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1行目:
{{Infobox 艦艇
'''トレンチャント''' (HMS Trenchant) は[[イギリス海軍]]の[[潜水艦]]。[[T級潜水艦 (イギリス海軍)|T級]]。
| 名称 = HMS トレンチャント
[[File:HMS Trenchant.jpg|thumb|right|250px|HMS Trenchant]]
| 画像 = HMS Trenchant.jpg
| 画像幅 = 300px
| 画像説明 = 「トレンチャント」<br />(1944年2月5日撮影)
| 建造所 = [[イングランド]]・[[ケント (イングランド)|ケント州]]、[[チャタム工廠]]
| 運用者 = {{Navy|イギリス}}
| モットー =
| 発注 = 1941年8月25日
| 起工 = 1942年5月9日
| 進水 = 1943年3月24日
| 就役 = 1944年2月26日
| 退役 =
| その後 = 1963年7月1日にスクラップとして売却
| 改名 =
| 級名 = [[T級潜水艦 (イギリス海軍)|T級潜水艦]]
| 基準排水量 =
| 満載排水量 = 1,290 トン(水上)<br />1,560 トン(水中)
| 全長 = {{convert|276|ft|6|in|m|abbr=on}}
| 全幅 = {{convert|25|ft|6|in|m|abbr=on}}
| 吃水 = {{convert|12|ft|9|in|m|abbr=on}}<br/>{{convert|14|ft|7|in|m|abbr=on}}
| 機関 =
| 主機 = {{仮リンク|パックスマン(エンジン)|en|Paxman (engines)|label=パックスマン式}}[[ディーゼル機関]] 2,500[[馬力]]×2基 <br /> [[電動機]]1,450馬力×2基
| 推進器 = 2軸推進
| 出力 =
| 最大速力 = {{convert|15.5|kn}}(水上)<br />{{convert|9|kn}}(水中)
| 航続距離 = 4,500[[海里]] 11ノット時(水上)<br />30海里 9ノット時(水中)
| 潜航深度 = 91 m
| 乗員 = 61名
| 兵装 = 21インチ(533mm)艦首[[魚雷発射管]]×8門(内蔵式6門・外装式2門)<br />21インチ(533mm)舷側魚雷発射管×2門(外装式2門)<br />21インチ(533mm)艦尾魚雷発射管×1門(外装式1門)<br />魚雷17本<br />{{仮リンク|QF 4インチ MkIV,XII,XXII艦砲|en|QF 4-inch naval gun Mk IV, XII, XXII|label=4インチ(10.2cm)単装砲}}×1門<br />[[エリコン 20 mm 機関砲|20mm単装機銃]]×1門<br />7.7mm単装機銃×3基
| レーダー =
| ソナー =
| 電子戦 =
| その他 = [[ペナント・ナンバー]]:P331
}}
 
'''トレンチャント''' ('''HMS Trenchant, P331''') は、[[イギリス海軍]]の[[潜水艦]]。[[T級潜水艦 (イギリス海軍)#第3グループ|T級潜水艦第3グループ]]の1隻。
==艦歴==
1942年5月9日起工。1943年3月24日進水。1944年2月26日就役。
 
艦名は「鋭い、痛烈な」という意味の[[形容詞]]に由来し、イギリス海軍においてこの名を持つ艦としては2代目にあたる<ref>{{cite book|author=J. J. Colledge|author2=Ben Warlow|title=Ships of the Royal Navy: The Complete Record of all Fighting Ships of the Royal Navy from the 15th Century to the Present |page=414|publisher=Casemate|location=Newbury, Berkshire|year=2010|isbn=978-1935149071}}</ref>。本艦の{{仮リンク|海軍の紋章|en|Naval heraldry|label=船紋章}}は「青白の波と赤い地に鋭い剣」であった<ref>{{cite web |url=https://www.heraldry-wiki.com/wiki/HMS_Trenchant,_Royal_Navy |last= |first= |title=HMS Trenchant, Royal Navy |work=heraldry-wiki.com |access-date=9 May 2024}}</ref><ref name=”naval-history”>{{cite web |url=https://www.naval-history.net/xGM-Chrono-12SS-07T-HMS_Trenchant.htm |last= Mason|first=Geoffrey B |title=
1944年9月23日、[[ペナン島]]沖でドイツ潜水艦「U859」を撃沈。10月20日に人間魚雷チャリオット2隻を載せ[[トリンコマリー]]から出撃、27日に[[プーケット]]に進入させた[[チャリオット (特殊潜航艇)|チャリオット]]が「スマトラ丸」を撃沈。1945年3月4日、潜水艦「[[テラピン (潜水艦)|テラピン]]」と共に[[マラッカ海峡]]で「[[第四号型駆潜艇|第八号駆潜艇]]」を攻撃し撃沈。5月25日、[[スラバヤ]]西方で「[[第一〇一号型掃海特務艇|百五号掃海特務艇]]」を撃沈。
HMS TRENCHANT (P 331) - T-class Submarine |work=naval-history.net |access-date=9 May 2024}}</ref>。
 
