・[[服部宇之吉]]ら)は、名学に対して「解釈不可能」という立場を取っていた{{Sfn|坂出|1994|p=96-97;114}}。しかしながら、明治30年代の[[桑木厳翼]](後述)を転換点として、中国哲学畑の学者たち(服部宇之吉・[[高瀬武次郎]]・[[牧野謙次郎]]・[[小柳司気太]]ら)もそのような類似視を容認するようになった{{Sfn|坂出|1994|p=111-114}}。}}。それに伴い、前近代までと一転して盛んに研究されるようになった{{Sfn|関口|1993|p=65}}。
 
「論理学」説をとった学者の代表例として、[[1898年]]以降の[[桑木厳翼]]がいる{{Efn|1898年(明治31年)の「荀子の論理説」、および1900年(明治33年)の「支那古代論理思想発達の概説」{{Sfn|坂出|1994|p=100-110}} {{NDLJP|1037868/1/167}}}}{{Sfn|加地|2012|p=12-16}}{{Sfn|梅|2007|p=65}}<ref name=":11">[[中島隆博]]「桑木厳翼と中国哲学」、廖欽彬;[[伊東貴之]];河合一樹;山村奨 編著『東アジアにおける哲学の生成と発展 間文化の視点から』法政大学出版局、2022年 ISBN 978-4-588-15123-1</ref>{{Sfn|中島|2022}}。桑木の説は、上記の清末の章炳麟や王国維にも受容された{{Sfn|梅|2007|p=65}}<ref>{{Citation|和書|title=王国維の哲学思想の出発点「正名説」における桑木厳翼の『哲学概論』(1900)の影響 : 王国維の『哲学弁惑』(1903)を中心に|last=楊|first=冰|year=2014|url=https://doi.org/10.24729/00004353|journal=人文学論集|publisher=大阪府立大学人文学会|volume=32|page=}}</ref>。民国初期([[1910年代]])以降は、[[胡適]]<ref name=":0">{{Cite journal|和書|author=高坂史朗 |title=Philosophyと東アジアの「哲学」 |journal=人文研究 |issn=0491-3329 |year=2004 |month=mar |volume=55 |issue=8 |pages=1-17 |naid=120006003465 |url=https://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/il/meta_pub/G0000438repository_KJ00000725803}}</ref>{{Sfn|Fraser|2003|p=xviii}}{{Efn|1917年の[[コロンビア大学]][[博士論文]]''The Development of the Logical Method in Ancient China'' (漢題『先秦名学史』)と、1919年の『中国哲学史大綱』''{{Sfn|加地|2012|p=|loc=第一部一章二「胡適の『先秦名学史』」}}''。}}・[[梁啓超]]{{Sfn|Fraser|2003|p=xviii}}・{{仮リンク|郭湛波|zh|郭湛波}}{{Sfn|加地|2012|p=|loc=第一部一章三 郭湛波『先秦辯学史』}}らが、20世紀中期以降は{{仮リンク|譚戒甫|zh|譚戒甫}}{{Sfn|Fraser|2003|p=xviii}}<ref>[[薮内清]] 訳『墨子』[[東洋文庫 (平凡社)|平凡社東洋文庫]]、1996年。ISBN 4-582-80599-X 225頁。</ref>・{{仮リンク|陳大斉|zh|陳大齊}}{{Sfn|加地|2012|p=27}}・[[末木剛博]]{{Sfn|加地|2012|p=180}}らが、「論理学」説を掘り下げた。
 
「論理学」説とは、大まかに要約すれば、西洋に[[無矛盾律]]や[[三段論法]]のような西洋論理学があり、インドに[[比量|三支作法]]のような[[因明]]・[[インド論理学]]があるならば、中国にも同様の論理学が普遍的にあるべきだ、という前提のもと{{Sfn|加地|2012|p=325}}、名学文献家や墨弁の中から論理学体系的の体系として読める箇所を探し出し、『公孫龍子』白馬論篇などを[[推論]](または[[論証]])をしている篇として解釈する説である。
 
