削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
4行目:
 
=== アマチュア時代 ===
 
*小学校2年生のときに野球を始める。中学校時代は木津第二中学校2年時にボーイズリーグのチーム、奈良スターズに入団しプレイする。
*高校は[[香川県]]の[[尽誠学園高等学校]]に入学し、1年時と2年時に[[二塁手]]として[[全国高等学校野球選手権大会]]に出場する。甲子園での成績は12打数2安打1打点。
*[[2001年]]に[[早稲田大学]]に入学。1年春から二塁のレギュラーに定着し、[[東京六大学野球連盟|六大学リーグ]]戦の全試合に出場。3年秋にベストナイン獲得。4年時にはキャプテンを務め、史上24人目となる大学通算100安打以上(102安打)を放つ。現[[阪神タイガース]]所属の[[鳥谷敬]]と二遊間を組み、走攻守揃った二塁手として活躍する。
*[[2004年]] この年の[[ドラフト会議|ドラフト]]で、[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]が自由獲得枠で獲得し、スワローズに入団する。
 
=== プロ野球 ===
 
*[[2005年]] ルーキーながら開幕一軍入りを果たすも、出場機会を得らないまま[[5月]]限りでファーム落ちとなる。一時不調に陥るが、[[8月]]には[[イースタン・リーグ]]で月間MVPを獲得。
*[[2006年]]は開幕戦こそ2番セカンドで起用されるも[[グレッグ・ラロッカ]]選手の加入でセカンドのポジションが開かず、また結果を残す事が出来なかったためにファーム落ちとなった。しかし、7月に宮本選手の故障によりあいた[[遊撃手]]として一軍へ昇格。その後、宮本選手が復帰すると一時スタメンから外れるが、今度はラロッカ選手が離脱。結果的に一軍に定着し、公式戦初本塁打を放つなどの活躍を見せ、9月には5番セカンドでの起用もなされた。最終的には75試合打率.266、HR6、打点22とある程度の結果を残している。
14 ⟶ 17行目:
*[[アレックス・ラミレス]]選手と同様に比較的[[併殺|併殺打]]が多い選手である。(なお、より厳密に書けば、ラミレス選手は三塁、遊撃方向への引っ張っての併殺が多いが、田中選手は二塁方向が比較的多い。結果的に併殺となっても、ライト方向を狙った、走者進塁の意識は田中選手の方が高いと言えよう。2006年度の田中選手は、クリーンナップの後の下位打線を打つ事が多く、走者に走塁意識が希薄なケースが多かったのも考慮する必要がある。)
*大学時代は好守をウリにしていたが、プロ独特の速い打球にとまどうことが多く、失策も多い。しかしシーズン終盤にはスタメンで使われることも多くなり、2007年以降期待される選手であることは間違いない。
*[[2007]]年のOP戦では、二番二塁でスタメン出場する事が増えている。[[2006年]]に続き、OP戦では打撃好調である。
 
== エピソード ==