== 艦歴 ==
「トレンチャント」は1941年8月25日に[[ケント (イングランド)|ケント州]]の[[チャタム工廠]]へ発注され、1942年5月9日起工、1943年3月24日進水し、1944年2月26日に初代艦長{{仮リンク|アーサー・ヘズレット|en|Arthur Hezlet|label=アーサー・リチャード・ヘズレット}}少佐の指揮の下就役した<ref name=”naval-history”/>。
 
===大西洋===
就役後、第4潜水艦戦隊に配属された「トレンチャント」は[[ノア (イングランド)|ノア]]周辺で試験後、3月から4月にかけて[[クライド海軍基地|クライド]]で第7潜水艦戦隊と共に整調を行った<ref name=”naval-history”/>。
 
整調期間中には、軽巡洋艦「[[シェフィールド (軽巡洋艦)|シェフィールド]]」、[[駆逐艦]]「{{仮リンク|ウェストコット (駆逐艦)|en|HMS Westcott (D47)|label=ウェストコット}} 」、「{{仮リンク|サードニクス (駆逐艦)|en|HMS Sardonyx (1919)|label=サードニクス}}」等の水上艦艇と複数の演習を実施している<ref name="uboat">{{cite web|title=HMS Trenchant (P 331) |url=https://uboat.net/allies/warships/ship/3525.html |publisher=uboat.net |accessdate=11 May 2024}}</ref>。
 
===極東へ===
1944年5月14日、「トレンチャント」は[[極東]]に派遣されることになり、中継地である[[ジブラルタル]]へ向けて[[ホーリー・ロッホ]]を出航した。[[自由フランス海軍]]潜水艦「{{仮リンク|ジュノン (潜水艦・初代)|en|French submarine Junon (1935)|label=ジュノン}}」が同行し、2隻は「サードニクス」の護衛を受けた。ジブラルタル到着後、「トレンチャント」らは輸送船団KMS51船団に加入して[[地中海]]に入り、6月2日に[[マルタ]]へ到着した<ref name="uboat"/>。
 
その後も「トレンチャント」は東進を続け、6月14日[[ポートサイド]]着。さらに[[スエズ運河]]を通過して[[紅海]]、そして[[インド洋]]へ入り、[[アデン植民地|アデン]]を経由して7月1日に[[セイロン島]][[コロンボ]]へ到着した。7月4日、目的地である[[トリンコマリー]]へ入港する<ref name="uboat"/>。
 
===1回目の哨戒===
トリンコマリー沖で演習後、1944年7月25日に「トレンチャント」は[[スマトラ島]]西岸へ1回目の哨戒に出撃した。8月5日、{{coor dm|02|19.5|N|100|46|E|}}で沿岸貨物船1隻と護衛の小型艇1隻を発見。艦尾と舷側の発射管から魚雷3本を発射したが命中せず、船団から反撃もなかった。翌8月6日に再度船団を発見した。前日の雷撃では、おそらく船艇が小型すぎて魚雷が命中しなかったのだと判断されたため、今度は浮上砲撃で沈めようとしたが海況が悪く実施できなかった。8月9日、{{coor dm|03|04|N|101|16|E|}}で先日と同じ2隻を発見、今度は{{convert|3000|yd|m}}の距離から4インチ砲を発射し、両方とも沈めた<ref name="uboat"/>。「トレンチャント」は[[日本人]]14名を救助した<ref name=”naval-history”/>。
 
8月10日から11日にかけて、「トレンチャント」は[[B-29 (航空機)|B-29]][[爆撃機]]による[[日本軍]]占領地への[[機雷]]投下作戦(ブーメラン作戦)に参加。[[パレンバン]]へ向かったB-29が不時着水した場合の搭乗員救助任務に就くが、喪失機はなく出番はなかった。8月17日、「トレンチャント」はトリンコマリーに帰投した<ref name="uboat"/>。
 
