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==舞い==
阿曇磯良の伝説をもとにした舞として、志賀海神社では旧暦9月の{{読み仮名|神幸祭|しんこうさい}}・{{読み仮名|国土祭|くにちさい}}で演じられる磯良の舞(「{{読み仮名|羯鼓|かっこ}}の舞」)がある{{sfnp|吉田|2004|p=81}}{{sfnp|小山|2005|pp=5, 8–9}}。この地方では福岡県[[大川市]]の[[風浪宮]]や{{sfnp|小山|2005|p=5}}、[[糸島市]]の[[高祖神社]](高祖神楽){{sfnp|吉田|2004|p=79}}、那珂川市の岩戸神楽にも磯良の舞の伝承が伝わる{{sfnp|吉田|2004|pp=79–80}}。
 
[[志賀海神|社山誉祭]]にて以下のような[[神楽歌]]として古くから伝わっている。(『[[太平記]]』にも、この舞が[[神功皇后]]の[[三韓征伐|三韓出兵]]以前より伝わる神事(舞い)と推察される記述が存在する。)この社山誉祭は、[[民俗学]]的に価値のある神事として、福岡県の県指定の[[有形民俗文化財]]<ref>[http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/cultural_properties/detail/item_id:101211 参考:福岡市の文化財|山ほめ祭]</ref> に指定されており、歌詞が[[君が代]]の起源であるとする説がある。
 
{{Quotation|君が<ruby>代<rp>(</rp><rt>だい</rt><rp>)</rp></ruby>は 千代に八千代に さざれいしの いわおとなりてこけのむすまで
 
あれはや あれこそは 我君のみふねかや うつろうがせ<ruby>身<rp>(</rp><rt>み</rt><rp>)</rp></ruby><ruby>骸<rp>(</rp><rt>がい</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby>命<rp>(</rp><rt>いのち</rt><rp>)</rp></ruby> <ruby>千<rp>(</rp><rt>せん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby>歳<rp>(</rp><rt>ざい</rt><rp>)</rp></ruby>という
 
花こそ 咲いたる 沖の<ruby>御<rp>(</rp><rt>おん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby>津<rp>(</rp><rt>づ</rt><rp>)</rp></ruby>の汐早にはえたらむ<ruby>釣<rp>(</rp><rt>つる</rt><rp>)</rp></ruby><ruby>尾<rp>(</rp><rt>お</rt><rp>)</rp></ruby>にくわざらむ 鯛は沖のむれんだいほや
 
志賀の浜 長きを見れば 幾世経らなむ 香椎路に向いたるあの吹上の浜 千代に八千代まで
 
今宵夜半につき給う 御船こそ たが御船ありけるよ あれはや あれこそは 阿曇の君のめし給う 御船になりけるよ
 
いるかよ いるか 汐早のいるか <ruby>磯<rp>(</rp><rt>いそ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby>良<rp>(</rp><rt>ら</rt><rp>)</rp></ruby>が崎に 鯛釣るおきな|山誉め祭|神楽歌}}
この地方では福岡県[[大川市]]の[[風浪宮]]や{{sfnp|小山|2005|p=5}}、[[糸島市]]の[[高祖神社]](高祖神楽){{sfnp|吉田|2004|p=79}}、那珂川市の岩戸神楽にも磯良の舞の伝承が伝わる{{sfnp|吉田|2004|pp=79–80}}。
 
磯良の明神は上述したように奈良[[春日大社]]でも祀られており<ref name="gudokun-myojin"/>、[[春日若宮おん祭]]の細男(せいのう<ref name=kodera/>{{Refn|『八幡愚童訓』によれば、神楽に応えて海から現れた磯良は、己の容貌を恥じて"浄衣の袖を解て御顔を覆て、御頸に鼓を懸けて{{読み仮名|細男|せいなう}}と云ふ舞を舞給けり"とある{{sfnp|吉田|2004|p=80}}。}}/せいのお{{sfnp|小山|2005|p=9}}/さいのお{{sfnp|吉田|2004|pp=81–82}}){{efn2|更に「ほそお」{{harv|小寺|1922}}「ほそおのこ」とも読まれる。}}と称して磯良の舞が奉納される{{sfnp|小山|2005|pp=5, 8–9}}<ref name=kodera/>{{sfnp|吉田|2004|pp=81–82}}。