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'''米野 智人'''('''よねの ともひと''' [[1982年]][[1月21日]]- )は、[[平成]]期([[2000年代]]~)の[[東京ヤクルトスワローズ]]に所属する[[プロ野球選手]]。181cm、76kg、血液型はB。ポジションは[[捕手]]。右投右打。[[北海道]][[札幌市]]出身。
 
== 来歴・人物 ==
[[小樽市]]の北照高から[[2000年]]、[[ドラフト会議|ドラフト]]3位でヤクルトに入団。肩が強く、リードも良いので[[古田敦也]]の後継の正捕手として注目されている。入団以来、致命的な打撃力の低さが問題点とされていたが積極的に特打ちを行うことなどにより改善されつつあり、ポスト古田の筆頭として期待されている。しかしその一方で、2006年シーズンの後半に顕著に表れた「[[送球]][[イップス]]」が心配されている。元々盗塁阻止率が高く、送球能力に優れているとされていたが、ある試合の盗塁阻止の際の[[暴投]]をきっかけに、後半戦だけで10近い[[失策]]を記録している。
 
*[[小樽市]]の北照高から[[2000年]]、[[ドラフト会議|ドラフト]]3位でヤクルトに入団。
==球歴==
*アマチュア時代は肩の強さとパンチ力が注目され、入団直後から[[古田敦也]]の後継捕手として注目されてきた。反面リードの不安定さと、変化球を苦にする傾向はアマ時代から指摘されている。
*入団以来、致命的な打撃力の低さが問題点とされていたが、積極的に特打ちを行うことなどにより改善されつつある。[[2005年]]シーズン末には、退任する[[若松勉]]監督に指導を受け、打撃面での成長にお墨付きを貰った。
*その元監督の言葉通り、[[2006年]]は全く打てないという状況からは抜け出し、確実性には問題があるものの7本塁打を記録している。
*しかしその一方で、[[2006年]]シーズンの後半に顕著に表れた「[[送球]][[イップス]]」が心配されている。元々スローイングには定評があったが、ある試合の盗塁阻止の際の[[暴投]]をきっかけに、後半戦だけで10近い[[失策]]を記録している。ただし必ずしも精神的なものとは判断されておらず、[[2007年]]シーズンを迎えるにあたっては、グラブの改良などに着手している。
*球界を代表してきた[[古田敦也]]捕手の全盛期と比較されると、やはりキャッチングやリードにも難がある。特にリードは単調な配球も多く、[[2006年]]は前の打席と同じ配球で痛打を浴びる場面も見られた。良い意味でも悪い意味でもオーソドックスで、古田捕手が調子の悪い球を敢えて見せ球にしてきたような、発想の柔軟性には乏しい感もある。尤も、幸い捕手としてはまだまだ若手と言え、その点経験を積んだ今後の課題となってくるだろう。
*[[2007年]]は引き続き正捕手のポジションに挑戦するシーズンとなる。[[2005年]]から、3年連続してOP戦の開幕試合のマスクを任されている。
 
== 球歴 ==
手稲東ファイターズ→新琴似シニアリトル→[[北照高等学校]]→ヤクルト([[1999年]][[ドラフト会議|ドラフト]]3位指名)