「名家 (諸子百家)」の版間の差分

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[[秦漢]]以後に学派は断絶したが、[[明治]]期の日本や[[中華民国の歴史|民国初期]]の中国において、西洋の[[論理学]]や[[哲学]]・[[パラドックス]]と類似視され「[[中国における論理学]]」とみなされて以来、再評価されるようになった。しかし現存する文献が乏しいため、実態は不明な点が多い。
 
[[道家]]の[[荘子]]、[[儒家]]の[[荀子]]、[[墨家]]の[[墨弁]]、[[雑家]]の[[黄老思想]]等と思想上の関連がある。特に『[[荘子 (書物)|荘子]]』は、名家への言及を多く含むため、現在名家を知る上で必須の情報源になっている。
 
== 人物・書物 ==
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== 他の諸子百家との関係 ==
 
=== 雑家・黄老・法家 ===
名家は[[雑家]]と重なる部分が大きい。上述のように、『尹文子』と『鄧析子』は、現代では雑家に分類されることもある<ref name=":4">{{Cite web|url=https://ctext.org/miscellaneous-schools/zh|title=雜家|accessdate=2021-02-13|publisher=[[中国哲学書電子化計画]]}}</ref>。あるいは、その『尹文子』の雑家的な思想、すなわち[[黄老思想]](刑名思想)を含む「名」の政治思想が「後期名家の思想」と呼ばれること場合もある{{Sfn|曹|2017|p=|loc=3章 両種名家}}。また、雑家の書物の『[[呂氏春秋]]』(とりわけ審応覧の諸篇{{Sfn|赤塚|2002|p=496-497}})や『[[淮南子]]』には、名家の学説や逸話が記録されている。
 
名家は[[法家]]と重なる部分も大きい。『鄧析子』は法家に分類されることもある{{Sfn|狩野|1953|p=245}}。また、『尹文子』では「名」と「法」の両字が重要な術語として扱われている<ref>{{Cite journal|和書|author=曹峰 |title=「名」と「法」の接點 |journal=人文科学 |issn=18830250 |publisher=大東文化大学 |year=2008 |month=mar |issue=13 |pages=17-35 |naid=110007125417 |url=http://opac.daito.ac.jp/repo/repository/daito/457/}}</ref>。[[清代]]の[[章学誠]]は主著『[[校讐通義]]』で、名家と法家の二家は相通ずると考察している<ref>{{Cite journal|和書|author=文教大学目録学研究会 |title= 章学誠『校讎通義』訳注(七)巻三「漢志諸子第十四」(中) |journal=文学部紀要 |issn=0914-5729 |publisher=文教大学 |year=2016 |month=mar |volume=29 |issue=2 |pages=108-80 |naid=120006533762 |url=http://id.nii.ac.jp/1351/00007132/}}</ref>。
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名家は[[墨家]]の『[[墨子]]』とも深く関わる。墨家が「[[兼愛]]」「[[非攻]]」といった[[博愛主義]]・[[平和主義]]を説いたのと同様に、恵施や公孫龍もまた「氾愛」「兼愛」「偃兵」といった博愛主義・平和主義を説いたという<ref>『荘子』天下篇、『呂氏春秋』審応覧審応篇など</ref>{{Sfn|宇野|1987|p=54}}{{Efn|「偃兵」は、名家の術語というわけではなく、「非戦」「休戦」を意味する一般的な語である{{Sfn|高田|1962a|p=88}}。}}。また、『墨子』[[墨弁]]には、名家の術語や学説と似た表現が頻繁に出てくる{{Sfn|高田|1964|p=}}。
 
名家は[[小説家 (諸子百家)|小説家]]の[[宋子]](宋銒)とも深く関わる。『荘子』天下篇では、尹文は弁者でなく宋銒と同じ学派(宋尹学派)に分類される。その上で、その尹学派もまた平和主義(「禁攻寝兵」)を説いたとされる{{Sfn|高田|1962a|p=88}}や黄老思想を説いたとされる
 
名家は[[儒家]]の『[[荀子]]』とも深く関わる。『荀子』は複数の篇で、恵施と鄧析を奇説・邪説を説く者達、あるいは「[[礼]]」にそむく者達として非難している<ref>『[[荀子]]』不苟篇・非十二子篇・儒效篇・解蔽篇</ref>。とりわけ『荀子』[[正名 (思想)|正名]]篇では、名家や宋銒の学説を邪説として非難すると同時に、荀子自身の学説を述べている{{Sfn|中島|1990}}。