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初代メンバーの1人である5代目三遊亭圓楽が『[[いつみても波瀾万丈]]』で語ったところによると、談志が5代目圓楽に「寄席でやっている[[大喜利]]をテレビでやろうじゃないか」と持ちかけたのが番組開始の端緒だという<ref name="danshi1">ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』105頁</ref>。落語ではなくあえて大喜利をメインとしたのは「落語は(噺の)前後にしかコマーシャルを入れられないし、座ってるだけで(テレビに)不向きだから。大喜利なら途中でコマーシャルが入れられるから」だったという<ref name="danshi2">『圓楽 芸談 しゃれ噺』(五代目三遊亭圓楽著、百夜書房刊、2006年)193頁。なお、談志は「落語がテレビ向きでない」という主張を『現代落語論』255-260頁でも行っており、その最後で「誰かテレビにおける落語の演出を考えてください。お願いします」と訴えている。</ref>。談志はまた「大喜利を前面に出すのは感心しないが、やらないのも駄目だ」と考えていた<ref name="danshi2" />。談志は1960年代半ばにテレビ・ラジオの電波メディアの普及で寄席に閑古鳥が鳴いている状況に危機感を抱き、「これからは、落語家はテレビにもどんどん出て行かなきゃ駄目だ<ref name="danshi2" />」との考えから、テレビ局へ企画の売り込みを図った。その結果生まれた番組が前身番組の『[[金曜夜席]]』で、隔週金曜深夜に放送された。当初は談志が演芸コーナーの司会で、5代目圓楽が大喜利コーナーの司会というローテーションだったが、後にどちらとも談志に統一された{{efn|大喜利では圓楽は回答者に回る。のちに降板するが、しばらくして同番組の司会者として復帰する。}}。前身番組の時点で『笑点』の基礎が固まり、そのまま日曜夕方の番組としてスタートしたのである。『笑点』の司会では、持ち前の[[ブラックユーモア]]を生かした、機知に富んだ掛け合いを演じた<ref name="danshi1" />。しかし視聴率が伸び悩み、初代レギュラー陣との関係も悪化したため、暫時的な新レギュラー期間を挟んで、最終的には談志自身が降板を余儀なくされた<ref name="danshi1" /><ref>[[桂歌丸]]『座布団一枚!桂歌丸のわが落語人生』[[小学館]]、2010年9月8日。</ref>。なお、歴代『笑点』の司会者で、就任時点で[[落語協会]]に所属していた人物は現在に至るまで談志のみである。
 
降板後も特別番組には何度か出演したが、2000年代以降は完全に距離を置いた。番組で不定期に放送された「真打昇進披露口上」では[[立川志の輔]]の真打昇進時(1990年6月3日放送)が唯一の出演例となった{{efn|同番組は2024年4月7日放送分で[[立川晴の輔]]がレギュラー入りするまでは立川流に所属する落語家がレギュラー出演したことは無く<ref>{{Cite web |title=新メンバーは立川晴の輔さん 「笑点」木久扇さん後任 |url=https://nordot.app/1149635139970269677 |website=共同通信 |date=2024-04-07 |access-date=2024-04-08}}</ref>、立川流の出演は演芸や若手大喜利など少数に限られていた(ただし、志の輔の弟子の立川晴の輔や談志の直弟子である[[立川志らく]]が[[三遊亭円楽 (6代目)|6代目三遊亭円楽]]の休演時に代理メンバーとして大喜利に出演したことがある)<ref>{{Cite web |title=「笑点」半世紀ぶりに立川流出演 円楽の代演で晴の輔「暗黒集団から参りました」 |url=https://www.daily.co.jp/gossip/2019/09/15/0012703624.shtml |website=デイリースポーツ |date=2019-09-15 |access-date=2024-04-08}}</ref><ref>{{Cite web |title=立川志らく、「笑点」に初登場! 初代司会者・立川談志さんの直弟子が大喜利に出るのは初めて |url=https://hochi.news/articles/20220505-OHT1T51240.html?page=1 |website=スポーツ報知 |date=2022-05-05 |access-date=2024-04-08}}</ref>。また、昇進披露口上にも立川流の新真打出演経験もあるが、他流派では通常出演する各協会・所属団体のトップが進行役として出演したことはない。}}。また、談志は初代メンバーの一人である歌丸に対し、「『笑点』を辞めてくれ」と直言したこともあるという<ref>『歌丸 極上人生』(桂歌丸著、祥伝社黄金文庫刊、2015年)270頁。歌丸は「(『笑点』を)早くやめた方がいいよという方もいらっしゃったが、一番初めに言ったのは談志さんだった」とも述べている。</ref>。
 
一方で、『笑点』の企画自体の思い入れがあったためか、2001年から2003年にかけて『特冊新鮮組』([[竹書房]]の隔週刊娯楽雑誌)で「大笑点」という投稿コーナーを企画(2006年 - 2008年の元日に日本テレビで放送された[[大笑点|同名番組]]とはまったく関係がない。2002年には書籍化)し、2005年10月開始の『[[談志の遺言]]』([[TBSラジオ]])には「おれとお前の笑点」という投稿コーナーを設けていた(2006年3月の一時終了まで存在した。同年10月の再開時には消滅)。