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ニューギニア、インドネシアとの[[動物]]・[[植物]]種の共有は、当時の陸橋の結果で、最後の氷期の終わりに海面が上昇し、ニューギニアとの間は海でへだてられた。海面レベルは6,000年前から現代までほとんど同じである。
 
また{{仮リンク|カリオン (サウスオーウトラリア州)|label=カリオン|en|Kariong}}で発見された[[ヒエログリフ]]や[[ンガリンジェリ族]]の[[ラミンジェリ人]]の高齢者の主張を基に、オーストラリアの先住民は[[古代エジプト]]から弓と突出した船尾を備えたボートで海を渡って11,000年前にオーストラリアや[[南アメリカ]]など世界中を周回した、と主張する者も居る<ref>{{citeCite web|和書|url=https://afrikhepri.org/ja/オーストラリアで発見された象形文字は歴史を書き換えることができた|title=オーストラリアで発見された象形文字は歴史を書き換えることができます|date=2019|publisher=[[Afrikhepri]]|accessdate=2019-06-08}}</ref><ref>[https://www.youtube.com/watch?v=KoDYi9D9gsE Gosford Glyphs 1.m4v]</ref>。
 
=== 人類の居住と氷期の終焉 ===
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1770年に[[スコットランド人]]のジェームズ・クックが温帯のシドニーの[[ボタニー湾]]に上陸して領有を宣言し、入植が始まり、東海岸をニュー・サウス・ウェールズと名付けた。なお、決定的証拠はないが、1770年に上陸したジェームズ・クックよりも150年も前に[[山田長政]]が先にオーストラリア大陸を発見していたという説がある<ref>{{cite news|title=オーストラリアを発見した日本人|newspaper=[[産経新聞]]|date=2014-04-08|url=http://sankei.jp.msn.com/economy/news/140408/fnc14040803230003-n1.htm|accessdate=|archiveurl= https://web.archive.org/web/20140408150431/http://sankei.jp.msn.com/economy/news/140408/fnc14040803230003-n1.htm|archivedate=2014-04-08}}</ref>。
 
[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の独立により、1788年からアメリカに代わり[[流罪]][[植民地]]としてイギリス人の移民が始まった<ref>{{Cite web |和書|title=オーストラリアとは |url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%A2-40361 |website=コトバンク |accessdate=2022-03-30 |language=ja |first=日本大百科全書(ニッポニカ),百科事典マイペディア,ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,旺文社世界史事典 三訂版,世界大百科事典 |last=第2版,世界大百科事典内言及}}</ref>。初期移民団1030人のうち、736人が囚人 (男586人・女242人という説あり) で、その他はほとんどが貧困層の人間であった。また、当時は軽犯罪でも当地に流刑されたという。1791年の第2回囚人護送は1017人で、航海中に281人が死んだが、植民地での食糧難を加速させたため、政府は1年を待たずして自由移民を募り農地を拡大させた。
 
白人入植以降、先住民族である[[アボリジニ]]は白人による娯楽としての狩猟([[スポーツハンティング]])の対象となり虐殺された。その後も政府の政策により[[タスマニア州|タスマニア島]]を含むアボリジニの人口は激減した。
 
1828年に全土がイギリスの植民地となり、開拓が進んだ。その過程で先住民のアボリジニから土地を取り上げて放逐、殺害した。1830年までに純血のタスマニア先住民は絶滅させられた([[ブラック・ウォー]])<ref>{{Cite web |和書|title=ブラック・ウォーとは |url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC-1407576 |website=コトバンク |access-date=2022-06-11 |language=ja |last=世界大百科事典内言及}}</ref>。[[19世紀]]の初めにはスペイン産メリノ種羊を改良し、以後、羊毛産業が発展した。なお、羊が重宝されたのは羊毛に関してだけでなく、まだ冷凍船がなかったころ、肉類の中で羊肉が長持ちしたためである。
 