しかしながら、「論理学」説をとった場合、論理学の体系として読める箇所は墨弁の一部にしか無く{{Efn|「墨弁にしか論理学の体系が無い」という事態は、民国初期に「墨子インド人説」が提唱される一因になった<ref>{{Cite book|和書|title=中国学の散歩道 独り読む中国学入門|date=|year=2015|publisher=研文出版|author=加地伸行|authorlink=加地伸行|chapter=「墨子はインド人である」論争|isbn=978-4876364015|pages=|page=89|origyear=1978}}</ref>。}}、しかも白馬論篇などは非体系的で奇怪な推論をしていることになってしまう{{Sfn|末永|2004|p=8}}。そして何より、秦代以降はそれらの論理学が絶学になったということになる。そのような解釈結果から、「中国人は論理学の[[発明]]に失敗した」「胚胎・萌芽はあったが挫折した」「中国に論理学の伝統は無い」という見解が明治期から形成された{{Sfn|坂出|1994|p=95-99}}。そのような見解は、[[中国仏教]]と[[インド仏教]]との対照性(主に[[因明]]の不振と[[禅|禅仏教]]の言語観)や、[[中国語]]と[[印欧語]]との対照性([[文法]]上の[[時制]]や[[数 (文法)|数]]・[[格]]が無い)などの見解と合わさって、「中国哲学は論理的ではない」「中国人は論理的・抽象的思惟において劣っている」(代わりに現実的思惟に優れている)という[[ステレオタイプ]]の形成に繋がった。以上のような見解・ステレオタイプをまとめた書物として、比較思想研究の大家、[[中村元 (哲学者)|中村元]]の[[1948年]]の著書『東洋人の思惟方法』がある<ref>中村元『中村元選集 決定版 第2巻 東洋人の思惟方法 2 シナ人の思惟方法』春秋社、1988年(初出1948年)ISBN 978-4393312025。第三節「抽象的思惟の未発達」</ref>{{Efn|同書とは別に、中村元自身による名学解釈もある。とりわけ、術語の「同・異」について、[[唐代]]の『[[勝宗十句義論]]』([[ヴァイシェーシカ学派]]の思想を[[漢訳]]した書物)でも術語として用いられていることを指摘している。中村は、両字を「普遍・特殊」と翻訳した上で、後述の馮友蘭の説などを踏まえて、『勝宗十句義論』は名学の延長線上にあるとしている<ref>{{Cite book|和書|title=論理の構造 上|year=2001|publisher=青土社|author=中村元|authorlink=中村元 (哲学者)|page=245;307|date=|isbn=978-4791758050}}</ref>。}}。同書は[[1960年]]に英訳され、国際的に読まれた<ref>{{Cite web|title=山陰中央新報社|中村元・人と思想(11)東洋人の思惟方法|url=https://www.sanin-chuo.co.jp/www/contents/1493241211093/index.html|website=www.sanin-chuo.co.jp|accessdate=2021-02-13|publisher=|author=[[前田專學]]|date=2012}}</ref>。同書への批判も兼ねて名学を研究する学者も多い{{Sfn|加地|2013|p=28;95}}{{Sfn|Graham|2003|p=66}}{{Sfn|Hansen|1976|p=191}}。
 
