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=====近代以降=====
近代日本では[[1873年]][[6月13日]]に制定された改定律例においては親族相姦の規定があったが、1881年をもって廃止された。刑法に盛り込まれなかった理由は、[[ギュスターヴ・エミール・ボアソナード]]が「近親相姦概念は道徳的観念の限りにおいて有効である」と反対したためである<ref>{{Cite journal|和書|url=httphttps://idchukyo-u.repo.nii.ac.jp/1217/00014976records/14984 |author=三枝有 |title=児童虐待における刑事法の在り方 |journal=中京法学 |publisher=中京大学法学会 |year=2003 |volume=37 |issue=3-4 |pages=265-292 |naid=110006203308 |issn=02862654 |accessdate=2021-05-10}}</ref>。現在の日本では、成人の近親者同士の合意に基づく性的関係についての刑罰規定は存在しない。1947年8月11日の第1回[[国会 (日本)|国会]]司法委員会公聴会では[[小川友三]]が日本において近親相姦を違法化していないのは問題があると主張したが、[[牧野英一]]は、外国で近親相姦罪が支持される背景には宗教上の問題がある件を挙げ反論している<ref>{{Cite web|和書|url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=100114390X01119470811|title=参議院会議録情報 第001回国会 司法委員会 第11号|work=国会会議録検索システム|publisher=[[国立国会図書館]]|accessdate=2011-08-19}}</ref>。
 
また、廃止前の[[1873年]](明治6年)に15歳以下を理由に35円<ref>{{Cite|author=[[明治維新#明治政府|明治新政府]]|title=改正贖罪収贖例図(12コマ目)|series=改定律例|volume=首巻|date=1873|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/794277/12|doi=10.11501/794278}}</ref>(現在の価値で70万円)<ref name="明治1円の価値">{{Cite web|和書||url=https://manabow.com/zatsugaku/column06/|title=明治時代の「1円」の価値ってどれぐらい?|website=man@bow(まなぼう)|publisher=野村ホールディングス|publisher2=日本経済新聞社|accessdate=2021-09-26}}</ref>の収贖(刑に服する代わりに,金銭を納めて罪過を贖<あがな>うこと<ref>{{Cite web|和書|author=法務省|authorlink=法務省|url=https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/9/nfm/n_9_2_3_1_4_0.html|title=昭和43年版犯罪白書 第三編 犯罪と犯罪者処遇の一〇〇年 第一章 刑事関係基本法令の変遷 四 少年法および更生保護法令|date=1968-11|accessdate=2022-02-12}}</ref>)に刑を換えられた娘<ref>{{Cite|author=太政官|title=東京府下植村虎次郎父子姦処決伺|publisher=国立公文書館|series=公文録・明治6年|volume=第百八十一巻・明治六年十月・司法省伺(四)|date=1873-10|url=https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/result?DEF_XSL=detail&IS_KIND=detail&DB_ID=G9100001EXTERNAL&GRP_ID=G9100001&IS_TAG_S16=eadid&IS_KEY_S16=M0000000000000088777&IS_LGC_S16=AND&IS_TAG_S1=all&IS_KEY_S1=%E7%88%B6%E5%AD%90%E5%A7%A6&IS_MAP_S1=&IS_LGC_S1=&IS_EXTSCH=F2009121017005000405%2BF2005021820554600670%2BF2005021820554900671%2BF2005032421074303276%2BF2005032500522603282%2BF0000000000000001960&IS_ORG_ID=M0000000000000088777&IS_STYLE=default&IS_SORT_FLD=sort.tror%2Csort.refc&IS_SORT_KND=asc
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====スウェーデン====