1851年にビクトリア内陸部で金が発見され、[[ゴールドラッシュ]]が発生した。これ以降は南ヨーロッパや中国などイギリス以外の国籍の移民が増加した。
特に中国人は、1850年代に3万人以上が労働者として渡来。当時200万人に満たなかった大陸人口の中において、中国人の増加は問題視されるようになった<ref>{{Cite web |和書|date=2010 |author=鈴木 清史 |url=https://ci.nii.ac.jp/naid/110007579075/ |title=オーストラリアの戸惑い : 2つの巨大貿易国のはざまで (日本とアジアの相互の照射  |format=PDF |publisher= 静岡大学人文学部アジア研究センター |accessdate=2020-12-17}}</ref>。後に、中国系の移民に対する排斥運動が起こり、後の[[白豪主義]]につながったといわれる<ref>{{Cite web |和書|title=白豪主義とは |url=https://kotobank.jp/word/%E7%99%BD%E8%B1%AA%E4%B8%BB%E7%BE%A9-113659 |website=コトバンク |accessdate=2022-03-30 |language=ja |first=日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,百科事典マイペディア,旺文社世界史事典 三訂版,精選版 日本国語大辞典,デジタル大辞泉,世界大百科事典 |last=第2版,世界大百科事典内言及}}</ref>。金の発見により内陸部の探検が活発になり、中東から持ち込まれた[[ラクダ]]を使った探検隊が編成された<ref>{{Cite web |和書|title=バークとウィルズの探検 - [Bun45] オーストラリア辞典 - 大阪大学大学院 西洋史学研究室 |url=http://www.let.osaka-u.ac.jp/seiyousi/bun45dict/dict-html/00195_BurkeandWillsExpedition.html |website=www.let.osaka-u.ac.jp |access-date=2022-06-11}}</ref>。1860年の「[[バーク・ウィルズ探検隊]]」は有名である。
 
=== 事実上の独立後 ===
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== 政治 ==
[[File:Anthony Albanese portrait.jpg|thumb|[[アンソニー・アルバニージ|アルバニージ]]首相]]
[[2022年オーストラリア総選挙]]では[[オーストラリア労働党]]が下院の第1党になった<ref>{{Cite web |和書|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220522/k10013637361000.html |title=豪総選挙 最大野党勝利 9年ぶり政権交代の見通し 地元メディア |accessdate=2022-05-26}}</ref>。
=== 政体 ===
{{main|{{仮リンク|オーストラリアの政治|en|Politics of Australia}}|{{仮リンク|オーストラリア政府|en|Government of Australia}}|オーストラリアの首相|オーストラリアの内閣一覧}}{{See also|オーストラリア国王}}
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2007年3月には、日豪首脳会談において日豪間の外交・防衛協力の緊密化を謳った「[[安全保障協力に関する日豪共同宣言]]」が調印された。戦後の日本にとって防衛に関する共同宣言は、アメリカ以外では初めてのことであった。これに関連し、防衛外交当局者による定期的な会議(2プラス2)の開催も決定した。一方で、同年、上院で慰安婦問題和解提言決議が採択され、慰安婦制度を「日本の歴史におけるおぞましい出来事」と批判した。
 
留学生や観光客が日本から訪れているほか、[[ワーキング・ホリデー]]協定を最初に締結した国(1980年)であり<ref>{{citeCite web |和書|url= https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/visa/working_h.html |title=ワーキング・ホリデー制度|publisher=[[外務省]]|accessdate=2020-12-30}}</ref>、現在でも対象国中で高い人気を誇っている。ケアンズやゴールドコーストのサーファーズパラダイスでは、多数の日本人の店員や観光客、日本語の看板も多く目にする。また近年、ケアンズを[[修学旅行]]先として選ぶ学校もあるが、増加を続ける外国人観光客のうち、日本人観光客は2006年9月と2007年9月との比較で10%減少し<ref>{{Cite news |author= |url=http://news.jams.tv/jlog/view/id-3238 |title=外国人観光客数、増加 豪ドル高の影響見られず |newspaper= |publisher=[[JAMS.TV]] |date=2007-11-05 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090103175935/http://news.jams.tv/jlog/view/id-3238 |archivedate=2009-01-03 |deadlinkdate=}}</ref>、また来豪日本人数のピークである96〜97年では年間約96万人を数えたが、2010年との比較では最盛期の1/3にまで落ち込んだ<ref>{{Cite news |author= |url=http://www.nichigo.com.au/ja/history/ |title=日豪プレス年表 |newspaper=[[日豪プレス]] |publisher= |date= |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210426083056/http://www.nichigo.com.au/ja/history/ |archivedate=2021-04-26 |deadlinkdate=}}</ref>。
 