===2回目の哨戒===
「トレンチャント」はトリンコマリーで入渠を行い、9月初めまで[[オーストラリア海軍]]や[[オランダ海軍]]の艦艇と演習を実施した。9月5日、「トレンチャント」は[[マラッカ海峡]]へ2回目の哨戒に出発した<ref name="uboat"/>。今回の哨戒は、[[ペナン]]を拠点とする[[モンスーン戦隊]]の[[Uボート]]迎撃と、[[特殊作戦執行部]](SOE)工作員を上陸させて破壊工作を行うことが主な目的であった<ref name=”naval-history”/>。
 
9月11日の夜、「トレンチャント」はスマトラ島北部ペウダダ沖{{coor dm|05|18|N|96|35|E|}}の海域に浮上し、[[ブリティッシュ・コマンドス|コマンドス]]を[[フォールディングタイプカヤック|フォルボット]](折り畳み式[[カヤック]])で上陸させてペウダダ川河口の[[鉄道橋]]を爆破しようとした(スプラット・ベイカー作戦)。しかし、波が高く攻撃隊は上陸に失敗した。一旦、攻撃隊を回収して沖で待機後、翌9月12日の夜に再上陸を試みたところ今度は成功し、鉄道橋爆破に成功した。攻撃隊を回収後、[[潜望鏡]]で観測すると鉄道橋が破壊されているのが見えた<ref name="uboat"/>。
 
9月16日夜、「トレンチャント」はマラッカ海峡{{coor dm|04|11|N|98|24|E|}}の地点に機雷を敷設した。機雷を敷設した際、数隻の沿岸貨物船が見えたのでそのうち1隻を砲撃し、1発を命中させたが。暗闇のためそれ以上の攻撃はできなかった<ref name="uboat"/>。この時「トレンチャント」が敷設した機雷は、1945年1月23日に [[石油タンカー]]「'''Hozan Maru nr. 1'''」と商船「'''Nikkaku Maru'''」の沈没原因になったと推定されている<ref name="uboat"/><ref name=”naval-history”/>。
 
9月19日、「トレンチャント」は{{coor dm|03|01|N|100|34|E|}}で20トン級[[ジャンク船]]2隻を発見。乗員を追い出すため、そのうち1隻の帆へ訓練弾2発を撃ち込んで威嚇したが反応がなく、さらに榴弾1発を中央部に撃ち込んで様子を窺ったが同様に反応がなかった。砲撃を再開したが、火災は起こらず沈む気配もなかったため、そのまま[[体当たり攻撃]]をかけて沈めた。もう1隻のジャンク船は乗員が逃げ出したため、そちらも体当たりで沈めた<ref name="uboat"/>。
 
9月23日、{{仮リンク|ウルトラ (暗号解読)|en|Ultra (cryptography)|label=ウルトラ}}情報に基づき哨戒中だった「トレンチャント」は、ペナン北西{{coor dm|05|46|N|100|04|E|}}でUボート「{{仮リンク|U859 (潜水艦)|en|German submarine U-859|label='''U-859'''}}」に舷側と艦尾魚雷発射管から魚雷3本を発射、1本を命中させ撃沈した。「トレンチャント」は生存者11名を救助したが、日本の軍艦が出現したため海中の6名を残したまま潜航せざるを得なかった(18名中10名救助とも)<ref name="uboat"/>。残された生存者は、後に[[日本海軍]]の潜水艦に救助された<ref name=”naval-history”/>。10月1日、「トレンチャント」はトリンコマリーに寄港した。
 
===3回目の哨戒===
トリンコマリー沖で演習後、「トレンチャント」は10月20日に3回目の哨戒へ出撃した<ref name="uboat"/>。今回の哨戒はマラッカ海峡での哨戒のほか、[[人間魚雷]][[チャリオット (特殊潜航艇)|チャリオット]]を[[プーケット]]港へ潜入させて在泊艦船を攻撃する任務も含まれていた。そのため、「トレンチャント」にはチャリオット2隻と乗員が搭載されていた<ref name=”naval-history”/>。
 