==== 詭弁・パラドックス ====
「論理学」説と重なる部分が大きい説として、「[[詭弁]]」説と「[[パラドックス]]」説がある{{Efn|1={{Harvnb|鄭|2010}}の場合は、日本の先行諸説を、1「名家=詭弁家≠論理学派」 2「名家≒詭弁家≒論理学派」 3「名家=論理学派≠詭弁家」の3パターンに大別している{{Sfn|鄭|2010|p=180}}。}}。すなわち、名家の学説は「詭弁」({{Lang-en-short|sophism|links=no}})、すなわち[[誤謬|論理的誤謬]]を活用した推論である、あるいは「パラドックス」、すなわち推論によって得られる結論が奇怪なだけで推論の筋は通っている、などと説明される。そのような詭弁説・パラドックス説は、[[古代ギリシア]]の[[ソフィスト]]」「[[ソクラテス以前の哲学者]]」「[[小ソクラテス学派]]などと名家を積極的に類似視する説でもある。具体的には、[[プラトン]][[対話篇]]『[[ソピステス]]』『[[エウテュデモス (対話篇)|エウテュデモス]]』や[[アリストテレス]]『[[詭弁論駁論|ソフィスト的論駁について]]』などに由来するソフィスト像や[[エリスティケー]]・[[レートリケー]]の文化{{Sfn|高田|1967|p=239}}、あるいは「飛んでいる矢は止まっている」に代表される[[ゼノンのパラドックス]]{{Efn|ゼノンのパラドックスと類似視する例は、1893年の[[千頭清臣]]『論理学』の頃からある{{Sfn|坂出|1994|p=96}}。}}、あるいは[[相対主義]]・[[無限]]論・[[原子論]]・[[一元論]]・[[運動]]と[[変化]]・語義の[[曖昧さ]]([[多義性]])、あるいは[[付帯性]]<ref>{{Cite journal|和書|author=山口義久|year=2015|title=論理と詭弁の間に|url=https://doi.org/10.24729/00004328|journal=人文学論集|volume=33|page=1;6}}</ref>などの思想と類似視される。
 
詭弁説・パラドックス説をとった学者として、上記の桑木厳翼{{Sfn|加地|2012|p=12-16}}や、同時期の[[遠藤隆吉]]{{Sfn|加地|2012|p=12-16}}{{Sfn|坂出|1994|p=97}}<!-- 、[[中内義一]] 出典は左と同じ{{Sfn|加地 |2012|p=12--><!-- 16}}、[[内田周平]] 1894年 <ref>{{Citation|和書|title=周末の詭辯家(接第廿六號)https) : 論説|author=[[内田周平]]|year=1894|url=http://hdl.handle.net/2298/4408|journal=龍南會雜誌|publisher=龍南會 --熊本大学|number=28}}5頁。</ref>、{{仮リンク|アルフレッド・フォルケ|de|Alfred Forke}}<ref>{{Cite journal|last=Forke|author=|first=Alfred|year=1901|title=The Chinese Sophists|journal=Journal of the Chinese Branch of Royal Asiatic Society|volume=|issue=XXXIV|page=}} / {{Cite book|title=Geschichte Der Alten Chinesischen Philosophie|publisher=L. Friederichsen and Co.|year=1927|location=Hamburg|date=|pages=|last=Forke|first=Alfred}}</ref>{{Sfn|狩野|1953|p=247}}{{Sfn|大浜|1959|loc=第一部第二章 名家の論理}}{{Efn|[[宇野精一]]はフォルケについて、西洋哲学の学識がある[[中国学者]]の代表例として、[[オットー・フランケ|フランケ]]と並べて言及している{{Sfn|宇野|1987|p=4;16}}。}}らがいる。このうちフォルケの説は[[狩野直喜]]に採用されている{{Sfn|狩野|1953|p=247}}{{Sfn|加地|2012|p=176}}。フォルケは特に「白馬非馬」について、[[アンティステネス]]あるいはソフィスト全般に帰される「教養あるコリスコス」と「コリスコス」の区別という学説<ref name=":10" />や、[[同語反復]]以外の命題はすべて誤りという学説<ref name=":10">『[[形而上学 (アリストテレス)|形而上学]]』1024b;1026b, 『[[ソピステス]]』251b(「教養あるコリスコス」という日本語訳は[[出隆]]訳『形而上学』岩波文庫による。)</ref>{{Efn|これと似た学説は[[スティルポン]]にも帰される<ref>[[プルタルコス]]著、[[戸塚七郎]]訳「コロテス論駁」『モラリア 14』京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉1997年。{{ISBN2| 9784876981014}} 120-125頁(訳者注釈)</ref>。}}を持ち出して、これらと同じ主旨の学説だと解釈している{{Sfn|狩野|1953|p=247}}。
 