一方、スキー・スノーボード目的の観光客が近年、日本の[[北海道]]の[[ニセコ]]に多く訪れている。北海道の雪質が好まれる他、「地理的にさほど離れていない・時差が少ない・季節の逆を利用して楽しめる」などの点が人気のようである。また日本語学習者も多く、有名な観光地では日本語を話すことができる人や日本に留学したり住んでいたりする人も多くいる。日本語学習者は実際数も、総人口に占める日本語学習者の割合もどちらも欧米諸国の中でトップである。ちなみに日本人が当地に初上陸した場所はメルボルンで、2002年の『第22回[[全国高等学校クイズ選手権]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])の関東大会第一問で取り上げられた。
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|deadlinkdate=}}</ref>。オーストラリアの地元紙は関連記事を多数掲載して好意的に報じており、地元紙『{{仮リンク|ノーザンテリトリーニュース|en|Northern Territory News}}』は、安倍首相とモリソン首相が[[ダーウィン空襲]]の[[被害者|犠牲者]]を含む[[戦死|戦没者]]を[[鎮魂|慰霊]]する[[石碑|碑]]を訪れ、献花した際の写真を「[[ノーザンテリトリー|州]]の[[旭日旗|ライジングサン]]」の見出しとともに掲載し、別記事では「このすばらしい、歴史的な安倍首相の訪問で、日豪の友好の絆がさらに強まったことをうれしく思う」とする地元交流団体のコメントを掲載し、[[歴史家]]の「われわれは決して忘れないが、許すことができる」との寄稿を添えた<ref>{{Cite news |author= |url=https://www.sankei.com/article/20181117-3WMR3I3QC5IDPCPER2AABOTBUE/ |title=安倍首相の初の豪ダーウィン訪問、地元紙は好意的に報道 |newspaper=[[産経新聞]] |publisher=|date=2018-11-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210630095221/https://www.sankei.com/article/20181117-3WMR3I3QC5IDPCPER2AABOTBUE/ |archivedate=2021-06-30 |deadlinkdate=}}</ref>。[[2020年]][[8月28日]]、オーストラリアのモリソン首相は、安倍首相が辞任する意向であることを表明したことを受けて「日本はオーストラリアにとり、最も緊密な[[二人組|パートナー]]のひとつである」「私が首相として最も心を動かされた体験のひとつが、ダーウィンにおける慰霊碑への献花である。安倍首相と並んで立ち、オーストラリアの戦没者に敬意を表すると共に、両国が現在共有する[[忠誠]]と[[友情]]の絆を示し合った。これは、両国が時間をかけて歩んできた長い旅路の象徴的な一歩であった」という声明を発表した<ref>{{Cite news |author= |url=https://japan.embassy.gov.au/tkyojapanese/pr2020_tk07.html |title=安倍晋三首相への謝意 |newspaper= |publisher=[[駐日オーストラリア大使館]]|date=2020-08-28 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20200902110343/https://japan.embassy.gov.au/tkyojapanese/pr2020_tk07.html |archivedate=2020-09-02 |deadlinkdate=}}</ref>。
 
[[2022年]][[1月6日]]、日本の[[岸田文雄]]首相とオーストラリアのモリソン首相は、オンライン上で行われた首脳会談で日豪円滑化協定に署名した<ref>{{Cite web|和書|title=日豪円滑化協定の署名|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/ocn/au/page4_005481.html|website=Ministry of Foreign Affairs of Japan|accessdate=2022-01-07|language=ja}}</ref>。
 
=== イギリスとの関係 ===
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=== 環境問題 ===
{{main|{{仮リンク|オーストラリアの環境|en|Environment of Australia}}|{{仮リンク|オーストラリアの環境問題|en|Environmental issues in Australia}}}}
自然環境は非常に苛酷であるとされ、大陸の40%が[[非居住地域]](アネクメネ)となっている。その理由は土壌の栄養分が極めて乏しいこと、塩害が発生しやすいこと、降雨量が少ないことの3つである。こうした悪条件により、穀物生産や牧畜業、果樹生産など広範な分野において農業生産性は極めて低い。また河川から海に流入する栄養分も貧弱なため、漁業生産もその広大な排他的経済水域から考えると非常に少ないとされる<ref>ジャレド・ダイアモンド『文明崩壊』13章「搾取されるオーストラリア」(草思社2005)</ref>。このような苛酷な環境に加え、近年の地球温暖化の影響により、降雨量が更に減少し、農業、畜産、日常生活に大きな影響を与えている<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=オーストラリア・モリソン首相、支持率急落 コロナ、環境問題で逆風|url=https://mainichi.jp/articles/20220109/k00/00m/030/059000c|website=毎日新聞|accessdate=2022-01-09|language=ja}}</ref>。
 
