「立川談志」の版間の差分
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* 浪曲、講談、色物等の演芸全般から映画や音楽にも造詣が深いことで知られていたが、噺家にも贔屓が多い歌舞伎には関心が薄かった。ただ歌舞伎俳優との親交はあり、[[中村勘三郎 (17代目)|17代目中村勘三郎]]には立川流創設時に顧問になってもらっている。その縁で17代目の息子・[[中村勘三郎 (18代目)|18代目勘三郎]]とも交遊を持ち、当時「市川染五郎」を名乗っていた[[松本幸四郎 (10代目)|松本幸四郎]]を評価していた。18代目勘三郎は、談志没後の2012年2月20日に追悼も含めた落語会「[[落語立川流]] in [[平成中村座]]」を開催している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kabuki-bito.jp/news/953 |title=勘三郎も登場!「落語立川流 In 平成中村座」が開催されました |access-date=2022-6-11 |publisher=松竹 |date=2012-2-22 |website=歌舞伎美人}}</ref>。
* 強烈な匂いを持つことで知られる果物・[[ドリアン]]が大好物であった。娘の[[松岡ゆみこ]]によれば、談志が大量にドリアンを食べた後に飛行機に乗った際、機内でゲップをしてしまい、その強烈な匂いで飛行機を止めてしまったこともあったという<ref>{{Cite news|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2018/06/18/0011366357.shtml|title=立川談志さん ゲップで飛行機止めた 異臭騒動を長女が明かす|newspaper=[[デイリースポーツ]]|date=2018-06-18|accessdate=2020-04-21}}</ref>。また弟子である[[立川談四楼]]も、「本来ならば持ち込み禁止であるはずのホテルに談志がドリアンを持ち込んでしまい、結局そのことがホテル側にバレて弟子である自分が代わりに謝罪した」というエピソードを明かしている<ref>[https://twitter.com/Dgoutokuji/status/372189777203716096 立川談四楼の2013年8月27日のツイート]</ref>。
* ある日談志が弟子とタクシーに乗った時のこと、運転手が談志に「いいよね、アンタたちは。テレビ出て旨いもん食ってたくさん金もらえるんだろ」「俺たちはこんな苦労していくらしか貰えない」と僻みっぽく絡んできた。横についていた弟子は師匠がキレるのではないかとビクビクしたが、談志は逆にニッコリ笑って「その通りだよ。なんでアンタやらないんだい?」と返した。これには絡んだ当の
* 劇作家・評論家の[[大西信行]]とは「[[浪曲]]好き」という共通点はあったが、本人どうしは犬猿の仲であった<ref>[[玉川奈々福]]編『語り芸パースペクティブ』(晶文社)P.397[[稲田和浩]]の語り部分。</ref>。
* 家族と住む家以外に仕事場兼住居をもう一軒所有していたが、談志没後は空き家状態で、酷い湿気があるなど問題となっていた。そこに前座時代から通っていた弟子の志らくが住みたいと申し出たため、談志の長女・[[松岡ゆみこ]]が『[[大改造!!劇的ビフォーアフター]]』に[[リフォーム]]を依頼。2014年11月30日と2015年1月11日にリフォームの工程が放送され、実際に志らくが居住している。
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== 家族 ==
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