詭弁説の大半は同時に、上記の前近代の受容史や『荀子』に由来する名家のイメージ、すなわち奇説・邪説を説いたというイメージを踏襲する説でもある{{Sfn|加地|2012|p=12-16}}。また、『荀子』正名篇は名家の詭弁を批判して「正しい論理学」を打ち立てようとした篇である、とする説でもある{{Sfn|加地|2012|p=12-16}}。桑木の論理学説は、そのような詭弁説の要素も持っていた{{Sfn|加地|2012|p=12-16}}。
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そのような新説の筆頭として、[[1930年代]]の[[馮友蘭]]による「概念実在論」説がある{{Sfn|Mou|2007|p=466 ("Platonic-realistic interpretation")}}{{Sfn|馮|1995|p=301f}}。ここでいう「概念実在論」は、「[[実念論]]」「[[普遍論争]]における実在論」「[[普遍者]]実在論」「[[プラトン]]の[[イデア]]論」などとも言い換えられる。この説によれば、「白馬非馬」というときの「馬」という字は、日常的な意味での {{Lang|en|horse}} を指すのではなく、{{Lang|en|horseness}} や {{Lang|en|universal of horseness}}(馬概念・馬性・馬の普遍者・馬のイデア)などと翻訳されるべき抽象的な概念を指す字であり、諸子はそのような概念の有り方や有無について論じているのだとされる{{Sfn|Mou|2007|p=466}}。
 
馮友蘭の概念実在論説に近い説として、{{仮リンク|成中英|zh|成中英}}・[[馮耀明]]らの説がある{{Sfn|Mou|2007|p=466}}{{Efn|胡適・{{仮リンク|胡秋原|zh|胡秋原}}・[[小柳司気太]]らも、概念実在論説に近い説をそれぞれ簡潔に述べている{{Sfn|加地|2012|p=272}}。}}。日本においても、[[加地伸行]]{{Sfn|加地|2013|p=78}}・[[浅野裕一]]{{Sfn|浅野|2004|p=193}}らの説がある。ただし、左に挙げた学者間でも細部の解釈は異なる{{Sfn|Mou|2007|p=466}}<ref name=":9">{{Citation|和書|title=書評 加地伸行著『中國論理學史研究 ― 経學の基礎的探究』|year=1984|last=浅野|first=裕一|publisher=東北大学|isbn=|journal=集刊東洋學|number=51|pages=123-133}}</ref>。例えば、馮友蘭や浅野裕一は公孫龍を実念論者だとしているが{{Sfn|馮|1995|p=301f}}{{Sfn|浅野|2004|p=193}}{{Sfn|鄭|2010|p=177}}、加地伸行は公孫龍を実念論に反対した[[唯名論]]者だとしている{{Sfn|加地|2013|p=78}}{{Sfn|鄭|2010|p=177}}。
 
とりわけ加地伸行はまた、上記の経学(名物訓詁の学)などの通史的伝統との接続を試みて{{Sfn|加地|2012|p=7f:337}}、東アジアには普遍論争に似た「名実論争」の伝統があった、とする[[精神史]]的な仮説を提唱している{{Sfn|加地|2012|p=298}}{{Efn|ただし、この加地の仮説に対しては、牽強付会であるとする批判もある{{Sfn|曹|2017|p=119-122}}{{Sfn|中島|1990|p=26}}。}}。この加地の説は後述の「意味」説の要素も持つ。
 