[[スウェーデン]]では婚姻法第2部第2章第3条の規定により、直系血族と同父かつ同母の兄弟姉妹の結婚は認められないが、異父または異母の兄弟姉妹ならば政府当局の許可を得た上であれば結婚は認められる。これは異父兄妹が近親相姦罪で犯罪者扱いされながらも別れろという命令を無視し、子供を2人もうけた事件をきっかけにして、1973年に異父または異母ならば特例で[[兄弟姉妹婚]]も可能なよう法改正が行われたためである<ref>{{Citecite journal|和書|author=棚村政行 |date=2005-08 |url=https://hdlwaseda.handlerepo.netnii.ac.jp/2065records/294899006 |title=遺族厚生年金受給権と近親婚的内縁の効力 |author=棚村政行 |year=2005 |journal=早稲田法学 |ISSN=0389-0546 |publisher=早稲田大学法学会 |month=aug |volume=80 |issue=4 |pages=21-67 |naidhdl=1200019416282065/29489 |issnCRID=0389-05461050282677457379968 |naid=120001941628 |accessdate=20212024-0506-1027}}</ref>。
 
====インド====
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[[アメリカ合衆国]]の州の中には[[テキサス州]]などのように、いとこ同士の性関係自体に対し刑罰規定を設け、犯罪と定めている州もある。結婚に関しては、[[いとこ婚]]が無条件に可能なのは19の州及び[[ワシントンD.C.|コロンビア特別区]]のみであり、双方の配偶者が年齢65歳以上または不能に関する証拠を持つ年齢55歳以上の場合に限って許可している[[ユタ州]]など、制限付きで可能なのが6州で、残る25の州ではいとことの結婚は禁止されている(2011年現在)。
 
[[中華人民共和国]]や[[朝鮮半島]]などの国家・地域では、いとことの結婚が認められない場合がある。1981年1月1日施行の中華人民共和国の修正婚姻法第7条1号では、傍系では3代即ち4親等までの血族の婚姻を認めていないため、いとこ婚は不可となっている。ただし、推奨はされないが民族性などを省みた上で、傍系血族婚規定について弾力的運用をすることは可能であるとしている<ref>{{Cite journal|和書|author=西村幸次郎 |title=中国民族法制の問題状況 : 動向と課題 |journal=山梨学院ロー・ジャーナル |issn=18804411 |publisher=山梨学院大学 |year=2007 |month=jul |issue=2 |pages=23-54 |naid=110006375147 |url=httphttps://idygu.repo.nii.ac.jp/1188/00000162records/163 |accessdate=20212024-0506-1027}}</ref>。一方、大韓民国では8親等以内の血族との結婚は認められないため、いとこやはとこはおろか、みいとことも結婚が認められないことになっている。
 
ヨーロッパではいとことの結婚は一応は可能であり、[[進化論]]を唱えた[[チャールズ・ダーウィン]]などがいとこと結婚している。ただカトリックの場合、[[教会法]]では原則禁止で、あくまで赦免を与えて特別に許可しているというに過ぎないので、個人の信仰上問題視されることならばありうる。[[アガサ・クリスティ]]原作のテレビドラマシリーズ『[[名探偵ポワロ]]』の一編「[[葬儀を終えて]]」では、葬儀のために集まったいとこが性的関係をもってしまい、深刻に悩む描写がある。
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[[アナイス・ニン]]は30歳の時、音楽家であった実の父親[[ホアキン・ニン]]との近親相姦を体験し、そのことを自身の日記に肉体的な性交の描写に留まらず、自身のあらゆる感情について克明に記録し、出版した。[[エリカ・ジョング]]は父娘間の性交を扱った自著『ファニー』が映画や舞台になる際、それらを担当した脚本家がその部分をどうしても変えるといって聞かなかったという出来事に触れ、当時の近親相姦のタブーの強さを指摘し、アナイス・ニンはこのタブーを自分の人生によって破り、しかもそのことを書くという今まで誰もやったことがない大胆さを持っていたと述べた。エリカは20世紀が終わるにあたって、アナイス・ニンの革新性は文学の一部となり、女性文学の中で近親相姦を描写することのタブーは破られ、現代の女性作家はニンの世代が夢想したこともない驚くほどの作劇上の自由を手にしていると評価している<ref>Erica Jong『セックスとパンと薔薇―21世紀の女たちへ 』[[道下匡子]]訳,[[祥伝社]],2001年,113頁 ISBN 978-4-396-65020-9</ref>。