10月27日、「トレンチャント」から発進した2隻のチャリオット「タイニー」と「スラッシャー」はプーケット港に潜入して[[リムペットマイン|機雷]]を設置、「'''スマトラ丸'''」(拿捕船:元[[オランダ]]船「トモリ」、983トン)を着底させ<ref name="uboat"/><ref>{{cite web|title=スマトラ丸 |url=http://hush.gooside.com/Text/2S/23Su/S305aSuma_.html#anchor117891 |publisher=近代世界艦船事典 |accessdate=12 May 2024}}</ref>、「'''ヴォルピ'''」(拿捕船:元[[イタリア]]船、5,292総トン)を損傷させた<ref name=”naval-history”/>。
 
11月9日、マラッカ海峡で3,000トン級商船1隻、500トン級石油タンカー1隻、沿岸貨物船2隻、護衛の大型[[駆潜艇]]2隻からなる輸送船団を発見し、{{coor dm|02|59|N|100|05|E|}}において魚雷5本を発射したが命中せず。爆雷による反撃があったが、どれも離れており影響はなかった。11月12日には{{coor dm|03|06|N|100|06|E|}}地点でジャンク船を砲撃で沈めた。11月16日、「トレンチャント」はトリンコマリーへ帰投した<ref name="uboat"/>。
 
===4回目の哨戒===
トリンコマリー沖で演習後、12月11日に「トレンチャント」は4回目の哨戒に出た。今回のマラッカ海峡での哨戒は、姉妹艦「{{仮リンク|テラピン (潜水艦)|en|HMS Terrapin|label=テラピン}}」と共同で行われた<ref name=”naval-history”/>。
 
12月20日、「トレンチャント」はマラッカ海峡{{coor dm|03|18|N|99|47|E|}}地点で日本艦から砲撃と爆雷攻撃を受けたが、損害はなかった。翌12月21日、スマトラ島沖{{coor dm|03|23|N|99|43|E|}}地点で[[大発動艇]]と思われる日本の舟艇2隻を砲撃して沈めた。飛来した[[零式水上偵察機]]が爆弾1発を投下したが、「トレンチャント」は潜航して逃げおおせた<ref name="uboat"/>。
 
12月25日の[[クリスマス]]の日、{{coor dm|03|18|N|99|42|E|}}で特設[[掃海艇]]1隻と航空機1機に護衛された沿岸貨物船4隻からなる船団を発見。「テラピン」も呼び寄せられ、船団攻撃に移った。航空機が北方へ飛び去ったところで「トレンチャント」と「テラピン」は浮上し、護衛の特設掃海艇「'''麗水丸'''」(日本水産、83トン)に砲撃を加え沈めた<ref>{{cite web|title=麗水丸の船歴 |url=https://www.tokusetsukansen.jpn.org/J/205/205_094.htm |publisher=大日本帝國海軍特設艦船 |accessdate=12 May 2024}}</ref>。沿岸貨物船のうち3隻は岸に擱座し、残る1隻は停止して火が放たれた。海岸が遠浅だったため、「トレンチャント」と「テラピン」は3隻に止めを刺すことができなかった<ref name="uboat"/>。しかしながら、この戦闘では「麗水丸」のほか、貨物船「'''第23日出丸'''」と[[機帆船]]「'''若宮丸'''」も沈んだとされている<ref>{{cite web|title=トレンチャント |url=http://hush.gooside.com/Text/3T/35To/T58kTore_.html#anchor23152 |publisher=近代世界艦船事典 |accessdate=12 May 2024}}</ref>。
 
12月29日、「トレンチャント」は{{coor dm|03|47|N|100|46|E|}}地点で20トン級ジャンク船2隻を体当たり攻撃で沈めた。翌12月30日にも停泊中の50トン級ジャンク船に対し、4インチ砲弾を撃ち込んだ後で体当たりにより撃沈している。さらに12月31日、{{coor dm|02|51|N|100|13|E|}}地点で20トン級ジャンク船を曳航中の30トン級ジャンク船を発見。30トン級を20ミリ機銃で撃沈し、20トン級の方は体当たり攻撃で沈めた。同日、15トン級ジャンク船を新たに発見し、こちらも体当たり攻撃で沈没させた<ref name="uboat"/>。
 
哨戒中だった12月29日付けで、艦長ヘズレット少佐に最初の[[殊功勲章]](DSO)が授与されている<ref name="uboat2">{{cite web|title=Arthur Richard Hezlet DSO, DSC, RN |url=https://uboat.net/allies/commanders/1196.html |publisher=uboat.net |accessdate=12 May 2024}}</ref>。
 