==== メレオロジー ====
馮友蘭の概念実在論説を否定する形で提唱されたのが、「[[メレオロジー]]」説である{{Sfn|Mou|2007|p=466}}{{Sfn|Hansen|1992|p=48}}。すなわち、諸子の思想は概念の実在についてではなく、「部分と全体の関係」({{Lang|en|part-whole relation}})についての思想なのだとされる{{Sfn|チャン|2010|p=138-139}}{{Sfn|Graham|1989|p=83}}。メレオロジー説は、[[1970年代]]以降の[[チャド・ハンセン]](Chad Hansen, 陳漢生)と{{仮リンク|アンガス・チャールズ・グレアム|en|A. C. Graham|label=A.C.グレアム}}の二人に帰され、[[アンヌ・チャン]]らに支持されている{{Sfn|チャン|2010|p=132-133(ただし、完全な支持ではなく一部批判を与えている)}}や[[スタンフォード哲学百科事典]]<!--ref チャン以外ではSEP等name="sep" --/>に参照されている。
 
メレオロジー説は、西洋思想との類似性よりも、[[古典中国語]]([[古代漢語]])の語彙の[[用例]]に論拠を置く。すなわち、術語の「体」と「兼」は、古典中国語において「部分」と「全体」という意味で広く用いられており、そのことを主な論拠としている{{Sfn|Hansen|1976|p=195}}{{Sfn|Graham|1989|p=83}}。したがって、この説を採用すれば、普遍論争のような西洋哲学史の枠組みを持ち出す必要がない。仮に普遍論争を持ち出すとしても、諸子は全員唯名論者とみなされる{{Sfn|チャン|2010|p=134;137}}{{Sfn|Graham|1989|p=83}}。その上で、「白馬非馬」を含む難解な文の多くに、整合的な解釈を与えることができる{{Sfn|チャン|2010|p=133}}。
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==== 意味・自然言語の問題 ====
以上のような概念実在論説とメレオロジー説の対立と併行して、別の切り口から論理学説を改訂する新説も提唱された。とりわけ多いのが、体系的な論理学でも抽象的な哲学でもなく、日常的な言語活動特有の問題についての思想とする説である{{Sfn|チャン|2010|p=134-136}}。こちらの説を採った場合も、諸子は全員唯名論者とみなされる{{Sfn|チャン|2010|p=134;137}}。
 
例えば、言葉の「{{仮リンク|意味 (哲学)|en|Meaning (philosophy)|label=意味}}」とは何か、という問題に関するついての思想とする説がある。すなわち、広義の[[意味論 (論理学)|意味論]]{{要曖昧さ回避|date=2023年6月}}{{Sfn|加地|2012|p=117;299}}(意味の理論)、[[フェルディナン・ド・ソシュール|ソシュール]]の[[記号論]]{{Sfn|加地|2012|p=194}}{{Sfn|中島|1990|p=39-40}}、[[ゴットロープ・フレーゲ|フレーゲ]]の[[意義と意味]]{{Sfn|中島|1990|p=39-40}}、[[チャールズ・ケイ・オグデン|オグデン]]と[[アイヴァー・リチャーズ|リチャーズ]]『{{仮リンク|意味の意味|en|The Meaning of Meaning|label=}}』の{{仮リンク|意味の三角形|en|Triangle of reference|label=}}{{Sfn|加地|2012|p=166}}などに近い思想であるとされる。言い換えれば、「白馬」や「馬」という言葉の意味、言葉の{{仮リンク|指示対象|en|Referent|label=}}、言葉と物(世界にある物)との対応関係、言葉同士の異同の関係などについての思想とされる{{Sfn|Harbsmeier|1990|p=128}}{{Sfn|チャン|2010|p=134-136}}。上記の加地伸行の説は、こちらの説の要素も部分的に持つ{{Sfn|加地|2012|p=117;299}}。
 
