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| 氏族 = [[長宗我部氏]]
| 父母 = 父:[[長宗我部元親]]、母:[[元親夫人]]([[石谷光政]]の娘)
| 兄弟 = '''信親'''、[[香川親和]]、[[津野親忠]]、[[長宗我部盛親|盛親]]、[[長宗我部右近大夫|右近大夫]]、[[長宗我部民部|民部]]?、女([[一条内政]]室)、女([[吉良親実]]室)、阿古姫([[佐竹親直]]室)、女([[吉松十右衛門]]室)
| 妻 = [[正室]]:石谷夫人 ([[石谷頼辰]]の娘)
| 子 = 女(長宗我部盛親正室)
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身長は「背の高さ六尺一寸(約184cm)」、容貌は「色白く柔和にして」「詞すくなく礼儀ありて厳ならず」と記され、知勇兼備の武将であったといわれる(『土佐物語』){{Sfn|山本|p=142}}。走り跳びで2間(約4m)を飛び越え、飛びながら刀を抜くこともできたという<ref>『土佐物語』に、「常に3間(5.4m)の堀を飛び越え、落ち着かざる先に3尺5寸の太刀を抜き給う」と記される。</ref>。『[[フロイス日本史]]』によると、[[キリスト教]]入信を考えていたとされる。
 
元親の信親への期待が大きかったため、戦死したことの打撃も大きく、岡豊に帰った元親の生活は、これ以後一変したとされる{{Sfn|山本|p=143}}。信親の早すぎる死は、後継者として育て上げていた元親にとって悲嘆が強く、変わり果てた姿で父の元へ帰ってきた信親を直視出来ず、泣き崩れたという。また信親だけでなく、長宗我部家を背負って立つ若い人材の多くが戦死した事もあり、これより後、長宗我部氏は戦死した家臣団の再建における家臣間の諍いや後継者騒動によって徐々に衰弱していくことになる。元親の信親に対する愛情は並々ならぬものがあり、信親にあった唯一の女児([[長宗我部盛親|盛親]]にとって姪にあたる)を、新たに後継者とした盛親の正室として娶わせることで、信親の血統を長宗我部氏当主に続かせようとしたほどである。
 
== 関連作品 ==
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;書籍
* {{Cite book|和書|author= 山本大 |authorlink= 山本大 |title= 長宗我部元親 |edition= 新装版 |date= 1987 |publisher= [[吉川弘文館]] |isbn= 4642051031 |ref = {{SfnRef|山本}}}}
* {{Citation|和書|editor= [[平井上総]] |title= 長宗我部元親 |date= 2014 |publisher= 戎光祥出版 |ref = {{SfnRef|平井|2014}}}}
* {{Cite book|和書|author= 平井上総 |title= 長宗我部元親・盛親 |date= 2016 |publisher= ミネルヴァ書房 |ref = {{SfnRef|平井|2016}}}}
* {{Cite book|和書|title= 長宗我部元親 |series= 歴史群像シリーズ |date= 2009 |publisher= [[学習研究社]]}}