また、ヨーロッパの入植者によって砂漠地帯開発のための[[ラクダ]]、狩猟目的の[[アナウサギ]]や[[アカギツネ]]、サトウキビの害虫を駆除するための[[オオヒキガエル]]、[[イノシシ]](正確には飼育されていた豚が[[野生化]]したもの<ref>[http://www.saiboku.co.jp/museum/college/buta/kigen/kigen6.html 豚を野に放すとイノシシになる?]サイボクハムぶた博物館 2月23日閲覧</ref>)など、本来生息していなかった多数の外来種が持ち込まれ野生化・繁殖し、天敵がいないため個体数を急激に増やしている。結果、在来生物を絶滅・減少させ生態系が破壊され、牧草や農作物へも被害を及ぼし問題となっている。
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==== 医療 ====
{{Main|オーストラリアの医療}}
[[平均寿命]]は男性81.8歳、女性85.8歳(2020年)<ref>{{Cite web |和書|title=豪人の平均寿命、コロナ禍で0.7年延長 - NNA ASIA・オーストラリア・社会 |url=https://www.nna.jp/news/2287579 |website=NNA.ASIA |access-date=2023-04-15}}</ref>。[[社会保険制度]]は存在せず、一般税収を原資とした[[ユニバーサルヘルスケア]]が達成されている<ref>{{Cite |publisher=OECD |date=2013-11-21 |title=Health at a Glance 2013 |doi=10.1787/health_glance-2013-en |isbn=9789264219984 }}</ref>。
<!--== 社会 ==-->
== 治安 ==
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住民の主流を占める白人による、先住民アボリジニや他の有色人種の移民に対する迫害や差別の歴史があり、現在も[[アジア系オーストラリア人|アジア系]]を初めとする[[モンゴロイド|黄色人種]]、[[ネグロイド|黒人]]、[[中東]]系などの[[有色人種]]に対する優越思想や白豪主義が一部に存在し、2005年には[[クロナラ暴動]]が発生した<ref>[http://news.jams.tv/jlog/view/id-438 JAMSTV、シドニー人種暴動の記事]</ref>。またほぼ同時期に「レッツ・ゴー・カレー・バッシング(Let's go Curry Bashing!)」という合言葉でインド人が連続して襲撃される事件もメルボルンやシドニーで多発した([[在豪インド人連続襲撃事件]])。
 
なお、[[ウェスタンシドニー大学]]の調査によると、国民の10人に1人が「[[白人至上主義]]者」であることが明らかになり、人種差別的視点を持つ者が少なくないことが明らかとなった<ref>{{citeCite web|和書
|url=https://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-33990220080929
|title=オーストラリア人の約1割は人種至上主義者=調査
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==== 難民 ====
かつては積極的に難民を受け入れる国であったが、[[リーマン・ショック]]に端を発する経済危機をきっかけに、移民や難民の受け入れに慎重な姿勢を取るようになってきている<ref>{{Cite web|和書|title=【オーストラリア】 最近の移民政策をめぐる動向 |url=http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/legis/23902/02390214.pdf |accessdate=2015-06-13 |publisher=[[国立国会図書館調査及び立法考査局|海外立法情報調査室]] |format=PDF }}</ref>。[[東南アジア]]や[[南洋諸島]]の国々と協定を結んで、これらの国に難民受け入れの施設を建設する資金を提供する代わりに、移住を望む難民の受け入れを肩代わりしてもらうようになっている。協定を交わしている国には、[[カンボジア]]、[[ナウル]]、パプアニューギニアなどがある。しかし、これらの国に建設されている難民収容施設は、清潔な水や十分な食料も与えられず、働く場所もないなど非常に劣悪であり<ref>{{cite news |title=【アジアの目】豪州「もう難民はお断り!」 カンボジアへの難民移送に「人権侵害」の声も… |newspaper=[[産経新聞]] |date=2014-10-12 |url=https://www.sankei.com/article/20141012-46GFLSCTPJKINHSPMR5LCOC7RU/ |accessdate=2015-06-13 }}</ref>、[[アムネスティ・インターナショナル]]はオーストラリア版[[グアンタナモ湾収容キャンプ|グアンタナモ]]と批判している<ref name="newsweekjapan3521">{{cite news |title=オーストラリア「招かれざる客」を追い払え! |newspaper=[[ニューズウィーク]] |date=2015-01-20|url=http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/01/post-3521.php|accessdate=2015-06-13|author=マリー・デュミエール}}</ref>。難民保護の実績もなければ、国民ですらまともな人権を享受していない国に難民を送りつける行為を、[[ヒューマン・ライツ・ウォッチ]]は批判している<ref name="newsweekjapan3521" />。難民収容所では、職員による[[人種差別]]的な行為も蔓延しており、2014年2月には、劣悪な環境に耐えかねた収容者による暴動が発生し、死者が出ている<ref>{{cite news |title=難民に国土を踏ませないオーストラリア |newspaper=アムネスティ日本 |date=2014-08-13 |url=https://www.huffingtonpost.jp/amnesty-international-japan/austraria_b_5670534.html |accessdate=2015-06-13 |publisher=[[ハフィントン・ポスト]]}}</ref>。
 