また例えば、[[自然言語]]に根ざした論証する説、すなわち、しての[[漢文|古典中国語]]特有の言い回しや[[曖昧さ]]([[多義性]])等に根ざした論証とする説{{Sfn|近藤|2009|p=}}や、論証ではなく[[文脈]]や[[意図]]ありきの[[発話行為]]のようなものとする説{{Sfn|末永|2004|p=11}}、{{仮リンク|使用と言及の区別|en|Use–mention distinction}}のようなものとする説<ref>{{Cite journal|last=Thompson|first=Kirill Ole|date=1995-10|title=When a "White Horse" Is Not a "Horse"|url=https://www.jstor.org/stable/1399790?origin=crossref|journal=Philosophy East and West|volume=45|issue=4|pages=481|doi=10.2307/1399790}}</ref><ref name=":5">{{Cite journal|last=Huang|first=Qiao|date=2020-09|title=《公孫龍子: 重釋與重譯》 (Gongsun Long Zi: Chongshi yu Chongyi). By 劉利民 (LiuLimin). (Chengdu: Sichuan Daxue Chubanshe, 2015. xviii+ii, Pp. 298. Paperback. ISBN 978‐7‐5614‐9146‐1)|url=https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/1540-6253.12416|journal=Journal of Chinese Philosophy|volume=47|issue=3-4|pages=328–332|language=en|doi=10.1111/1540-6253.12416|issn=0301-8121}}</ref>などがある。
 
[[藤堂明保]]は[[漢字学]]の立場から、「堅白石」は[[上古音]]の多義性ありきの思想とする説を提唱している{{Sfn|藤堂|1962}}{{Sfn|鄭|2010|p=177;182f}}。
 
==== その他 ====
20世紀の名学研究は以上に挙げた以外にも、{{仮リンク|王琯|zh|王献唐}}・[[郭沫若]]{{Sfn|郭|1957|p=}}・{{仮リンク|高亨|zh|高亨}}・{{仮リンク|沈有鼎|zh|沈有鼎}}<ref>{{Citation|和書|title=論理学者にとっての中国哲学 : 金岳霖・沈有鼎を中心に (大会シンポジウム 世界哲学としての中国哲学)|year=2020|last=志野|first=好伸|publisher=中国社会文化学会|number=35|journal=中国 : 社会と文化|NAID=40022371762|page=75}}</ref>・[[銭穆]]・[[牟宗三]]{{Sfn|加地|2012|p=27}}・{{仮リンク|龐朴|zh|龐朴}}・[[楊寛 (歴史学者)|楊寛]]<ref>{{Cite book|和書|title=歴史激流 楊寛自伝 ある歴史学者の軌跡|year=1995|publisher=東京大学出版会|isbn=978-4130230445|author=楊寛|others=[[西嶋定生]]監訳、[[高木智見]]訳|chapter=第二章四 墨子と墨経}}</ref>・[[ジョゼフ・ニーダム|ニーダム]]<ref>ジョセフ・ニーダム著、[[吉川忠夫]]ほか訳『中国の科学と文明 第2巻 思想史上 新版』思索社、1991年。{{国立国会図書館書誌ID|000002182228}}</ref>・[[赤塚忠]]{{Sfn|赤塚|2007|p=}}・[[池田知久]]{{Sfn|池田|1985|p=}}・[[宇野精一]]{{Sfn|宇野|1987|p=}}・[[大浜晧]]{{Sfn|大浜|1959|p=}}{{Sfn|鄭|2010|p=176}}・[[高田淳]]{{Sfn|高田|1967|p=}}{{Sfn|鄭|2010|p=176}}・[[武内義雄]]<ref>武内義雄『中国思想史』講談社学術文庫、2022年。(初出1936年) 8章-9章</ref>{{Sfn|鄭|2010|p=176}}・[[津田左右吉]]<ref>{{Citation|和書|title=道家の思想と其の開展|author=[[津田左右吉]]|year=1927|url=https://dl.ndl.go.jp/pid/1051338/1/112|publisher=東洋文庫|chapter=辯者及び名家の思想}}</ref>{{Sfn|鄭|2010|p=176}}・[[宮崎市定]]<ref>[[宮崎市定]]「公孫龍子の研究」『宮崎市定全集 5 史記』[[岩波書店]]、1991年、復刊1999年。(初出1964年『東方学報』第36册。1978年『アジア史研究 第5』にも収録)</ref>{{Sfn|加地|2012|p=17f;124;454}}らの研究がある。<!-- 記事ありに限る(きりがないので) -->
 
