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COCKY (会話 | 投稿記録)
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== 経歴 ==
[[1957年]]より、スポーツカーでレース活動を開始。地元では48戦戦44勝と圧倒的な強さを見せていた。1964年には第2回[[日本GPグランプリ (4輪)|日本グランプリ]]でクラス優勝した経験もある。
 
=== F1 ===
==== 1964年 ====
この年よりF1に参戦することとなったホンダチームのドライバーに抜擢される。第6戦ドイツGPで初参戦するが、チームの不慣れやマシンの欠陥から、まともに走れないまま予選を終了する事態となった。何とか特別な計らいでマシンを決勝グリッドに並べたバックナムは、最後尾の22位から追い上げ、一時は9位まで浮上。しかし、残り3周でナックルアームの金属疲労からクラッシュ、13位に終わった。
 
第7戦を欠場し挑んだ第8戦イタリアGPでは、エンジンパワーを生かし、一時5位まで浮上したが、オーバーヒートおよびブレーキトラブルでリタイヤ。そして第9戦アメリカGPでも、オーバーヒートからリタイヤ。デビュー戦はリザルト上完走扱いとなったものの、1レースも走り切ることが出来なかった。
 
==== 1965年 ====
1965年よりチームは、経験豊富な[[リッチー・ギンー]]とも契約。当初の予定では、チームはギンーにマシンの熟成を任せ、エースドライバーにはバックナムを起用する筈だったが、[[中村良夫 (自動車)|中村良夫]]が監督を降ろされたことで予定は変更。ギンーはNo.1意識を持ち出し、開幕前のテストでバックナムに殆ど走らせない事態が発生。また中盤の2戦では、ギンーのマシンに集中する目的で、バックナムにマシンが用意されないなど、バックナムにとっては不満の残る展開となった。
 
第8戦より、バックナムにも再びマシンが与えられ、最終戦メキシコGPでは5位入賞。バックナムにとっては初の、そして唯一のポイント獲得だったが、このレースでギンーがチームに初優勝をもたらした為、バックナムの入賞は埋もれる結果となった。しかもこの時、予選でバックナムは4位相当のタイムを出していたにも関わらず、No.1ドライバーとしての権利を主張するギンサーにマシンの交換を要求されたため(当時は予選中でもマシンの交換が可能だった)、最終的に10番手からのスタートを余儀なくされていた(予選順位はレースに出走する車で出したタイムで決定されるため)
 
==== 1966年 ====
1966年はチームの参戦が大きく遅れ、バックナムは2戦のみの出走となった。それぞれリタイヤ、8位に終わっている。
 
シーズン終了後、1967年よりホンダが[[ジョン・サーティース]]を起用することが決定。バックナムはギンー共々チームを離脱することとなった。ギンーは移籍し翌年も参戦を続けたが、バックナムはそのままF1から引退することとなった。
 
=== F1後 ===