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さらにKは、メディアの取材に対して、1992年2月26日か27日{{R|oasis}}に警察に目撃情報を伝えたところ、(久間所有の)紺の車に決めつけるような言い方{{R|fnn}}で、「『あなたが見たのは軽じゃなくて普通車の紺色じゃなかった?』と言われた気がする」<ref>https://yotemira.tnc.co.jp/news/articles/NID2023061518030</ref><ref name=fnn>https://www.fnn.jp/articles/-/543566</ref>、「『紺色ではなかったか』とか『ボンゴではなかったか』と聞いてきました」<ref name=gendai>https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/325353/2</ref>と述べている(なお、警察に久間と同じ紺色ボンゴ車の情報が初めて寄せられたのは、Kへの聴取より後の1992年3月2日{{R|saishinchisai2-1}})。
 
Kは、「女児と男の顔はしっかり見えた」{{R|oasis}}として、「とにかく女の子がうら寂しいというか悲しそうな顔が一番印象に残っています」{{R|mokugekishaf}}と述べ、2019年に記者から女児の写真を見せられた際には「泣きそうな顔をしていた女の子と『そっくり』だった」{{R|gendai}}「仮に50人の写真を見せられても、私はこの写真の子があの子だと選び切れたと思います」{{R|gendai}}と述べている(ただし、遺体発見時もほとんどの新聞は写真入りで被害者を報じている<ref>朝日新聞1992年3月19日朝刊29面、朝日新聞1992年3月25日朝刊福岡29面。</ref>)。その後裁判所の尋問では、女児の顔の特徴などを問われ、「はっきり覚えていない」と答えたという<ref name=yom230601sc21>読売新聞2023年6月1日西部朝刊21面。</ref>。また、裁判官から「女児のランドセルは見えなかったのでは」と問われている{{R|oasis}}中、Kは自身の車が左ハンドルだった{{R|oasis}}としている。
 
Kは、「あの当時のDNA鑑定は、初期のDNA鑑定で。DNA鑑定が第一の証拠。それが私はもう完全に崩れたと。それがはっきりしたから、尚更、声をあげていろんな場に出てきた」{{R|fnn}}と述べており、家族の反対を押し切ってでも証人として自分が出ようと思ったという{{R|fnn}}。裁判所での尋問を終えて、「私が見たのは真犯人の車だと今も確信している」<ref name=oasis/>と述べた。