20世紀には、[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ヘーゲル]]または[[マルクス主義]]の枠組みによって名学を解釈する研究も多かった。すなわち、「[[弁証法|弁証法論理学]]」「[[唯心論]]と[[唯物論]]」などの図式に当て嵌めて解釈する研究も多かった{{Sfn|加地|2012|p=|loc=第一部一章四 汪奠基の『中国邏輯思想史料分析』・『中国邏輯思想史』 / 附論一『韓非子』における〈矛盾〉説話}}。21世紀現代では、そのような解釈は中国内外で退潮している{{Sfn|加地|2012|p=422}}{{Sfn|曹|2017|p=116f}}。
 
=== 20世紀末から ===
[[1980年代]]頃からは、ここまでに述べた諸説が入り乱れた状態が続いており、特に進展は無い{{Efn|2012年の加地伸行によれば、1983年以降、「日本において中国論理学史に関する研究にはほとんど見るべきものがなかった。{{Sfn|加地|2012|p=453}}」 {{Harvnb|鄭|2010}}も、1990年代以降の日本には、研究はいくつかあるが、専門家は基本的にいないとしている{{Sfn|鄭|2010|p=177}}。}}。ただし、名家の外堀を埋めるような研究が進展している。具体的には、新出文献の発見をきっかけとする、黄老思想や生成論の「名」の研究<ref name=":1" />([[#術語|既述]])や、諸子研究の[[方法論]]({{Lang|en|methodology}})の問題をめぐる議論{{Sfn|曹|2017|p=|loc=附論五 回到諸子: 无法之法}}{{Sfn|Mou|2007|p=}}{{Sfn|Hansen|2007|p=}}が進展している。
 
方法論の問題とは、例えば、諸子を西洋哲学の枠組みに当て嵌めて解釈して良いのかという問題{{Sfn|曹|2017|p=|loc=附論五 回到諸子: 无法之法}}<ref>{{Cite journal|和書|author=大阪大学中国学会|year=2004|title=パネルディスカッション 出土資料と中国学研究|url=https://doi.org/10.18910/60897|journal=中国研究集刊|volume=36|page=34}}</ref>{{Sfn|李|2005|p=12}}、古典中国語をどのように[[翻訳]]するべきかという問題<ref>{{Cite book|edition=Spring 2021|title=The Stanford Encyclopedia of Philosophy|url=https://plato.stanford.edu/archives/spr2021/entries/chinese-translate-interpret/|publisher=Metaphysics Research Lab, Stanford University|date=2021|first=Henry|last=Rosemont Jr.|editor-first=Edward N.|editor-last=Zalta|year=|pages=|chapter=Translating and Interpreting Chinese Philosophy}}</ref>{{Sfn|Hansen|2007|p=}}(例えば「有」「非」などの字と[[英語]]・[[印欧語]]の[[be動詞]]・[[存在動詞]]との対応関係の問題{{Sfn|Graham|1989|p=406}})、解釈における[[プリンシプル・オブ・チャリティー]]の問題{{Sfn|Hansen|2007|p=}}、[[クェンティン・スキナー|Q.スキナー]]や[[J・G・A・ポーコック|ポーコック]]ら西洋思想史学の[[ケンブリッジ学派]]の議論を踏まえた中国思想史の叙述方法の問題<ref>{{Cite journal|和書|author=佐藤将之|year=2017|title=書評 末永高康著『性善説の誕生:先秦儒家思想の一断面』|journal=中国出土資料研究|volume=21|page=|pages=121-123|publisher=中国出土資料学会}}</ref>{{Sfn|曹|2004|p=9;12}}{{Sfn|中島|2007|p=54}}などである。そのほか、上記のステレオタイプの一因になった、中国語と印欧語の対照性の通念をめぐる議論も進展している<ref name=":3">{{Cite web|url=http://nippon-chugoku-gakkai.org/?p=247|title=シノロジーから言語科学まで──ヨーロッパの中国語学の多様性(日本中国学会第70回大会 記念シンポジウム)|accessdate=2021-02-13|publisher=[[日本中国学会]]|author=ラマール・クリスティーン|date=2018-10-06|page=8}}</ref><ref name=":5" />。
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* [[論理学の歴史]]
 