年が明けた1945年1月4日、「トレンチャント」は「テラピン」と共に{{仮リンク|パンダン島|en|Pandang Island}}の[[日本軍]]監視所に対して4インチ砲で[[艦砲射撃]]を実施。4インチ砲弾16発を発射して撤退した。1月10日、「トレンチャント」は4回目の哨戒を終了しトリンコマリーに帰投した<ref name="uboat"/>。
 
===5回目の哨戒===
トリンコマリーで入渠後、1945年2月18日に「トレンチャント」は5回目の哨戒に向かった。今度の哨戒も、「テラピン」と共同でマラッカ海峡における敵艦船捜索であった<ref name="uboat"/>。
 
2月24日朝、「トレンチャント」はマラッカ海峡{{coor dm|03|57|N|100|33|E|}}地点で20トン級[[艀]]を曳航中の80トン級沿岸貨物船を発見し、3隻とも砲撃を加えて沈めた。生存者14名を救助中に、3隻の沿岸貨物船が北へ向かうのを目撃する。「トレンチャント」は{{仮リンク|ペラ川|en|Perak River}}から3隻を寸断する進路をとり、自ら沿岸に擱座した3隻を「テラピン」と共に砲撃して破壊した。その後、海に出たところで通りかかったジャンク船に生存者のうち8名を託し、さらに肺を負傷し死亡した1名を水葬に付した。そこへ敵機2機が飛来し、1機が「テラピン」に、もう1機は「トレンチャント」に攻撃をかけてきた。残りの生存者を逃がすまでは潜航しない決定が下され、機銃で反撃しながら移送を続けた。生存者全員が退艦したところで、「トレンチャント」は大急ぎで潜航し逃げ出した<ref name="uboat"/>。
 
[[File:IJN No8 submarine chaser in 1938.jpg|thumb|right|「第八号駆潜艇」]]
2月25日、「トレンチャント」は{{coor dm|03|08|N|99|57|E|}}で[[魚雷艇]]と航空機に護衛された沿岸貨物船3隻からなる船団に魚雷4本を発射したが外れた。その後、艦首が座礁しかけたため沖に進路を変えて撤退した。敵からの反撃もなかった。3月4日、「トレンチャント」と「テラピン」はペナン南方{{coor dm|04|04|N|100|35|E|}}地点で「'''[[第八号駆潜艇]]'''」を4インチ砲で撃沈した。さらに、同日{{coor dm|04|10|N|100|36|E|}}で30トン級機帆船を発見し、こちらも砲撃で沈めた。3月9日には{{coor dm|03|15|N|99|48|E|}}で40トン級艀を曳航中の20トン級[[蒸気船|蒸気]][[曳船]]を砲撃で撃沈。やがて、[[一式陸上攻撃機]]らしき敵機が飛んできたため潜航して離脱した。3月16日、「トレンチャント」はトリンコマリーに入港した<ref name="uboat"/>。
 
===6回目の哨戒===
「トレンチャント」は1945年4月21日にトリンコマリーを出航し、5月5日に[[オーストラリア]]の[[フリーマントル]]へ到着した。フリーマントル沖で演習を行った後、今度は[[ジャワ海]]へ6回目の哨戒に出撃した<ref name="uboat"/>。
 
5月25日、「トレンチャント」は{{仮リンク|マンダリカ島|en|Mandalika Island}}沖{{coor dm|06|23|S|110|55|E|}}で沿岸貨物船を護衛中の「'''[[百五号掃海特務艇]]'''」を発見、砲戦を交わした。交戦中に4インチ砲が排莢不良を起こし一時射撃不能となるも、複数の命中弾を与え「百五号掃海特務艇」を撃沈した。「トレンチャント」は炎上して停止した「百五号掃海特務艇」に対し、{{convert|400|yd|m|1}}の距離から魚雷1本を発射したが、こちらは距離が近すぎたため調定深度に到達せず外れた。沿岸貨物船の方は浜辺に擱座したので{{convert|6,000|yd |m|1}}の距離から12発砲撃してみたものの、距離が遠すぎて当てるのは困難だったため、敵機が来る前に攻撃を諦めて撤退することにした<ref name="uboat"/>。
 