アナイス・ニンの愛人だった[[オットー・ランク]]はアナイスから彼女と父親との性行為の話を聞いた際、「あなたは人生を神話のように生きようとしている」と評した<ref>Anaïs Nin『インセスト―アナイス・ニンの愛の日記 無削除版 1932〜1934』,[[彩流社]],2008年,486頁 ISBN 978-4-7791-1317-8</ref>。ジュディス・ハーマンは、[[ウラジーミル・ナボコフ]]の『[[ロリータ]]』においては義理の父親が義理の娘に誘惑されるという話が扱われていることを指摘した上で、男性誌で扱われている実話ということにされている話について話の流れが似ていることから『ロリータ』を芸術的に劣化させた話のように感じられてならないと感想を述べている{{Sfn|ハーマン|2000|pp=43 - 45}}。アメリカにおいては、性的自由の風潮が育ってきたことによるものかどうかは判定するのは難しいが、近親相姦を扱った漫画や映画、書物は増加しているとされ、1921年から1930年の間に封切られた長編映画で近親相姦を含むものは全6606本のうち6本だったのに対し、1961年から1970年の間では全5775本の内79本あった。近親相姦を扱った物語の内容としても、『オイディプス王』に見られるような悲劇のテーマとは異にしてきており、暗い結末を持っておらず、性的束縛に対する全体的な挑戦の一つとして映画や書物の中で気軽に扱われるのが流行してきている{{Sfn|ジャスティス|1980|pp=50 - 51}}。リチャード・ガートナーは、映画においては少年と関係する年上の女性が経験豊富で魅力的な女性として描かれることが多く、『[[好奇心 (映画)|好奇心]]』のようにこの考えをそのまま母親と息子の関係に当てはめた作品もあると指摘する{{Sfn|ガートナー|2005|pp=72 - 73}}。
 
ワーナー・ソラーズは近親相姦と[[混血]]が正反対の位置にあるにもかかわらず、[[奴隷制]]を持つ社会を舞台としたフィクションでの表象においてはしばしば密接な関係を持って描かれると指摘している<ref>[[ハルオ・シラネ]](編),松井健児(編),[[藤井貞和]](編)『日本文学からの批評理論―アンチエディプス・物語社会・ジャンル横断』イヴ・ジマーマン(著)「兄妹愛とインセストー中上健次『秋幸三部作』をめぐって」([[笠間書院]] 2009年8月)141頁 ISBN 978-4-305-70485-6</ref>。[[ナサニエル・ホーソーン]]の母方の4代前の祖先のニコラス・マニングは、自身の二人の妹と性的関係を結んでおり、またホーソン自身も姉のエリザベスと固着的な姉弟関係を持っていた。[[岩田強]]はホーソンにとって聡明な姉のエリザベスが常に発達同一化の対象であったと指摘している。また、エリザベスが生涯独身であったことについて触れ、彼女が弟を愛し崇拝していたということ、また弟の結婚相手を憎悪していたということを慮ると、近親相姦的感情の存在は否定しきれないと分析している<ref>岩田強『文豪ホーソンと近親相姦』,[[愛育社]],2012年,101頁 ISBN 978-4-7500-0419-8</ref>。[[テネシー・ウィリアムズ]]は少年時代より唯一の遊び相手だった姉のローズと仲が良かったが、精神を病んだ姉が自身の知らない間に[[ロボトミー]]手術を受けて廃人となってしまったことで、結婚もせず、生涯償いであるかのように姉の面倒を見ることになった。姉ローズへの思いは、『浄化』『ガラスの動物園』『欲望という名の電車』『二人だけの芝居』といったテネシーの作品の中で登場人物の中に投影されていて、それは時に痛みを伴うものであり、時には近親相姦を思わせるものでもあるという<ref>{{Cite journal|和書|author=吉川和子 |title=テネシー・ウィリアムズ作品におけるCONFINEMENT IMAGERYについて : 『ガラスの動物園』と『欲望という名の電車』及び『二人だけの芝居』の考察 |journal=大阪産業大学論集. 人文・社会科学編 |issn=1882-5966 |publisher=大阪産業大学 |year=2011 |issue=13 |pages=35-54(p.37) |naid=110008767920 |url=httphttps://idosu.repo.nii.ac.jp/1338/00001090records/1098}}</ref>。
 
[[トーマス・マン]]は『[[選ばれし人]]』、『[[ヨセフとその兄弟|エジプトのヨセフ]]』など近親相姦を扱った作品を執筆しているが、トーマス・マンが育った一家には性的色彩を濃厚に帯びた兄妹愛が存在していたことが長男[[ハインリヒ・マン]]の著作などから指摘されている。長男ハインリヒと次女カルラ、次男トーマスと長女ルーラのそれぞれの組み合わせには恋愛感情ないしはそれに近いものが存在していた{{Sfn|高山|2011|pp=112 - 113}}。また、トーマス・マンが妹カルラに宛てた短編『衣装戸棚』の内容から、トーマス・マンはもう一人の妹である次女カルラにも性的な愛情を向けていた可能性があるという<ref>マリアンネ・クリュル著、[[山下公子]]・三浦國泰訳『トーマス・マンと魔術師たち マン家のもう一つの物語』、[[新曜社]]、1993年の書物の日本語訳、1997年、489頁 ISBN 978-4-7885-0596-4</ref>。