== 主な参考文献 ==
=== 日本語 ===
* {{Citation|和書|title=諸子思想研究 再版(赤塚忠著作集 第4巻)|year=2002|last=赤塚|first=忠|publisher=研文社|isbn=978-4990092047|author-link=赤塚忠|origyear=1987}}
200 ⟶ 202行目:
** {{Citation|和書|title=墨経の思想 : 経上・経説上について|year=1963|last=高田|first=淳|publisher=|isbn=|journal=学習院大学文学部研究年報}}{{国立国会図書館書誌ID|764856}}
** {{Citation|和書|title=墨経の思想 : 経下・経説下について|year=1964|last=高田|first=淳|publisher=|isbn=|url=http://id.nii.ac.jp/1632/00024684/|journal=東京女子大學論集}}
* {{Citation|和書|title=堅白異同の弁はなぜ生じたか(語学)--附・未央ということば|year=1962|last=藤堂|first=明保|publisher=東京支那学会|author-link=藤堂明保|url=https://dl.ndl.go.jp/pid/2202321/1/2|journal=東京支那学報|number=8|isbn=|naid=40002592865}}
* {{Citation|和書|title=『荀子』における《正しい言語の暴力とそのほころび》|year=1990|last=中島|first=隆博|publisher=東京大学中国哲学研究会|author-link=中島隆博|journal=中国哲学研究|number=1|isbn=|pages=左1-199}}{{NDLJP|4426100}}
* {{Citation|和書|title=残響の中国哲学 言語と政治|year=2007|last=中島|first=隆博|publisher=東京大学出版会|isbn=978-4130101042}}(第一章が上記1990年の要約。増補版2022年)
222 ⟶ 225行目:
* {{Citation|title=Prolegomena to Future Solutions to "White‐Horse Not Horse"|year=2007|last=Hansen|first=Chad|publisher=Wiley|isbn=|journal=Journal of Chinese Philosophy|number=34-4|pages=473-491|doi=10.1111/j.1540-6253.2007.00435.x|url=https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/j.1540-6253.2007.00435.x}}
* {{Citation|title=Understanding The Chinese Mind: The Philosophical Roots|year=1990|last=Harbsmeier|first=Christoph|publisher=Oxford University Press|isbn=978-0195850222|editor=Robert E. Allinson|chapter=Marginalia Sino-logica|pages=125-166}}
* {{cite thesis|和書|author=鄭宰相|title=荀子思想の研究 |volume=京都大学 |type=博士 (文学) 甲第15061号 |year=2010 |url=http://hdl.handle.net/2433/120775|chapter=日本中国古代論理思想研究評述|language=zh|naid=500000526813|ref={{SfnRef|鄭|2010}}|pages=175-187}}
* {{Citation|和書|title=荀子之名学析論|year=2005|last=李|first=哲賢|publisher=文津出版社有限公司|isbn=978-9576687747}}
* {{Citation|和書|title=諸子学与論理学:中国哲学建構的基石与尺度|year=2007|last=梅|first=約翰|publisher=上海市社会科学界聯合会|isbn=|journal=学術月刊|authormask=梅約翰 [Makeham, John]|pages=62-67|doi=10.19862/j.cnki.xsyk.2007.04.008}}