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=== 歴史 ===
{{Wikisource|流鏑馬次第}}
流鏑馬の起源は[[6世紀]]中頃
[[日本書紀]]に[[天武天皇]]9年([[682年]])「朝嬬に幸す。因りて大山位より以下の馬を長柄杜長柄神社に看す。乃馬的射させたまふ」
[[続日本紀]][[文武天皇]]二年([[698年]]三月「山背国の賀茂祭の日にもろびとをあつめて騎射(むまゆみ)することをいさむ」
流鏑馬を含む弓馬礼法は、[[寛平]]8年([[896年]])に[[宇多天皇]]が[[源能有]]に命じて制定され{{Sfnp|金子四郎家教|1992|p=100}}、また、『[[中右記]]』の[[永長]]元年([[1096年]])の項などに記されているように、馬上における実戦的[[弓術]]の一つとして[[平安時代]]から存在した。
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=== 騎射三物 ===
馬上における弓術には、他に[[笠懸]](かさがけ)や[[犬追物]](いぬおうもの)があり、流鏑馬と合わせて「[[騎射三物]]」とされる<ref name=":0" />。的と射手との距離を10 - 15[[間]](約18 - 27メートル)に1つ置いたものを「笠懸」、竹垣で囲んだ馬場に150匹の[[イヌ|犬]]を放し、射手36騎が3手に分かれて犬を射るものを「犬追物」という。犬追物では、犬を傷つけないよう大型の[[鏑矢|鏑]]をつけた矢を用いる。
== 詳細 ==
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