「名家 (諸子百家)」の版間の差分

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「論理学」説とは、大まかに要約すれば、西洋に[[無矛盾律]]や[[三段論法]]のような西洋論理学があり、インドに[[比量|三支作法]]のような[[因明]]・[[インド論理学]]があるならば、中国にも同様の論理学が普遍的にあるべきだ、という前提のもと{{Sfn|加地|2012|p=325}}、名家や墨弁の中から論理学として読める箇所を探し出し、『公孫龍子』白馬論篇などを[[推論]](または[[論証]])をしている篇として解釈する説である。
 
しかしながら、「論理学」説をとった場合、体系的な論理学として読める箇所は墨弁の一部にしか無く{{Efn|「墨弁にしか体系的な論理学が無い」という事態は、民国初期に「墨子インド人説」が提唱される一因になった<ref>{{Cite book|和書|title=中国学の散歩道 独り読む中国学入門|date=|year=2015|publisher=研文出版|author=加地伸行|authorlink=加地伸行|chapter=「墨子はインド人である」論争|isbn=978-4876364015|pages=|page=89|origyear=1978}}</ref>。}}、白馬論篇などは非体系的で奇怪な推論をしていることになってしまう{{Sfn|末永|2004|p=8}}。そして何より、秦代以降はそれらの論理学が絶学になったということになる。そのような解釈結果から、「中国人は論理学の[[発明]]に失敗した」「胚胎・萌芽はあったが挫折した」「中国に論理学の伝統は無い」という見解が明治期から形成された{{Sfn|坂出|1994|p=95-99}}。これらの見解は、[[中国仏教]]と[[インド仏教]]との対照性(主に[[因明]]の不振と[[禅|禅仏教]]の言語観)や、[[中国語]]と[[印欧語]]との対照性([[文法]]上の[[時制]]や[[数 (文法)|数]]・[[格]]が無い)などの見解と合わさって、「中国哲学は論理的ではない」「中国人は論理的・抽象的思惟において劣っている」(代わりに現実的思惟に優れている)という[[ステレオタイプ]]の形成に繋がった。以上の見解・ステレオタイプをまとめた書物として、比較思想研究の大家、[[中村元 (哲学者)|中村元]]の[[1948年]]の著書『東洋人の思惟方法』がある<ref>中村元『中村元選集 決定版 第2巻 東洋人の思惟方法 2 シナ人の思惟方法』春秋社、1988年(初出1948年)ISBN 978-4393312025。第三節「抽象的思惟の未発達」</ref>{{Efn|同書とは別に、中村元自身による名学解釈もある。とりわけ、術語の「同・異」について、[[唐代]]の『[[勝宗十句義論]]』([[ヴァイシェーシカ学派]]の思想を[[漢訳]]した書物)でも術語として用いられていることを指摘している。中村は、両字を「普遍・特殊」と翻訳した上で、後述の馮友蘭の説などを踏まえて、『勝宗十句義論』は名学の延長線上にあるとしている<ref>{{Cite book|和書|title=論理の構造 上|year=2001|publisher=青土社|author=中村元|authorlink=中村元 (哲学者)|page=245;307|date=|isbn=978-4791758050}}</ref>。}}。同書は[[1960年]]に英訳され、国際的に読まれた。同書への批判も兼ねて名学を研究する学者も多い{{Sfn|加地|2013|p=28;95}}{{Sfn|Graham|2003|p=66}}{{Sfn|Hansen|1976|p=191}}。
 
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