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'''アスマラ'''({{lang-ti|'''ኣስመራ'''}} ''Asmera''、{{Lang-en|'''Asmara'''}})は、[[エリトリア]]の[[首都]]である。標高約2300m2,300メートルの[[高地]]に位置する。主な生産品は[[織物]]、[[衣類]]、[[ビール]]、[[靴]]である。アスマラには[[アスマラ国際空港]]があり、またエリトリア第2の都市[[マッサワ]]と[[エリトリア鉄道]]で結ばれている。[[モダニズム建築]]のならぶ街並みが2017年に[[世界遺産]]リストに登録された<ref>{{Cite web|和書|title=アスマラとは |url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%A9-25607 |website=コトバンク |accessdate=2022-03-18 |language=ja |first=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,日本大百科全書(ニッポニカ),百科事典マイペディア,デジタル大辞泉,精選版 日本国語大辞典,世界大百科事典 |last=第2版,世界大百科事典内言及}}</ref>。
 
== 歴史 ==
アスマラは[[1870年代]]まで小さな村であった。[[1880年代]]に[[エチオピア]]に併合されてからは、重要都市となり行政機関が置かれた。[[1900年]]に[[イタリア領東アフリカ|イタリア領エリトリア]]の首都となり、イタリア首相であった[[ベニート・ムッソリーニ]]が第2のローマ(ピッコラ・ローマ)を目指し、1920年から1930年代にかけて、イタリアの新進気鋭の建築家達により奇抜な[[アール・デコ]]建築や[[未来派]]建築が多く建設された。[[1935年]]に[[第二次エチオピア戦争]]が始まると、イタリアによって軍備が強化されたが、[[第二次世界大戦]]開戦後の[[1941年]]に連合軍がエリトリアに侵攻・占領し、[[1952年]]まで[[イギリス]]の[[軍政]]下に置かれることとなった。現在もイタリア時代に作られたヨーロッパ風の美しい街並みや、イタリア語の店名などが多く残っている。

[[1952年]]から[[1962年]]までエチオピアと連邦制を布いたエリトリア国の首都であったが、[[1962年]]にエリトリア議会をエチオピア帝国の軍隊が取り囲み、エリトリアは[[エチオピアの行政区画|エチオピアの一州]]である[[エリトリア州]]となった。その後アスマラはエリトリア州の州都となった。
 
エチオピアからの[[エリトリア独立戦争|独立戦争]]の際、[[アスマラ国際空港|アスマラ空港]]は重要拠点となり武器や物資がここから流入した。その後[[エリトリア人民解放戦線]](現在の[[民主正義人民戦線]])によりアスマラは解放され、[[国民投票]]により[[1993年]]にアスマラは正式にエリトリアの首都となった。
 
== 気候 ==
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* [[エリトリアの行政機関]]
* [[エリトリアの都市の一覧]]
 
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{{アフリカの首都}}
 
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