[[File:Ashigara.jpg|thumb|right|重巡洋艦「足柄」]]
6月8日、「トレンチャント」はその艦歴で最大の戦果を得ることになった。「トレンチャント」は[[ボルネオの戦い|ブルネイ上陸]]支援のため[[マレー半島]]沖へ向かうよう命じられた。だが、[[アメリカ海軍]]潜水艦「[[ブルーバック (SS-326)|ブルーバック]]」から日本の[[巡洋艦]]と駆逐艦1隻が[[バタビア]]に入港したとの情報を得て、許可を得て{{仮リンク|バンカ海峡|en|Bangka Strait}}へと向かった。日本の巡洋艦と駆逐艦1隻とは重巡洋艦「[[足柄 (重巡洋艦)|'''足柄''']]」と駆逐艦「[[神風 (2代神風型駆逐艦)|神風]]」であり、6月4日に[[シンガポール]]を出港し6月5日にバタビアに到着、[[日本陸軍|陸軍]]の兵員や物資を乗せ6月7日に出港してシンガポールに向かっていた。「トレンチャント」は2隻を迎撃するため「{{仮リンク|スティジアン (潜水艦)|en|HMS Stygian|label=スティジアン}}」と共に周辺海域へ展開した<ref name=”naval-history”/>。
 
6月8日4時23分、「トレンチャント」は「神風」と遭遇し、砲撃を受けた。「トレンチャント」も反撃して魚雷1本を「神風」に発射したが回避された。6時16分、「トレンチャント」はバンカ海峡北側出口に移動して待ち構えた。9時55分に「神風」を発見するが、10時30分には視界から消えた。続いて11時48分に{{coor dm|01|59.3|S|104|58.7|E|}}の地点で「足柄」のマストを発見<ref name="uboat"/>。12時9分、「トレンチャント」はバンカ海峡北側出口で「足柄」に対して艦首魚雷発射管から魚雷8本を発射し、うち5本が命中した<ref>The T-class Submarine, p.97</ref>。「足柄」からの高角砲による反撃を受けつつも、「トレンチャント」のヘズレット少佐は乗員達に潜望鏡で「足柄」の様子を見ることを許可した<ref name="uboat"/>。12時24分、「トレンチャント」は艦尾からさらに2本の魚雷を発射したが、これは外れた<ref>The T-class Submarine, p.100, uboat.net HMS Trenchant (P 331)</ref>。「足柄」は{{coor dm|01|59.1|S|104|57|E|}}の地点で右舷に転覆し沈没した。「神風」による爆雷攻撃は{{convert|3|mi}}以上離れており脅威とはならなかった。「トレンチャント」は6月20日に[[フィリピン]]の[[スービック湾]]へ入港した<ref name="uboat"/>。
 
「足柄」撃沈の功績により、ヘズレット少佐は2個目の殊功勲章と、[[アメリカ合衆国]]から[[レジオン・オブ・メリット]]をそれぞれ受章した<ref name="uboat2"/>。
 
===7回目の哨戒===
6月26日、「トレンチャント」はスービック湾を出航し、ジャワ海へ7回目の哨戒へ向かった。7月13日、[[オランダ領東インド]][[スラウェシ島]][[ボネ湾]]北方{{coor dm|02|50|S|120|33|E|}}の地点で15トン級[[スクーナー]]を発見。「トレンチャント」が接近すると原住民の乗員は逃げ出したが、移乗隊が乗り込んで調べると、船倉に日本軍の将校1名と兵士4名がいた。投降を呼びかけても反応がなく、[[煙幕]]で燻り出そうとしたところ船倉のハッチや甲板越しに発砲してきたため、移乗隊は説得を諦めて退船した。「トレンチャント」はスクーナーを砲撃で沈め、日本兵達も船と運命を共にした<ref name="uboat"/>。
 
7月18日、[[ロンボク海峡]]北東の{{coor dm|08|24|S|116|03|E|}}の地点で小型駆潜艇、曳船、艀を発見し砲撃で破壊。さらに近くの丘にある監視所にも砲撃を加えた。その後、敵機が飛来したため潜航して離脱した。爆弾が近くに投下されたが被害はなかった。7月25日、「トレンチャント」はフリーマントルへ帰投し、程なくして終戦を迎えた。7月29日、艦長がジョン・シャロナー・オーグル大尉に交代<ref name="uboat"/>。
 