トーマス・マンは双子の兄妹の近親相姦を扱った『ヴェルズンゲンの血』を書く数か月前に[[カタリーナ・マン|カーチャ・プリングスハイム]]を妻にしているが、彼女は双子の兄に[[クラウス・プリングスハイム]]がおり、トーマス・マンは『ヴェルズンゲンの血』が何らかの出来事の焼き直しであるということを示唆する手紙を書いていた。そのため、『ヴェルズンゲンの血』はプリングスハイム家の双子の兄妹をモデルにしていると話題になった<ref>早崎えりな『ベルリン・東京物語』、[[音楽之友社]]、1998年、8-9頁 ISBN 978-4-276-21134-6</ref>。高山秀三は近親愛は他人よりも自分に近い者への愛としてナルシシズムを原点に持つと述べ、近親愛に関心があったトーマス・マンと三島由紀夫をナルシシズムの観点から共通性が見い出されると論じている{{Sfn|高山|2011|p=10}}。[[パーシー・ビッシュ・シェリー]]は、自身の著作『チェンチ家』『レイオンとシスナ』『ロザリンドとヘレン』で近親相姦を扱っているが、「近親相姦は、非常に詩的な題材である。それは、愛情の過度か憎悪の過度かのいずれかである。それは、最高の英雄的な行為の栄光に身を包むもののために、他の総てを無視するものであるか、或いは、利己主義と嫌悪に耽る目的のために、思想の内にある善と悪の観念を混同し、これらを無視する冷笑的な憤怒であるかのいずれかである」と述べている<ref>『シェリー研究』([[高橋規矩]]著、[[桐原書店]]、1981年)224頁</ref>。[[マルグリット・ユルスナール]]は文学における近親相姦の歴史を『姉アンナ…』の自作解説で振り返り、父娘や母息子の場合は双方の意志に基づかないものが多く、兄弟姉妹だけには意志的なものが成り立つと主張した{{Sfn|原田武|2001|pp=170}}。マルグリット・ユルスナールは近親相姦が可能性の状態で人間の感受性の中に偏在していることは神話や伝説、夢想、統計、新聞記事などが充分に証明していると述べた<ref>マルグリット・ユルスナール『姉アンナ…』,[[白水社]],1987年,137頁 ISBN 978-4-560-04255-7</ref>。
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** [[塞の神]]([[道祖神]])<ref>[[倉石忠彦]](著)『道祖神信仰論』名著出版,1990年, p.86 ISBN 978-4-626-01383-5</ref> - 栃木県では道祖神はドウロクジンと呼ばれ、ドウロクジンは兄妹である。兄妹が二人とも性器が大きすぎて誰のとも合わず、相手を探して諸国を旅したが結局相手は見つからなかった。結局、兄妹同士で合わせたらうまく合ったので夫婦になった。今でも兄妹・姉弟で手を繋いで仲良くしていると「ドウロクジンのようだ」と言われる<ref>[[大島建彦]](著)『道祖神と地蔵』三弥井書店,1992年, p.69 ISBN 978-4-838-28023-0</ref>。
* [[ヤオ族]]の兄妹始祖・洪水神話([[中国神話]])
**[[伏羲]]と[[女カ|女媧]]<ref>[[聞一多]](著)[[中島みどり]](訳注)『中国神話』[[平凡社]],1989年, p.14 ISBN 978-4-582-80497-3</ref> - ヤオ族には[[大洪水]]で伏羲と女媧の兄妹が生き残り、兄は妹に対し結婚を申し込むも妹は渋り、大木の周りを回ってみて捕まったら結婚すると妹が条件を出し、兄は足の速い妹になかなか追いつけなかったものの、兄が途中で逆に回ってみたところ妹は鉢合わせする形で兄に捕まってしまい、二人は結婚し夫婦となったという伝承がある<ref>{{Cite web|和書|url=http://wwwdigioka.townlibnet.nagipref.okayama.jp/libraryeol/text_2.pdfdetail-jp/kyo|format=PDF|title=大いなる巨人の伝説 さんぶたろう成立の謎 第二部:伝承の背後に隠されたもの|work=奈義町立図書館 電子図書館|publisher=[[奈義町]]|date=2009|accessdate=2011-08-24|deadlinkdate=20152024-1206-1127}}</ref>。兄弟姉妹の通婚という神話伝説は、かつて原始人の間に血縁結婚が存在したことの名残りであるともいう<ref>劉達臨(著)松尾康憲、氷上正、于付訓(訳)『性愛の中国史』[[徳間書店]],2000年, p.25 ISBN 978-4-198-61200-9</ref>。
* [[琉球諸島|琉球]]神話と琉球文化(奄美から沖縄にかけて島々の創世神話を「島建て」といい、例えば波照間の創世神話は[[イザナギ]]・[[イザナミ]]に洪水神話を合わせたような形である)(兄妹始祖・洪水/参照:[http://www.kt.rim.or.jp/~yami/hateruma/seichi.html 波照間島の聖地]・[http://www.kt.rim.or.jp/~yami/hateruma/fuka.html 波照間島の兄妹始祖創世神話])
[[ファイル:Anonymous-Fuxi and Nüwa.jpg|thumb|left|200px|女媧(左)と伏羲(右)]]