「谷風梶之助 (2代)」の版間の差分

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* 当時の本場所は、江戸で毎年2場所行われていた他、京都および大坂で1場所ずつ行われていた。酒井説では江戸場所のみを本場所としているが、同時期に京都・大坂での本場所にも谷風は出場しており、個々の成績も考慮すべきではないか。
* 当時は勝ち、負け以外にも[[引分 (相撲)|引分]]、[[預り (相撲)|預り]]、[[無勝負 (相撲)|無勝負]]、相手力士の不戦敗による休場、[[抱え (相撲)|抱え大名]]の都合による不参加等があり、純粋に白星のみを連続させることは難しいが(双葉山の時代には、勝ち、負け、本人の体調都合での休場以外の勝負結果はほとんどつかなくなっている)、これで連勝記録を中断させるべきか。
 
1971年、[[池田雅雄]]が『相撲』誌に連載した「歴代横綱正伝」で、京阪場所も含めた谷風の取り組み表を発表した<ref>池田雅雄「歴代横綱正伝」⑧ー⑩(『相撲』1971年8-10月、ベースボールマガジン社)</ref>。これによって、以上の場合分けを掛け合わせると、四通りの数え方が考えられる。