===戦後===
1945年9月25日、「トレンチャント」はフリーマントルを出航し、改装のためイギリス本国へ向かう。道中で機関故障に見舞われながらも、アデン、ポートサイド、[[アレクサンドリア]]、マルタ、ジブラルタルを経由して翌1945年11月26日にイギリス本国[[ポーツマス (イングランド)|ポーツマス]]へ到着した<ref name="uboat"/>。
 
ポーツマス到着後、「トレンチャント」は解役され{{仮リンク|予備役艦隊 (イギリス)|en|Reserve Fleet (United Kingdom)|label=予備役}}に編入された。[[ゴスポート]]で数年間保管された後、1949年に再就役し、[[ロサイス]]を拠点とする第3潜水艦戦隊に配属された。1951年には[[地中海艦隊 (イギリス)|地中海艦隊]]に移り、マルタの第1潜水艦戦隊に配備された<ref name=”naval-history”/>。
 
T級潜水艦第3グループのうち8隻が水中高速潜水艦への近代化改装を受けたが、「トレンチャント」は対象艦には選ばれなかった<ref>{{Cite book|和書|author=|coauthors=|date=2016-6|title=世界の艦船 6月号増刊 第2次大戦のイギリス軍艦|publisher=[[海人社]]|series=[[世界の艦船]]|isbn=|page=136}}</ref>。1959年に再度[[チャタム工廠|チャタム]]で解役され、1962年に廃棄リストに載る。翌1963年7月1日<ref name="uboat"/>にクライドにおいて{{仮リンク|ブリティッシュ・アイアン・アンド・スチール・コーポレーション|en|British Iron & Steel Corporation}}(BISCO)によりスクラップとして売却され、曳航された「トレンチャント」の艦体は1963年7月23日に[[船舶解体|解体]]地であるファスレーンのメタル・インダトリーズ社へ到着した<ref name=”naval-history”/>。
 
==栄典==
「トレンチャント」は第二次世界大戦の戦功で1個の戦闘名誉章(Battle honour)を受章した<ref name=”naval-history”/>。
*「MALAYA 1944-45」
 
==出典==
{{reflist}}
*[https://web.archive.org/web/20070429123553/http://home.cogeco.ca/~gchalcraft/sm/page23.html British submarines of World War II]
*[https://web.archive.org/web/20070501153451/http://home.cogeco.ca/~gchalcraft/sm/trenchant.html British submarines of World War II]
* [http://uboat.net/allies/warships/ship/3525.html Uboat.net]
* {{cite book | last = Hutchinson | first = Robert | title = Jane's Submarines: War Beneath the Waves from 1776 to the Present Day | url = https://archive.org/details/janessubmarinesw0000hutc | url-access = registration | year = 2001 | location = [[ロンドン]] | publisher = [[ハーパーコリンズ]] | isbn = 978-0-00-710558-8 | oclc = 53783010 }}
 
第105号掃海特務艇撃沈から数日後、[[ボルネオの戦い|ブルネイ上陸]]支援のため[[マレー半島]]沖へ向かうよう命じられた。だが、アメリカ潜水艦から日本の巡洋艦と駆逐艦1隻が[[バタビア]]に入港したとの情報を得て、許可を得て[[バンカ海峡]]へと向かった。日本の巡洋艦と駆逐艦1隻とは重巡洋艦「[[足柄 (重巡洋艦)|足柄]]」と駆逐艦「[[神風 (2代神風型駆逐艦)|神風]]」であり、6月4日に[[シンガポール]]を出港し6月5日にバタビアに到着、陸軍の兵員や物資を乗せ6月7日に出港してシンガポールに向かっていた。6月8日12時9分、「トレンチャント」はバンカ海峡北側出口で「足柄」に対して8本の魚雷を発射し、5本が命中した<ref>The T-class Submarine, p.97</ref>。12時24分、「トレンチャント」は艦尾からさらに2本の魚雷を発射したが、これは外れた<ref>The T-class Submarine, p.100, uboat.net HMS Trenchant (P 331)</ref>。「足柄」は転覆し沈没した。
 
1963年、スクラップとして売却。
==脚注==
{{Reflist}}
==参考文献==
*Paul J. Kemp, ''The T-Class Submarine: The Classic British Design'', Naval Institute Press, 1999, ISBN 1-55750-826-7
*[https://uboat.net/allies/warships/ship/3525.html HMS Trenchant (P 331)], uboat.bet(2020年9月23日閲覧)
{{T級潜水艦}}