[[ケビン・ラッド]]首相は、2013年7月19日、許可無く漂着した場合は全て、パプアニューギニアへ移送する方針を発表した<ref>{{cite news |title=豪州がボート難民締め出しへ、パプアなど第三国へ移送 |newspaper=[[フランス通信社|AFPBB News]] |date=2013-07-19 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2956711?pid=11054563 |accessdate=2015-06-13}}</ref>。そのラッドから、2013年秋に政権を奪った[[トニー・アボット]]は難民についてさらに厳しい姿勢を表明しており、「わが国に不法に入国しようとする難民船は1隻残らず追い返す」との[[マニフェスト|公約]]を掲げ、実際にその公約を実現するために動いており<ref name="newsweekjapan3521" />、近づく不法な難民船は、海軍によって追い出され、出港地に送り返されている<ref name="newsweekjapan3521" /><ref>{{citeCite web |和書|publisher=アムネスティ日本|title=オーストラリア:スリランカ人難民の送還を今すぐ中止に! |url=https://www.amnesty.or.jp/get-involved/action/australia_201407.html|accessdate=2015-06-13}}</ref>。
{{See also|{{仮リンク|オーストラリアにおける移民収容|en|Immigration detention in Australia}}}}
 
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=== 食文化・料理 ===
{{main|オーストラリア料理}}
基本的にイギリス伝来の料理を骨格にして、多民族・多文化の料理の要素を取り入れ、国内の食材を使用した独自の食文化を急速に発達させつつある<ref name=":2">{{Cite web |和書|url=https://www.mlit.go.jp/common/000116958.pdf |title=7.オーストラリア |access-date=2023-04-15 |publisher=国土交通省}}</ref>。[[フィッシュ・アンド・チップス]]や肉料理が一般的であり、調理方法はローストやステーキが中心である。特に低価格を武器にした[[オージー・ビーフ]]は国を代表するブランドとして世界中に出荷されている。[[オーストラリアン・ミートパイ]]や[[シェパーズパイ]]などのオージー・ビーフを使った家庭料理があるほか、休日や週末には[[バーベキュー]]をすることが多く、公園や展望台には必ず備え付けのバーベキュー施設がある<ref name=":2" />。また乳製品(牛乳、バター、チーズなど)も多量に消費する。
 
伝統的な食品として[[ベジマイト]]があるが、 全てのオーストラリア人が好んで食べるわけではない<ref name=":2" />。
 
イギリスの影響で独立当時は紅茶文化の影響が強かったが、第二次世界大戦終結後に増加したイタリア系移民により、本格的な[[エスプレッソ]]を楽しむスタイルが伝来した{{r|page}}。現在では著名な[[バリスタ (コーヒー)|バリスタ]]を多数輩出するなどコーヒー文化が根付いている{{r|page}}。なお2000年に直営店を出店した[[スターバックス]]は、バリスタが経営する小さな喫茶店から大手チェーンまでが揃った市場に食い込めず、2008年には1億ドル以上の赤字を出した後、地元企業に運営権を売却している<ref name="page">{{citeCite web |和書|url=https://news.yahoo.co.jp/articles/31356ba17bbdfb0c04af885d67ce89f0746f8760?page=1|title=スターバックスがオーストラリアから撤退する理由|author=守屋太郎|date=2014-7-3|accessdate=2020-12-30}}</ref>。
 
菓子類は[[シャーベット]]や[[クリスマスプディング]]などイギリスから引き継がれたもの以外に、[[ラミントン (菓子)|ラミントン]]や[[ホワイト・クリスマス (洋菓子)|ホワイト・クリスマス]]、[[フロッグケーキ]]などのケーキ類が考案されている。